REPORT 2
2007・05・12〜2007・06・04 逍遥のエックス(21)〜(40) papa
2007.05.12 逍遥のエックス(21)
4月10日第一回放送の「NRN4」は「<小年時代の話(3)>*その他自分のはまった曲など」となってる。たったこれだけ、しかもはまった曲などわかるはずもない。そうか、台本のない放送というのは、恐ろしい話な訳だ。マイクを前にして、沈黙できない、考えるわけにもいかない。間をおかず何かをしゃべり続ける、しかも聞き手に関心をもたれるような話を語り続ける。したがって、台本というカンニングの種本が、大事になってくる。hide本人は、自分の経験があってしゃべることができるが、自分の内なるhideは何を語ればいいのか、困ったぞ。
“ドブ板ストリートでバンド活動が始ったわけですが、初めはカッコよくスパッツ衣装に気合を入れて臨んだものの、お客さんの反応はもひとつですね。ライブというのは、お客さんとの掛け合いという一面もありまして、小学校の学芸会じゃない訳ですよ。学芸会は、掛け合いをしなくても親子という血縁のかわいい我が子のお歌の発表を見たいという欲望に駆られてお客さんがひとりでに詰めかける構造になっていますが、我々のライブハウスの学芸会は、ロック好きな人がなんとなく詰めかけてるとか、バンドの友人が義理に駆られて仕方なく詰め掛けるとか、そもそも動員の原動力が働かないわけですね。お客さんが少ないとなると、悲惨というか、演奏に乗れない状態に突入してしまい、ちぐはぐな演奏、そしてあいつとちりやがったなぁとなると自分の演奏も変化を生じてしまい、歪んでくるんですよ。お客さんが少ない、演奏が揃わない、バンドの雰囲気がやっぱ険悪状態になってくるんですね。しかも、タダでライブハウスで演奏できるわけじゃない。ライブハウスも演奏料を頂いて日々の経営をされてるわけで、演奏には出て行くお金がついて回る。演奏がかんばしくない状態にお金が出て行くとなると、雰囲気的には外的にはメンバー同士の軋轢、内的には出費の痛手で、精神的に相当の負担になってくる。まだ俺なんかは高校生でしょ、気まずいメンバーとの関係は我慢するとして、困るのはお金になるわけですね。お父さんお母さんには、日頃の学業をおろそかにしてこんなことになってきたわけなので無心はそう出来ない。困るわけですよ。そこでギブソン・レスポールのおばあちゃんにまたまたお願いをしてしまうわけです。「おばあちゃん、この前買ってもらったギブソンのギター、もうすごすぎで高価すぎて、かえってうまく音が出ないんだよ。なんかアンプとかエフェクターとかいろんな器具をつけないといい音が出ないんだって。だからそれもかって欲しいんだけど・・」と、お願いするんですよ。そしたらちゃんと「いいの、買いなさい」っていくらか渡してくれるんですね。それはそれで済んでゆくんですが、もう少し考えると、いつも同じ手でおばあちゃんも騙す訳には行かないという事に気づいてくるのは自然な結果ですよね。何とかしてライブの上がりでライブハウスの入用をまかなえる結果を出さなければ、バンドは続けられないという細道に追い込まれてゆく訳ですね。バンドの名前にサーベルタイガーという勇ましい名前がついてるわけだから、この名前を彷彿するような衣装と派手な演奏をすれば、目ざといお客さんは、何かに注目してくれるんじゃないか。僕が曲造りも担当していたから、衣装・サーベルの名前をアピールできる曲を念頭に、へビィメタ・ハードロックで、どのバンドをも圧倒するような曲造りをしようと心を割いたわけですね。その努力の甲斐あって、それでお客もちょっと増えてきて、ライブハウスの入用もまかなえ、しかもバンドのみんなにも何がしかの分配を産むまでになった。負から正への転換は、メンバー同士の雰囲気もよくなるし、演奏も勢いが出て来る。自分達の演奏が受け入れられてる、認められてるという感覚は、なんともいえない力みなぎる快感になりましたね。それではここで当時のライブハウスでの演奏ナンバーで印象深い一曲をお聞きください ”
hide本人は、何をしゃべったかな。いざ、今日の回答は『そういう感じでバンドを始めていったんですけども、なんだかんだいって、単純にオリジナルを作ってたのが僕だからという理由で・・・リーダーだったんですよね。そのバンドの。なんですけど、やっぱり人間関係をこう、おさめるほど、あの私、人間できてなかったし、そういうところがいちばん苦手なところだったんですよね(咳払い)。なんですけど、だんだんだんだん欲が出てきますよね、バンドを始めてると。上昇志向といいますかね。こういう曲やりたい、ああいう曲をやりたいとか。そのためにはテクニックが必要であるとか、そういうことが出てきたりとか、アイツが好き、アイツが嫌いっていうことも出てきますよね。そういう場合に私はどうしたかといいますとですね、私と同じ意見の人をメンバーの中で探し出すんですね。で、そいつに言わせるように仕向けたりとかですね、わりと本人から退くように仕向けたりとか、悪魔のような采配を振るっていた当時なんですけども。うん。そんな中、でも・・・どんどんどんどんメンバーとかも変りまして、オリジナル・メンバーが、自分一人ぐらいになっちゃいまして。ホントにあの、理想的なメンバーに、その「サーベルタイガー」で出会えたっていう。えーと今は、前「ダイインクライズ」というバンドでやっていて、現在ソロのキョーちゃんと、あと「クレイズ」ってバンドで、今はドラムを叩いてるテツって男と、あともう死んじゃったべーシストがいて――トキヒコというすごい素晴らしいべーシストがいたんですけども――その彼と、もう一人、今では歯医者をやっているレムという男5人で、「サーベルタイガー」っていうのができて、それで東京に出てくるようになりまして。そこからは本格的にもう、プロになろうとしていた時期ですね。で、“このメンバーが崩れるんだったら、僕はもうバンド辞める”って思っていたのが、このメンバーのころですね。
これでわりと東京のライブハウスに出るようになって、東京近郊とかでもチョロチョロ出るようになって。その東京のバンド関係の人脈とか打ち上げとか・・・「X」の噂とか。「X」はもう全然活動してましたから。超有名でしたから、その界隈でも。で、その「X」のその恐ろしさとか、会ったことはないんですけどね。噂はスゴイんですよ。打ち上げに4000人ぐらい来るとか(笑)。それまでは横須賀でやってたんですけど、ひょんなことから、東京のライブハウス「鹿鳴館」に穴が1コできたので、代わりの穴埋めに出ないかっていわれたのがきっかけで、だんだん東京に出てくるようになったんですね。うん。そのベストメンバーになる前、ずっとコピーしてたころに、米軍基地の周りでやってたのは「アイアン・メイデン」が中心だったんですよね。その「アイアン・メイデン」でショッキングだったのが、ファーストの『アイアン・メイデン』というアルバムなんですけども、それから1曲聞いてください。「アイアン・メイデン」・・・『プローラ』。』
hideのしゃべり、短かったですね。hideの東京初ライブは『鹿鳴館』だったんですね。2年前ぐらいに鹿鳴館25周年がありましてその際少し改修されてしまいましたが、改修前のステージカーテン天井付近には、折り目にほこりがたくさんたまっていましたが、そのほこりの層の地層(ほこり層ですかね)の最下部にはhideのサーベルタイガーのほこりもあった訳ですね。それにXも。あのほこり、顕微鏡で覗いて見たかったです。地質学ならぬライブ学ほこり専攻から当時のライブを検証してみる。すすが出れば火を噴いていた。土ぼこりがある層に多ければXジャンプがあった時代というように。・・・それにバンド仲間の内紛みたいなことは、あまりしゃべらない方がいいみたいですね。サラっと流して行くのがコツみたいですね。ラジオを聴いてる人に不快な気持ちを起こさせないことが大事ですね。ここに出てきたベストメンバーの今は歯医者をやってるレムという人が1999年11月25日に発行した本、天国にいるhideの35歳のバースディに・・『Pink
Cloudy
Sky』(荒木“REM”正彦著、バウハウス発行)という本は、hideとのサーベルタイガー時代を書いたもの。またいつかこれも読みたいですが、当面は『夢と自由』に添って、まずhideの肉声を辿って進みたいと思います。
2007.05.13 逍遥のエックス(22)
4月10日第1回の放送「NRN5」は「<クッション>」とだけ書いてあって、話のあとに放送する曲名が書いてあるだけ。クッションって、今まで少年時代の話を3回やって、次の話が何回かまとまってある、その間のつなぎを意味するんかな。一息入れるの意味?。まあそんなところでしょう。自分の中のhideさん、では、よろしくお願い致します。
“結局、バンド仲間のオリジナルなメンバーは、私hideのあの手この手の淘汰によって、自分ひとりになってしまった。これは、ロックシティー近くの友達のところに集まった5人の、はかない運命だったわけです。Xもそうですが、バンドというのは奇蹟と言いますか、何人か集まってそれで何年か演奏するというのは、将に奇蹟でございまして、メンバーそれぞれにいろんな思いが渦巻いておりまして、音楽のこと、メンバーの人間関係、上昇志向の強弱、家庭環境、生活の余裕などあらゆる要素が絡み合ってきますので、ただ単にロックが好き、へビィメタ・ハードがすきといいましてもみんな同じように一直線に並んでいる訳ではないんですよね。あの時代では、まだロックは音楽シーンの主流ではなかったわけで、演歌やポップスなどに時代の要求がいっていた時代ですので、我々のやってるロックは、場末の方でかろうじて生活しているという状況。アウトローな音楽をやってるわけで、メンバーみんなはロックが好きだが、如何せん、社会的な容認がないためにいろんなところで迫害が生じてくる訳です。ひとつ服装見ても、やっぱ変でしょう。メンバーは、ロックやろうぜ、やっぱスパッツでしょ で意気投合しても、社会は男のくせに何じゃあれ、何履いてんのとなるのと同じ目線が、社会のいたるところに生じて来る訳です、アルバイトしてたヤツなんかは、髪の毛伸ばしているでしょ、面接に行くと、もうカッコで半分は嫌われるわけですよ。アルバイトも出来ない、できるとしても限られた職種、しかも賃金が安いと来るわけで、結局生活が困窮の状態にみんなあるわけですね。仮に本業(サラリーマン、大学生、高校生など)があっても、時間的にみんなとリハの時間を合わせたりする事が難しい。そんなことで生活があって、余裕があって、家庭の理解があって、仲間の人間関係が良くて、ロックが心底好きで、上昇志向があるっていうバンドの仲間の条件に残る人が、何人出てくるかの問題でもある訳です。私が一人残ったというより、そんないろんな条件をクリアできなかったメンバーがだんだん抜けていって、最終的にそういう条件に見合うメンバーが揃ったというのが、ベストメンバーということだったと思うんですよ。だから意識の程度が一直線になってる訳で、リハの練習も、やる気も、音楽への取り組みも、心地よいのもがある訳です。まあ人との相性という要素に音楽的感性が一番大事ですかね。バンドを長く続けるというのは、仕事でも同じで、やっぱり楽しくしたいですよね。和を乱すヤツとか勝手なことを言うヤツとか、気分が良くないでしょ。気持ちが同じようなタイプで音楽の感性が同じようなメンバー、なかなか巡り合えないんですよね。仕事でもそうと思いますが・・。イヤな気分の時は、こんな曲で憂さ晴らしをしては という曲、行きましょう”
クッションって何だ?。適当にしゃべる?これ、頭にくっついて引きずってる状態で、なんか変な感じ。問題はちゃんとした形で出してくださいよ。hideはどうしゃべったのかなぁ。『そういう感じで、東京でライブハウスにチョコチョコ出始めたのが、20か19のころだと思うんですけども。当時はですね―、僕は六本木の“メイ牛山”の経営する・・・美容学校に通ってて(笑)、美容師を目指してたんですよね。美容師を目指してたというよりも、おばあちゃんが美容師だったので、なんか美容師やっとけ―、みたいに思っていたんですよね。で、美容師で稼ぎながら、バンドやっていければいいなと軽く思っていたんですけども。で、そんなこんなで、その美容学校時代に僕、けっこうすごいドラマがありまして。誘拐されたりとか、いろんなことあるんですけど(笑)。それはまた次の機会に。話長くなるんで。
で、なんだかんだ美容学校卒業しまして、そのベストメンバーで・・・20いくつだと思うんですけども、そのころにはもう自分で“ハサミはお金のため”“バンドは夢のため”っていうふうに、わりきって、ずーっとやっていこうと思ってましたね。で、その当時やっぱりライブハウス界隈、わりとへビィメタルっていうか、ハードロックをやってて避けて通れないのが“Xの噂”なんですけどね(笑)。
