REPORT  12

2005・6・26 ソロモンの王宮 〜ミュージシャン YOSHIKIの究極のこだわりとは〜  えり


ファンはこの時をじっと待っていました。日本ロック界のカリスマが久々の凱旋!それはひとつの事件。空港は異様な熱気につつまれていました。賢人が向かったのは愛知万博会場。その世紀の祭典の開会式で披露されるオーケストラの演奏の指揮者として白羽がたったのは日本が生んだ天才YOSHIKIでした。x japanは1982年]として誕生。独自の音楽性とビジュアルであまたの伝説を作りました。デビューアルバムから100万枚を突破。CD総売上2100万枚以上。かってない静と動が同居した。日本人アーティストとして初となる東京ドーム連続3日間ライブが敢行をして15万人以上を動員してx japanの名前を音楽シーンに刻みました。その曲の多くがYOSHIKIさんが作詞、作曲。しかもバンドリーダー。メディアの注目が集まります。さまざまな音楽雑誌の表紙をいつもYOSHIKIさんの顔が飾ります。ドラマーとして1分間に800回という超人的な速さで叩くハイパードラミングと言う驚愕のテクニックを披露。高まる気持ちを抑えきれなくてドラマを破壊するという前代未聞のパフォーマンス。ライブに全精力をつぎこみ時に肉体の限界を超えてしまうことがあります。すべての力を使い果たし意識を失ってしまったのです。控え室に運び込まれるYOSHIKIさん。そこにはぎりぎりの所まで己と戦うひとりのミュージシャンの壮絶な生き様がありました。

「いつでもライブをやるたびに身体がぼろぼろになってくるのがわかっていたので何処かで来るだろうと思っていました。」

そして賢人YOSHIKIはx japanの枠を超えた活動を開始。70〜80年代にかけて世界のロックシーンを震撼させたクイーンのドラマー ロジャーテーラーと彼のソロアルバムに参加。YOSHIKIティストを注入しました。

幼少時外からはぐくんだクラッシュク音楽の才能。リリースをしたアルバムは4枚。日本クラッシック史上例の無い30万枚以上の売り上げ。このジャンルでもYOSHIKI伝説を残したのです。こちらは天皇在位10周年コンサート。YOSHIKIさんは天皇、皇后両陛下の前でたぐいまれな才能を披露。日本を代表する音楽家である事を示したのです。多方面に活動とともに彼を賛美を送る人が増えつづけました。こちらはFILMコンサート。YOSHIKIさんの大ファンであるあの人の姿も。小泉首相です。「凄い活力をもらったよ。爆発的なエネルギーだよ。そういう中に憂いを秘めて戦わなきゃいけないそういう感情をYOSHIKIさんが持っているそれに感動をさせられるんじゃないかな。」

しかしx japanの突然の解散の発表。最後の伝説はラストコンサートのチケット52000枚は史上最速の2分で完売。このラストコンサートに臨むYOSHIKIさんの胸中は複雑でした。ボーカルのTOSHIさんが突如メンバーを脱退を宣言!それがx japanの解散へと導いたのです。
質問:○
YOSHIKI:Y
○「TOSHIさんにムカついていたと?」
Y「はい、そうですね。脱退したメンバーと一緒にステージを保つのは辛かった。やりたくなかった。ファンに対して責任を取らなきゃいけないのでやったLIVEだった」

幼稚園からの音楽人生を、人生を共に歩んできたTOSHIさんに裏切られる思い。しかしその感情はライブと言うひとつの音を奏でると言うことで次第に変わってきました。そしてLIVE終盤にはこれまでともに最高の音楽を作り上げてきたと言う事を称え有ったのです。

Y「どんな事が有っても子供の頃から一緒でしたから目の前にいる彼はミュージシャンの前に、ボーカリストの前に僕から見た幼稚園から友達だったと言う事が一番に有りました」
○「一番話しやすかった人は?」
Y「まぁ〜ず〜とひとりですね」「LAの以前ハリウッドに住んでいたその家のプールが深くて僕の家でメンバーとバーベキューパーティーをやってhideをプールに落としたら泳げなかったみたいな。泳いでいたのかな。半分おぼれていたのを途中で助けてあげたみたいな・・・」

YOSHIKIさんとhideさんは公私共にかけがえの無い人。しかし解散してから1年後に他界をしてしまったのです。hideさんの死はファンに止まらず日本中を騒がせる大ニュースに!献花に訪れた人は5万人。隅田川沿いに数キロも続きました。いきなり突然の別れを受け入れなくて泣き崩れ絶叫をする人々。

