REPORT 4
1990・01・01 ニッポン放送 新春スペシャル X NEW YEAR Revolation
T:こんばんわ
あけましておめでとうございます。
XのヴォーカルのTOSHIです。
昨年中はXを応援してくれて本当に
有難うございました。
今年もこうやって新年からこうやって挨拶をする番組を
遣っていると言う事は90年、いや90年代は
Xの時代かも知れません。
では番組のタイトルを叫びましょう
X NEW YEAR Revolation!!
(ここでXが流れる)
T:さて、新年早々初じまりました。
張り切って1時間をお送りしたいと思いますが
さて今日は実はXのメンバー、ヴォーカルのメインのTOSHIだけでは
あれません。
Xのサウンドを研ぎ澄ますギターのお二人PATAとHIDEが来ています。
H:メインのギタリスト、HIDE
P:はい。どうでもいいPATAです。
T:さて、今晩はこの3人で頑張って行きたいと思います。
さて今日はなにを遣るかと思うとコーナーがたくさん有ります。
Xの歴史を紐解くヒストリー・ザ・X!
そして新春Xカルタ。何なんでしょうXカルタっていうのは?
これは、後ほど楽しみにしていて下さい。
そして今日はここにはいませんが、あの、あの、あのYOSHIKI大先生。
YOSHIKIですね。ものちほど、出てきます。
と言うわけで楽しみにしてください。それでは1時間よろしく。
(ここでXが流れる)
T: さて、ここで、いきなりバンドXの歌い初めを披露したいと思っておりますがPATAちゃん よろしんでしょうか?
P:正月なのでしばらくギターを弾いておりません。
T:ず〜と炬燵に入ってたでしょう。正月だとわかっている?
P:アルコール漬けで〜
T:今日はじゃぁ〜ね。アコーステックギターで!
今日はなんと書初めってあるじゃない。歌い初めをよろしくお願いしたいと。
じゃ、僕歌います。
今日はみんなにプレゼントでPATAとHIDEのアコーステック・ギターによる、TOSHI歌による{紅」最初バージョン 新年始めてのバージョン。
T:新年第2弾 KISSの曲を
(PATAとHIDEの演奏でTOSHIが歌いだす。)
T:やっぱり歌っていいね。
と言うわけで今日は2曲、PATAちゃんどうだった?
俺のハードロックウーマン。久々に?
H:寝てます。PATAちゃん
P:正月だ。どうやら正月なんだよ。
T:子供の頃の正月は? PATAちゃん。
子供の頃の頃の思い出の正月。
P:嫌な話。
T:今だから話す
P:あれですね。今だから話す。あの、私、いわずと知れたそば粉アレルギー。
T:正月にかかったんだ。
P;だから。ほら年越しそばってあるじゃん。
T:うん
P:だから、家の親は最初のうちは気が付いていないじゃない。
だから、そばl本食わないと正月は越せねぇと強制的に食べさせられて正月は寝込んじまった。
T:それからPATAのそばアレルギーが始まったんだ。
P:それから始まったと言うか、まさに寝正月。
T:PATAは知らない人に説明するとそば粉が入っている食べ物を食べると舌が痺れて全身蕁麻疹だらけになるの。
H:だから、蕎麦じゃなくても饅頭にそば粉が入っているのを発見してしまう。それがいったい何の役に立つのか?
T:人類の為になっているんでしょうか
P:世の中の為に役に立ちたいです。
T:長野に行く蕎麦の町でしょう。長野駅に降り立った瞬間倒れます。
この間も舌はビリビリで・・・
P:長野、恐るべし。
T:PATA、殺すのは簡単です。頭からそば粉をかけるとナメクジみたいにシュルシュル
P:溶けていく〜アハハ♪
T:と言うわけでPATAの蕎麦アレルギーはそう言うふうにして始まったと凄い話だったね。これを纏めた所で、CMの後はXの歴史を壮大なスケールで綴るヒストリー・オブ・Xのコーナーです。
T:さて、ここからは俺達、Xの歴史を綴るヒストリー・オブ・Xと言うコーナーだが
まずはTOSHIとYOSHIKIの幼少時代から話は始まります。
ヒストリー・オブ・X
過ぎ去りし80年代、その80年代後半を過激にしゅそうし、ファンをリアルに熱狂させたバンド X。今宵はよりサイケデリックにより、バイオレンスにXを今までの歴史を振り返るドキュメンタリーだ。
X誕生を語るにはYOSHIKIとTOSHIの誕生から語らなくてはならない。
XヴォーカルTOSHI 1965年10月10日生まれ 血液型 A
ステージの端から端を走り回りあの元気さは10月10日体育の日生まれからくるのであろうか。
X、ドラムYOSHIKI X年X月X日 血液型 X
全てが謎のYOSHIKI。しかし生まれる前、母のお腹をツインバスドラムに見立てて蹴り上げ、母を困らせていたに違いない。
2人ともしだいに大きくなり幼稚園に入園。かれらはまだアルファベットのXの字を習わないうちに知り合ったのである。
そして楽器を始める頃になったのは2人が中学生の時だった。
当時、2人ともブラスバンド部に所属。
TOSHIはニューホリュム。YOSHIKIはトランペットを担当。
その後、2人はYOSHIKIの部屋で遊ぶようになった。
そこでYOSHIKIはドラム、TOSHIはホークギターを持ち
明星や平凡の歌本をみながら見て歌っていた。
当時のレパートリーはビートルズから榊原郁恵まで。
つまりイエスタディーから夏のお嬢さんまでコピーをしていたのだ。
高校時代、TOSHIは実はバレー部でアイビー少年。
YOSHIKIはピアノと不良を両立していたと言う。
そして文化祭や自主コンサートで活動する為に遂にバンドを結成!