なんだろうなあ。僕はけっこう長い間「X」は知ってたけど、長い間、会ったことはなかったんですよね。で、彼らはわりとテレビとか、『上海紅鯨団』とかも出てましたし。わりと、うさんくさかったですね。はたから見てても、やっぱ真面目にやってるロックバンドからしてみたら、“テレビ出やがって”とかって思わざるを得ないような部分はありましたよね。うん。で、噂もホントに、「X」のことを良くいう人っていうのに、僕は会ったことなかったんですよね。だからなかば僕も洗脳されて、“そうなんだ―”と思って。あの当時はインディーズバンドとかっていうのは、今でもそうでしょうけど、“対バン形式”なんですけども。その当時にやってたバンドはほとんど、いっしょにやったことあるんですけど、「X」だけなかったんですよね。ライブハウスの人が「やめとけ」っていうんですもん(笑)。「やめとけ」と。素行が悪いからっていうのと“暴れる”っていうのがいちばんだったんですけども。でもね、たぶんね、今から考えるとみんな羨望からだったと思う、やっぱりね。
そんな感じでけっこう恐れてた「X」なんだけど、1回会ったんですよね。初めてヨシキに会って、僕も何回か「X」に・・・「X」もメンバーがいなくなって、「X」に誘われたことあったんだけども断ったんですよね,“僕、『サーベルタイガー』ってバンドがあるから”っていうことで。それで、1回初めて会ったんですよ。「とにかく見に来てくれ」って。「1回見てくれ」ってこともあったんで、「じゃあ会うしかないな」と思って、恐る恐る横浜に「X」を見に行ったんですよ。そしたらライブ始ったら・・・何でしょう、もう・・・ガンダムみてーな超合金みてーな格好して、パイプが背中から生えてるヤツはいるわ、ヨシキはウニ頭だわ。トシはもう、なんかもう、よくわかんない。なんか超合金ロボ、合体ロボみてーだったし。それで「オラ!テメーラ!」とかいってるわりには、客席の上にQ太郎のぬいぐるみというか、風船が浮いていて、「オラ、テメーラ!Q太郎を粗末に扱うなよ!」とかワケのわかんないこといってるんですよ!“何だコイツ〜!”とか、そういう感じで。
今でもね、彼(トシ)の「X」時代のファンは、その手法というかあの独特の世界、世界でただ一つのあの話術というかMCはね―、今でこそいろんな人があの話術を真似してますけど、あれがオリジナルですよ、ホントに。あの、怖がらせて、体育会系なんだけども何か、何か笑っちゃうなあっていうのは彼が始めたことですよね!。で、僕もそれに度肝を抜かれて、何だかんだ見てたんですけど。最後はヨシキが観客席にダイビングして終っちゃったんですけどね。で、みんな今よりも全然真っ白な白塗りなメイクだったから、表情つかめないんで・・・。それで一応、楽屋に会いに行ったんですよ。そしたら向こうから、外人の子供みたいのが「どぉもー」とかいってトコトコ歩いて来たんですよね。それがヨシキだったんですよね。うん。もう聞くと見るとじゃ大違いで、ステージではガンダムみたいな格好してたんですけど、そのころでいうDCブランドみたいな格好して、わりとちょっといいトコのおぼっちゃんみたいな感じの子が、なんかヒョロっとした感じの子が「どぉもー」ってニコニコしながら出て来たんですよね。“えっ?!”と思った・・・。それがヨシキで、めっちゃめちゃ愛想よくて、「打ち上げ来る〜??」みたいな感じで、もうめちゃめちゃ愛想よくて・・・。いやー、これホント、会ってみなけりゃわかんないもんだよね、っと思って・・・。それから僕とヨシキの付き合いは始るんですよね。お互い別々なバンドだったんですけども・・・。
それからわりと「X」ファミリーとのつながりも、だんだんできてくるという・・・。で、そのころ、まだ僕は「サーベルタイガー」やってたんですけども、へビィメタルとハードロックとグラムロックとパンクロックを混ぜこぜにしたようなバンドだったんですけど。で、そのグラムロック部門を受け持っていたのがボーカルのキョーちゃんという人で、彼のカリスマは「マイケル・モンロー」という人だったんですけども、そのマイケル・モンローの所属していた「ハノイ・ロックス」、『トラジディ』。』
hideの美容師学校進学には、たくさんのドラマが隠されているように思いました。進学高校の本来の進路を外れて、美容学校に行くという決断の中には、両親の大変な落胆もあったかと思います。家庭や学校での話し合いは大変だったと想像できます。hideは、そして、自分の進路をおばあちゃんの職業に選択した。両親の反発を和らげ、自分を目の中にいてれも痛くない孫への愛情の庇護の中に、避難したような感じも致します。hide自身もおばあちゃんに何か恩返しのような感じもあったのかもしれません。自分の要求をかなえてくれたおばあちゃんの仕事を、いっしょにしたいとも考えたかもしれません。ここにはやさしいhideの気持ちが出ているように思います。両親からすればおばあちゃんの職業に進路を向けることを、やめとけ とはいえない。両親の親の職業を聖域のように思い、両親のいづれかはそのおばあちゃんの仕事で生活を送ってこられたことを考えるといずれおばあちゃんの後をついで美容師になってくれたら、それもいいかな と納得できたはず。美容学校の費用は、おばあちゃんが出してくれたはず。自分の仕事を孫がやりたいと言い出した事に、もう舞い上がってよろこんだに違いない。なんでも買ってあげる気持ちになっただろう。hideはおばあちゃんあって誕生したようだね。お墓に参ったときには、おばあちゃんにもお礼を・???・・いやいやいや・・まだご存命中なのかも・・・。hideとXの出会い、面白いですね。あのQ太郎、誰の発案でしょうねぇ。ステージの異様さとMCのユニークさ、そして楽屋でのYOSHIKIの愛想や見た目の面白さと、今までとの落差、hideはXの噂の「悪」をこの瞬間「善」に変換、そして今まで見たことないステージと人間像に叩きのめされた。サーベルタイガーが1987年初春に幕を閉じてhideの夢もついえた時、この時のシーンが思い返され、YOSHIKIにサーベルをやめる電話をした時、またhideの夢がつながってゆく・・・。
2007.05.14 逍遥のエックス(23)
4月10日第1回放送の「NRN6」は「<アマチュア時代の話(1)>*プロを目指すことになったきっかけ」となっていて、その下には、各NRN同様、話の後にかける曲目とバンド名がある。東京に出るようになって、プロを目指すことを考え始めたような話がすでにありましたが、問題から想像すると今日はその話のリメイクになるわけです。
私の中のhideは、プロを目指そうと意識し始めたいきさつ、熱く語って行くでしょうか。ではオンエアー・・・“バンドのメンバーがいろいろ入れ変る紆余曲折の混沌状態が、次第に理想のメンバーに近づきだしたころ、このメンバーと、自分の音楽を追求したいなぁと思い出したんですよ。理想のメンバーが作り出す演奏の妙は、もちろん心地よいものだったのですが、呼応したお客さんが破顔でライブに熱狂してくれる。そんなファンが、また、その頃でき始めてきたんですね。義理で来たようなファンでもない、近くで住んでる暇つぶしの人でもない、純粋に僕達の音楽を楽しみにして参戦してくれてるファンの存在が、出始めたんですね。自分達の演奏に反応してくれるお客さんが居るというのは、それはもう特別な快感になる訳ですよ。よく一世を風靡したスターが、どうしても栄光の歓喜の中に戻りたいと渇望する心境に共通する心理が、自分の中にもでき始めてきたということです。楽しかったですね。あの頃のライブは、上り調子のスランプなしでしょ。こんな曲をやってみたい、あんな曲をやってみたいと曲を作り出せば、そのイメージ通りの演奏、ないしはイメージ以上の演奏が展開してゆくんですよ。それに反応してお客さんが歓喜乱舞の状態。自分の天職かなぁと・・。ハサミはお金ですが、ハサミ以上のお金が稼げるような時もあって、これは楽しくて、踊って遊んで自分を表現してファンションも思いっ切りして、美容もビジュアル的に取り込んで、音楽を表現する仕掛けに、自分の美容の仕事が十分生かせるという感じですね。やっぱこれは天職かなと思い始めたんです。プロとは、そんなもんじゃない、もっと厳しい世界だと思ったんですが、なんか、それで生計を立てるプロの職業倫理ですか、そういうものがわずかに見えてきた、で、もしプロでダメな時は、ハサミが待ってる。ハサミもギターも良く似た感覚で、右手にピックかハサミ、左手が弦か櫛という関係で、ピックと弦の関係がもし崩れてプロをあきらめなければいけなくなったとしても、同じ手の動きはハサミと櫛に受け継がれてゆく訳で、ここは同じ運動体型のどっちかが変形と考えて、まあ、補完状態みたいに考えて、だんだん自分の仕事にしようかなとおもい出したんですね。ギターはライブ場の大勢のお客さんを一度に楽しませて喜ばせることができる、ハサミは、とりあえず一人のお客さんに喜んでもらえる。同じ右手と左手の一回の動作で、たくさんのお客さんを楽しませ、喜ばすことが出来たら、それは多いほうを目指したいですよね。多くの目がこっちを見つめるのと、鏡の反射を通して映る一人のお客さんがこっちを見つめるのと、どっちも生き生きした視線ですが、一度でたくさんの人を幸福にさせるのなら、それは多いほうをやりたいですよね。東京に出てゆくようになって、対バンで多くのバンドと共演してゆくうちに、刺激を受け、さらに彼らの上を目指そうと発奮する、だんだん怖いものがなくなってゆく感じでしたね。怖い噂の「X」や、ヨシキやファミリーとも違和感がなく付き合えるようになって、お客を喜ばす、喜ばすことに関して「X」や他のバンドとやり合ってゆく、それはもう怒涛のように回転し出したロックロール、へビィメタ・ハード・・う〜ん・・ダイナマイトロックでしたね。「ダイナマイトロックンロール」お聞きください。(もちろん、こんな曲、ありません。創作でーす。)”
hideの回答はなんと答えたんでしょう。なんか1回ぐらいは同じ答え、してくださいよ。『そんな感じで、「X」と、なんかこうつるむ・・・つるむじゃないけど、こう関係を持つようになって、僕は相変わらずあの・・・キョーちゃんたちと「サーベルタイガー」というバンドをずっとやってたんですけどね。「X」に飲み会や、ライブがあれば遊びに行くようになって。あのですね、そのころダイビングっていうのがムチャクチャ流行ってたんですけど、今でこそハードコアのバンドとかでもガンガンやってんですけど、当時ホント、「X」周りでもダイビングってのが流行り出して、僕、何だかんだいって過去・・・一生のうちでまだ今のところね、ダイビングした回数って2回しかないんですけどね。自分の入る前の「X」で1回、ダイビングしてるんですよね・・・。
で、そのころは・・・噂通りでしたね、やっぱ「X」っていうのは。ただ人柄に触れられて、あのヤバイ噂っていうのは人柄に触れてなかっただけで、行動は噂以上でしたね。あの・・・打ち上げに4000人はこないけども、打ち上げはワケのわからない200人ぐらいいるとか、グラスを割った数が何百個だとか・・・一晩に。全然尾ヒレついてませんね。むしろ足りなかったです(笑)。
なんか当時のバンドは、十把一からげにされてたけど、わりと仲良かったですよね、みんな。あの、打ち上げで盛り上がって・・・暴れて消火器ぶちまけて。とか
他のそういう畑じゃないバンドと抗争があって。今ね、はたから見て暴走なことだけど、中に入ってると、ホントに男の子のなんかこう、元気さの象徴みたいな感じに思い出されますよね。ただ周りにいた人にはすごい迷惑だったんだろうなあ、と今・・・。僕も周りから見てたときはそう思ってたけど、入っちまったらそういうふうに美化してるもの(笑)。ケンカっていうか、そんなねえ、ネチネチしたケンカとかはあんま見たことないですけどね―。面白かったのは、当時打ち上げとかを知らないヤツとは、みそぎのように誰かとケンカすることになるんですよ。特にヨシキが。ヨシキってすごい愛想いいけど、すごい愛想がいい割に、いいからこそ、相手がナメた口きいたときっていうのが最後で、急に立ち上がるんですよ。「オラーッ!」っていって立ち上がるんですよ。そうすると、なんか10人ぐらい一斉に立ち上がるんですよ。あっちこっちで(笑)。で、目の前のヤツを殴ってるとか、テーブルが倒れてるとか、そういうことがあって、なんかお祭りみたいですよね。うん。そう、お店の人にはすごい迷惑だったわけで。とある渋谷の居酒屋に行くと、当時、それ系の金髪とか、髪の毛に色がついてる人たちが行くと、「ヨシキさんはいらっしゃいますか?」って、けっこう聞かれるんですよね。それだけブラックリストに載ってましたもんね。ただ、だからそういう人の噂っていうのは、なんていうのかな、そうじゃないヨシキの部分には、触れられてないなあっていうのは、今でもすごい感じますよね・・・うん。すごい肥大した部分だけを取り上げられてるっていうのは、「X
JAPAN」になってからのヨシキにもすごい感じられて・・・すごい、寂しい気はしますよね。うん。