Y「冗談じやないと思った。次の日飛行機の中でニュースを見て本当なんだと思った瞬間泣いちゃいました」
○「hideさんのご遺体に会われたときは?」
Y「ちょっとわかんない」とYOSHIKIさんは答えて泣いておられました。

メンバーで有り親友であったhideさんの死。それは我々の想像を越える悲しみであったに違い有りません。あの日をさかいにYOSHIKIさんは表舞台から姿が消えました。それから数年間はひっそりと暮らしていたLA。

アメリカ、カリフォルニア州 LA。さまざまなエンターティメントの傑作が日々この町から生まれます。高級住宅街ビバリーリルズでは大富豪が居を構えています。まさに世界の成功者が集う町。賢人YOSHIKIさんの現在の拠点が有ります。それでは今夜は特別にYOSHIKIさんのお宅に招待を致しましょう。
大きな門が開きます。その先にまだ家は見えません。想像を超える広大な敷地です。木々のトンネルを通ると車はここまで。広いスロープが現れました。白を基調とした建物。これがYOSHIKIさんのご自宅です。白いタキシードを思わせる玄関にはその奥にある空間への期待が高まります。ドアを開けると視界いっぱい白の世界が広がります。黒の家具とのモノトーンのデザインがが見事な調和。大きな窓から出来る限り太陽光を差し込まれるように設計をされています。窓枠のキャンパスには美しい庭園が描かれています。庭園を歩いてみました。庭には綺麗な花が!実はこれは薔薇の花。心憎い演出が施されていました。なんと家の何処に座っても薔薇を見て楽しめるようになっているのです。薔薇の美しい花と香りに包まれてピアノを奏でる我々の抱くYOSHIKIさんのイメージを裏切らない極上の空間だから名曲が生まれるのかも知れません。広々とした空間の奥にはまだまだお部屋が。高い天井から陽光が差し込み目に前にはエキゾチックな楽園が広がっています。そこには南国の風、時がゆっくりと流れていました。このプールサイドはYOSHIKIさんお気に入りの場所とか・・寝転びながら見るLAの空は吸い込まれそうな青くすみわたっていました。この家はデザイナーと相談せずに建築家と相談して建てたとか。空間プロデューサーYOSHIKIさんのセンスが光っていたのに違い有りません。由緒あるホテルのような階段を上るとYOSHIKIさんのプライベートルーム。のちほど上がらせて頂きましょう。

賢人久々にLAから帰国。大好きなYOSHIKIさんをひと目、見たいと成田空港には1000人のファンが駆けつけました。この後、2階で記者会見。終った後2回もファンの前に出てきてくれてYOSHIKIさんが手を振ってくれました。

「hideの事とかいろんな事があったんですが彼らがいてくれて、彼らが支えてくれたからここまで来られたと思うので感謝の気持ちを込めて色んな音楽を出したいと思います。」

今回YOSHIKIさんは愛知万博公式イメージソングの作詞、作曲を担当しました。I'LL BE YOUR LOVEをオープニングセレモニーで披露。世界各国のトップ奏者で構成されたオーケストラ。その指揮者はもちろんYOSHIKIさん。まずはオーケストラの腕前を拝見。それまで聞いた事も無い迫力が場内に響き渡ります。奏者をたばねその音を作っているのは佐渡裕さん。佐渡さんはヨーロッパを中心に活躍。世界一流のオーケストラの指揮で絶賛をあびる日本を代表する指揮者なのです。

Y「みなさんカッコイイですね」
佐渡さん「すごいメンバーですから」 
Y「みなさん物凄く巧いんですか?」
佐渡さん「確かに野球で言えばオールスタートップクラスがそろっています」
佐渡さん「指揮者って自分で音をならさないですから、だからみんなの緊張を取ってあげて気持ちよく演奏させるのが一番ですね」

YOSHIKIさん佐渡さんのアドバイスを受け入れて練習を開始。世界のトップ奏者と始めての音合わせ。YOSHIKIさんタイミングを取るのに必死。奏者の緊張を取るべき指揮者がだれよりも一番表情が硬い。とまどいからか何処か振る手も弱弱しい感じです。

Y「まだリハーサルの段階でいろんな音が気になっちゃって、僕の譜面通りになっているかばかり気にしてて。」

YOSHIKIさん指揮以上に気になっていたのは演奏中の各国の行進にあわせて流れるアナウンス。アナウンスの音量が思った以上に大きい。これでは演奏が負けてしまう。

Y「そうですね。これはアナウンスの関係で曲の音を厚くします」
Y「これからまた練習をして徹夜だけはしたくないな」
Y「ミスが有る」「直したいんだけれど」

明日のリハーサルまで急遽楽譜を変更。妥協が出来ないYOSHIKIさん。今夜は長い夜になりそう。よく朝YOSHIKIさん 早めにホテルを出発。眠る時間は有ったのでしょうか?

