REPORT  11

2005・4・3   YOSHIKI MUSEUM 2005    タワレコ 渋谷店    papa

歌舞伎町2丁目の安ホテルを早々と出て、今しがたYOSHIKI楽天のレポが消えてしまった無念さを引きずりながら、渋谷に急いだ。12時開場のミュージアム1回目には充分な時間があったが、日曜日駐車場のことが気にかかるので急ぐと言う訳。前回CDの時にタワレコ裏手、山手線ガード下の公共駐車場に初めて駐車、この次は道路の南の方に入れるとタワレコに最近道だと見たので、その通りに入れたものの、誘導されたのがタワレコへの出口の反対側最奥の所。思い通りに行かないのが東京。
 10時15分タワレコ着。「神南郵便局前」交差点のタワレコ敷地縁石に腰掛け休憩。後ろのさんまの大きな看板(さんまは以前、YOSHIKIの悪口言ったのでキライ)に背を向け、相棒の写真撮影を待つ。タワレコの黄色を配した大きなビルの正面上には、地球を模した大きな意匠というかモニュメントが掲げられていて、大手レコード店の風格。1階通りに面した2つの入口の間はアーティストの宣伝コーナーに利用されていて、いくつかの一つにYOSHIKIのコーナーが通りに案内されていた。10時開店のタワレコではあったが、22日CD、30日DVDで並んだ記憶が強く、今日も12時開演まで時間の間があり、漠然とまだ店が開いていないような錯覚でそれらコーナーを眺めていたが、店内にはお客がうごめいているのを見て「10時開店で店は開いてるんや、入ろう」となった。外から見たYOSHIKIコーナーの店内コーナーへまず。外からだと窓に閉じ込められてインパクトに欠けるこれらのコーナーも、店内で目の当たりにすると「特設コーナー」に見えた。YOSHIKI特設コーナーは、南入口から2番目の「木村カエラ」の横に置かれていた。ちなみにYOSHIKIの右へ「HUSKING BEE」「UA」「レミオロメン」「SUPERCAR」「HIROSHI FUJIWARA」「清春」「DEVLARGE THE EYEINHITAE」が並んでいる。
 YOSHIKIの特設コーナーは、30インチぐらいの横長テレビのパネルが目線に置かれていて、その左右にアンプ風な小さな箱に、左に『ETU』CD、右に『YOSHIKI VIOLET UK』DVDが収められて飾られている。箱の中の照明がつくとそれらの商品が浮き上がり、照明が消えると何も見えずただの箱かアンプの模型と言う具合。3〜4秒の間欠で点滅を繰り返している。テレビ画面のパネルは、YOSHIKIのシンフォのピアノ演奏で、ピアノに黙し右手を振り上げたポーズ。白いシャツや黙示の横顔がVIOLET特典のポスターより遥かに鮮明。テレビの上には蛍光燈の白い箱の照明が、楽譜線の下地の上にYOSHIKIと浮き彫り出している。テレビの下は、左半分にETU、右半分にVIOLET UKの各CD、DVDが斜めに立てかけ飾られていて、その前に重ね積にされている。テレビ画面を少し邪魔するように右下には、実際のDVDの映像を再生できるように11インチぐらいのモニターがあり、テレビ左には試聴できるようにヘッドホーンが掛けられている。テレビの台に当たる下には、左にETU、右にVIOLET UK YOSHIKIのCD、DVDが写真的にはめ込まれていて、その左右を橋渡しするようにYOSHIKIの文字を渡している。試聴のヘドホンの下には、@YOSHIKI/ETERNAL MELODY U DISK T、AYOSHIKI/ETERNAL MELODY U DISK U、BLUNA SEA/SLOWと書かれたメモ書き。店員にお願いして「YOSHIKI Symphonic Concert 2002,with Tokyo CITY Philharmonic Orchestra」の再生をお願いしたら、コンサートの一場面がいくつか流れた。