で、そんな中、やっぱりまだ僕は、キョーちゃんたちと「サーベルタイガー」っていうバンドをやってたんですけども、そのキョーちゃんも・・・え―「サーベルタイガー」辞めた後に、辞めた後にっていうか「サーベルタイガー」なくなった後に、「バラ」というバンドを経て、「ダイインクライズ」・・・ああ、「デランジェ」というバンドを経て、「ダイインクライズ」というバンドを経て、そして今、ソロでキョーちゃんはやってるんですけども。えーと、この間キョーちゃんにレコード、新しいの送ってきてもらいましたので、キョーちゃんありがとう。聞いてください。キョーちゃん、『リッスン・トゥ・ミー』。』
hideがヨシキの「人柄」が気に入っていたという、そんな雰囲気が感じられるトークですね。噂とのギャップ、人が触れようとしなかったヨシキの人柄に、hideは触れてしまったから後に「X」に入る動機にもなっていった。外人みたいな子供が「どぉもー」って愛想よくニコニコ顔で出て来たら、噂の怖いヤツのイメージで臨んでる自分の厳つい姿勢の置き所がなくなった。やられたーという感じだったんでしょうねぇ。そのインパクトがすごくて、hideの中にヨシキが入り込んだ。なにか響きあうものがあったんですね。2人の運命の、本当の出会いだったんですね。
2007.05.15 逍遥のエックス(24)
4月10日第1回放送の「NRN7」は「<アマチュア時代の話(2)>*インディーズデビューするまで」と、話のあとかける曲が書かれている。インディーズとは、hideが入った「X」のインディーズデビューの話ということになるんだろうなぁ。サーベルタイガーは東京とかのライブハウスでバンバンやっていたはずで、それはデビュー済ました状態ですから。
サーベルタイガーを辞める時は、hideは身を切る思いだったに違いない。このメンバーでダメな時はサーベルタイガーを辞める、と公言していた心理の裏側は、メンバーには俺はこのままずっと行きたい、と公言していたと同じことだったと思う。悲しい思いと「X」加入の懐かしい思いが、この時語られたんだろう。私の中のhideさん、その思い、教えてください。では、どうぞ。“サーベルの理想のメンバーも、自分の立場上、将来を考えるとこのまま継続することにいろいろ支障が生じて来出したんですよね。hideの私は、お金はハサミ、夢はギターで割り切ってプロを目指そうという意思が固まって来ていましたので、このまま継続することには問題なかったのですが、プロを目指すその他のメンバーが、どうしてもアマの状態で行こうとするメンバーの態度に異議を唱えることになって来た訳です。大学生でしかも歯医者を目指してるメンバーがいたんですけど、彼はやっぱりバンドでプロ目指す訳にはいかないでしょう?。それでプロを志向するメンバーとの間で将来のことで意見の食い違いが生じ、サーベルタイガーを解散することにしたんですよ。断腸の思いでしたね。このままずっと行ければ、本当によかったんですが、メンバーのいろんな条件がそれを許さないという状態、仕方ないですから。で俺は、ハサミでメシを食うゾーと、すっかりその気でいたんです。今までお世話になったバンドやライブハウスのところに、バンド解散とお世話になったお礼を電話していったんです。そして最後に「X」のヨシキに電話したんです。そしたら「おめでとう」だって。俺がこんなに落ち込んでいるのに、何が「おめでとう」だとあっけにとられてしまいましたよ。バンド仲間は「ええ、ほんまか。残念やな。でもまたいっしょにやれることもあるだろうし、お互い頑張ってゆこう」と励ましてくれる中に、一人「おめでとう」だって。でも腹立たなかったんですよね。あの外人の男の子のニコニコ顔の、すっげー愛想のよいヨシキが目に浮かぶんですよ。本心からじゃなく、たぶん、言う事に詰まって、そんなギャグになったと思うんですよ。彼の人柄からは、悪意じゃなく、最高の善意の表現だったんですね。じゃ、一度呑みなおそうか となって会うことになったんですよ。喫茶店で待ち合わして、会ったんですよ。そしたらヨシキがうちに来ないか と言うんですよ。だって「X」はメンバーも揃っているし、俺の入る場所なんてないじゃん と思ったんですが、ヨシキはギターはツインにしたいという思いがあって、僕の参加を考え出していたみたいです。ハサミの決意は、動かしがたい状況で、全部にそういって挨拶した最後のヨシキの話だったんで、即答は出来ず、再度返事させてもらうとなったんですね。それで何日か考えて、新宿のどこかで「X」のリハの後、会うことになって、喫茶店に行ったんですよ。そしたら「X」のメンバーも揃っていて、なんかみんなお通夜みたいに沈んでるんですよ。どうしたんかなぁと思ったんですが、ヨシキとぼそぼそ話して、最後の方で、「X」に参加させてもらうわ と言ったとたん、今までのお通夜がお祭り騒ぎになったんです。ああ、俺のこと、参加をみんな待っていてくれたんだ、息を呑んでそのことを待っていてくれたんだ と思うとうれしくてね。サーベルの悲しい解散のあとの暗い気分だったでしょ。まさかヨシキからこんな話が来るなんて夢にも思ってなかったし、メンバーが俺の参加のこと、こんなに望んでいてくれようとはこれっぽっちも考えてなかったので、俺も地獄から天国に舞い上がったような、きつねにつままれた気分だったですね。それからメンバーと新宿を飲み歩いた。何日後かにはすぐにリハが開始され、ヨシキ、トシ、タイジ、パタの4人で曲目のアレンジもしながら、始ったんですよ、私の「X」時代が。サーベルは1月末の解散ライブで一応活動休止。3月には「X」でリハに取り組んでる状態で、まさかまさかの展開でしたね。捨てる神あらば拾う神ありのような、俺のギターの命がつながった。おばあちゃんには、ギターやめて理容師やるので、と言ったんですが、おばあちゃんが買ってくれたギブソン・レスポールがちょっと、おばあちゃんの期待を殺いだかも知れなかったですが、俺は水を得た魚のように生き生きと泳ぎ出した気分でしたね。ヨシキといっしょに演奏活動できるということも、なんかうれしかったんですよ。4月には加入後初の「X」のライブがありまして、私のデビューでした。加入当時の「X」の曲、かけましょう”
ここのいきさつは、どこかで読んだことがあったので、その記憶を参考に物語を創作。今までで一番、正解率高いように思うのですが、本物のhideは何をしゃべったのでしょうか。ワクワクしながら、では回答、行って見ましょう。hide『で、僕は美容師をやるかたわら「サーベルタイガー」を続けて、このメンバーが崩れたら、もう音楽でメシを食うことはあきらめようっていうふうにずっと考えてたんですけども。えーっと案の定、バンド崩れまして(苦笑)。
で、僕バンド辞めようと決意しまして。で「X」とかも遊んでたんで、いろんな人――ライブハウスの人とかに、「明日から美容師に戻ります」っていって、電話して・・・ヨシキにも、もちろん電話したんですよね。それで、あのーそうなんだけど、っていうと「そうか・・・」っていってたんだけども、ヨシキがこう、誘ってくれたんですよね。「じゃあXでもう1回やろうよ!俺ともう1回やろうよ」っていってくれたんですよね。で、不思議なのは、けっこういろんなバンドに誘われたんですけども、「いや、明日からもう美容師になる。戻る。美容師1本でやって行く。ハサミしょって行くわ〜!」みたいな感じだったんですけど、なぜかヨッちゃんの一言には・・・「やってみようかな」っていう気にまたガラッとさせられてしまった優柔不断な私がいるんですよね。
そこからは私の「X」人生が始るワケなんですよ(笑)。そんな感じで、だから、ヨシキといわゆる仕事じゃないけど、バンドとしてやることに決って、何かふっきれた・・・んじゃないけど、自分は、やっぱりどこかで、もっと音楽やっていきたいっていうのが、あったんだけども、なんか今考えると、「ヨシキに誘ってもらいたかったんじゃねーの、オマエ」っていうのは、思い出すと、すごい・・・感じますよね。
で、「X」に入りまして、ちょこちょこ練習したりとかしてたんですけども、今でも覚えてるんですけども、ライブとかがどんどん決まっていくんですよね。で、当時はですね、おサイフ握ってたのがトシで、ブッキングとかしてたのは確かヨシキだったと思うんですけども。
で、今でも覚えてんですけど、いちばん最初の僕、「X」に入って仕事じゃないですけど、バンドとしての仕事って『元気が出るテレビ』だったんですよね(笑)。なんか“ヤシロ食堂”っていう食堂に行って、演奏してくれっていうのが確か最初の仕事だったような気がします。で、そのあと“ヤシロ食堂”でお疲れ様っていって、でも「お疲れ様かなぁ・・・」っていうそのまま、彼らの地元である館山の商工会議所か何かに行って、そのままライブをやったのを覚えてますよね。そのライブ・・・終わったあとに、そのまま館山の海に、ヨシキが飛び込んだりとかしてスゲー面白かった覚えとかがあるんですけど・・・うん。ギャラは・・・あの当時はそうですね、インディーズですから、別にギャラなんていうのは活動資金、ステッカー作ったりとか、レコード作るための活動資金にあててましたし・・・。で、僕が入って初めて、アルバムを作ると言う構想がやっぱり出てくるわけですよね。で、ツアーも行かなきゃいけないワケじゃないですか。で、ツアー行くんでもやっぱりお金が必要だし、ホテル泊まるお金も、そのへんが全部、活動資金で回されて、回していって。で、おサイフ握ってたのが、さっきもいったけどトシで、で、運転手はヨシキ。夜の運転手は・・・私。昼の運転手が僕で、夜の運転手はヨシキみたいな感じで、そんな感じでバン1台とかで、ざっーと全国回ったりとかしましたよね。地方はね・・・当時は『東のX、西のカラー』っていうバンドがいまして、その大阪のほう行くと、たいてい、その「カラー」のトミちゃんたちとかがいて、わりと『東のヨシキ、西のトミ』みたいな感じの。うん。あの人たちだから、それはそれは居酒屋はいつも大変なことになってるのは、ねえ。あれなんですけど。まあ、でもすごいお祭りみたいな感じでしたよねえ。うん。でもインディーズのころの地方ってやっぱり、不思議なのは金ないのにいっつも飲んでるっていうのはすごく不思議だなあっていうのは思いますよね。バイトは皆それぞれしてると思うんですけど。「X」の場合、『明日までに40万持ってこーい』とかね、そういうのあるんですよね。だから“ツアーだから”とか“レコード作るから”とか、当時タイジとかもレコード・アルバム作る前とかっていうのは家具とか売ってましたもん。服とか洋服とか売って、でもみんなキッチリそろえてくるんですよ、なんだかんだ。その―何をしてくるんだかは敢えて誰も聞かないんですけど、みんな・・・僕もだから“借金したり”とか物売ったりとかして、みんなそろえて来るんですよ。うん。それがファーストのインディーズで出した『ヴァニシング・ヴィジョン』のころかな。・・・うん。僕がいちばんね、「X」に入って困ったのはお金のことよりもね、「X」って速いんですよ、テンポがとにかく、あの当時から。僕のやってたバンドと違って、とにかく速いんですよ。で、僕、腱鞘炎とかガンガンなりまくって、そのテンポが弾けなくて弾けなくて。もう“いったいどうすればこうなるんだろう?”と思っていましたね、当時はね。
で、『ヴァニシング・ヴィジョン』のレコーディングとか、初めてのアルバムのときとかもけっこう煮詰まりましたもん。俺、これ・・・この商売できねーかもしれねーとかっていうふうに。僕自身はすごい煮詰まりましたよね。うん。その速い速い「X」の中でも、ひときわ速かった(笑)えーっと・・・「X」で、えーっとこれは何の中?『ジェラシー』の中よりも、僕はできれば『スカル・スラッシュ・ゾーン』というオムニバス・アルバムがビクターから出てるんですけども、それ僕まだ弾いてないんですけども、その『スタップ・ミー・イン・ザ・バック』が聞きたいな。『スタップ・ミー・イン・ザ・バック』』
加入して、やはり後悔もでそうな状態。hideも大変だったかも知れないが、メンバー同じような苦労をしながら、アルバムをつくったりしていたのを思うと、私ならとっくやめてゆくだろうなぁと思ってしまいました。hideの加入最初の仕事が「ヤシロ食堂」のあの演奏。そのあと館山商工会議所での演奏。東京から館山までの道を、バンで走ったということですね。商工会館(もう、海岸線の道を挟んで面している)のライブが掃けた後、すぐ西にある館山湾の海に飛び込んだ。砂浜が何十mかあったので、駆け出して海に入っていったことを思うと、自分達が行った館山の商工会館の中のステージから出て、西に見えた海に走ってゆく姿が目に浮かぶようです。「X」の音楽は、若いみなぎる力もあって、テンポや節回しが抜きん出ていたからこそ、ファンの支持も絶大なものになった訳ですが、その影には大変な苦労と努力が隠れている。そんな苦労や努力が10年もすればなくなってしまったというはかなさ。バンドは解散してしまったが、ファンはそのことをずっと忘れないという所に、その苦労や努力が生き続けてるという感じですね。
2007.05.16 逍遥のエックス(25)
4月10日第1回放送の「NRN8」は「<Xジャパン(1)>」に曲名&バンド名のみ。XのインディーズデビューからXのメジャーデビュー、そして92年のX
ジャパンデビューと続く流れが語られるようである。躍進のX時代、変調を来たすXジャパン時代。その辺のことがどう語られてゆくのだろうか。