時に1982年夏 もちろんバンド名はXであった。
T;はい、ここまでが幼少時代からバンド誕生と言う事なんですけど。
まぁ〜とりあえず幼稚園時代にYOSHIKIと俺は会ったんだけど、まぁ すみれ組とびばり組で
2年間も一緒のクラスだった。
小学校1年2年も一緒のクラスだったの。
でもYOSHIKIの出身地は内緒。
ビートルズから榊原郁恵というのは大げさだけど本当です。
でも、その頃は十代でノンジャンルで音楽的にわけわなんないよね。
そうそうルーツは歌本。
ヒストリー・オブ・X パート 2
1982年夏TOSHIとYOSHIKIはバンドXを結成!
その後コンテストに出たり、デモテープを作ったり本格的に活動。
LIVEハウスの動員はYOSHIKIの友達への強引なチケットさばきにより、ほぼ満員状態。
またLIVEハウス活動と当時にインディーズレーベルでレコードを作りそのレコードもYOSHIKIの強引な売りさばきにより1000枚を完売した。
その後、Xはエックスオートンレーベルのヘビメタコースと言うオブニバスアルバムに参加
その時の客層はバラバラの滅茶苦茶。ふと客を見たらモヒカンやハードコアばかりの時が有った。
その時、TOSHIはその客に対して「乗って下さい。お願いします」と哀願してしまう、一幕もあった。
また、その頃から数々のコンテストに参加。
このコンテストのエピソードもまた、凄い。
演奏中、ローディーがCO2を撒いて血を吐いたりして、滅茶苦茶になり、その時の審査員の講評は「評価は値しない」だった。
また、YOSHIKIが家で寝過ごして遅刻したコンテストでは「ベストドラマー賞」を貰ったり、?付きの大活躍でした。
しかし、この頃はオールナイトで練習をしていて、練習スタジオに缶詰になり店員から嫌がられながらも頑張った。
この時の練習が今のXに繋がったのであろう。
T:はい、LIVEハウス初期の頃の話なんだけど、その通りです。
まぁ〜ローディーが凄かったのは、ペンタコンテストと言うコンテストが有ってPATAやHIDEが
入る前なんだけど出たんだよね
「I' II kill you] を使ったんだけど、何故か原とかUMEのローディーが血のりを吐きCO2撒き散らして
出して客席にダイブして。
まぁ〜流石に凄いよね。血のりを吐きながら「ざ〜と」と遣ってさすがに評価に値しない審査員
が。。。。
P:俺、目だったかなとローディーが気にしていた。
T;ローディーが「俺、どうだった?目だった??」と聞くので「血のりを吐いただけだよ」と答えた。
T:そう言う時代がありまして、取り合えずチケットの方は昔、ノルマが有ってさぁ〜。
でもYOSHIKIは凄いんだよ100枚とか、200枚を平気で売っちゃう。
P:パー券と同じでしょう?