 タワレコB1は「STAGE ONE」と言うライブハウス。今日の会場になってる。11時10分に「STAGE ONE」に降りる1階の扉前に行くと2人の方が並んでおられた。いつもマイチェアー持参なので、腰掛けてるとガードマンが来て「ここは座って待たないように」と言う。立ってならいいとの事らしいが、人目に付かない奥まった陰になってるところなのに、そんなに杓子定規に固くガードしなくてもと大阪人は思うわけで、思い通りに行かないのが東京。「11時半頃になったら、係員が来て指示して、下の階段から並ぶと思います」と言って去って行く。順番や並び具合を確かめに今日の入場者が扉前を確かめにやって来ては、閉まった扉を見て戻って行く。同じように半を過ぎても店員が扉を見に来ては入場者が戻ってゆくように戻ってゆく。おいおい、やることがあるじゃろが・・・と内心思ってしまう。40分ごろには指示があって50分過ぎ、下の階段に並ぶ。当方14,15番目であったが、14の相棒の前の13番の方と話を交わすようになり、話しているとEDのHPにきてくれてる桜さんであった。そこで抱き合う姿は衆目の中に、妙な再会の場面に映ったか。
 58分10人づつの入場。短い廊下風の入口を入ると、目の前に「封印はとかれた」のポスターとその前に赤い本物ステージドレス。そこは箱型長方形のライブ場の角に当たるホールの入口とすると、すぐその奥の右側面@にはステージがあり、向こうの面Aと左面B(ステージの対面)は大きなボードにパネルを展示、そして手前左の面CにはYOSHIKIのステージ衣装がハンガーに掛けられ、ズボン類は衣装ケースの中に入れられて展示されている。ホール中央には大きな支柱が向こうDとこっちE2本、建物の構造を成しており、その間にクリスタルピアノが置かれている と言う配置で、YOSHIKIミュージアムの意味を「博物館」で捉えるとその通りの内容になると気付かされる。日程上時間の余裕がなく、本来希望の4回目を1回目の入場にしたが、このセットの仕方ではYOSHIKIはこないだろうと思った。
ライブハウスへ入ると、すぐ右側がステージ(約10m×5m)になっていて、真っ赤なシルク(?)の布が敷かれたステージ面右手にはスケスケドラムセットが光っていた。その前には「愛・地球博」の楽譜をめくる楽しそうなYOSHIKIのパネル(約60cm×45cm)。ステージ中央の程よい高さにスクリーン(2m×2m)がセットされていて、その上はライブハウスのライトが設備されている。ステージ前には、ライブ用の手すりが置かれていた。早い順番の入場であったが、手すり最前中央から入場者が並び出したので、自分の位置はドラム前の端の方になった。
 12時03分、「2時間の映像、YOSHIKIの魅力を感じてもらうには・・・」と案内がありViolet UK DVDの音楽がながれ、「I'LL BE YOUR LOVE」のピアノ演奏に入る直前、ボーカルが出てくる場面からの映像から入って「次の曲、気合入れてゆきましょう。気合入れるものじゃないですけど・・・昨日この曲で大失敗しちゃって」とYOSHIKIの会話から始まる、DVD「I'LL BE YOUR LOVE」の部分の映像が12時17分まで流れ、その後にYOSHIKIのインタビューが、「Without YOU」の音楽に載せて12時34分まで続いた。インタビューの日時は'05.3.29と字幕に表示、17分間の未公開映像であった。インタビューは、スクリーン下に質問が字幕で現われ、それに対するYOSHIKIの返答が切れ間なく流れるように編集が成されている。場所はどこかホテルの一室か、コーンスープ色のソファに座ったYOSHIKIが斜め左向きのポーズでインタビューに答えるという設定。
○今思う]JAPAN?
『青春時代かな』
○世間の反応は予想していた?
『なんか反抗期だったんで、とりあえず人のやってないことやろうみたいな、まぁ音楽的にも時代もそうかもしれないけれど、というのでインパクトあるだろうなぁとは思っていましたね。全てに対して・・分からないけど・・』
○何に対する反抗?
『音楽シーンかな。特にその当時、その当時というか今でもそうなのかな、いろんな事やって、何あのかっこう、なにあのおじさんのソロとか、いろいろ言われてたんで、いろいろやっぱ言われるとなんか燃えると言う、なんかそういう音楽シーンみたいな反抗期だったかもしれないですね』
○すごい個性の集まり?
『(くすくす笑う)そうですっていうか、みんなリーダーみたいなもんですね。元リーダーですかね、みんな』
○展開や見せ方が戦略的だった?