“最初のアルバムが出来上がって、とにかくツアーだということで、たたみ掛けるように日本全国へ、繰り出して行きましたね。Xの音楽を全国布教する行脚に出向くことになったわけです。スケジュールも体力の限界に詰まってましたし、自分達のやる気、気合ももう最高レベルで、行く会場行く会場、お客さんの動員もすごかったですが、自分達の演奏もお客さんの熱気以上の圧倒しまくりの演奏でしたね。地方の、と言っても、大阪・名古屋・仙台。広島・福岡・札幌などの主要地方都市ばかりでなく、その周辺の小さな市や町にもオファーがあれば、順路に入れて公演をして行ったんです。お客だけが、自分達の演奏がどんなものであるか、よく知って詰め掛けてくれてるんですが、会場を借りるところや主催者は案外、普通のバンドが来る様な感じで対応しているのですが、実際来たバンドが異様なバンドだと気付き始めるんですよね。その出で立ちといい、態度といい、公演させていただくという態度ではなく、殴りこみの感じで楽屋に到着してくるわけでしょ。主客立場が逆になっちゃうんですよ。かしこまってるのが主催者・会場側、横柄に我が物顔の態度がこっちという風にね。だからライブが始まるまでが大変なんですよ。どんどん主催者側も情報をかき集めて、演奏が終った後は台風の去った後、乃至は爆撃の済んだが後状態になって行くという情報が、公演を済ました会場あたりから入ってくるんでしょうねぇ。こっちの出し物とかの打ち合わせには、だんだん態度の硬化と規制がきつくなってくるんですね。前の会場でこんなことがあった、それは絶対やめてもらわなければ という心配が、ありありと伝わってくるんですね。で、ヨシキはリーダーとして、公演は迷惑かけないようにするから、任せてくれ って言い張るわけですよ。制限をかけられては余計内心燃えてゆくという人間でしょ、とにかく僕達の演奏が100%発揮できるように、任せてくれっ て言い張るわけですよ。さもなくば、公演はできないと匂わすんですよね。主催者も、公演が中止になってしまったら、それこそメンツ丸つぶれでしょ、だから最終的には 任せますけど備品を壊さないように、お客さんには事故・ケガが生じないように というところで、公演が始ってゆく訳です。公演が始ると、会場は荒れ狂う訳でしょ。お客はなりふり構わず荒れ狂ってるし、トシはそれをさらに煽るんですよ。「テメーラ、そんなもんで乗ってるつもりかい。もっと本気を出せ!、お前らの気合を、見せんかい!」と煽りたてるんですよ。お客と自分達が楽しんでる間、主催者側は肝を冷やし続けていたんじゃないかなあ。何事もなく終って・・ という事はほとんどないわけですが、主催者が心配していた大事だけは避けられたという その許容の範囲でもって少々の破壊や損傷が公演上やむを得ない損傷として、容認されてゆくんですね。主催者のこれだけで済んで大助かり という範囲内に納まって行くんですよ。普通の公演ならクレームもつくんですが、本来の予想の被害から少なかったという その安堵がクレームを閉ざしてしまうわけですね。そういう意味で、Xの痕跡は、今なお公演会場に刻印されて残ってると思うんですよ。勝利の というか成功の証ですね。公演は、どこも自分達の思ってた公演が出来ていったんですが、やっぱり主催者の後始末は大変だったんじゃんないかと、今思い返してそう思います。では、主催者の心を殺し続けたようなこともありまして、エックス、I'LL
KILL YOU 。”
2007.05.17 逍遥のエックス(26)
hideの回答『当時やれば、お客さんはやっぱライブハウスでも、300〜400人は平気で入る「X」だったんですけども、生活は厳しかったんですね、もちろん。だから自分でね―、もう東京に出てきてましたんで、美容師はやってたんですけども、だんだん美容師も、「X」が忙しくなるにつれて、全然行けなくなる・・・悪循環なんですよね。お金ないし、お金ドンドンなくなっていくし、やっぱ“天使たち”、そういうときにバンドマンを支えてくれる“天使たち”がいるんですよ。そんな私を育んでくれた愛がありましたよね。そういう人たちが、またお小遣いをくれたりするわけですよ。そうして支えてくれる“天使たち”がいるんですよ。みんなそうだったと思います。それがなかったら、だってパンだって買えなかったもの(笑)。ギターは持ってたって、機材とかに結局まわっちゃうし、バンドで稼いだお金で、バンドの運営していかなきゃいけないし。
だから当時、今でこそよくあるパターンだけども、ビデオ配布ギグ?面白かったですよね。ヨシキん家で、「じゃあ何、配布しようか?」っつってね。「じゃあ、みんな何が欲しいんだよ」とかいって、「冷蔵庫かなあ」とか「電子レンジかなあ、でもさあ」とかいって、「今来てるファンじゃない、他のファンが欲しいじゃん」とかいって、「じゃあ、普通の人を巻き込まなきゃ!」とかいって、「じゃあ、なんだろう?トラックかなあ」・・・トラック配布ギグとかね(笑)。「いくらかかんのかなあ」とかいって、そういうことをねえ、冗談で話して、布団の上で話してているうちに、ホントにそういうことができてくる。ねえ。「じゃあ、プロモーション・ビデオって、どうやって撮れるのかなあ」って。「プロモーション・ビデオってさあ、音を作るのは俺たち作ってんじゃん?」「ビデオにさ、それのっけりゃいいじゃん。簡単じゃん!」「ビデオ、それやろう!」で始って、ビデオ配布ギグをやったんですよね。ビデオは結局そういうところに作ってもらったんですけども、でもね、ホントいなかったですよ、ビデオ配布ギグなんて。最初はねえ。だから、そのビデオ配布ギグと、「あとビデオデッキ配布ギグってのをやろう!」(笑)かなんかいって、そしたら主婦も来るんじゃないかな・・・とか。ホント、本気か何だかわかんないようなミーティングをけっこう。
何本ぐらいなんだろう、えーっと・・・覚えてないけど「鹿鳴館」で2DAYSやって、大阪で2DAYSやって、そこに300とかだったのかなあ・・・覚えてないんですけど。いやー全然覚えてない。ただ徴収はされたのは覚えてますけどね、「明日までに何十万」っていうのは(笑)。
そんなこんなで、だんだん有名にもなってきて、お客も入るようになってきて、ただまだインディーズだったんで、やっぱりビンボーはずっとビンボーだったんですけども。それぞれ“天使たち”に支えられながらロックバンドを営んでたんですけども。やっぱり有名になるにつれ、“コイツら金になる”という人たちももちろん増えていくワケでね。あのね、レコーディング最中にも“某レコード会社”なんていうのは、メンバーそれぞれに、「BMW買ってやる」なんていう話も聞いたりもしましたけどね。「あーこれ、マンガみてーだなぁ」なんておもいましたけどね。だから、そういうレコード会社のオヤジたちと冷静に対話してたのは、やっぱりヨシキだったと思いますね。自分も、インディーズでレコード会社を・・・「エクスタシー・レコード」っていうのを経営してるっていうのも、もちろんありましたし。なんかそういう部分で、まず負けたくないっていうのも、そういう知らないことで負けたくない!っていうのがある男なんで・・・。そうことを端から塗りつぶして勉強していくってところがスゴいなと思いましたよね。
僕は、やっぱりなんか“ザケンじゃねーよ”っていうのが、ずーっと長い間ありましたよね。メジャーとか行ったときですら、“お前なんかになあ”とか行って。仲良くしてくれたディレクターなんかにも、最初のころはちょっと「お前なんかにこのロックがわかってたまるかよ」とかっていう、すごいガキっぽい部分が、僕はずっと長い間ありましたね。ソニーに入って、親代わりだった“津田さん”ていうディレクターがいるんですけども、ホントにその人がいなきゃ、こう「X」をまともに商品にすることできなかったんじゃないかなと思うぐらいスゴいお世話になった父がいるんですけども、彼にすら、けっこう僕、長い間、長い間っていうかメジャーでファーストを作る合宿とかで、「あんたなんかに・・・あんたなんかにロックわかんねーよ!」ぐらいの口をきいてましたからね。ホントにもう、ホントにしょうがない子供ですよね(笑)。
それで、やっとメジャーがソニーに決ったんですよ、結局。えー給料が入るワケですよ。初めてその、音楽で給料が入るっていう、もう・・・衝撃的でしたね。それで、僕、やっぱり女の子の家に同棲させてもらってたんですけども、その近所にですね、ちっちゃいアパートなんですけど、当時はこんな家に住みたいなあとかって思ってたんですよ。で、僕、給料もらって、その日に、そのアパートに行きましたもん。で、借りました(笑)。すごい嬉しくて、あの、音楽で給料もらうっていうことの嬉しさ・・・うん。家賃・・・7万とか、ですかね。あ、でもその前にね、あったんだ!メジャーになってからなんですけども、スゴイことがありました。メジャーになってから『ヴァニシング・ヴィジョン』インディーズ盤が異常に売れ始めたんですよ。そしたらね、あの・・・「エクスタシー・レコード」のほうからギャラが出たんですよ。「なんで、インディーズのうちにくれなかったんだよ!」っていうのがすごいあるんだけども・・・。それが、僕すごい覚えてんだけど、札束で来たんですよ!それね、確かね、札束で20センチくらいで、それぞれ5人に来たんですよ。で、リハーサルスタジオだったんですよね。で、かっこよかったの覚えてんですけども、「X」の相方のもう一人のギタリストのパタがですね、ケツに入れたまま、その札束をジーンズのケツに入れたまま、リハーサルしてんですよね。それで、出てくときに落っことしてんですよ(笑)。それで、「パタ、バカ!落っことしてるよ」っつったら、ウイスキーの小瓶飲みながら、「あぁ、OK」っつって持ってったの。僕はねえ、メチャクチャかっこいいなあって思いましたね(笑)。メチャクチャかっこいいが、メチャクチャお前、ダメな人間だなと思いましたね(笑)。
いや、僕はもうずっと匂いかいでましたよね。「これをインディーズのときにくれや!」と(笑)。で、その、札ビラの元になったあの『ヴァニシング・ヴィジョン』の中から、圧倒的に速い曲で『アイル・キル・ユー』、「X」。』
2007.05.18 逍遥のエックス(27)
ライブハウスに300〜400人入っても生活が苦しいとは、それが現実なんですかね。採算的にはそれだけ入れば合うようにも思うのですが・・。当時と今とは多少の違いはあるかと思いますが、一つ参考になります。『ヴァニシング・ヴィジョン』が爆発的に売れて、初めてギャラが出てという話の中に、それまでの苦しい生活がよほどこたえたというニュアンスがありますね。「これをインディーズのときに・・・」と2回も言ってしまった所をみると、みんな生活を切り詰めて、というより身銭を切って、配布ビデオを作成していたんですね。ヨシキの家で、何を配布 のミーティングする訳ですが、配布の品探しばかりで、それそれの生活の現状を踏まえて、そこまでは出来ないよ と誰も言い出さないのが不思議です。突っ走ってる時にそんなこと言える雰囲気じゃなかったのかもしれませんが、話は面白いが、すぐに自分達の生活を圧迫することになる訳で、しかもすでに借金も重ねて来てるはずの上に、さらに借金を作るような話を重ねてゆくというのは、理解できませんが、ファンをよろこばすギリギリの選択、誰もしないことの先鞭をつけてゆくフロンティア、いきがってた自分達の弱音をかき消すパーフォーマンス みたいな行け行けムードで走っていたのでしょうか。どんな心理でそんな話し合いが出来たのか、自分の生活を犠牲にしてまでビデオ配布をする必要がないと考えるのですが、そこが「X」の真骨頂だったのかもしれません。普通の考えで埋没していれば、「X」は誕生していなかった。だれかメンバーが抜けて行ったでしょうが、87年3月の5人の活動が開始してから88年4月『ヴァニシング・ヴィジョン』をリリースするまでの約1年間の生活苦を、借金を重ねながら、生活品を売りながら、また「天使たち」に支えられながら、よくメンバー抜けることなくもったものだと不思議な感じがします。急にそんな生活が有ったら、誰しも耐えられなかったかもしれないですが、当時はそんな感じがロッカーの生活だった?のかも。お金がなければない様になんとかなって行く、なって行かせる そんな術を持っていたのかと思います。
給料が出るようになって、アパート住まいを即決で決めてゆく。同棲の方が楽じゃないのかなあと思うのですが・・。気兼ね、負い目、仕方無しの居候だったんでしょうか。「天使たち」がいなければ、パンも買えない状況、本当に生活に困っていたのでしょう。ハサミで生活を支えるはずが、「X」が忙しくなって収入がなくなり、あかんと思いながら「天使たち」の好意に甘えざるを得なかった、そこを一刻も早く、脱出して独自で生活を始めたかった。ギャラをインディーズの時になんでくれなかったんだと2回も繰り返すhideの叫びのような語りは、彼にとってはその状況が、我慢ならなかった。同棲も愛し合う2人が始める普通の同棲から遠く離れた同棲だったような気がします。でなければ、給料をもらって即座のアパート契約はしないでしょうから。そこにはこんな生活ではだめだというhideの強い意志が感じられ、hideの生活のこだわりが見えてるようにも思います。
