REPORT 5

 2007・07・21〜08・20  逍遥のエックス(81)〜(100)    papa

2007・07・21  逍遥のエックス(81)
逍遥のエックスは、今回よりさらに想像力を働かすために、小説化してゆこうかと思ってる。小説とは「作家の想像力、構想力に基づき、人間性や社会の姿などを登場人物の心理、性格、筋の発展などを通して表現した散文体の文学」とある。「作家」でないこと、「想像力構想力」はたかが知れてること、登場人物を通しての表現は至って未熟とならざるを得ない事、かつ「文学」という高尚な精神の発現にはなり得ないこと。こう云う要素を持ち合わせた小説もどきを「饒舌」(しょうせつ→じょうぜつ)というのだろうが、これまでの想像が多すぎる弊害を除去する為、全体をフィクション化しようかと考えた訳である。登場人物の主人公は「僕」である。その他「僕」の成長にしたがって、友人や関係者が登場するが、すべて実在しない架空の人物である。どういう筋になって行くかは、「逍遥」であり、杳(よう)としてしれない。                      
                                      『大海に巣立ってゆくアホウドリは、4年間大海で生活し、自分の生まれた繁殖地に戻っ巣作りを始める。僕も、生まれた場所から遠く離れて、大海に遊んでいる途中である。いろんな出来事があり、大海に遊ぶとはいえ、自然界に活きる厳しさ以上の生活を余儀なくされている。人の一生には、目的を持ってそれに努力する達成型や、何となく毎日を生活する様な付和雷同型、そして、瞬間の美学に憧れ、先のことは考えず一瞬を全力で生きようとする破滅型があるとするなら、僕の生き方は破滅型になるかもしれない。なぜそこまで度を越してしまうんだろうと考えるが、行くとこまで行かないことには気がすまないという、自分の性格にあるようだ。ではそんな性格がなぜ出来てしまったのかというと、それもわからないが、「いろいろな出来事」が影響しているのかもしれない。                           
 僕の生まれは、光溢れる房総半島の南の方である。温暖な気候、昔ながらの気質が今尚強く残る漁師町という風情である。わが町について、取り立てて自慢するものもないが、あえて言うなら春の訪れが早い事と近年は台風が頻繁に訪れることだろうか。共にテレビで放映される特別の自慢話ではあるが、変った自慢は、その普通の町から僕が出たことかもしれない。変った自慢とはどうかとも思うが、確信なき自信に満ちて、いろんな先例を破った事は自慢に値するのではないかと思っている。僕一人の努力では到底なしえず、いろんな人の助けを借りて、わが町で知らない人がいないほど、ここでは有名になってしまったけれど、特別なものがあったわけではない。昔ながらの普通のひなびた漁師町、普通の生活が営まれてる田舎町なのである。僕の来た道は、こんな田舎町に住んだ者のサクセスドリームと映るかも知れないが、これからが勝負だと思ってる。

2007・07・22  逍遥のエックス(82)
サクセスとは面映い気持ちだが、誰にでも一度だけあるチャンスに賭けたと言う事だろうか。いろんな場合があって一概には断定できないが、それでも人はたった一度だけ正当なチャンスを有していると思っている。自分の古巣から飛び出す正当なチャンスは1回きりしかない。それは高校卒業時点というタイミング。ここが人生の分かれ道。よく考えて見れば、この時点の決断がその人の長い行く末を左右してゆくように思っている。その時点は、正当にそれまでの生活圏を脱出できるチャンスになっている。高校を卒業して大学にゆくか、就職するか、或は都会に行くか、地元に残るかの4つの組み合わせで決る方向だが、いつでもその後に変えられるじゃないかと思う人がいるかもしれないが、後からだと正当性が弱くなってゆく。自分の希望や親の子への応援の気持ち、学校の先生や近所の人の祝福のような安堵は、自分も含めてすべてが良好という正当性は、この時以外にない。後に進路を変更する時は、自分の強固な決断はそれで良しだが、親の心配や近所の噂の種になるという負の部分が生じてしまうのである。この時点が過ぎ行く前にいろいろ考え、この時点がそういう意味がある大事な時点だという事を含んで、思慮を持って決断すべきポイントと言えるが、充分な知識と認識を持ってポイントに到達できてないのが今の現状なのだが、それを見抜いた者がいわばサクセスへの入口に立ったものといえるかもしれない。