Y「眠れません この一週間は眠れない」「辛いです、辛い精神的にここんとこ辛い」
そう言いながら車が走り出したら楽譜に向かいます。眠たさは何処へやら。時間の有るがきり何度も楽譜のチェツク。それは全身全霊で音楽に立ち向かって来た姿勢そのもの。

本番前日の最後のリハーサルが始まりました。ステージ上には昨日とはうってかわった迫力の有る指揮者YOSHIKIの姿!
Y「だんだんいい感じになってきた。みんなが感動をしてくれれば良いんじゃないかな」
Y「ゆったりした曲なんですけれど力強さを所々に取り入れている」
Y「空手をやっているのでそれがはいつちゃったりして。 ちがうか」
笑みを見せ問題はすべてクリアーをしたようす。その表情から明日への自信が伺えます。

そしてついに世紀の祭典 愛知万博が開幕しました。各国の国旗の入場行進を進める中をYOSHIKIさんの曲が場内をやさしく包み込みます。指揮棒を持たないのは指揮者で有っても気持ちは奏者。ピアニストとして指から音の無いもう1つの音色を感じて欲しいから。静と動。そのまやくの動が同居した指揮ぶりはx japanの音楽と同じ。演奏には確かにYOSHIKIさんのロック魂が流れていました。世界がその才能におしみない拍手を送りました。

愛知万博で大役をこなしたYOSHIKIさん。ゆっくり休憩かと思ったらそのまま全勢力で走り続けていました。この日は雑誌の取材。それが終ったら自身が答えたインタビューのVTRをチェック。気になったのは自分の見え方じゃなく以外にもVTRの演出的な部分。

Y「これせめて『ディゾルブ』入れようよ」「ダブルチェックさせてくれない 今晩にも」

その後渋谷のスペイン坂。ラジオ出演のため。公開スタジオに向かったのです。ファンにとって待ちに待った生YOSHIKI。胸に熱い物がこみ上げて憧れの人が涙でかすみます。

今日は駆け足の1日。日が暮れてもまだ仕事は終りません。到着したのはレコーディングスタジオ。韓国人4人からなるロックバンドTRAX。彼らの才能に可能性を感じプロデューサーを引き受けたのです。それは自分自身がロックと言う原点にかいひする為でも有りました。
Y「日本の場合、ロックとポップスとの境がなくなっちゃったみたい。あえて線を引きたい。何処かに毒を入れて、毒を入れて 僕の意見を主張したい」

日本で活動を終えたYOSHIKIさん LAに帰って来ました。YOSHIKIさんが入っていったのは窓の無い建物。実はレコーディングスタジオ。壁にはx japanのCD。ここから日本中をわかせた数々のヒットが生まれました。マイケルジャクソン・キッス・メタリカなど世界的なアーティストが名曲を生み出しました。驚くべき事にこのスタジオはYOSHIKIさんの物。世界のアーティストが愛したスタジオをまるごと購入をしてしましました。と言うことでこのスタジオ内をこだわりの色に染めてしまいました。こちらは元はベージュだった機材を業者に頼んで黒にしてしまいました。目に見える機材を全てブラックにしてしまいました。レコーディングスタジオの中にあるドラムやピアノは一級品ばかりのいずれも値の張るもの。中には2000万円もかけて購入したのはこのピアノ。チャイコフスキーやビートルズがコンサートで弾いた音楽の殿堂、カーネギーホールに有った物。まさに博物館級の一品です。

こちらは倉庫。ずらりならんだ機材や楽器はYOSHIKIさんの趣味がこうじて集めたもの。誰に見せるためでもなく音にこだわり続ける彼ならではの趣味です。中でも気に入っているのはこの木製のシンセサイザー。音楽好きには仰天のお宝。70年代音楽の常識を覆えした伝説のバンドピンクフロイドが使用していたもの。こうして世界中から集められたビンテージから最新式のコレクションはYOSHIKIさんの中で永遠に最高の音色をかねで続けています。このスタジオで仕事に取り掛かったYOSHIKIさん