hideがYOSHIKIとPATAについてコメントしてますね。レコード会社のオヤジたちと冷静に対話していたYOSHIKIを、「なんかそういう部分で、まず負けたくないっていうのも、そういう知らないことで負けたくない!っていうのがある男なんで・・・。そういうことを端から塗りつぶして勉強していくってところがスゴいなとおもいましたよね」。あの当時から、というより、この姿勢はもっとずっと前に出来上がったんでしょう。彼の辛い過去の中にそう決意させるものがあったんだろうと思います。こういう生き方、自分(私)も出来たらもうちょっと一端の人間になっていたかもしれないですが、それが出来なかった証拠にこの低落の人生を歩んでいるという現状、これからでも心入れ替えて臨みましょうか。遅すぎという批判の声も聞こえそうですが、とにかくYOSHIKIはそういう生き方をしてきた、ずっと負けたくないと思って生きてきた、それはhideと同感、スゴいことだと思います。PATAの、これまた今と同じようなエピソードが語られていました。しかし、PATAは「X」の中にあって、最初から解散までのメンバー、あの中でずっとメンバーであり続けたこと及びhideの楽曲にもほとんど関わっている、スゴい人間だと思いませんか。彼のどこかとぼけた、優柔不断な、流されるままの、なるようになれっというような生き方、なんか愛着がもてますね。好きなギターが弾けて酒さえあれば、後はいいやというような部分が見えますが、よく見るとものすごいこだわりがある人だと思います。昔からのギターを愛用し、音合せは斉藤さんという20年来の人にお任せし(去年のライブでそんなことおっしゃってました)、演奏の衣装はいくつかのパターンを組み合わせるだけ(何着かのこだわりの同じ服を組合す)。なんか愛着がもてますね。それもスゴい人だとつくづく思います。「メチャメチャかっこいいが、メチャメチャお前、ダメ人間だなと思いましたね(笑)」というhideの人物評、一面は突いてるが、PATAには見えないスゴい一面が隠されている。未だに世間に流されずマイペースでやってるように見えるんですが、そんなことなかなか出来ませんね。
2007.05.19 逍遥のエックス(28)
4月10日第1回放送の「NRN9」は「<スーパーディスク>」とだけある。下に曲名とバンド名。XJAPANの発売したディスク盤の話という意味かなぁ。話は、前回の続きで思いつくところ、行きましょう。
“バンドが売れ出すというのは、天地をひっくり返すような劇的な変化をもたらしましたね。人の態度が、すべからく反対になるんですよ。今までは、厄介物見る感じだったのが、英雄をお迎えする態度になっちゃうんですよね。僕達は、なんら同じ音楽をやり、同じ態度で臨んでいるだけなのに、まわりが態度を変えてしまうんですね。それはやっぱり、お金になるというところにあったんだろうと思います。スゴイバンドが出てきたとマスコミで話題騒然となってゆく。各ライブハウスは、チケット発売と同時に売り切れ続出、しかも当日売り切れとかいうレベルじゃない、売り出し何分で完売でしょ。そりゃこいつら何者だと誰しも思うわけですよ。話題が話題を呼んでゆく。それと同時に急に金回りもよくなってゆきましたね。結局、そういう所が分岐点ですかね。いくら頑張っていたって、お金にはなって行かない時期は、世間も見向きもしないし、生活も困窮状態。自分達がお金にならないときは、お金も回ってこないという相関関係が、自分達がお金になるという評価が出来てくると、自分達の懐にもお金が回ってくるという、そんな関係があるんでしょうねえ。余裕が出て来るとお金の使い道は、自分達の商売道具ですよねまず。それから各人が興味があるもの、車とか服装とか住まいとかそういうところに、まあ波及していきましたね。もちろんファンを喜ばせるグッズ類にもバンドの運営にもお金をつぎ込んでゆきました。バンド運営では、ライブ場でのびっくり仕掛けとかに費用をかけましたね。セットを斬新なものにして、大掛かりに仕掛けをしてゆくんですね。普通のライブじゃねえぞ、お前らよーく、音楽と同じくらいその会場に設営されたセットを楽しんで帰れよ というぐらいのセットを採算ペース度外視してやっちゃうんですよ。「X」だけにしか出来ないスケールの大きなセッティング、しかも音楽で度肝を抜いて行く。グッズなんかも、ちゃちなものは作らない。誰が見てもこれは値打ちもんだなぁというものを作って行くようにしました。グッズとかはもう業者が発案して、メンバーがその中からこれだというものを選択してゆくようになってましたが、自分達も身につけて見たいようなものを選んで行きました。CDの発売に合わせた特典も取り入れてゆきました。CDを売るための特典の意味もありますが、第一にファンを喜ばすというところに主眼がありました。自分達を応援してくれるみんなに、なにか幸せな感じを抱かせるような特典をですね、心掛けました。そんなこんなで、いい方に回りだすとことは自然と登るように回ってゆくんですね。各人の付き人も増やさないことには対応が出来なくなってゆく。同じ車に乗っていた各人が、別々の車に乗って会場とかに行くようになる。主催者も気を使うし、それに合わす様にもならざるを得ないという状況になってゆくんですね。別にえらくなったわけでもないんですが、まわりがお膳立てを作ってしまう。乗せられてゆくんですね。しかし、そういう他人のお膳立てがメンバーの距離を知らずうちに離してゆくということですよね、今から考えると。”
2007.05.20 逍遥のエックス(29)
hideの回答『今週のオールナイトニッポン、スーパーディスクから、えー「チャーミースマイル&グリーンヘッド」で、『プレッピー・スクール・ボーイ』・・・(、すぐに音楽に入ってゆく。どうも、番組の時間合わせに入っているようだ。曲が終った後にhideの語りが続く)・・・そんな感じでメジャーになったわけなんですけども、生活も安定しまして、安定というほどでもないんですけども。行動半径も広がりまして、ツアーといっても、いろんな人たちが入り乱れていくようになりまして。ホテルなんかにも泊まれるようになりまして。あのー、いけませんね、慣れないものを持つと。ホントにホテルなんかに泊まると。酔っ払って帰ってきて、それほとんど僕なんですけども(苦笑)、「邪魔だ」ということで、ホテルが狭いということで・・・窓からテレビを投げたりとかですね、そういうことも多々ございました。当時はね、「X」はホテル協会のブラックリストに載ってて、泊まれないホテルがすごいあった(苦笑)。
ツアーに1回行って帰ってくるとですね、メンバー5人中3人にあの、“破壊費”っていうのが、項目に別についてるんですよね。3人ていうのは私と、ヨシキと当時のべーシストだったタイジなんですけどね。で、その破壊費が年々“0”が1個ずつ増えていくんですよね。で、別途請求ということで・・そう・・いや、何壊したか・・・。うーん、あんまり人は壊してないですけどね。物は多いですよね。物とかあと壁とかね。ホテルは柔らかいんですよ。柔らかくできてんですよ、たぶんね。あのころのケモノ3匹入れといたらね、2分ぐらいでね、全壊しますよね(笑)。
そんな、何かと楽しいこといっぱいの「X」だったんだけど、去年まあ解散しちゃいまして、それぞれまあ、新しいことやってんですけども。私はですね、まあ先程申しましたけど、現在ロサンゼルスで、サード・アルバムのレコーディング中でして、早く帰りたいなと思っております。日本に帰って懐かしいのは、ハシゴですよ、ハシゴ。ハシゴって登るハシゴじゃなくて、飲み屋のハシゴ。何でかっていうと、あの、ロサンゼルスって2時で、飲んでてもお酒取り上げられちゃうんで、ハシゴができないんですよね。朝までハシゴっていうの。だから日本に帰ったらハシゴをしたいです・・・ええ。それまでにニュー・アルバム持って帰りますんで、それまではとりあえず新しいシングル、聞いて頂けるとよいかなと思います。もう一度、あの先程も聞いて頂きましたが、くどいようですが、もい1度聞いてください。「ヒデ・ウィズ・スプレッド・ビーバー」で・・・『ピンクスパイダー』。』(「ピンクスパイダー」は、「NRN11」の「<現在のhide(2)>」の後にかかる曲になっているですが、番組が押してきたんでしょう、こんな所にかかってしまいました。従って「MRN10」の「<スーパーディスク>」という表示の部分は、飛ばされたようです。時間調節のために一応設定してあるという部分で、番組の進行によって割愛されてゆく運命のものかもしれません。次回は最終回「NRN12」となって行きます。
2007.05.21 逍遥のエックス(30)
4月10日第1回放送は、放送時間が迫り、「NRN9」の次に「NRN10」が飛び、「NRN11<現在のhide(2)>」が放送され、そして今回「NRN12」の最終章になった。ここでは「後TM
CI〜」とあり、曲名「〜さよなら』とあるだけで、バンド名はなし。何のことかよくわからない。第1回の締めの放送としては、半年乃至1年、さらにはもっとこの番組が続くと仮定して、今後の放送に対するhideの取り組み方が話されることになろう。それは、hideが「X」解散後の今後の音楽活動をどう進めてゆくかの方向性を大まかに語ることだろうと思う。では、私の中のhideさん、よろしく。
“そんなこんなで、番組もいよいよ、押し詰まって参りました。私が関わって来ました、サーベルタイガーや「X」&「XJAPAN」、そこにあったいろいろな人間模様をですね、今後話してゆきたいと、そんなこと考えております。さらには、現在アメリカで立ち上げ中のバンド「ヂルチ」を通して、アメリカでの活動や世界へ向けての活動の話など、大きく夢を広げて行きたいと考えております。今回、ロスでの収録という変則的な放送になりましたが、番組も進行に応じて、日本からの生でお送りしてゆこうとも考えておりまして、視聴者のみなさんが楽しくなるような企画をドンドン発信してゆこうかと思っております。台本があって台本無しの話をドンドン取り込んで、ハプニング的な、自分では思い付きの心に動きに添って自由に語らせていただこうと、ディレクターには許可を貰っておりませんが、脱線は日常茶飯事で行こうかと思っております。ロサンゼルスと日本は、いわゆる太平洋航路で行き来するのが、日常かと思いますが、音楽的にはその日常を行かず、逆周りのヨーロッパ周りで、日本上陸をめざしてみたいなぁ と密かに思っておりまして、私の決意はアメリカ・ヨーロッパを舞台に取り込んで見たいと思っております。さらにはロスの、相棒ヨシキとも連絡を取って、共に手を携えて、彼は彼の音楽の目指すところを、私は私の目指すところを、たまには進路を交叉させてジョイントをやったり というように日本のアーティストの可能性を「X」魂で挑戦してゆきたいと夢見ております。ヨシキとは、「XJAPAN」に続くバンドの夢を語ってみたいとも考えておりまして、「XJAPAN」は一旦は解消しましたが、私の「X」への思いは解消した訳ではありませんので、いずれ「X」は生まれ変わって登場できるようにヨシキと話してゆきたいと思っておりまして、今後も同じ釜の飯を食った仲間とは、共に夢を大きく持って歩んで行きたいと願っております。昨年の9月に公的には「XJAPAN」の解散が発表されて、12月のファイナルで終止を打ったわけですが、あくる日からは新たな出発になった訳ですね。今後のいろんなプロジェクトが、そこから始まりかけたというところで、現在4ヶ月が過ぎまして、まだまだ具体的な活動は目に見えるまでにはなっていませんが、今後徐々に発表されて行く予定です。日本の音楽にも一石を投じる覚悟でやってみたい。スプレビの活動を中心に、ラジオ・テレビにも話題性を持って進出を計って、みんなに私hideの特異性をですね、充分楽しんでいただければと、そのようなことを思ったりもしておりまして、時代は流れるですが、流されるようにではなく、自分の意思で流れてゆきたい、みんなと思いを同じくしてあそこを目指して、いやこっちを目指してというように、時代の要請を先取りして意思を持って流れてゆきたいと願っております。私がサーベルで理想のバンドを求めたこともありましたが、で、結局バンドは私以外はメンバーが全部替わっていたりもしましたが、あの時は悪魔のような采配を振るった私がおりましたが、今後は悪魔の采配は、日本の音楽に向けられたり、世界の方に向けられたりと、音楽を通してその悪魔性を、個人的な人格から申しますと私の特異性をですね、発揮してゆきたい所ですね。バンドを去って行った仲間にもhideの目指したものの理解を納得してもらって、この人たちとも共に大きな音楽の世界を作って行けたらいいですね。目指すものはとことん追求して進化を遂げて行きたいとhideは、夢見てる訳です。それでは今後の夢が、一つ一つ早く実現しますように を願って1曲お届けして、第1回の放送、この辺でタイムアップ、バイバイ!”