『まぁ考えたり、のりだったりっていう、そのどっちかっていうとわかんないみたいな、考えて行ってんの、その場ののりで行ってんのみたいな、両方だったんですけど、そんな感じですよね・・うん・・今も結構そうだったりして(笑)』
○あっという間に頂点に駆け上がった?
『頂点に駆け上がった時に僕はロスに行っちゃったんですけどね。たぶんもう、だからまぁ実感と言うか、それはそれなりに頑張ってそうなったんですけど、もともとそこが目標じゃなかったんですけど、目標と言うのは頂点に行くことじゃなくて、納得のいく音楽を作ろうと言うのが目標だったと思うんですよね。それがなんか大きな東京ドームでやるとか、レコード何万枚売るとか、なんかある種の尺度になってしまったんで、その中で最大限のことをやりたいと。それがある程度見えたときに、ならば次の世界に、次のさらに大きな所で活躍したい活動したいと言うので、なんか世界が視野に入ったと思うんで、それでロスに拠点を移して、それから]JAPANも含めて、そこでやろうとしたんですけどね』
○ジャンルを超えて若い世代のバンドが、]JAPANからの影響を口にしますが?
『うれしいですよね・・・それは・・うん。幸せですよね・・うん。ファンの人達の事も含めて、10年越しのファンの人達も結構いると思うんですよね。今回帰ってきて思ったんですけど、とても幸せだなぁと思いました』
○瞬間の美学、破滅と言いながら、結果が残っている?
『何かきっと残るものをやってたんでしょうね。自分の中では破壊破壊しか、たぶんなかったんですけど・・。ラッキーですよね、そういう意味では。僕と言うか]って、でもそれだけの事やってたかもしれないですよね。けっこう命かけてましたからね、何やるにしても。(インタビュアー:もっとやってもよかったんじゃないかと言うか)そうかもわかんないけどね・・・』
○やり足りない?
『足りないですね』
○あの時代できる最上最大限?
『ビジュアルとかその辺の所じゃなくて、なんか・・もっと反抗するんならもっと反抗してもらいたいみたいな(そうでしょうねぇ、周りの人は知ってたんじゃないですか)わかんない』
○渡米は?
『10年ぐらい前ですかね』
○海外の拠点の目的は?
『とりあえず世界を視野に入れた活動をしたいなぁと思って。まぁ最初は]ですよね、その時は。みんなで世界進出しようってな感じで・・』
○イチローや松井は?
『そんなに打撃うまくないですもん。僕の場合は、どんなタマでも打つみたいな(笑)。たまにデッドボール食らうみたいな。来たら打つと・・(笑)』
○世界進出?
『そうですね、やっぱいる場所はここよりよくなっちゃうと思うんですよね、みんなね・・』
○YOSHIKIは音楽活動、レーベル運営など音楽環境まで自身で作ってしまわれましたね?
『大変なっちゃうんですよね、何やっても・・。と言うか]を始める時もそうだったんですけど、誰も信じてくれなかったですよね。基本的にはファンの人達以外と言うのは、こんなバンドがどういう風に売れるんだとか、こんな音楽でなんなんだとか言う・・・だったら自分達でやってゆくしかなかったっていう。もちろん最初に作ったのは自主take盤だったじゃないですか。自主take盤作ったと言うのは、メジャーからオファーがなかったから作ったと言うだけで、それがきっかけですよね』
○日本でやってきた事が世界規模になっただけという感じ?
『まぁ実績を見せなけりゃいけないというか、得体の知れないものだから。これがあるってとこ見せなけりゃという、別にこだわってたのかもしれませんよね、そんな感じですよ。たぶんこれからガチャガチャ海外でやると思うんですけど、まぁ弾きながらやりますよね。関係ないですよね、ここまで来ちゃったら(笑)。波に乗ろうと思ってないんで(笑)』
○日本の音楽シーンやマーケットは気になりませんか?
『100%ないというとよくないですけど、基本的には向こうに行って、向こうの事しか視野に入れてなかったですからね。まぁ、そうやって言われるだけで幸せですよね。どこかに聞いておいてくれただけでも幸せかなと』
○日本のファンは空白期間に不安を抱いていたと思いますが?
『そうですね、頑張ってたんですけどね・・・。なんか日本に対して、これ頑張ってるぞって見たいなのもなんか変じゃないですか。ていうか、忘れられててもいいぐらいに思ってたんで。出てくる時は、いやが上にも思い出させてやるみたいな・・それぐらいの気持ちなんで、もう忘れてくれとその時はね、はぃ』  

○その間、YOSHIKIを見るのは大きなイベント?
