REPORT 23

2012.07.14 館山・長須賀の祭り   papaさん

03.10.24、TAIJIが長い休養から初めてファンの前に登場するイベント「横浜みなとみらい・パシフィコ横浜楽器フェアー」があった。イベントが終わってから館山に向った(TAIJIレポに記載)。翌日は、沖ノ島、暖地園芸試験場、安房博物館、・・・最後に鶴谷八幡宮を見学した。宮司に鶴谷八幡宮の例祭を聞いたくだりに「ToshIの参加した祭りは、10月第三日曜日・・」と疑問に感じた部分がある。その頃からすでに、ToshIの参加した祭りに興味があった。一度どんなお祭りか、見てみたいとずーっと思っていた。今年2月放送のNHKBSプレミアム「XJAPAN」の収録後の1月19日、館山に行った折、その祭りのことを下調べした。祭りが行なわれる神社、日時など情報を得た。祭りの日時は、年によって変わることもあるので、今年の例祭日が、この7月第三日曜日に行われる事を、商工会議所で確認できたので、積年の思いを晴らすべく、先日7月14〜15日、館山に行った。九州では梅雨末期の豪雨被害が発生、関西でも雨模様の天候、館山の天候が案ぜられた。7月13日の夜10時大阪を出発。明日の朝6時に、横須賀の久里浜港出航のフェリーに乗る予定であった。なぜ久里浜のフェリーなのかと言えば、これも積年の思いのいたずらである。hideミューからお墓のある三浦霊園へ通じる国道途中に、久里浜港がある。房総半島対岸の、館山に近い金谷まで40分で到着と国道に表示されてる看板が目に入る。hideは横須賀、YOSHIKI・ToshIは館山。おそらく彼らも一度はフェリーに乗ったに違いないと踏み、これも一度乗ってみたいと思い続けていたシワザである。ところがそこへ向う夜中の天候が、関東に近づくにつれ不安定で、強い風が吹いてきた。せっかく思い立った事だったが、断念。アクアラインから館山道を利用することにした。アクアラインの海ほたるを過ぎ、トンネルから海上への高速道へ出たとたん、強風に車体が横ぶれ、道路設置の風速デジタル表示は14mと出ていた。フェリー断念は正解だったようだ。車窓右方向から波頭を白く躍らせる大波が大挙押し寄せ、階下の橋を越えると左車窓には、大魚のうろこのような波形が銀鱗のうねりを東京湾へ打ち寄せていっている。
 館山道君津PAで休憩後、相棒も助手席に乗り、館山へ。02年に初めて館山に来た時のびっくり風景を話しながらR127のバイパスに入った。館富トンネルを越えると館山市。びっくり風景第一弾、立派なやし並木が国道両サイドに始る。並木は1キロぐらい続くと、ゆるい下り坂の道成りから、やがて視界が大きく広がる。びっくり風景第二弾、この全視界の風景から館山市の中心がどの辺にあるか、わかるかな という質問をした。02年に初めて館山に来た時の、この位置での戸惑いを強く覚えている。町並みは、開放的な大空に圧倒されたかのように、地上平面に立ちすくんでいる。市街地中心にあるはずのビル群が、見渡す平面どこにもない。館山平面は、今も10年前と変わってないように思える。R127バイパスをそのまま行くと、右方向斜めに入る旧道らしき交差点がある。直角に交差するほとんどの信号交差点と違い、斜めに交叉するので見間違える交差点ではない。そこを入ると館山市の主要官署が両サイドにある。税務署・市役所・合同庁舎・警察署・消防署・裁判所そして北条郵便局との交差点が、R128との交差点である。真っ直ぐ直進、JR内房線を越え、すぐに境川を過ぎると道はどん突き。どん突きを左へ折れて、細い道を50mぐらい進むと例祭の熊野神社。道成りは直角に右に曲がり50mで左に折れて南進、200mぐらいで来福寺。来福寺のその先20〜30mで「長須賀」と言う交差点。境川を境界に、長須賀地区に入っている。神社は、どん突き左の細道を入るが、1月に来た時に確認した記憶が、直進している広い道沿いに面しているとばかり思い込んでいたので、通りすぎてしまった。来福寺(寺の名前はこの時点で不明)前まで来ると白い装束(“はくちょう”と地元で言う)の人が祭りの準備をし、屋台(山車)が寺の前面広場にあって、明らかに祭りの準備中。相棒のみ降り、まず写真を撮ることにした。当方は車のUターンをして戻る事に。時間は10時40分。