 恵まれて育った者は、その生活に依存度が大きく、欠点の認識もすくなく大志を抱かない限りそこに留まろうとする結果、地元選考になってゆく。親の生活の中に自分の生活の階を重ねて、地元大学や地元就職の本分以外に趣味や友達付き合いが生活の主流になってゆくが、小遣い餞には困らないから生活の厳しさには程遠い。大志をもって都会に出ようとする者は、都会の大学や都会で就職することを持って、古巣を抜け出す。恵まれた生活があった者でも自分の大志が勝れば目的を抱いて都会に出ようとする。恵まれなかった者は、このチャンスにとにかく抜け出すことを考える。そこにはいろんなバトルが生じてくる。いわば平穏な生活リズムが破られて行こうとする時になるからである。そういう意味では正当性はややゆらぐが、それでも子供の決断をとりあえず尊重する親の意向は正当性をもって向かっている。家庭の事情があって、決断出来ないという状況に陥っている者でも、ここでどう進路を取るかを妥協せずに考えなくては、自分の希望が踏み潰されてしまうと結果があるだけである。どうでもいいのなら状況を飲み込むしかない。この時点でいろいろ考えることが多いと言うことは、家の生活・自分の生活環境がよくないという状況で、困難は大事な決断点に覆いかぶさってるが、それでも大志をもった者なら、自分を生かす決断に従うのだろうと思う。それでも親は、認めてくれるものだ。18歳のポイントに、サクセスは隠れている。自分の理想を実現するチャンスは、そこをバネに跳び出さなければより遠くへは到達できない。無謀な挑戦でも、それを応援してくれる仲間の連携もまだある。チャンスは、引き寄せる機会に満ちており、恵まれて地元に残った者も大志を抱いて都会に出た者も、一介の無謀な挑戦者に好意的で暖かい応援者となってくれる余裕がまだある。


2007・07・23  逍遥のエックス(83)
僕は18歳のポイントで、音楽大学の推薦状もあり、進路も決っていた。自分の意向も親の気持ちも一つになり、近所や学校の先生からも祝福のお声がかかっていた。いわばサクセスの入口に立ったのである。家の事情も、本来なら都会の大学に行ける状態ではなく、しかも音楽大学という通常より出費が重なる大学に行ける状態では毛頭なかった。なぜ、そんなことが可能となったかは、僕もはっきりわからない。しかし、推薦状をもらい、親の正当な許諾も得て、自分の希望は晴れて望み叶うという状況だったのである。僕のいう一度だけあるチャンスは、満帆の帆に順風をはらみ出向する手はずが完成していたのである。恵まれたとはいえない僕の立場から考えれば、この状況は考えられる最高のポイントだった。それが・・・最高のポイントにいたにも拘らず、自分でもわからない衝動が走ったのである。その衝動の先に何があるのか、それすらも考えず、僕は衝動に走ってしまったのである。僕を襲った衝動、僕も認め誰もがこれ以上ない僕の進路を、僕自身が遮断してしまった。正当性を持って出発するはずのポイントは、正当性裏返しのものすごい反発となって押し寄せてきた。親の落胆、先生の怒り、近所の嘲笑、すべては僕を的に射られて来た。僕自身が、僕を裏切ったような考えられない状況、いったい何が衝動の原因だったのかは今となってもよくわからない。何かが気に入らなかった。気に入らないと前後不覚、思慮分別も吹っ飛んでしまう不安定な僕の性格が、そうさせたのかも知れない。しかし、何かが気に入らなかったのである。18歳のポイントは血に祭られ、出発にして終焉の様相であった。堕落者をいざなう大きな口や落伍者の暗い社会が僕を呼んでいる。間違いなくその領域に入ったと思った。僕に尽力してくれた人は、そっぽを向き、訳のわからない奴は勝手にしろという態度である。もはや進路は絶たれ、且つここに存在し続けることすら出来ない状況になったのである。しかも自分が招いた回復しがたい状況、救いようのない現状なのである。