『幸せですよね、それも っていうか ねぇ。たぶんそういうことなかったら、ぼくは本当に消えてて、出てこれなかったかもしれませんよね。どこに行っちゃっうなみたいな』
○ここ数年、クラッシックに重点おいてる?
『ぜんぜん大丈夫ですっていうか、そっちの方、ここ何年も見せなかったと思うんですけど、基本的にはロックしてましたんですけど、基本的にクラッシックは生涯通してやってゆこうと思ってるんで、すごい刺激になりますし、いい機会を与えてもらえたなぁと今回の指揮でもそうなんですけど』
○ピアノコンツェルトの作曲、オーケストラとの共演をどう思いますか?
『たぶんどこかで自分が死ぬ前には、なんかシンフォニーを作って死のうと思ってますんで、はい。そういう意味ではなんか、とっても近づいてるなぁみたいな』
○地球博でタクトを振るのは?
『はい、あの公式ソングを頼まれたんですけど、それがなんかだんだん盛り上がっていって』
○タクトを振る不安はありましたか?
『まぁスタジオとかで振ってたんで、レコーディングとかで、まぁそんなにやったことないことする訳じゃないんですけど、でもまあ相手も相手だし山場なんで、今までこんなに勉強した事ないぐらい勉強しましたよね。基本的なことはわかってたし、オーケストラも自分でやるんで、ただ自分のスタイルを見つけなきゃいけない作業に今回は一番、たぶんピアノもそうだと思うんですけど、そんなにうまいテクある訳じゃないし、ドラムでもテクニック的に言ったら、うまい人はいっぱいいるんですけど、それはいつも自分のスタイルをつけようっていう、人が出来るとか出来ないとかじゃなくて、このドラムはYOSHIKIだろうとか、このピアノはYOSHIKIだろうとか、おなじようなこと、まぁそれって以外に時間がかかったりするもんで大変なもんで、それをけっこう短時間に身に着けたと思ってるんですけど・・・、100%じゃないにしても出来る所までという、今回そこに大変気を使った』
○YOSHIKIさんならではのタクトの振り方だったのですね?
『まぁなんとなく、もうそれぞれ、いろんな人が、カラヤンにしてもすごい人達いるじゃないですか、今回佐渡さんもそうなんですけど、でもぼくにしか出来ないようなテクってあると思うんですけど、そういうの意識しましたね』
○曲はYOSHIKIさんとすぐわかる?
『金太郎あめみたいな感じですか、金太郎あめ?、金太郎あめ?(笑)どこから切っても金太郎あめ(大笑い)』
○今回の帰国目的は、愛・地球博のプロモ?
『そうですね、あとは今回のエターナルメロディツー、シンフォニック、シンフォニックなんとかっていうやつ、なんだっけ名前(大笑い)、シンフォニックコンサートとDVD、それのプロモーションで、はい』
○CD、DVDのリリースは?
『とりあえずいきなり出てきて、ドンと行ってもみんなわかんなくなるといけないんで、そーっと(笑)、そーっと、はぃ(笑)、いろんなことあったんだなぁみたいな・・』
○ETUはとてもヒストリカルな曲になりましたね?
『なんですかねぇ、やっぱりその節目節目の曲があって、やっぱりいろんな思い出が・・なんですか走馬燈のようにって言うんですか、駆け巡りましたよね、頭の中を・・。逆にああいうことがあったから、出来てきたのかなぁって言う、何度もやめてしまおうと思ったことありますからね。もう音楽めんどくさい、音楽めんどくさいというかなんか音楽やってるとめんどくさいですよ。そういう時期ありましたよね。やめちゃってもう裏方にまわろう、作曲家になっちゃおうとか、音楽自体はつまらなくなかったんですけど、あのーインタビューとかめんどくさいじゃないですか、たまにそういうのって、そんなこと言っちゃいけないんですけど・・(と言いながらインタビューを受けてる自分がおかしくなって)・・(笑)、フフッ(笑)、へへっ(笑)、はははっ、おかしい!!(大笑い)』
○そこで活動をやめられなかった理由は?