T:パー券じゃない(笑)
取り合えず友達とか東京にいない頃だったので、取り合えず昔、渋谷に屋根裏が有った頃
始めての屋根裏で130枚とか売れて。でも全部、YOSHIKIが売ったの。
イキナリ、取り合えず全員が館山。
P:同窓会じゃん
T:そうなの。全員が館山の友達なの。
で〜今日は入ってんなと思って「お〜し!いくぜ!」と思ったら全員が友達。
幼稚園から高校までみんな。
P:同窓会の一次会だろ(笑)
T:な〜出山もここまで大きくなったわね。みたいな、そう言う感じ。
何やってんだよ見たいな顔して見ていたよ。
そのままコーナーとか終わった後で渋谷の「すずめのお宿」で同窓会。
じぁ〜今日はどうもすいません。みんな見に来てくれて。俺幹事やりますって感じ。
そういうLIVE ハウス時代を経て、ではCMの後にヒストリー・オブ・X パート 2
に行きたいと思います。
ヒストリー・オブ・X パート 3
インディースシーンのLIVE活動は激しさを増すばかりか酸欠と戦いながら極限状態までLIVEを遣りながら目の前が真っ白になり客と一緒に表に出て行くことにあった。
そしてTAIJIは火を噴くことを情熱を燃やし、いつもLIVEハウスは煙でもうもう。
メンバーも客も鼻の奥まで真っ黒と言う時も有った。
また、ある時は12畳くらいのスペースのLIVEハウスで300人も詰め込みお客さんがスタッフを吹っ飛ばした事も有った。
1987年7月Xは自主制作のプロモーションを作る為にメンバーからお金を集めた。
TOSHIは家の家具を売って金を作り、TAIJIは印刷屋さんでバイトをしたり、彼女から借りて工面して、HIDEも美容院で働いていた貯金を全てつぎ込んだ。
そのビデオはその後行われたLIVEのお客さんになんと無料配布。
この、ビデオ無料配布は業界に与えたインパクトは強烈だった。
それで勢いが付いたXは1988年4月14日自主制作ファーストアルバム「VANISHING
VISION」をエクスタシーレコードから発売。
発売1週間で初回プレス10000枚を完売させた。
それを見たメジャーのレコード会社各社はXのメンバーに接待の嵐。
嵐、嵐、嵐。
連日の焼肉攻めにメンバーの体重も大幅に増加。
そして最終的にそして最終的にCBSソニーと契約。
1898年4月21日アルバム「BLUE BLOOD」をリリースその後、全国ツアーを開始。
このツアーではLIVEハウスを卒業し、会場はすべてホールでのコンサートであった。
T:はい、メジャーデビューまで。この頃はPATAもHIDEもみんないるので聞いて見たいと思います。
アマチュアのLIVEハウス回りで何かあるかな。
H;取り合えず俺がいちばん最初入ったLIVEで あのど狭い中で、
T:あの狭い中で、
H:下手にいるTAIJIが上手にいる俺の方に向かって火を噴くでしょう。
射程距離以内なんだよね。完決に。
T;火がでかいのに場所が狭いので俺達、逃げ場が無くて燃えたよね。
H:その日は鼻の穴は真っ黒だもんね。
T:取り合えず、その日はシンバルも燃やしたし、網も投げたよね。
その頃の得意技で、投網ってあるじゃん。ハンズでデッカイ網を買ってくるの。
それを縫い合わせて、凄いデッカイ網にして屋根から落とそうとして
客を捕まえちゃおうとして、ビックリするじゃん上から網が落ちてきたら
ビックリするじゃん。 それをしょうとしたら中々上に着かなくて、いいや自分で
投げて「せぇ〜のホイ!」ただの漁師の親父だよ。
それで、当時シンバル燃やしをしたりして、LIVEハウスって狭いじゃないですか。
その中でもうもう燃やすもんだからみんな顔中すすだらけ。
蒸気機関車のトンネルを出た後のように・・・
結構、LIVEハウスを滅茶苦茶やって出入り禁止になったのがたくさん有るよね。
P: 有るよね。
T:HIDEが入る前に渋谷の???とか言うLIVEハウスで滅茶苦茶を遣って出入り禁止。
LIVEハウスより居酒屋の出入り禁止の方が俺達多いけどね
H:だってYOSHIKIさん、いらっしゃいますか?って言うじゃん。
T:それっぽい金髪とか入って来ると「あのぃ〜YOSHIKIさんはいらっしゃらないでしょうね」そう昔聞かれた。
P:もしくは金平糖頭の人いますか?って聞かれた。
T:プロモーションビデオって話も有ったけどプロモーションビデオ作ったね。
俺、家具を売ったからね。タンスが無くなり、ベットが無くなり。
当時、俺が会計してきたんだけど、取り合えず明日までみんな7万。
H,P:自分で首絞めてんの(笑)
T: 取り合えずみんな7万を持ってくるの。それで俺、いろいろと計算すると
また、明日、1人7万持って来なきゃいけない計算になっちゃうわけ。
そうすると、明日まで、また7万。
えぇ〜とか言うんだけどみんな7万揃えて持ってくるんだ。
P:でも、TAIJI2回ぐらい溜めていたよね。
T:で〜俺立て替えた。あの頃どう言う金策をしたんだ。
PATAちゃん、どうしていたの?