過酷な状況に追い込んで見るというその後の僕のポリシーの、先駆けだったのだろうか。僕にもよく分からない。そんな状況の中で僕は何かを守る為、自分を貫けたことは奇蹟でもあった。僕は何を守ろうとしてこんな暴挙に出てしまったのか。常識から考えれば、ふざけたたわごとの部類だったのだろうか。誰もそれなら仕方ないと是認に及ぶ はずもないことだったのだろうか。しかし、すべての人が意見の敵に回っても、僕は、僕の衝動は、そこを抜きにして将来の自分の費やす時間や課題を見い出せなかった。衝動は本能でもあり、自分に嘘のつけない領域である。その時自分に嘘をついて、出来つつあった規定の進路を進み続けた結末を想像すると、いずれ自分が爆発してしまったことを考えると先にその芽を摘んだことはよかったのではないか。親の落胆を引き起こしてしまったのは残念だったが、もっと先の落胆に比べればまだ救われるかなとも考えられる。出発時点で終焉をして、さじ投げの出発は、そこに過大な期待も将来の嘱望もそぎ落として、最低限のまともさ、どうにかまともに生活してくれればという、望みも期待もない、はかない願いにまでレベルダウンしてしまった。誰の期待もなく、僕の18歳のポイントは始った。

2007・07・24  逍遥のエックス(84)
過酷な状況は、誰のせいでもなく、一人自分が原因だった。こうなった原因を、社会や他人の所為(せい)にする言い逃れも出来なかった。自分の言い訳も逃げ道も立つ瀬も存在しなかった。やんちゃくれな学生だったが、それでも親や先生の目は、手に負えない状況の中に、音楽への進路という僕にとって最適の、且つ唯一の進路を歩ます為に腐心してくれていた。しかも音楽大学という音楽教育の最高峰に進むところまで来ていた。彼らにとってはそこに平穏に進んでくれることが、ともかく安堵できる逃げ道になっていたのかもしれない。音楽という道は、確かに僕の望む道であった。音楽で将来の生計を立てると言うよりは、音楽に一生携わってゆける地位が出来るということの方が気に入っていた。4歳から始めたピアノは、自分の生活であり、食事であり、休憩であり、すべからく日常であった。なぜ親がピアノを習わせ始めたかは知らないが、僕の気持ちは、自分の指を通して出る音に、いいようのない感動がこみ上げてくる一点に惹きつけられた。4歳の頭には、それはオモチャでしかなかったが、子供が手にするいろんなオモチャの中で、僕には最適のオモチャだった。一つの白い鍵盤を指で押せば、音がなる。その音は、いくつも押してゆくと、暖かい音や悲しい音、明るい音や暗い音・・というように自分の感情を色分けする。音は出ているだけなのに、楽しくなったり悲しくなったりと言うように感情が動くのはとても不思議なことだった。だから子供心に、楽しい遊びは楽しい音を出すという遊び方、嫌なことがあれば暗い音を出す遊び方、音が感情を作り、感情に合わせて音を出す、そんな遊びが僕の初めの遊びになっていた。それ以来、高校卒業間近の時点まで、僕の感情、情操はピアノを通して作られ、ピアノが生活であった。そんな僕が音楽大学のピアノ専攻で進学することは、誰の目にも理想の道であったはず。その道を自分で断ってしまう事など、狂気の沙汰といえるだろう。
 逃げ道もなく、言い訳も出来ず、あてのない狂気の決断。僕はこんなこと、なぜあえてしたんだろうか。採算のない自分を窮地に陥れる自分の決断、理想の道を断ってまでする決断、これに代わる価値が他に存在したんだろうか。自分の生活まで捨てしまう決断、それまでの生活をなくしてしまうことの恐ろしさ、それすらも意識しなかったんだろうか。
 自分でもわからないが、遠い深い闇から押し寄せてくる言いようのない感情。かつて一度落ち込んだような記憶のある深く苦しいおどましい闇。僕の感情の揺らぎは、背負いきれずに破壊された僕の古傷の感情に起源しているのかも知れない。しかし、その原因を探ろうと近づけば、僕の思考は全力で引き戻されてしまう。得体の知れない闇が、僕を跳ね除けてしまう。僕の感情の不安定な要素は、その闇に原因がありそうなのに、ブラックホールの様な強力な引力で遠い記憶を飲み込み、何一つ記憶の痕跡を表そうとはしない。そしてその影響か、僕の思考に突然襲ってくる狂気の感情、何がどう影響しているのか、それすら考えることができない。