『たぶん、けっこういろんな理由あるんですけど、一つ大きな理由を挙げろと言われたら、たぶん彼女達から来た手紙だったり、もう少し頑張ってほしいやってほしいみたいな事だったり、あとは自分でそれなりにプロデュースしたり、作曲させてもらって来たんですけど、俺だったらここまでやっちゃうんだよなぁみたいな、これだけの楽曲、これだけのものがそろってるんだから行っちゃえみたいなものあったんですけど、日米含めてね、だったらもう一回自分でやったろうみたいな風に思った感じですかね』
○再びアーティストとしてパーフォーマンスをしたくなったという事でしょうか?
『そうですね、ほんとに創作者でしたから。ここ何年というか、10年近くですかね、]JAPAN解散以来7年か8年、これから表現者としても活動してゆくと思うんですけど、その表現の中にも芸術性を見い出せればなぁと思ってるという、創作ってほんとに芸術的な感じなんですけど、表現してゆく時というのは、ちょっとなんか違うなぁと思ったりするんですけど、その中に芸術性を見い出しながら、何か出来たらねぇ、なんかステージとか、そういう意味では“なによあれ”みたいなの、やりたいですよね』
○VUKに向けて?
『高まってますよね』
○ロックモードというか、パーフォーマーモードが高まってますね?
『]の時は、基本的にはドラムだったじゃないですか。もちろんたまにピアノ弾きましたけど、ツアーまですると飽きちゃいますよね。毎回やってると飽きちゃいますんで、だからたまにツアー中にわけわかんない企画を、何か何かおもしろい事やろうとしたんですけど、今回はドラムはやろうと思ってますし、ギターも弾こうと思ってるし、ピアノもちろんだし、何かね、ツアー中に今日俺ギターみたいな、急に何かそういうのもあるじゃないですか』
○いろんなこと考えてるようですね?
『あのね、何かさっきもインタビューで言ったんですけど、ぼくの場合、もちろんプロ意識もあるんですけど、何かあまり仕事感覚でやってないんですよね。レコーディングとか音楽自体をどこか楽しまなければいけない、楽しまなければやってられないみたいなのがあって』
○]JAPANNのツアーも多くなかったと思いますが?
『よくみんなツアー中に何日も飽きないのかなぁと思いますよね。5〜6回やったら飽きちゃいますよね』
○音楽性、変化してますか?
『常に形を変えてゆけば、不思議なもんで、だんだん過激になってきたという・・』                        ○]JAPANもまだ保守的だった?
『10年前とかの方が、もっと保守的に捉えていたでしょう。その音自体にしても、音の展開にしても昔の方が、保守的に保守的に、ここまで行っちゃいけないみたいな、何か自分の中で勝手に線を引いちゃってたんだけど、それがどんどんなくなってきてるという、なにか歳と共に過激になってきてしまったという、それを全部VUKに投げてるという・・。』
○そのバンドという器の限界みたいなもの?
『あの時は全部、あの時の枠の中で、たぶん限界をやろうとしたけれど、たぶんその線はどっかにつけていたんで、線を取っ払ってしまったらね・・、そうもちろん]も、いろんな事トライしたけれど、基本的にはロックバンドっていう、うん、ねえ、いきなりToshiがラップやって、HideがDJやってる訳にいかないじゃないですか(笑)。VUKはそれが可能なんで・・、一番わかりやすいじゃないですか。』
○YOSHIKIが90年代LAに渡った時は、レコーディング技術が格段に進化した時代でした?
『そうですね、いいタイミングだったんでしょうね。そのちょっと前にスタジオ購入してしまって、もちろんスタジオなんで自分やる以外にも、ぼくのスタジオはコマーシャルスタジオなんで、外部でも、まあほんとにKISSが来たり、マイケルジャクソンが来たり、イースィンク(?)が来たりみたいな、バイレン(?)が来たりみたいな複合なんで、機材はもちろんアップデイトしなければいけないですよね。それと同時に、そのスタジオの中に自分だけの部屋も作ってたりして、そういう外部の機材の流れを見ながらも自分でいろいろ研究して・・・、その時にもうガーンとすりかわってきてたんで、VUKも最初の時はというのは押し込みをメインにやっていたんで、貪欲にその辺は吸収してゆきましたし、機材もアップデイトして行きましたんで、スタジオもってたというのは、やっぱりある意味では大変でしたけれど、それでよかったというか、しかもアメリカのあの場にいたので、たぶん最先端の音楽シーンにしてもなんにしてもという所のスタジオにいたんで、って言うか今でもそうなんですけど、全て最先端を行ってると言う、今も行ってると思いますけどね』
○YOSHIKIさんは常に新しい機材を導入されてますよね?