2007.05.22 逍遥のエックス(31)
hideの回答:『『ピンクスパイダー』聞いて頂きましたけども、えっとこれがですね、シングルで5月13日にでるんですけども。えっと日本の、日本のって言うか短冊型シングル、ございますよね。短冊型シングルというの、私、基本的にその短冊型シングル・ジャケットっていうのは全然こだわりなくて。“どうでもいいや”ぐらいに思ってて、“タイトル書いときゃいいじゃないか”ぐらいにしか思ってなかったんですけど、今回すごく楽しんだんですよね。あの・・・たぶんやってる人いないんじゃないかなっていう・・・。昔のレコードとかだと、やっぱりジャケットに凝りたいじゃないですか。大きいジャケットがCDになり、どんどんつまんなくなって、それでもまた頑張って、いろんなことやって、さらにちっちゃいこの短冊型シングルじゃ何もすることないかなと思ったら、できたんですよね(照笑)。別にどうってことない仕掛けなんですけども、こういうくだらないことを一生懸命考えているっていうのが、けっこうロックンロールかなあ、なんて思って。初回、そうですね。あの初回版「ピンクスパイダー」のジャケットっていうのはちょっと変わった仕様になってまして。ていうか、子供だましな仕様になってましてですね。「ピンクスパイダー」ってチョコレートのパッケージになってんですけども、ま、でもそんなに自慢するほどじゃないことに、今気がつきました(笑)。何か、どのへんがすごいかっての今説明しようかなって思ったら、あ、全然すごくないじゃんとかって(笑)。でも、これがロックンロールな気がするんだけどな、俺は。この洒落(しゃれ)にニヤリと笑って頂けるか、くっだらねえって怒られちゃうかっていうのが、けっこうロックかロックじゃない狭間(はざま)かなあって思うんですけど。
今回の「ピンクスパイダー」っていうのは、そんなような感じのお話でもありまして。“ピンク”っていうのはですね、世界中でどこ行ってもそうなんですけども、妄想のモチーフにされてる色なんですよ。『ピンクの像が見える』とかってよくいうじゃないですか?何かそれの“妄想を抱えたクモ”っていうような意味なんですけども。あの―スパイダー、クモが吐くあの糸っていうのは、“ウェブ”ともいうんですけども、ウェブっていうのは僕たちの情報収集のいちばんのルーツでもあり、その象徴でもあるインターネットとかってのがあるんですけども。その情報を収集するためにウェブを張ったクモっていうのは、自分の張ったウェブの中でしか生きていけなかったり、それ以外は知らないんだけど、そのウェブを張ったことですごい情報を持っているような妄想に凝り固まって外の世界を知らない男の話なんですよね、「ピンクスパイダー」っていうのは。で、最後、空を飛ぶんですけども。空っていうのは、別の世界に行くんですけど、雲に憧れて・・・。雲に憧れて、あの雲になりたいと思って、空を飛んで雲になるんですけど、実は雲っていうのも、空っていう大きなものの構成要因の1つでしかなくて、歯車になったに過ぎなかったっていう話なんです。けどもこのシングルの中ではそこまでは語らずに、続くになってます。この続きは基本的に、サード・アルバムに入れようかなと思って入るのです。
さあ、今夜もそろそろお別れです。えーと長い時間おつきあいくださった方々、ありがとうございました。今、僕のいるロスの雰囲気が少しは感じてもらえたのでしょうか?今月はずっとロスにいるので、「オールナイトニッポンR」も、ロスからお送りします。こんな感じで滑舌悪くて、たどたどしくて、何をしゃべってんのかわかんなくて、お怒りの方もございましょうが、その旨、苦情の電話などは控えて頂ければ、私もまだ続けていくことができるのかと思います。基本的にロスは天気がいいといわれているんですけども、今年はエルニーニョ現象のせいで、たまに雨が降ったりして、わけのわかんない天候なんですけども、息抜きにですね、息抜きで出かけるほど暇でもないので、レコーディングをガッと集中してやって、早めに帰って、日本でハシゴ酒をしたいなと考えております。
そして、また来週も金曜深夜3時、必ず聞いて頂けるとうれしゅーございます。じゃあ今夜はこのへんで、私ヒデがロスからお送りしました。それではまた来週、さようなら。』(4月1日収録)
2007.05.23 逍遥のエックス(32)
私に中のhideは、何か意気込んでしまいすぎで、すぐ夢を語ってしまうのですが、hide本人は、落ち着いてるような感じですね。この収録が4月1日に行われたのですが、運命の日はちょうど1ヶ月先なんですね。しかもこの話の中で、『空っていうのは、別の世界に行くんですけど、雲に憧れて・・・。』という部分で、うっと息が止まるんですね。『憧れて・・・。』のここで、なぜ言葉が出なかったのかなあ と思ってしまうんです。『別の世界』を一瞬、通過したんじゃないかな なんてあまりにも話が予言めいたものになってるので、ここは息が止まりました。「ピンクスパーダー」も今の社会を予言したものだったように思えますね。ネット社会の現在、自分の情報は張り巡らしたネットの中で入れている という現実はそのとおりです。5年10年先を予想して、ネットであらゆる情報を獲る人間の落とし穴をもう見抜いていたような感じ。ネットで情報を完璧に集めてあらゆるものを知ったような妄想に陥って行く人間の、実際は外の世界を何も知らないオタクになってしまうということですか。妄想の色のピンク、クモが吐く糸をウェブ、インターネットのウェブ未来を想像して、ウェブを吐くクモが妄想する物語をインターネットウェブ妄者になぞらえて、ピンクスパイダーと曲名に据えて未来に警鐘を鳴らしたかのような物語、すごい話の曲だったんですね。そんなこととはつゆ知らず、ピンクの変わり者のクモが、もともと不可能なことに憧れて、やってみようとしたが不可能はそのとおりだったような感じで、ピンクはあちこち気を“色めかすな”という感じで使っているのかなあと、勝手な解釈、いやーすごいですね、この小さな世界。やはり世界を覗かないといけませんね。自分の殻に閉じこもっているのは、一見楽な生活のようにも思えますが、何も知らないでいるということでもある訳で、もっと広い世界を見ないと何もわかんないということ、その通りだと思います。個人的にインターネットは、本来何もなければやっていなかった訳ですが、2000年9月からYOSHIKIネッが始まるということで、ここがインターネットに入る動機でした。これがなければ何も知らない世界にいたかもしれない。ネットは、知らなければその便利も利点も知らないわけで、生活には不自由を感じないからずっとやってなかったかな。「X」(「XJAPAN」)と出会って、音楽以上に生活革新ができたこと、実りある副産物でしたね。時代を先取りするアーティストがいて、そこに気持ちが入った事が生活を幅広いものに代えて行ってくれた。本来すごいエネルギーを出して、勉強して行かなければいけなかったことが、目先に必要をぶら下げてくれたおかげで苦労が必要に代わって勉強になってきた。すごい効果ですね。あれ、あれ?・・・自分の生活はどうでもいいわけで失礼!。『今月はずっとロスにいる』が『早めに帰って日本でハシゴ酒したいな』のこの部分に隠された『レコーディングをガッと集中してやって』の所で、相当疲れがたまってしまった。ここの無理が体の疲れ・肩こり・異変を作ってしまったんじゃないかなと想像してしまいます。無理がなければ・・・。『息抜きで出かけるほど暇でもないので』というほど、忙しかった。忙しいスケジュールがなければ・・・無理もせず・・・。うーん、もっとゆっくりしてくれたら・・・・。
これで4月10日の第1回放送の部分が終了。できれば続きを行きたいですね。館山へはいつ戻ろうかな。7月のDVD発売、こんなうれしいことはないのでここもうまく組み込みたいし・・・。まあ、タイトルが逍遥なので、その時の気分しだいで行きましょう。
2007.05.25 逍遥のエックス(33)
hideのオールナイトニッポンRの第2回放送は、1998年4月17日に放送された。今回も番組の台本のページをまず開くと、何を話したらいいのか躊躇する「問題」が並んでる。hideの考えてることと自分との隔たりはどうしようもないが、何かを語ればあとで『回答』を見る楽しさが全然違う。バカな自分の思い付きが、hide本人はこう語ってきたか!と比較すると、hideの語りの中身が少し奥深く理解できるようにも思う。そんなことで、今回も前回の手法を踏襲、自分がラジオの前に座ったとして、なにかおしゃべりをしなければ場が持たない状況において、さて、何をしゃべればと考えるその一瞬のバカなひらめき。視聴者に聞いてもらって恥ずかしくないような内容を考えるべきなのに、つい脱線してしまう哀れさ。流れてしまった電波は取り返すことができない。楽しんで放送しているようにも見えるが、やっぱりいろんなこと考えて、hideは話していたんだろう。そんな気持ちも慮り、自分の中の「hideのオールナイトニッポンR」、冒頭の番組表の枠中には「(前枠) 〜アール』(0'31")
(タイトル)・・・hideのオールナイトニッポンR』 TMCI〜BG
*今日のテーマは「フューチャー・オブ・ミュージック」 〜ラストガール』(1'45") (TM中) M ドリーム・オブ・ザ・ラストガール/オーバーソウル7 (受け) 〜思っているんですけども』(2'17")」と書かれてある。「フューチャー・オブ・ザ・ミュージック」がテーマらしい。大きなテーマになってるが、これに惑わされるととんでもない脱線が待ち構えているので、さらっと関係ない話を始めるのがいいらしい。では私の中のhideさん、お願いします。
“みなさん、こんばんわ。hideのオールナイトニッポンRの時間になりました。1週間はとても早く感じますね。それだけ忙しいということでしょうか。1週間、皆さん何をしておられたのでしょう。仕事や勉強ですか?。忙しかったでしょう?1週間はすぐに済んでしまいますね。これは、種明かしをしてはいけませんが、私の場合、この放送をロスで収録したものをみなさんにお送りしておりますが、なんと先程ですね、4月10日分を収録したのですが、少し休んで、1週間経った4月17日分を収録してるという、何と1週間は早いんでしょう(笑)。こんなに早ければ、何もできない。レコーディングも発売予定のCDなんかも、1日何にも進まないということで、永久にレコーディングをすることになっちゃいますね。そういう時は、さっーと日本に帰って、気晴らしをするのがいいですね。ハシゴとか、ライブ巡りとか、ファンをちょっとびっくりさせるのもいいですね。自分も楽しんで、待ってる皆さんも楽しんでもらえるというのは、やっぱりライブ形式のイベントがいいですね。こうして自分の中に活力を与えてもらって、何も進まないレコーディングなんかの停滞の因子を追っ払ってしまうというのが、刺激的でいいんですね。私は、ただ今、ガーッとレコ中で、大変はかどっておりまして、1週間は、むしろ早く過ぎるほど、仕事量をこなしておりまして、早く、日本に戻ってハシゴですね、憧れのハシゴをこんなに夢見たことがないほど、ハシゴを夢見てる状況ですね。すでに活力はハシゴの夢から頂いておりまして、日本に帰る前に仕事は一段落つけられると思っております。ということで1週間が経ちました。お願いしました通りラジオのチャンネルを合わせていただきまして、本当にありがとうございます。このラジオ放送が続くか否かは、私の頑張りよりも、ひとえにみなさんのお耳の数によっておりまして、この後、収録を何回分かやる予定になっておりますが、今回の収録を持ちまして、hideはラジオからお別れすることになるという事態も、あるやも知れません。みなさんが聞いてくだされば決してそんなことにはならないということでありまして、1曲でも多くの曲を披露し、私の音楽の夢も語って行きたい、或は、市井に埋もれた優れた音楽や音を世に広めて、皆さんに聞いていただきたい。私の役目はいつまであるのか知れませんが、役を頂いております間は、たくさんの音楽、ミュージシャンを紹介して、世界の音楽の潮流というものを、私なりの潮流というものを発見ないしは作って行くような、そんな番組になれば素晴らしいなと思っておりまして、視聴者の中にはバンドをやってる方も大勢おられることかと思いますが、自分達の音楽の成果を是非番組宛にお送りいただければ、私hideが、いちばん最初に聞かせていただきまして、世界の潮流を担ってると思いましたら、この番組を通して皆さんに広く聴いていただこうと考えております。有名なバンドだけが音楽の将来を作っているのではなくて、音楽好きの皆さんのその感性が世界の潮流を作り出すことでなければいけないことかと感じておりまして、私も含め、いい音楽を世に出して行こうとするつくり手の任務は、誰しも平等に担っているということで、私の潮流の感性に響けば、ここで発信をしてゆきたいと思っております。巡り合えるいいバンドの音や音楽に、非常にワクワクしておりますので、番組あてに、あなたの感性を音に乗せて送っていただければ、番組進行も非常に有意義なものになって行くと思っております。前触れが長くなってしまいましたが、今日も2時間、楽しくお付き合いください。では最初の曲、ドリーム・オブ・ザ・ラストガール、お聞きください”