P:私はあの時、バイト先の給料の前借ですね。
給料袋を開けても全部明細書ばかりだった。
この先、3ヶ月明細書だけだった。
給料の明細10何万とか書いて有るんだけど
前借何万とか書いて有って0だった。
T:取り合えず3ヶ月間、ただ働き。
P:ただ働き。
T:ビデオレンタル屋で。
P:悲しいよね。アクセク働きましたよ。本当に。
T;HIDEちゃんは如何したの?
H:俺は美容師の時に真面目に働いていた積立金とか
有ったのにそれを全部使い果たして、それでも足りなくて
着付けとか、日本髪を結ったり、成人式に行ったりさ〜
T:そう言う時代があって、俺達全然後悔してないよね。
H:後悔してない。
T:苦労じゃないんだよ。俺達は遣りたくて遣ったんだから。
全て情熱は音楽に注いでいたと言うか、そう言う感じかな。
最後にヒストリー・オブ・X パート 4
その後のXは怒涛の快進撃!
1898年4月21日アルバム「BLUE BLOOD」がオリコンCD4位 LP1位の座を獲得。
そのツアーも16公演、ほぼソールドアウト。
大盛況の内に終了。
6月下旬、メンバーはそれぞれ海外で優雅なオフ。
夏は野外イベントで、他のバンドを圧倒するLIVEを繰り広げ9月1日「紅」をシングルカット。
これも脅威の売り上げを記録。そして9月からROSE &BLOOD TOURツアーを開始。
そして12月1日究極のバラード「ENDLESS RAIN」を発売。
オリコンシングルチャート初登場3位
ここまで歴史を振り返ると何もかも順調に来たと思えるX。
だが、その裏には計り知れない格闘が有った。
1990年、いや90年代も頑張れX。
負けるなX。ブレイクし続けろX。その栄光を掴むまで!!!
T:まあいろんな時代を経てここまで来たんだけど、BLUE BLOODを出したその辺の話を伺いましょう。
レコーディングの辺りを。
P:まぁ〜辛かった日々っていうやつです。まぁ〜ねぇ〜
H;あんた楽しそうだったじゃない。酒ばっかのんで。
P:そうだったけど、その中にも微かな苦労と言う物が。。
H:TOSHIが涙を流しながら歌っていた時に「い〜」なんて言ってたじゃない。
P:いいじゃない。ねえ〜TOSHIさん。
T:俺は良いよ。全然。
T:「ENDLESS RAIN」や「紅」が結構売れちゃったじゃない。
H:TOSHI君とか一緒にご飯を食べている時「紅」とかが流れてくると
「これ、俺が歌っているの」でかい声で言うじゃない。恥ずかしいんだよ。
T:あ〜俺、有線放送、嬉しかったもんね。
H:でもローディーが嫌がる。パチンコを遣っていると出なくなる。
P;なんでここでX聞かなきゃいけないんだよ。(UMEさんの真似をする)
T:ではここでXの思い出の曲を掛けたいと思います。
紅をかける訳なんだけど紅に付いてHIDEちゃん
H:Xで始めて聞いた曲が紅だったから最初、?の歌見たいと思っていた。
昔の紅ね。怪盗ロプロスみたい。TOSHIの声、高い、高い。
何処で歌っているのって感じだった。
T:紅って皆でアレンジした最初の曲って言うか。これでXに勢いが
付いた曲なんでみんなにもかみしめて聞いて欲しいと思います。
『紅』
新春Xカルタ
あけましておめでとうございます。
全国1500万人のカルタファンの皆様、こんばんわ。
私がこのコーナーを仕切らせて頂きます。
カルタマンこと、ニッポン放送のアナウンサー、寺内武です。
正月と言えば、凧揚げ、福笑いといろいろと有りますが今日はスタジオの中と言う事で大々的な事はできないと言う事でカルタをXの皆さんと一緒にカルタマンと遣って全国1500万人の方と遊ぼうといじやないかとなんですが、カルタと言っても今回音楽カルタ、つまりイントロ当てクイズですね。
イントロ当てクイズは4つのコースが有りましてまず、一つ目は洋楽コース。どれだけ、洋楽に詳しいか。
二つ目はXコース。これはXの曲がかかるんですがこれを間違えると大変ですよ。
三つ目はホークコース。TOSHIさんが昔、ニッポン放送のラジオ番組に出てたということで。
4つ目はアイドルコース。榊原郁恵ちゃんの話が出ましたがこの辺は詳しいんじゃないかと。。。
4つのコースの中から選んで下さい。
イントロがわかった時点で。ラジオですのでまずわかったらどうやって示すか。
まずTOSHIさんはこれを鳴らしていただきます。鈴と拍子木ですね。
HIDEさんはチャイム。
PATAさんはラッパ。
いちばん早く鳴らした人が最初に答える権利が有るということで。
当たったら次のコースを選べます。
一番多く答えた方がお年玉が有ります。
この後、自分の好きな曲をかけられるいう凄いお年玉。
まず、勝った時にかける曲を決めたいんですが。
HIDEさんは?