 もうどうなってもいいんだ!。俺のことなんか、放っといてくれ。僕の前に進路がある。しかも誰もが認める理想の進路がある。それが気に食わないんだ!。

2007・07・25  逍遥のエックス(85)
大人達が満面の笑みをたたえて、俺の進路を得心している。厄介者もこれで波風立たず、そのエネルギーをもらさず音楽に集中してくれるだろうとほくそえんでいる。俺の為の進路というより、卒業生の堕落者になって社会の迷惑にならない道へ導いたという満足の方が、笑みの中に見え、自分達の指導の成果と学校の名誉に傷がつかない方策が取られたことの成果を誇っている笑みを沸きあげている。なにか乗せられ、担がれ、運ばれているような自分のお膳立て進路。決った卒業生の進路を持って、学校の誇りとするような大人たちの目的履き違え思考、本当に本人の為というより自分達の残務整理が残らずに済んで行くと言う安堵が、笑みという祝福の仮面。もう中学の時から、親にはさんざん迷惑をかけた。学校にもかけただろう。今さら、卒業の感謝に、あてがい進路で迷惑を清算しようとしているのか。反発の矢は折れ、新しく新調されようとしているのか。俺が音楽大学に行かなくても、俺の日常の音楽、いとしきピアノは変らず存在する。進路という特別待遇のまやかしを与えられて惑わされようとしているが、進路を進めば規律やテクニックや考え方など、俺の感情の自由な表現の音が、高等教育の名の下に修正され、音の自由を奪われ、喜びの湧かない音に従属して行かなければいけないことを意味している。高等な技術、高尚な音楽理論、それが身に付いたところで、音楽は余計な荷物を背負ったことに他ならない。音楽のコンクールに出て賞を取ったとして、音楽の真髄はそれで変ったのか。賞とは、審査側の好みにあったという証明であり、これからの自立にとって客を呼ぶステイタス、見せ掛けの飾り、これだけ奥深きものを極めたようなポーズ、かしこまった客のいかにも造詣の深い紳士淑女のしたり顔に、媚を売ってゆくということ。それは自由なのか、音楽の真髄なのか、そして何より俺の感情の純粋な表現となるのか。進路に進むことは束縛になって行く。したり顔のまやかしに載って、進路を取れば、俺の自由が奪われ拘束の館に進むようなものだ。高校生という学生は、未だ社会の浮遊物でしかない。それに重りをつけるように、就職や進学の規律の進路へ進むことで、成長したような、大人になって行くような、社会に期待される人間になってゆくような、小さな重りをつけ始め、やがてはイカリの頑丈な鎖に縛られた鋼鉄の重しが施され、逃れることなく苦渋の生活の中に埋没してゆくということ。大学に行ってもいずれは就職の道しかなく、就職はいずれ鋼鉄の重しが待っている。浮遊分子を待つ運命は、この誰もが疑うことなく18歳のポイントにどこかに分かれて進むだろうが、出発の入口は多少の違いはあってもいずれははめ込まれた枠の中で大きなイカリに縛られてしまう。規定の進路の音楽家になっても、音楽という自由職業に見えるが、同じ人が山といる業界の中にあって、毎年同じ人が業界に進出してくるところてんのような社会、話題性がなくなれば同じ技量同じ音楽同じスタイルでは、燃え盛ればあとはくすぶり灰となって退出して行くだけ。進路の先にはいずれイカリの生活と消耗品の値打ちしかない。それが俺の理想の進路ということか。進路へ導く者は、君のために最適だという笑みを持って、地獄の進路へ導こうとしている。何が進路だ、俺にとって理想の進路とはとんでもない。

2007・07・26  逍遥のエックス(86)