2007.05.29 逍遥のエックス(34)
hideの『回答』:『先週から、この時間に一人でしゃべらせて頂いたわけですけども、ご迷惑ではなかったでしょうか?ただ今、私はエルニーニョの影響で、カリフォルニアの青い空なんかどこ吹く風のLAにおります。で、スタジオでレコーディングをしております。えーと、お話聞いていただけるならば、私、松本、嬉しく思います。
こんばんは、ヒデです。先週から始ったヒデの「オールナイトニッポンR」。先週に引き続き、今週もレコーディングで来ているアメリカ、ロサンゼルスから放送します。先週は、『ヒストリー・オブ・ヒデ』と題する、僕の子供の頃からの音楽体験を現在に至るまで話してきたんですけども。何せですね、こういうラジオで一人でくっちゃべるっていうのは、初めてなモノでしてですね。ご不満というか、お耳ざわりな点は多々ございましょうが、これも1つ、1人の男の仕事だと思って、ちょっと勘弁して頂きたいなぁ、なんて思うんですけども・・・。
“先週の感想を一言”ってここに書いてあるんですけども、先週、何をしゃべったかあんまり覚えてないです。計画立ててしゃべっていないので、けっこう“トーキングトランス”になってね。しゃべってるうちにだんだん気持ち良くなってきちゃって、帰ってこれなくなってしまうので、非常にご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします。
今夜はさらに話を進めて行きたいと思っています。今夜のテーマは『フューチャー・オブ・ミュージック』。僕が考える未来の音楽・・・大袈裟ですが、“これから来るんじゃないかなぁ”と思っている曲やアーティスト、音楽のジャンルなんかを中心に話していこうと思っています。それと、僕がロサンゼルスで、どういう場所で生活をしているのか、どういうふうに感じているのかってことも聞いてもらおうと思っているんで。2時間最後まで、寝ないで聞いてくださいね。えーと、それじゃあ、今日の1曲目を聞いてください。「オーバーソウル7」で『ドリーム・オブ・ザ・ラスト・ガール』』(hide回答終わり)
(コメント) 『カリフォルニアの青い空なんかどこ吹く風』のLAは、どうもこの年、エルニーニョで天候不順だったらしい。スタジオに通うのに、今日も雨か!と呟いていたのかもしれない。そんな空の晴れ間に覗く『青い空』が、「フューチャー・オブ・ヒデ」の一つの象徴になろうとは、このとき知る由もないし、その言葉が出るたびに後に残された者はこんな所に暗示が出ていたのだろうかとドキッとしてしまう。後で考えてみれば・・・不思議な現象の予兆に当たるのか、それとも勝手に敏感に反応し過ぎてるのか。冒頭からドキッという感じ。97年ラストライブのライブ放映が98年1/4だったかテレビであった時に、参戦不可能で待ち焦がれてみた最初の映像が、Toshiのサングラスから流れる涙のあらわなシーン。凍りつくような感覚を覚えていますが、『青い空』の言葉がhide本人から冒頭出てくるなんて、同じような感覚が心を通り抜ける。4月17日分の放送は、彼の将来へ残す言葉が入ってくるのかもしれない。緊張を持って、聞いて行こう。
で、さっきしゃべった4月10日分の収録から1週間、放送は1週間後だが、しゃべったのはついさっきという時間差の中で、『先週、何をしゃべったかあんまり覚えてないです』は、放送を意識した場あわせ口調ですかね。でも、実際、こんな収録がはじめてで落ち着いて話しているように見えましたが、内心は冷静でなかったかも知れません。という事はしゃべったことはそう頭に残らず、次にしゃべる事とか、放送コードなど気になっていたかな。『計画立ててしゃべっていないので』ランダムにしゃべったことは覚えてないという話なら、自分の中のhideが語る「一瞬の思いつき」もそう覚えていないので、実際そうなのかも。『トーキングトランス』は、話の内容が計画性がなくあっちこっち飛んでるという意味ですかね。トランスは変圧機のことでしょ?。話の変圧、話に一定性がなくて変調しまくりの意味ですかね。この言葉から、人生トランス、生活トランスの自分が居ることに気付いてしまいましたね。俺の生活、変調しまくり!!(自分の事はどうでもいい!!)。「フューチャー・オブ・ミュージック」のテーマの今回放送、hideが考えていた『未来の音楽』、『これから来るんじゃないかなぁ』と思っていた曲やアーティストや音楽ジャンル、どんなものだったか10年後の今、ちょっと検証するのも面白そうです。hideがやろうとしていた音楽はその「フューチャー・オブ・ミュージック」の中心を突っ走ろうと考えていたに違いない。自分が走る上でその示唆を受ける周辺音楽の状況、いずれ自分の進路と交叉するであろう音楽を嗅ぎ分けて行こうと旺盛に目配りをしていたんでしょう。実際は聞いたことがないhideの「オールナイトニッポンR」、でもラジオの声が、なんか、聞こえてくるようです。
2007.05.30 逍遥のエックス(35)
4月17日のhideのオールナイトニッポンR第2回放送の「NRN1」は「<現在のhide>*現在自分がロスにいること説明して *レコーディングの様子 *ロスで作業するメリットについてなど・・・ 〜スパイダー』(7’51”)
M ピンクスパイダー/hide with spread
Beaver」となってる。ロサンゼルスになぜいたのか、アメリカをなぜ目指したのか。YOSHIKIがなぜずっとロスにいるのか。ロスにいることのメリットは何か。基本的なところでの2人の考えは似ているだろうと思う。hideがアクシデントに遭わなければ、現在もロスでYOSHIKIと同じような生活を送っていただろう。そしてhideの音楽は世界中で注目されていたにちがいない。残念・・という思いも込めて、私の中のhideさん、その思いの丈をどうぞ!
“昨年12月を以って区切りをつけました一つの仕事。その土台の上に今年から新たな仕事をすることになりまして、現在その仕事の揺籃期(ようらんき)とでも言いましょうか、かかり始めに当たっております。来月発売の『ピンクスパイダー』は、独立した私の初めての作品でありまして、仕事がどう発展、結実してゆくかは、皆さんもわからないと思いますが私もわかりません。ただ突っ走るだけと心得ております。さて、そんなことで現在ロスに生活の拠点があるわけですが、そもそもロスでの生活を始めるきっかけは、前の仕事との関係でありました。無謀なグループでありましたので、本国での活動はもうやり終えたような感じになりまして、ではこの自分達の音楽を世界に挑戦させようじゃないかという事になりまして、世界を目指すとなるとやっぱりアメリカが一番最適地となりまして、アメリカのプロモと交渉してゆくようになったわけですが、自分達のグループもアメリカに生活の基盤を置いて、実際にアメリカのミュージシャンや音楽環境に接しながら、自分達の感覚・感性をもって仕事をしていかなければならないという話になりまして、ロスでの生活が始ったわけですね。アメリカからの音楽は日本にいてもどんどん入って来るわけですが、アメリカの生活はアメリカで生活しなければ入らないと言う当たり前のことなんですが、これを手に入れるという大袈裟なものじゃなく、ただメンバーがそれぞれ気に入った家を見つけて、まあロスでの仕事のことを考えて半時間以内の移動時間で全員がそろうと言う距離の範囲で、寝場所を探しまして、それぞれに生活が始ったわけですね。それは第二のアメリカインディーズのような生活でありまして、エックスが日本のインディーズで活動し始めた頃を思い浮かべるような生活が始りまして、その意味でいきいきした生活がありました。ロスは、アメリカの西海岸、日本からアメリカ本土に行く最短距離という立地に、だいたいなりますね。アメリカで何かを目指すとなれば、日本の東京すなわちアメリカの東京はニューヨークなんですね。ニューヨークで何かをするのが一番注目を浴びるし、アメリカ全土へ発信がなされてゆく所ですので、ニューヨークが最有力地なんですが、さっきも言いましたが、インディーズですね、日本から来たアメリカインディーズのバンドが、いきなりニューヨークから活動を始めるというのは、あまりにも無謀すぎると、無謀を自認する自分達も“無謀”に気付く訳ですね。その他、将来の日本との往復費用や往復時間、気候条件なども考えて、日本から来たアメリカインディーズバンドの活動拠点は、アメリカ西海岸の最大都市ロスから始めるのが一番いいという結論で、いずれアメリカの東京を目指すストーリーを、日本の東京を目指すストーリーに当てはめてゆこうと言う、そんな野望の中に自分達の立ち位置をまず置いた訳ですね。頂点から始めるよりも頂点を目指す遠い地方の所で産声を上げるという、都を目指す戦国武将の地方の平定から始める心境ですかね。いづれ都に上って天子さまに謁見して、征夷大将軍の任を与えられ、全土を平定・政りごとをする幕府を開いてゆくというストーリの、古今東西そういう流れのある方向性に合致した目指し方をしようということでしたね。日本の無謀はアメリカでは通じない。ましてや東洋・東アジアといういわば偏見を持って見られる可能性も無きにしも非ずで、ここは単一民族的な押せ押せ価値観ではどうにもならないしたたかさを以って、ニューヨークを目指そうと言うことですね。まず自分達がアメリカ性を取り入れ、体現しなければ受け入れられないと言うことですね。音楽は世界共通、誰の心にもいい音楽は響くと言う普遍性はありますが、郷に入れば郷に従えの如くで、アメリカ音楽の流れ・方向・しきたり・発信事情をわかった上で、目指す方向へ無謀を発揮するしたたかさ、ここの手法を誤るとただのガラクタインディーズで終ってしまいますね。目指した以上は目指したものを実現することが、そういう意識で始った活動の総決算ですから、間違いなく実現するよう慎重な無謀を、考えないといけませんね。話がややこしいですね、ここらで休憩しましょう。無謀にも空を目指すクモの話の曲、アメリカの空を目指すエックスの話にも似た『ピンクスパイダー』、来月発売の曲、お聞きください〜つづく〜
2007.05.31 逍遥のエックス(36)