H:久保田早紀の異邦人。
PATAさんは?
チャーの気絶するほど悩ましい
TOSHIさんは?
アリスの帰らざる日々。
まずはXコース
先ずはイントロ・ドン
PATAさん
P:言うのは恥ずかしいオルガズム。
正解!!!
ではPATAさん次のコースを選んで下さい。
P:洋楽の10
それでは洋楽の10、イントロ・ドン
これもPATAさんが早かったですね。
P;セペイングロックンロース
ではPATA2点獲得されています。では次はPATAさんどのコースを指名されますか?
P:アイドルの10
ではアイドルの10 ウルトラ・ドン
森高千里の曲名がみんな答えられず・・・・
では結局時間切れです。
優勝はPATAさんで〜す。
ではPATAさんのリクエスト曲、チャーの気絶するほど悩ましいを聞いてください。
私はここでお別れです。
チャーの気絶するほど悩ましいが流れる
T:それでは、ここでスタジオにはこっれなかったYOSHIKI。
なにやっているの。電話が繋がっています。
T:もしもし
Y:なんだよ
T:なんだよって、恐い感じです。
新春早々、冬眠から覚めた感じですね。
P:正月なんだよ。世間はめでたいんだよ。
Y:あけましておめでとう。
T:おめでとうございます。
T:ファンのみんながYOSHIKIさんどうなっているんですかと
かなり心配している声が有るので身体の方はどうですか?
Y:身体〜、元気だよ,元気。
T:元気だよね。
Y:やった〜
T;すばりYOSHIKI、2月4日の武道館にはYOSHIKIの元気な姿。
復活の姿が見れると言う約束をここでして頂きたいと思います。
Y:やるだけ、やるよね。
T;なるようになるさ。
Y:そうだよ。うん。
T:じゃ、YOSHIKIちゃん、ファンの皆にひと言。
Y:あぁ〜、そうですね。えぇ〜と、いろいろとご迷惑を本当にかけてすいませんでした。
ずいぶん、休ませて頂いたので頑張ります。
T:はい、そう言うことで、全員で頑張ると言う事で。それではみんなで
さよなら言おうか。せ〜のTOSHI&HIDE&PATAガ声を揃えて「さよなら〜」
Y:じゃねぇ〜バイバイ。
T:はい、と言うわけで元気そうなYOSHIKIさったね。
さて、今年のスケジュールなんだけど、年明け早々、なんと1990年2月4日
日本武道館でXの復活コンサートが有ります。
このチケットは1月20日から発売になります。
チケットぴあで予約を取ります。
X、本当に命がけで遣って行くんで、みんなも俺達と一緒にXを体験して感動を味わって欲しい
と思います。武道館は必ずいいライブにしたいと思います。
と言うわけで曲を「ENDLESS RAIN」
「ENDLESS RAIN」が流れる。
T:最後に聞いてくれたみんなにXかえらお年玉プレゼントが有ります。
ツアーパンフレット。3個
「ENDLESS RAIN」のカセット型オルゴール3個
ロックフラワー5個。誰のが欲しいとか書いてください。
欲しい方は応募してください。
T:今日は感想を一人一人述べて見たいと思います。
PATAちゃん、どうだった?
P:面白かった。
T:新春早々、面白かった?
P:うん、目出度かった。
T;HIDEちゃんわ?
H:かく言う私も顔がパンパンです。
T:今日は1時間、新春を皆と一緒に迎えられたということで今日は何時ものXと違うアナザー・サイド・オブ・Xと言う事でXのこう言う一面も有るんだよ〜ん。
みたいなのを見せてしまったんだけど俺達、Xだから信じてね。
と言うわけでXは今年も気合を入れて俺達の遣りたいようにガンガンと遣っていくのでみんなも俺達と一緒に、運命共同体だからね、お前達はね。俺達と一緒にでかくなりたいと。
今年も一年、成長し続けましょう。
と言う事で90年代のXもよろしくお願いしますと言う事でこの番組も閉めたいと思います。
そじれじゃ皆さん今年もよろしくお願いします。
それじゃ、バイバイ!
間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m