18歳のポイントには、老人のような人生の経験が必要なんだ。しかし、そんな経験というものは皆無といってよい。経験がない、考える資料がない、ただ漠然となりたいもの、夢見るものが進路の決定要因だ。社会に役に立つ職業に目覚める人もいよう、お金が儲かりそうだからという人もいよう、ちょっと生活じみている安定な職業を求める人もいよう。進学にしろ就職にしろ、そういう価値観が進路を決めてゆく。決める内心の意思活動は自由に決められる。ほとんどの人は、自分で自由に決めているだろうが、漠然とでしかない。漠然と言う賭けのような方向付けを、自由でありながら強いられている。決めかねて1年保留とは行かない。ほとんどは大学の進学の為の授業。どの大学に入るかの試験の知識に費やした多くの時間を、そこで発揮するのは確かに努力の栄冠に匹敵するだろうが、何かがぼやけているんではないだろうか。一心不乱に勉強した。勉強のための努力は人一倍した。合格という栄冠に向かって涙ぐましい犠牲を積み上げてきた。知識は出来、科学や学問の世界に足を踏み入れたような、心地よい知識の連鎖が出来た。それを持ってすれば栄冠は与えられるだろう。しかし、進路を決める知識は、ほとんど勉強出来てない。自分達にとって大事なのは、一生携わることになる職業であり、自分の特性に合ったものを選択するというのが、進路の方向性に欠かせない要素、そのための知識・資料を与える授業がないということは、舟を作って艪(ろ)を忘れてるようなものではないのだろうか。高校生という浮遊分子が、さも進路に沿って浮遊から離れて定着の道を辿る進学・就職の過程は、一見見事な沈静化ではあるが、あやふやな方向性、確信に基づかない決定、決定に有用な知識も資料もなしのままに漠然と進んだ進路ではないだろうか。18歳で就職する人も、学部選択で就職範囲が半決まりの大学生も4年後にはほぼ就職というレールに乗る。だがどんな職業が自分に最適かは考えずに、一応の決定に従うしかない。もっと自分が考え抜いて決めた職業、そして俺の感性が自由に表現できる職業に根ざすべきことだろう。将来の職業への戸惑いはしない。その保証は、今僕がやりかけているものの中にあるのではないか。大事なものは、遠くにあるのではなく、いちばん身近な所にあるという真理のような格言もあながち捨てたものじゃない。遠くを夢みて、夢破れるのが一般的。夢みることは漠然と言うこと、あやふやということ。確実なのは今僕が見ているこの現実の中にあるのではないか。これなら得心も出来る。自分の感性にも合い、自由にその感性を表現できる。ピアノは、進路とは関係なく、自分の生活の中にいつまでも存在するべきもの。音楽大学という進路は、専門的で理想的には見えるが、先々のことは結局漠として知れない。確かでないものに僕の努力は費やせない。心底惚れた仕事こそ、どんな努力も出来る。これが俺の人生そのもでしたというようなことがしたい。自分で決めたものなら、誰の所為にも出来ない。自分が死ぬまで戦うしかない。身近なものに戦い挑んでみよう。誰よりも僕の職業意思は堅いし、誰よりもそのために努力をしてみよう。浮遊分子のままでどれだけ戦い続けられるか、そして自分の音楽が自分の職業だといえる世界を作ろう。ピアノへの進学は、有名な作曲家の作品のリプレイがほとんど。無名な僕が、どれだけ人を感動させられるか、僕の作った曲を僕が演奏して得られる感動を職業としよう。今やりかけていること、そこに何か確かなものがありそうだ。

2007・08・01  逍遥のエックス(87)
僕がやりかけている身近なもの、それはバンドだ。中学2年ごろから友人達と始めた。もちろん遊びだ。これを職業にしようなどと言う考えは一切なかった。小学生の時、KISSのライブを見に行った。ロックという音楽を聞きに行ったのだが、音楽も素晴らしかったが、見た目のカルチャーショックには、もひとつ心打たれた。ステージ衣装は、奇抜で派手なコスチューム。音楽に合わせた観客の動作や歓喜の声援。大音量のしびれるリズム。そしてパーフォーマンスの血ドロ吐きや顔のメイクや天井裏に飛び上がって行く度肝抜かれる意外性。ステージ中央で、一段高の台にセットされたドラムのかっこよさ、それが曲に合わせてせりあがってゆく。京都の祇園祭のような奇麗な輝くどん帳を台の周りに飾り、黒と金の刺繍のような絵柄のどん帳がドラム台の裾を巻いて、せり上がりと共に煙の滝を瀑布のように下に流してゆく。平面のステージ中央から、垂直に上昇してゆく様はひとり観客の全視線を集めているように感じた。かっこよさというか、感動的というか、素晴らしい演出のように感じた。こんなステージングは、どう作られたのだろう。演出家やステージプロデューサーなどが考える大筋の台本の中に、いろんな楽しみの要素を投入して、客がとにかくびっくり楽しむように作り上げてゆく。驚かすという要素が大きいほど、客は感動の中に渦巻き落ち込んでゆく。