『そうそうそう、一応ひととおり、行っちゃいましたけれどね。もうヘタで音楽で負けても機材では負けられないぐらいに思った時もありましたけどね。まあデジタル関係ではなんでこっちへ行っちゃったんだろうと、いろんな、常に昔のベータ・VHS戦争みたいじゃないですけど、規格の戦争が今でも起こってる訳で、わからない時は両方とも使いながらやってる訳ですからね、100%、120%探してます、はい』
○現在も常に対応されてますか?
『同じようにテクノロジーの変化もね、同時に起こってたんで、でも落ち着いたでしょう。それは要するに、ほんとアナログからデジタルへの移り変わり、激しい移り変わりですよね。それはなんかカーブ自体がこう来て今、少し落ち着いちゃってんじゃないかな。これ以上サンプリングのデータあげても、ヒット数あげてもという所に来ているんじゃないかなという』
○新しい可能性への貪欲な表現衝動?
『それで、そういうことやってるうちに、たぶん時代を抜いてしまったと自分で思った、自分の音楽がね。出すんなら今だみたいな』
○一番最初にこのプロジェクトを思いついたのはいつ頃ですか?
『たぶん]のジェラシーという曲をロサンジェルスでレコーディングしている時に、もっと美しくてもっと危ない、ノイズと美を、ノイズときれいなメロディーを混ぜたものをやったらどうなるかなみたいな発想から始まった。そのドラムがドコドコやってないにしても、ノイズだけザーという中にきれいな音楽があったらどうなるかなみたいな所から始まったんですよね。]ではできないことをやろうっていう・・それをわかってくれた人は数少ない人ですよね。そうなんですよ、はい。』
○]メンバーがソロ活動へ?
『逆にみんなにまかせられちゃったんで、もう]任せで(笑)、任されても困るみたいな・・』
○現在のVUKへ至るまでの変遷を紹介してください?
『そうですね、その後は、まあ僕の場合、でも]のリーダーということもあったんで、何かあると必ず自分のことはわきに置いといて、]を先にシャシャシャというのがあったんで、進むに進まなかったというのがあると思うんですけど、それがなんかトリオという、3人バンドのグループを作ったんですよね。元JAPANという、イギリスのバンドのミッカーンがベースになって、ジェーンチャイルドという、えっと昔「アナーフォリンラブ」という、全米ナンバーワンなったんかな、けっこう過激なルックスの彼女と3人でバンドを作ったんですよね。もちろん僕が集めたんですけど。それでセッションとかやってきましたよね。なんかやっぱり物足りなくて、うん、自分である程度見えちゃうというか、そのLAでやったりいろいろやったりしてるんで、まあ、面白いんですけど、どこどこのバンドの誰かがソロやってますみたいな状況をまだ超えられてないんじゃないかと思ったんですよね』
○現時点でのVUKの曲数は?
『正確にいうと、おおかた300曲ぐらいですよね』
○300曲?
『300曲書いて、うん、そのうち150曲半分ぐらいはたいした曲じゃなかったですんで。僕、打率いいんですよ。5割ぐらい?、イチローよりいいんじゃない。出さなきゃしょうがない、打席に立てば打つんですけど、だいたい2曲書くと1曲は納得できるぐらいに行くんで・・』
○膨大な曲数のストックからVUKのアルバムにセレクトするにあたっての選択基準は?
『大変でしたよね、やはり。ここ2〜3年、3〜4年か、で、何個かこの曲はもう自信作みたいなのが何個かあったんで、その曲のまわりに併せていろんな曲を組み合わせていったら、あっ、これはいい曲だけどVUKには全く合わないという感じだったりという、2〜3曲できたすごい曲のまわりに、いろんな曲を集めて行ったということでしょうね』
○暴力的な衝動と相反する切なさが同居?
『うれしいですね、それは。そう言ってもらえれば・・』
○新しいカテゴリーの誕生を感じました?