○「何やるの」
Y「メアリー モナリザ」
YCD有るからかけられるよ」

このCDにするされていたタイトルはVIOLET UK。YOSHIKIさんが長年温めてきた世界進出を視野に入れた壮大なプロジェクトです。

Y「日本の外にも向いて行こうと。 x japanにも出来なかった 遣ろうとしている」

ロジャー・ラブ
 「YOSHIKIは完璧を目指しているのだ。だから僕らはこのプロジェクトを出来るだけ良いのにしたいんだ。 今までこのプロジェクトにたくさんのシンガーやいろんな事を具体化して進めてきて、この時点でこのプロジェクトに加えたいと思うようなニュー・シンガーで「すごい」ボーカルに出会ったというのは驚くべき事なんだ」

Y「僕は全て運命だったと思うけど。だからこのプロジェクトは10年もかかったんだよ」
スタッフ「1000万枚売れれば元がとれる」
Y「10年かかったし約12億円かかっているからね」
 
YOSHIKIさんの自宅のプライベートスペースにお迎えしましょう。
ます現れたのは走り続ける肉体にエネルギーを注入するスペース。マッサージ師を呼んでリラックス。こちらはトレーニングルーム。x japan時代から怪我が絶えなかった事から身体を鍛え事になったとか。1度この部屋に入るととことん身体を苛め抜いて2〜3時間は出てこないと言う。

ここはファンなら1度は見て見たい仕事部屋。天才が音楽の神との語らい音を作り出す想像の場。ここで作詞、作曲にのぞみ、これまで数え切れない作品を世に送り出して来ました。音楽仲間や仕事相手が訪れます。この部屋も黒と白を基調とした部屋。ベランダから広い庭園を一望できる部屋が寝室。やはり白と黒に囲まれているとなごむのでしょう。この部屋もモノトーンの空間。ベットの正面に鏡ばりの一角に気が付きました。このドアの奥は?じつはバスルーム。超一流のホテルのビップルームのような設計。陽光を浴びながら入るジェットバスは極上のひと時でしょう。夜になると無数の照明が何ともいえないゴウジャス感を出します。

スロープにYOSHIKIさんの車が。。早速ご自慢の場所に案内をしてくれる事になりました。そこは庭にある大きな温泉プール。自慢は大きさではなく南国のリゾート風のデザインでは有りません。YOSHIKIさんのこだわりで施された有る仕掛け。照明の色が変化してプールの水の色があっという間に変わります。

Y「もともとあったプールを動かしたんです。30センチくらい。片側を埋めて、片側を削ってみたいな」
○「30センチってそんなに大きな変化は無いじゃないですか?」
Y「神経質なんですよ。そういうの」
S「どんな時に入られますか?」
Y「朝とか酔っ払った時とか  でかいお風呂みたいな感じで」

プールの横には白い庭園と満天の星を眺めてながらゆったりゆっくりつかる温泉のジャクジー YOSHIKIさんならではのゴージャスなプールでの楽しみかた。

Y「たまに人を落としたりします」

こちらの庭に友人を招いてパーティーをするのが楽しみとか。YOSHIKIさんの友人とはどんな人達なんでしょう。突然の来客。ご友人が訪ねて来ました。
ロバート・ダウィ
近所に住んでいると言う事も有ってYOSHIKIさんとは大の仲良し。いつも突然やって来ます。

Y「ラスベカスに行っていたんだって」
ロ「慈善事業でね。君は何をしていたの」
Y「スタジオから帰ったばかりなんだ。さっきまでドラムを叩いていたんだ。ロックしてたんだよ」
ロ「君の音楽は素晴らしいよ。僕はYOSHIKIの音楽が大好きなんだ。僕らはいろんな事に興味が有ってね。政治について話したり、環境について話したり、YOSHIKIは凄いミュージシャンだけど同時にいろんな事に興味を持ってて、そこが僕にとって魅力的なんだ。僕の友人はシュワルツネッガーとかYOSHIKIとか色んな事に幅広く興味が有る人が多いんだ」

ロスアンゼルスに住んでおよそ10年。今ではたくさんの人が刺激と言うお土産を持って気軽に尋ねて来ます。今のYOSHIKIさんにとって宝物かも知れません。

YOSHIKIさん 何処かへお出かけするようです。ガレージには超高級車が3台。プライベート用の3台の愛車がいずれも黒の高級車。この3台の中からその日の気分で運転する車をチョイス。「ベンツSL500ブラバス」「フェラーリF355ベルリネッタ」「フェラーリ360チャレンジトラダーレ」フェラリーで何処かへ出かけました。