「長須賀」交差点を右折、適当なUターン場所が見つからず、相当向こうまで行ってしまった。戻って寺を過ぎたところで駐車、相棒が戻ってくる。「今日明日の祭りの行事のあらましを説明してくれたが、よく分からないので聞いて」とのこと。車を降り、屋台近くの役どころの人に挨拶と話を聞く。話しを聞く前は、祭り宵宮の今日は、夕方の行事、明日は昼の行事とばかり思い込んでおり、心は余裕しゃくしゃくの状態。ちょっと風格を漂わせたテンガロハットの様な帽子をかぶった役回りの人の説明は「11時半にみこしが立って、地区を回る。12時半ごろ来福寺へ入る。夜7時、来福寺で、太鼓をたたいて舞台でもち投げ。最もにぎわう。(神社へ)みこしが戻ってくる。(屋台)ひいて地区内回る。9時半まで。15日は、8時神社から屋台が出る。1日中練り歩く。夕方6時半戻ってくる。来福寺に1時間いて、8時半から地区回り、10時ごろまで地区回る。熊野神社へ戻って、手をたたいて屋台小屋へしまう。10時半頃には屋台小屋へ戻る」と言う説明。見ず知らずの通りすがり者への説明としては穏やかに親切な説明であった。説明を受け終わった時点で11時を過ぎている。見通しが狂ってしまい、車を駐車場へ止めに行く時間もない。一帯には駐車場がなく、商工会議所の説明では、JR館山駅前にあるとのこと。そこまで行ってる時間の余裕はない(かろうじて間に合ったのでよかったが)。来福寺から、祭り準備の白装束の氏子の人が、300m先の熊野神社へ11時半のみこし立ちのために何人かずつ行きかけている。どうしようかと考えながら車に戻る途中、「この辺で駐車場ないですか」と氏子の人に背後から尋ねた。「ないけれど、そこに止めとけば」との事。そことは、車を止めた反対側に、「専用駐車場」の赤字の看板。「祭り関係者の駐車場だから、そこに止めとけば」とのこと。祭り関係者とは、地区の関係者で、ただの見物人は関係者とはいえないわけで「見に来ただけなんですが、止めてもよろしいのですか」と聞けば、「止めとけば」。・・・何だこの親切は!と思ってしまった。全然疎外する気配もない。まるで地元に住んでる人のように接してくれている。私の意識は、自分で意識しているよそ者の意識が、杞憂である事を気付かせ、何か自分で設けた心の境界が溶けてゆくように感じた。誠に厚かましく、専用駐車場に祭り関係者と同輩になった気持ちで車を入れた。予定外の祭りの開始と予定外の地区の人たちの親切で、祭りへの期待は、暖かい気持ちで満ちた。神社へ急いだ。相棒の言うのには、「写真も撮っていい。HPへの掲載もいい。どんどん宣伝してください」 と説明役回りさんは言ってくれたとのこと。神社への道すがら、家の軒先、門、塀には、その取り付け易い箇所に赤・黄・青の紙フラワーが竹ひごに縦三段取り付けられて差し込まれ、有色の華やかな演出が祭り気配を盛り上げている。1月に来た時の、そう大きくない神社の侘(わ)びたたたずまいが記憶に残っていたが、今日は、お化粧を施された表情が神社を覆っている。正面神社の石鳥居の足元両側には、熊野神社の名入りの提灯が、傘屋根の支柱の下に吊るされ、上へ紙フラワーの花が立ち上がって咲いている。鳥居から奥の社殿までの約20mの中間に、大小2基のみこしが鎮座している。正面向って左が大、右が小。大きなイチョウや植栽のカイヅカの葉の緑、社殿の灰色がかったしぶき板の配色の中に、境内真ん中に置かれたみこしの金色のつくりが燦然と輝き、太陽に反射している。みこしの近くには、高提灯が2本、風にひるがえる布旗が2本立て掛け調度品から立っている。奥の社殿は、前戸が開け放たれ、鴨居にはしめ縄が渡され、白い短冊が4本たれ下がっている。境内に群れなす白い装束の人は、約40〜50人か、背には「長須賀」の文字を染め抜いた文様が入っている人もいる。老若入り混じっている。何人かのまとまりで白衣装も微妙に違っている。役どころの関係か、地区をさらに細分化した路地ごとの区分けか、定かでない。11時20分、社殿のしめ縄下の舞台に5〜6名ほどの祭りの仕切り役がすでに登壇していて、「ただ今から始める」の宣言。まず会長の挨拶「例年より1週間早く行なわれ、雨の方も大丈夫。明日もありますので、元気に、今日はみこしだけ、若い方、老いの方も元気よく、よろしくお願いします」。続いて連合会会長「肩を入れて、みこしを担いで、元気よくやってきてください」。