僕がテレビで見た歌謡曲の番組や幼稚園や小学校の発表会などにはない、見せる聞かせる以外の何かがある。ピアノは、見せる聞かせるの代表的なものだろう。ステージの演奏者が奏でるメロディを、客席でじっと聞き入る、その所作の動きに見入る。ステージは動の活動があっても、客席は静のじっとしたままの姿勢だ。テレビでも学校の発表会でも演じる者とそれを見る者は、はっきり区別されて対比している。それがKISSのライブでは、ステージ観客が一体となって、音楽に体を酔わせ、手足の動作を伴って楽しんでいる。ロックという音楽のみなぎるエネルギーがそうさせるのか、とにかく見たことない光景であった。直接的にはドラムのかっこよさが印象に残り、僕は母親にせがんでドラムセットを買ってもらった。僕の脳裏には、あの滝のようにしぶきを巻き上がらせ、落下する水の流れを伴いながら、せり上がって行くドラムの主人公になり切りたかった。ボーカルの声が、僕の意識に触れて行くのもわかるが、あのドラムの動くという意外な演出は、ステージ全体の屋台骨のような印象だった。ボーカル以上の大きなリズムを叩いて、言葉でない部分で意識には触れないが、観客の動作や曲に組み入る主要な部分で、大きな役割を果たしている。このドラムという楽器は、曲を支配する流れを作っているようだ。しかも見た目のかっこよさが、全視線をひきつけて叩く強烈な音との摩擦で火花を散らしている。あのスティックで、観客の一人一人の頭を叩いてゆくような衝撃を与えているみたいだ。同じKISSのステージを見て、ギターに魅せられてゆく人もいるだろう。ボーカルがステージから客席の離れ島まで、ターザンの映画のように綱につかまり、渡ってくることに感動する人もいるかもしれない。あのメイクに魅せられ、もっとユニークな発想をする人もいるだろう。何もかも自分が考えたことを観客にぶつけて楽しませられる。音楽も衣装もメイクも動作も、何もかもが絵になって行く。ライブの臨場感に意外性や驚愕な要素と音楽を絡ませ、最大限に客を驚かす。ライブというのは、何もかもありのエンターテイメント、オール出し物ショーのおもしろさがあるんじゃないか。

2007・08・02  逍遥のエックス(88)
ピアノ専攻の音楽大学に進学するか、バンドという何の当てもない野の雑草になるか。そんな選択に迷うことすらバカバカしい格差の違い。ピアノの音楽家になることは、世界中のあまたのピアノの音楽家の中に紛れ込んでしまうことだろう。そこから自分の作品を持って、聴衆を楽しますことはほとんど不可能に近い。ピアノの有名作品を演奏することは、確かに人に感動を与えられるが、自分の作品ではないことの限界、つまり自分の感情や情念を発揚させるということは純粋には出来ない。一見高貴な音楽分野ではあるが、名もないピアノ駆け出し音楽家にとっては、表舞台に立つということは至難のわざ。いくら練習を重ねても、ある程度の名の知れた演奏家の演奏しか聴衆は欲しないし、そういう聴衆の嗜好性を変えることは出来ない。格式あるピアノ演奏家になって、業界の厚い壁に阻まれつぶれてゆくか。名もないバンドという雑草のようなミュージシャンになって、ピアノから見ればガラクタを叩く様な音にしか聞こえない、バンドというなんでもありの演奏から、自分の作品を聴集に聞かせて感動させるという、格式はないが何となく可能性が残っている活動に夢を託すか。いくら努力しても報われない道に進むか、努力が何らかの感動を与え、その感動から僕がまた刺激を受けて次につながって進んで行けるという道がいいのか。KISSのステージじゃなく、仮にピアノの演奏を見にきたことに仮定すると、広いステージ、明るい照明の中に黒く輝くピアノが置かれ(或はオーケストラの前に共演のピアノが置かれ)、演奏家が万雷の拍手で迎えられ、ピアノの前に姿勢を正して、黙想の静かな体の揺れを伴って旋律が流れ始める。聴衆は固ずを呑んで第一音の指の動き、表情、自分に到達する音色のまろやかさに無上の喜びに浸る。至福な時間が、演奏家の感情に高ぶる体の揺れを通してこの自分の中にも喜び燃え上がってくる。その世界が最高だというスチュエーション中で感動の波は止めどなく訪れて来る。