『説明しずらいですよね、あれね。基本的にはなんだかわからないという。そうですね、何だかわからない、曲によってはもう2度と聞きたくねぇ、という。何百回も聞いてるんで、それに尽きますよね』
○ファンの皆さんへのメッセージ?
『エターナルメロディツーとか、えっと、何だっけ、DVDを聞いてもらって興奮でもしといて下さいと。そのうち得体の知れないものが来ますんで。はい』
インタビューの映像が終ると「VIOLET UK 05,9,22 ON セール」の文字が、黒画面白抜きで飛び出した。12時34分に終る。そして少しの静寂があって、35分から最初と同じDVDの「I'LL BE YOUR LOVE」の映像が繰り返しで43分まで流れ、同じ画面が消えたかと思うとYOSHIKIの同じインタビューの映像が続けて流れた。1時ごろまで再度見入っていたが、スクリーンはその後も同じ繰り返しが始まったので、展示を見ることにした。同じ画面を何回見続けていても構わないが、2時まであと1時間しかなく展示も見ておかなくては。
 ステージから奥の正面Aに進むと、ステージと同じ赤布の下敷きのボード(1.5m×2mぐらい)に右から上下2段3列に6枚のパネル(60cm×45cmぐらい)が展示され、最左側に大きいパネル(100cm×75cmぐらい)が1枚。6枚のパネルの写真には次の説明がつけられていた。
 (1)愛・地球博公式ステージ前にて
 (2)愛・地球博前のスタッフミーティングの模様
 (3)      〃
 (4)      〃
 (5)3/26「Tokyo FM生出演」(渋谷スペイン坂スタジオ)
 (6)      〃
大きいパネルにも「スペイン坂」の表示。そのパネル左側には、愛・地球博開会式第一部式典にて「I'LL BE YOUR LOVE」の演奏時着用のタキシードがガラスケースに収められて展示。その左に横長テレビでシンフォニックでの「I'LL BE YOUR LOVE」の指揮の模様のDVD映像が流されており、テレビの左には「YOSHIKI Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra」featurinng Violet UK にて着用の黒皮のコート、ズボン、シャツ(赤エンジ色)が展示されている。
 ステージ反対側の面BにはAのような展示があって、まず6枚のパネルその左に大パネルを置き、その左へまた6枚のパネルの展示がなされていた。左回りで見て行くまず最初の6枚のパネル(60cm×45cmぐらい)には、
 (1)〜(5)3/22「愛・地球博」開会式リハーサルにて として指揮の模様
 (6)「愛・地球博」開会式控え室にて として楽譜を見ながら指揮のイメージを作っているYOSHIKIの姿。その左の大パネル(250cm×200cmぐらい)には、薄墨のストライプシャツで指揮をするYOSHIKIの姿。その左のパネル(60×45ぐらい)6枚には、
 (1)3/22「愛・地球博」開会式控え室 として楽譜に手を加えてるYOSHIKI。
 (2)      〃           として人との打ち合わせ風景。
 (3)3/26ROCK BAND 「TRAX」メンバーとの雑誌「UV」対談時。          
    録音室にてメンバーとの雑談の模様。
 (4)      〃
    メンバー4人を後ろに機材の前に座ったYOSHIKIとの記念撮影の模様。
 (5)3/26 ON AIR 麻布スタジオにて
    後ろ向きで機材のレバーを操作するYOSHIKIの姿。
 (6)     〃
    機材に向かう後ろ姿。やや遠くより。
写真コーナーの左にはPARCOのコマーシャルのパネル(120×70ぐらい)2枚。
  (1)1枚は、逆さまライトをドラムたたきしてるもの。
  (2)もう1枚は、台所での女性との会話で、おもちゃピアノを弾くYOSHIKI。
その横にはその時のPARCOのテレビコマーシャルが2パターン同時に横長テレビに流され、その下にはVUKのピアノのパネル。テレビの横には「PARCO 2002 WONDERFUL X'MAS
CF撮影時」着用のベルベットの黒スーツの上下、ネックレス、黒半長ブーツがこれもガラスのショーケースに納められて展示。