氏子総代「祭りが盛大に行なわれる事・・・今日は暑いので、のびないよう、夕方まで盛大にやりたいと思います」。続いて鏡開きが行なわれ、みこし担ぎ手代表2人が加わり、挨拶陣含めた真ん中に置かれた一斗ダルの蓋が、かけ声もろとも割られる。ビニールコップが関係者にめいめい配られ、お神酒が配られる。25分連合会会長の発声で乾杯「一日元気にやってください」。コップが片付けられ、記念写真を撮るとのことで、社殿前へ担ぎ手集合。みこしを背に社殿に向ってポーズ、社殿階段から撮影が行なわれた。「神輿長」と襟に染め抜いた担ぎ手の長は、黒い手ほいにお守りの首ネックレス、紅白の腰紐2重、腰には小さな巾着、黒い扇子を持ち、頭にはえんじ色の鉢巻き、黒地下足袋、上下白のはっぴ。みこしの采配をつかさどる威厳を作っている。11時30分笛が鳴る。木枝(関西で言う下草という仏などに供える木)をもった人が先導役か、先頭に続いて高提灯2本が続く格好で、鳥居の所に並ぶ。担ぎ手の「サーノ」で肩に担ぎ、「サーノ」でみこしを上に上げ、「オイサ、オイサ・・」で揺らす。16人が担ぎ手としてみこしを支え、ゆっくりバックしたり、反転したりして、境内を練って行く。神輿長が、担ぎ手の方を向きながら、担ぎ棒に手を添え、練る運動を誘導しながら、木やり歌を歌い上げてゆく。木やり歌は、静かに流れ、その文句は聞き取れなかったが、かつてToshIが神輿長を務めた時は、大きな木遣りが響き、声がすごかったとのこと。「オイサ、オイサ・・」の担ぎ手の掛け声が、裏表のように交互にかけられ、その調子がみこしの躍動を作ってゆく。ゆっくりみこしが、ランダムに境内を移動し、バック、前進、ゆっくり上げ、かけ声も「ホイサ、ホッコイ・・」にのって運動が20〜30回続くと木遣り歌が差し挟まれ、「オーサ、オーィ、ホーラ、ソーラ、ソイサ、ホイサ、ホイサ・・」のかけ声が軽快に祭り気運を調子づかせ、本調子に近づいた34分、境内から鳥居をくぐって通りへ繰り出していった。神輿担ぎ手の後には、20〜30人の白装束の人や関係者(私たちも関係者然として)、神輿の台座を載せた軽四が続いてゆく。大通りへ出て、右折。長須賀の境界の境川を越え、JR内房線沿いの道を西へ進む。50mほど行って左折、長須賀地区へ戻る。「花清」という食事どころの駐車場で一練りしたところで、館山の知り合いよりTEL。その場を離れた。電話がなければ、ずっとついて回るつもりでいたが、14日はここまでの観覧となった。祭りの雰囲気が分かった。厚い人情もわかった。祭りの印象が人の印象に取って代わるような温かさに、気持ちの祭りを味わったように思う。離れた所(外房)にホテルを取ったので、そちらに向った。
 15日は、外房より戻るのが遅れ、屋台の引き回しは少し見れたに過ぎない。引き回し中の午後一時過ぎ、車から発見、ちょうど休憩中の現場に降り立ち、屋台の市中の晴れ姿を写真におさめた。昨日の説明をしてくれた役どころさんに話をさせて頂き、来年も来れたら来たい旨、及びもう少し踏み込んだ参加の仕方を尋ねた。事前に言って貰えればいいとの内諾。駐車場に車を止めさせていただいたことで、祭り関係者と同輩の気分になってしまっている。役どころさんのお名前、携帯も聞いた。ここを頼りに来年へ計画を練りたい。
 15日、たまたまJR館山駅に、ストリートミュージシャンが演奏してると聞いたので行った。Xの曲なら何でも弾けるという話だったので。駅舎の入り口の柱のところで一人やっていた。来場の意図を述べ、キーボードのみの演奏楽器。早速リクエスト。「Sayanything」「Endlessrain」は即興でやってくれた。激しいのをやると「ダリア」と「アート オブ ライフ」を同じくやってくれた。なかなかの演奏であった。及川知宣(おいかわとものり)。明日には館山を離れるとのこと。もう少し聞いていたかったが、時間の制約があった。名刺をもらった。そして帰りの帰途についた。天気もよく、昨日乗れなかった久里浜−金谷のフェリーに乗ることにした。3時20分から4時までの40分で久里浜着。大阪へ帰る。事故や渋滞でだいぶ時間がかかった。16日朝6時着。少し休んで仕事で外出となった。



間違えた所も有ると思いますが、最後まで読んで頂きまして有難うございますm(__)m