そのおおよその予想の範囲の中で、自分に感動が与えられ満足を持って完結して行く。演奏家も聴衆の大きな拍手に演奏の出来栄えに満足して、予想の範囲内のリズムでステージを降りて行く。ピアノという音に感動する構図は、予想の中になり、それで完結してゆく。何かハプニングがあったのだろうか。すべては完璧に進んで終ってゆく。音楽会は成功にうちに終わり、僕の心には熱演の演奏家の体の揺れとピアノの旋律がまだ流れて行く。確かに感動はあったが、驚きは?或はハプニングは?なかった。予想された感動、こう終結するだろう規定のプログラムどうりだった。規則的な粒子の並びのように微動だにしない観客の、表情すら能面のように固まって一心に聴く姿は、押し殺した感動の如く、手足だるまの中に留まっている。演奏者のように、聴衆も鍵盤を叩く体を体現し、感動の揺れをシートで表したら、即刻クレームに遭う。押し殺さなければ、聞くこともそこにいることも出来ない窮屈を通して、感動を手に入れるという音楽会の成り立ち、そういうものだといえばそうかも知れないが、せっかくの感動を体で表せないのはどこかセーブの感動。受け手には制約がかかっている中での感動を湧き立たせるという熱演は、演奏者の溢れる思いの一部しか流し込めない間口の狭さがあるということにもなる。

2007・08・03  逍遥のエックス(89)
聴衆には、枠外の考えというものがないから、全ては望みどおりに終わりを向かえ、満足に満たされる。素晴らしい演奏を聴くという目的に集う聴衆は、素晴らしい演奏とお目当ての演者の演奏に、ただそれだけで満足。大体はコンサートとかライブとか言うものは、聴衆にとってはそういう目的性があるのかもしれない。しかし、僕が問題にしていることは、自分の作品を自分の最高のテクニックで演奏し聴衆に感動を与えるという、自分の問題に突き当たってるということだ。演奏という機会が与えられたとして、そこに聴衆が喜ぶいろんな要素をさらに加味し、驚き、ハプニング、考えられない衣装やメイクや楽器までこわすというパフォーマンス、何が起こるかわからないというステージがあれば、もしどんな聴衆も一切予想し得ないステージが繰り広げられれば、一体どうなるだろうか。僕の音楽の作品を聞いてくれる為に集まった聴衆が、音楽以外のところでも満足してゆく。2時間3時間という公演のその限られた時間内に、ありとあらゆるものを動員して、聴衆の音楽だけじゃないもっと生活に立ち向かうファイトのような闘志、これを聞けばもちろん、このステージを見れば普段のうやむややうっぷんまでもがスカッと晴れ渡る、そんな気分一新爽快な満足、聴衆も期待してはいないおまけの満足を満たしたならどう反応するのだろうか。いや、そういうステージをする方が、僕の方がより満足に浸れるということだろうか。KISSの意外性に、意外なステージこそ満足や印象が深くなるという僕の経験。ぜったいこれがおもしろい。お化け屋敷に入る心境は、何が出るかわからないという未知の不安。怖いという恐怖を予想はするが、実際は何がでるかわからない恐怖と不安。そこの心理を恐怖の代わりに楽しさという側面に置き換えたらどうなるのだろうか。何がでるかわからない驚きと楽しさ。安心して作品の発表を聞く会場が、ハプニングの仕掛け満載の場になっている。お目当ての曲が終って、一息つくその間を仕掛けで一息つかせない。仕掛けが始り、あれ?あれ?という間に次に進んでゆく。聴衆の何が起こるかわからないという集中力を常に高め、ビンビンの感受性を維持しながら、そこに音楽を流す、演奏する。感動という言葉は平面だが、一人一人が受ける感動は千差万別、だが全員に感動を与えるということを目指すなら、ありとあらゆる手段を取って2・3時間の限られた演奏時間をフル回転させる。音楽での満足は最低限満たすとして、それ以外のところで与える満足にこっちも楽しみが増える。こういうのをサービス精神というのだろうか。聴取の喜ぶ顔がなんともいえない自分の感動になる。自分も感動に浸りたいために何かを仕掛けて、聴衆に感動を与える。そしてまた僕も・・・。ライブという演奏形態、野の雑草のような野ざらし演奏みたいだが、あらゆる可能性もあり、僕の楽しさも引き出してくれそうだ。自由で、やりたいことやれて、すべて僕たちのお膳立ての中に聴衆の一挙手一投足を把握してゆける。操り人形じゃない操り聴衆を意のままに動かせて、思いっきり楽しみ満足してもらう。こんな演奏方法はないかも知れないが作ればいい。どんな伝統芸能でも初めは、小さな踊りや奏でる楽器。そこに民衆の気持ちが移り、楽しいおもしろいという共感で広まり、大きくなった。道が無くば、小さな踊り奏でる楽器から始めればいい。いかに人の心理を掴むか。つかめる物をどう作り出し想像するか。ライブという発表形式、自分の作ったものを自分で発表する、いろんな可能性という意味で無限大な感じがある。