 入口左側の面Cには、今まで]JAPANNのライブ等で着用したドレスやズボンがハンガーや衣装ケースにしまわれて展示されている。Cの面の中央には透明衣装ケースに収められたズボン類。その左右にハンガーに吊り下げられたドレス類。右側には16着、左側もそれぐらい並んでいたが、右側に2着ハンガーからはずして広げられていたがいつの使用のものかそこまではわからなかった。後は重なり合ってドレスの横側が連なって見えていた。
 DEの柱の間、つまりホールの中央にはクリスタルピアノが置かれてあった。その横の光るステンレスの四角い台のガラスケースの中に「愛・地球博開会式第一部式典にて演奏“I'LL BE YOUR LOVE"の楽譜。表紙にはタイトル「World Expo 2005 I'LL BE Your Love Composed by YOSHIKI Arranged and Orchestrated by YOSHIKI and
Shelly Beng」。その下にYOSHIKIの自筆のサイン。その楽譜の台の下にはスナップ写真のパネル2枚。
 (1)1枚は、地球博の楽屋風景。Shelly Beng さんとの楽譜打ち合わせ。後ろに女性スタッフが何かを準備してる。
 (2)もう1枚は、車の中での楽譜の手直しの場面。自車ロールスロイスの中の左後部座席の模様。車窓には高速道路の植樹の木とガードレールが写っている。植木の風景なので私の感では清水以西だろうと思う。テーブルの下へ垂らした楽譜を見ながら指揮のイメージを作り上げていると言うスナップ。
 クリスタルピアノはKAWAIの小型。床にはシルクレッドの敷布。ピアノの上には楽譜が開かれ置かれてる。ピアノの向こうDの柱のA面側には、「愛・地球博」開会式進行台本(薄青の表紙。厚さ5mm)を展示。その上には指揮のパネル。台本のYOSHIKI関連の部分がコピーで読み取れるように正本の下に置かれてあり、そのページの記載は右側に見出しの部分、さらに上から5段に区切られ、1段(@)時刻(14.05.30とある)、(A)概要、(B)スタンバイ、(C)コメント、(D)ステージ映像 と格段にあり、見出しにはL'LL BE YOUR LOVE 参加国・国際機関入場。合唱/名古屋少年少女合唱団  管弦楽/EXPOスーパーワールドオーケストラ  指揮/YOSHIKI
想定正味時間 8分30秒とありまるで囲まれてる。格段の記載部分を興味本位にメモしたので書くと、(A)にはボーイスカウトの旗手先頭はPステージ中央付近まで進む。各国コール開始。4秒に1カ国のペースでコールされ・・(以下台本正本が隠して不明)。(B)孟 曉亮、下手外道路から下手柴山にある編○にスタンバイ。モリゾー、キッコロ、天使はPステージ上手下手階段下にて・・(隠れる)。(C)阿部(アナウンサー)『さあ、この曲は「愛・地球博」の公式イメージソング「I'LL BE YOUR LOVE」。指揮は作曲者、YOSHIKIさんに代わりました。地球上に生きる全ての人々の知恵と力を一つに集めて、平和で豊かな、愛に溢れた未来社会を作りだしたい。その願いを込めて「愛・地球博」に参加出展する121カ国の国旗、そして4つの国際機関の旗の入場です。日本ボーイスカウト愛知連盟の皆さんを旗手として、参加申し込み順に行進します・・(あとは隠れてる)』。せっかくメモしたのでYOSHIKIの愛知博ビデオを再度見るときには、この通り進行してるか確認してください。これらのメモ中、1時35分辺りから、シンフォの「ENDLESS RAIN」がスクリーンに映し出され、ミラーボールが回ってる光景が見れたがメモに奮戦中で、チラッと見ただけ。さらに1時55分ぐらいから「Without YOU」が会場に流れていたが、どういう場面か、音声だけだったのか、見逃した。後半1時間はメモに終始してしまった。一番初めのタワレコの案内には“2時間の映像”という話があって、何が出てくるんだろうとワクワクしたが、結局は17分のYOSHIKIのインタビュー映像が唯一の真新しい映像であった。しかしそのインタビューは、「Without YOU」をバックにYOSHIKIの人なっこい明るい人柄があふれ出てて、非常によかった。かみかみYoちゃん、早や舌Yoちゃん、愛嬌Yoちゃん、この笑顔で話されたHideが、理容師で行く決心を翻して]に加入したという その心情もわからずでもないいいインタビューであった。も一度インタビューを聞きたかったが、時間が来てしまい会場を後にした。2時だった。
      

間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m