Y「車とかでかっとばしたりするの好きですよね。一応道路規則にのっとって」

と言いつつもさすがレーシングカーの馬力。車はぐんぐんと加速をして行きます。通常の車では余り感じないGも体感。

Y「まだ飛ばしているうちに入んないですけどね」

ドライブはYOSHIKIさんのストレス発散法。仕事で思い悩むとあてのないドライブを楽しむのです。

Y「音楽凄く好きなんでだから続けられているんだと思うんですけど考えたらちょっと異常なくらいレコーディングしてますから時間と比例してないから頭に来るんですよ。普通では時間を費やした分だけ成果が有るじゃないですか 作曲って違いますからね。壁に頭を何回もぶち当てたいぐらいの気持ちになるくらい辛いですね。」世に出た美しい旋律はYOSHIKIさんの生みの苦しみの結晶。LAの風はつかれた魂をどのようにして癒してくれるのでしょうか?やって来たのは明日への活力を充電出来る場所。サンタモニカ近郊のひと気の無いビーチに車を止めました。YOSHIKIさんは都会的でスタイリュシュな人。自然とは反対の人のイメージですが。

○「自然とか見られたりするんですか?」
Y「大好きです。自然の子です。」
○「海を見に行かりたりするんですか?」
Y「元々生み育ちなんで。千葉県の館山市という海の側で育ったんで大好きですね。海に来る事有ります。直接イメージするっていうかきっとどこかで吸収しているんでしょうね。それが何かの形になって音になって出てくるんでしょうね。」

心を休ませる為に遣って来たのは以外にも故郷館山を思い出させる何処にでも有る海でした。いまYOSHIKIさんは海の潮の香りとさざなみの音から何かを吸収し頭の中でどんな音色をかなでているんでしょう。

こちらは世界の成功者が住みセレブが集うビバリーヒルズ。雰囲気のあるテラスにドライブを終えたYOSHIKIさんの姿が有りました。よく訪れると言うこの店はLAの知る人ぞ知る極上のシュガーバー。「グランド・ハバナ・ハウス・オブ・シュガー」ハリウッドスター等のゆるされた人しか入店できない会員制クラブ。YOSHIKIさんは今夜この店に音楽で知り合った友人を招いてパーティー。ハリウッドで成功した人々が集まりました

Y「グレイはすごい有名なボディーガードです」
グレイ「長い事エリザベス・テーラーとも仕事をしていたしマイケル・ジャクソン、バーバラ・ストライサンド、パリス・ヒルトンなども仕事をしていました」

JC「僕はJCです」
JCは全米ナンバーワンユニット「インシンク」のメンバー

Y「彼は有名な大物プロデューサーなんだ」
彼はそのインシンクを手がけるプロデューサー。そして彼女はイギリスで活躍するシンガー


Y「どうしてた」
JC「元気だけど、仕事がメチャクチャ忙しくてね。アメリカでツアーをするのは大変だよ。ヨーロッパが今一番ツアーをするのにいい場所だね」
「なんで」「ビジネスさ」
「確か前回のビックなツアーは62ものショーが売り切れて大きなビジネスになったね」

こうした成功者たちの親交から新たな出会いを生みあらたな成功を作っていくのです。


翌日の朝9時スタジオにYOSHIKIさんが入って行きました。みずからピアノをひき女性に歌のレッスン。YOSHIKIさんが考えていたVIOLET UKが遂に始動!この日は呼んだ女性ボーカリストがこのプロジェクトに相応しいかどうか実力をテストをしているんです。

Y「じゃあ スタジオでやろう。ここはこれでOK。」

レッスンは終了。ここからレコーディングをしてボーカルの実力をはかります。

「ちょっとキーが違うよ」「彼女の声のもっと低い部分もチェックしたいんだけど」

厳しい口調で次々と要求するYOSDHIKIさん。それは自分に対する要求でも有ります。昨日まで作ってきた音を超えていく音楽。10年間そうしてきた究極の音楽を作りあげねば。

レコーディングエンジア ドク・エイト
「彼の音楽に対するアプローチの仕方はとてもクリエイティブだね。アレンジの仕方とか共同作業のやりかたとか彼を見ているといろんな面で関心するね。」

○「どうしてこのプロジェクトは10年もかかっているのですか?」
Y「かかちゃったんですね。それは音楽的にまだ納得できないで何日もやり直したっていうのもありますし、HIDEの死だったり、x japanの解散とかいろんな事が節目、節目であったんで、挫折したりとか、音楽を投げ出したくなっちゃたりしてとか、そういう事を繰り返しながらここまで来たって感じですかね。それでそんな時間かかっちゃったのかも知れないですね。自分でその]のことを伝説とかって言うと変なんですけどそんな風になってしまったんですけれど、やるからには、それを超えるような意気込みでやってますけどね。はい」

『10年間普通に生きるより1時間でもいいから素敵な時を』

間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m