2007・08・08  逍遥のエックス(90)
僕の音楽をライブという形式で発表してみたい。自由気ままに、いろんな楽しみを加えれれるライブという自由発表形式が無限の可能性があるように思う。それに、時下に聴衆の息遣いが聞こえるのがいい。それも押さえた感情じゃなく、溢れるままの感情表現で。僕がライブへの視線を思い始めたのは、高校3年の最後の文化祭での出来事だった。普通の高校の文化祭で、ただそこに僕らがやっていたバンドがトリで出ることになった。中学から始めていたバンドだったので、地元でのライブもいくつかこなし、知ってる人も多く、ちょっとした人気もあったかもしれない。しかし、普通の高校の文化祭での出演だから、普段どおりの感じでいた。それがどうなんだろう、予想を遥かに超え、体育館に何千人という人が集まった。何バンドか出たので、僕らの1バンドだけの応援じゃなかったと思うけれど、居残りも含めて僕らの出番の時には何千人もの観衆がそこに存在していた。この市での僕らの演奏はこれが最後という噂が広まっていたようで、近郊の高校からの遠征組みのお客さんも詰め掛けて来てくれたようで、体育館は異様な熱気と収容しきれない人いきれのきしむ音が交差していた。一体、これはどういう現象なのだろうかと思った。確かにいくつかのライブをこなした僕たちではあったが、人の心に印象を残せるような演奏は出来なかった。ただ自分達の思いをぶつけようという執念はあったが。僕に関して言えば、いろんな出来事のわだかまった心の思いを吐き出せる唯一の瞬間だった。ライブという音楽表現の場ではあるが、音楽だけじゃない僕のいろんな情念や無念な感情をここに吐き出せる唯一のいとおしい瞬間だった。観衆の視線や好みや雰囲気などは二の次、ここは僕の大きな試練と立ち向かう闘志発揚の場になっていた。僕にこの機会がなければ、どうなって行ったのかわからない。たぶん踏み潰されて社会の害悪として世間に疎んじられていたことだろう。踏み潰されるのを踏み留まらせてくれた、乃至は必死に立ち上がろうとする僕に勇気や背押しを与えてくれた場がここだった。僕には語るに尽くせない過酷な出来事があった。未だにその事実に向き合うことが出来ない出来事が・・。その修羅場という混沌の中で得体の知れない自分が出来上がってきた。不安定な情緒、とめどなく感情の走る場合が生じてしまう。節度が時に取っ払われて、開放されたようでもあり地獄に突き落とされたようでもあり、その瞬間を自分でコントロールすることなど出来ないもう一人の自分が存在する。僕の過酷な出来事が、何かを壊していったのだろう。そのまま壊われ続けてゆく所だったのかもしれないが、かろうじて一部の損壊で食い止められたようだ。そこには音楽があり、ぼくのうちに潜む修羅の思いを和らげてくれたピアノやドラムがそこに在った。自分の打ち込むものがあったから、損壊はかろうじて防御された。打ち込めるもの、僕の情念を叩きつけるものがそこにあったから、僕はまだ標準の平静を保ちながら生きながらえて来たということかもしれない。僕には背負いきれない事実、近寄ることすら未だに出来ない事実、その事実自体が音楽への反動のエネルギーとなって僕を揺り動かしている。何かわからない世界があって、僕は音楽に導かれて徐々に正気の世界に引き戻されてきたんだろう。その音楽の、僕の人格を支え続けてくれたこの世界にだけ、僕は自分を解放してゆける。いいようなのない自分の思いも、ここでは解消に近い形でなだめることも出来る。



間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m