hideの回答:『「オーバーソウル7」で『ドリーム・オブ・ザ・ラスト・ガール』を聞いてもらいました。えーと、このバンドはですね、私、「レモネード」というレーベルをやっているんですけれども、そちらのほうで、去年の暮れから『ウーハー』というコンピレーション・シリーズを出し始めまして、それの『ウーハー2』というのを収録したんです。この『ウーハー』っていうものの趣旨っていうのはですね、だいたい、日本にまだあんまり輸入されていないであろうというような音楽でありますとか、同じドメスティックの日本のバンドとかでも“あんまり人に知られていないのではないかなあ”ってのを隣の兄ちゃん感覚で、「テープ編集してあげましたーっ!」みたいなコンピレーション作りたくて、始めた企画なんです。『1』を作ったときっていうのは、僕のLAの友達のバンドとかっていうのを収録して、それがギターバンド系でハードコアとかがすごく多かったのです。で、テーマが『1』の時は、“2000年のギターサウンド”っていうのをテーマにしてたんですけども、そのときにこの「オーバーソウル7」っていうバンドにも出会ったんです。ギターバンドではないのでキープしておいたのです。僕が別に育てたわけではないんですけど、秘蔵っ子という感じで、僕は温めておいて、1月に・・・2月だったかな。2月に『ウーハー2』が出たときに、今回はこの『オーバーソウル7』が出したくて、あの『ウーハー2』ってのを作ったんですけども。それじゃ、何かこのコンピレーションのテーマがないなぁと思って、恋人同士に捧ぐ“交わりのためのロック”というテーマで『ウーハー2』というコンピレーションを作って、そこに収めたんです。どうしてどうして、そのテーマから外れてないようなエロチックな曲だと僕は思うんですけども。
えっとね、僕、この人たちのメンバー構成とかもさっぱり知らないんですよね。会ったこともないんですよ。ただ音源だけもらって。まだどことも契約してないっていうんで、けっこう温めてたんですけどね。今回はちょっと会ってみたいなあ・・・ちょっと来日してくんねぇかな。私、8月に「ミックス・レモネード・ジェリー」っていう複合イベントを考えているので、ちょっと来てくんねぇかなぁって頼みに行きたいなぁなんて思っているんですけども。
私、先程もいいましたけれども、ロサンゼルスにいるんですけども、何でロサンゼルスなのかっていうのはですね、もともと最初に「X
JAPAN」の時に、レコーディングでロサンゼルスに来て以来なんですよね。それから数えて、もうどんくらいなのかちょっとわかんないですけども、アパート借りて。しょっちゅう来ることが多いんで、それから住んでるんですけども。住んでて、いちばんロサンゼルスって不便なのは、遠いんですよ、何もかもが。で、あの・・・日本みたいに、電車は走ってないし。で、網の目のように走ってるわけじゃないし、タクシーは走ってないし、基本的に車が一家に1台じゃなくて、1人に1台の町なので、そらもう、気軽じゃないっすよね。気軽じゃないし、あと、情報量が少ないところだとかって思いますね、僕は。僕自身がそんな活動的じゃないから、よけい思うんだけども。日本にいると、家にじっとしててもけっこういろんな情報が入って来て、ちょっと表で何でも手に入れられてっていうのがあるけど、ここは自分から何かしない限りは何も起こらない。きっとだから、地球が爆発するまで、このまんまっていうところって気がしますね。だから危ないところっていうのは危ないところに区画されていて、遊ぶところっていうのは遊ぶところに区画されていて、すべて区画されて。で、“ここは金持ちのところ”とかって区画されてて、“ここはスラム”っていうふうに区画されててっていうのが、なんかスゴい。なんか人間に番号ふってるように感じてしまうときが時々ありますね。 〜つづく(長い為)〜』
2007.06.01 逍遥のエックス(37)
(36)つづきのhideの回答:『それとあと、やっぱりなんつってもあの・・・酒ですね。酒が2時くらいまでいると「終わり〜」つって、取り上げられちゃう。残ってても取り上げられちゃうところですからねー。家帰って僕はそんなにお酒飲まないので、宴が楽しいと思っている人なので、“次行こう!次行こう!”つって、ワイワイ、ワイワイその次の店に移動するのが楽しかったりするのに、それがないとねー。でも、こっちの人は、だからまあアフターアワーズまで、酒なしで楽しむんじゃないでしょうかね。信じられないですね。だから別なもん、体に入れてるんだろうなあ。冷たいもん体に入れてんだろうなぁ・・・っていうのは、容易に想像だにつきますが。私はそういう趣味はないので、ねー。だから、そんな忌み嫌うくらいだったら、そっち規制すりゃいいのに、とかって思うんですよね。タバコしかり。タバコだってねー前までは、ハード・リカーのバーとかでは全然吸えたんですけど、現在は、そういうハード・リカーの店でも吸うことはできない。あの、屋根の中では吸えないという状況なので。もちろん、スタジオ内とかでも全然吸えなかったりするんですけど。ま、でもそれはどっちかっていうとですね、体にはいいなっちゅう・・・。スタジオとかでギターとか弾いてると、チェーンになっちゃうんですよ。もう、無意味にっていうか・・・俺がタバコか、吸われてんのが俺か?吸ってんのがタバコか?どっちがどっちだかわからなくなるぐらい吸ってしまうので。そういう部分では、いいのかなぁと思いますけどぉ。こうタバコ吸ってると、ヤな顔するオバはんとか見るとムカつきますよね、本当に。口ん中、突っ込んでやろうかと思いますけどね。そんな煙でね、ガンになるくらいだったら、お前とっくにガンや。とっくにガンになってらあ!とか思いますよね。だって日本のガンの権威の人、死ぬまでヘビースモーカーだったってんでしょ?とかって話もあるわけでして。手前勝手に言わしてもらうなら、「ふざけんな、このやろう!」っていうのは、すごいありますね。で、生活習慣の違い?うーん、生活習慣の違い・・・。どうだろうなぁ、湯船!あー湯船がないね―。だけどね―、銭湯があるんですよ。銭湯ね、メルローズにあるんですよ。行ってみたら良いですよ。ただ、その銭湯はですね〜、男の子の友達がちょっと出来ちゃいますけどね。そういう銭湯なんですけどね。あの、日本でいう・・・ハッテン場ってやつですか?(笑)僕は行ったことないからわかんないんですけど、前に友達来たときにダマして、「あ―、ロスにも銭湯あるんだよ」つって、「行ってこいよ―」とかなんていうこと・・・よくあるんですけどね。うん。そういう場所はございますけども、いわゆる銭湯とかはないですよね。だからあの“お湯に肩までつかる”っていうのは・・・でも、それはそうだな―、バス用品(売り場)とかに行くと、その気持ちよさっていうのが、なんか最近あるみたいで、けっこう売ってますけどね。その肩までつかるっちゅー感じが・・・。ま、こっちはあと“ジャグジー”ですよね。ジャグジーになっちゃいますよね。肩までつかるっちゅうと。ヤですよね。あのね、ほら、公共のお風呂じゃないですか。で、やっぱり、それなりに浄化されているとはいえ、どんなヤツ入ってるかわかんないじゃないですか。だって、前ね、「X」でけっこう(LAで)敷地の大きなアパートに、皆で住んでたとき、そこのジャグジーを夜中、自分の部屋から見てたんですよ。そしたら、恋人同士がイチャイチャしながら、そのジャグジーに入ってんですよ。“あーあ、いいなあ”なんかいってみんなで見ていたら、しまいに・・・コトを始めや、始めや、始めやがって、そこら辺の捨て犬のように始めちまいやがって。虫ケラのようにそこら辺で、お始めになりやがりまして。で、そうなればね、何か体液だって出るわけですし、油だって浮きますわね。そういうこともあって、僕はどうもね、ジャグジーは好きになれないんですよね。
温泉?温泉とかは好きですけど、でも温泉ならイタすヤツはいないでしょう。だし、ほら、温泉とかだったらしょっちゅう沸かしてるし、高い温度だから、まぁねえ、殺菌してるかなぁっていうか、清潔感があるじゃないですか。で、どいつもこいつも足洗ってなさそうだし。こっちって、土足じゃない。みんな、どこもかしこも。それで何が清潔?そういう清潔感の観念とか違うよね。みんな、部屋のじゅうたんとかでも、バシバシ土足で歩いてるワケじゃないですか。ほんでそこに座っちゃうワケだ。寝っ転がったりもするよね。不思議ですよね。なんかその、犬のウンコ踏んだかもわかんない靴でさ、もちろん玄関に、こう“足スリスリ”するものもあるけどねぇ、そりゃあ、その手であれだよ、ミートローフとか作っちゃうんだよ。そりゃあ、サナダも出りゃあってか。ねぇ、そりゃあ繁殖するわっていう気もしないでもない。そこがイマイチわかんないですよね。で、僕たち関係の人たちっていうのは、みんな“土禁”にしてますからね。家とか、たまに外国人のアメリカ人の友達とか来ると、ズカズカズカズカ入ってくるんですよね。うーん、なんかその辺が・・・耐えられないって程でもない。だんだん慣れてくる自分も怖いんですけどもね。うん。じゃ、そんなロサンゼルスでですね、録りました、私の今のところ、いちばん新しいシングル。え―、5月13日発売「ヒデ・ウィズ・スプレッド・ビーバー」で『ピンクスパイダー』』(hideの回答終わり)
2007.06.02 逍遥のエックス(38)
(コメント):『ウーハー』によって発掘されたかもしれない日米その他の国の多くのバンドが、hideの夭折(ようせつ)によって発芽の芽を絶たれたと言う事ですか。hideの発掘バンドの生演奏を通した紹介を「ミックス・レモネード・ジェリー」という複合イベントでやっていこうと企画していた。『ウーハー1』のコンセプトが“2000年のギターサウンド”、『ウーハー2』が恋人同士に捧ぐ“交わりのためのロック”!。『ウーハー』のテーマを毎回決めて、その範疇のサウンドをhideの感性で紹介してゆく。次々とユニークなテーマが決められて行ったはずで、“交わりのためのロック”があるなら、いろいろと“別れを思い切るロック”“癒しのロック”“不倫に捧げるロック”など、何かちょっと視点を裏返したようなキャッチコピーがつけられたことを思うと、それだけで聞き耳をそそられる感じが出てくるようです。サーベルタイガー時代、X
JAPAN時代、そしてその次の時代に彼がなそうとしていた大きな活動。ほんの一端が垣間見えますが、ああ・・というしかないです。
ロサンゼルスは、一度は行かなければと思ってるのですが、日本の感覚で行くととんでもないことになりそうです。梨元氏が最近行って、YOSHIKI邸の前で写真に納まってるのを見ましたが、そこはYOSHIKIの家と違うぞーと思えるその写真、たぶん移動の困難や地図の不便さに辟易(へきえき)した証左かもしれません。あっしも一応、ここがYOSHIKI邸でここがONE
ON
ONEと地図で確認してありますが、行く時は空港からタクシーで「ここへ」と頼む予定でいたのですが、『ロサンゼルスって不便なのは、・・・日本みたいに、電車は走ってないし・・・タクシーは走ってないし・・、遠いんですよ何もかもが、気軽じゃないっすよね!!』、という話には、安穏に出かけるとえらい目に遭うという印象が出来ました。生活習慣の違いやら清潔観念の違いもあり、日本のような旅行気分ではアクシデントだらけになる!。ロサンゼルスの空港までは、まあ何とか行けるとして、そこから先の移動手段を相当詳細に考えていかないとダメですね。自動車の外国免許を取る?、何らかの伝(つて)でロス在住の知り合いをつくり、送迎を頼む?、ガイドを頼む?行った人にどうしてると尋ねてみる?・・・、日本みたいにひょいひょいと行けないなんて、困ったぞ。何回か無駄金使って、練習しに行かないと、いざという時に路頭に迷うわい。アメリカやロスに何回も行き慣れてる人には、嘲笑話になりますが、ロサンゼルス事情、しっかり押さえなくてはいけないと、教えられました。これからのhideの話の中に、いろんなヒントも出てくるだろうから、そこからどうすればいいのかの方法も出てくるかも知れないですね。ヒントの出てくることを願っていよう。
よくわからない箇所があるんですけど、わかります?。『でも、こっちの人は、だからまあアフターアワーズまで、酒なしで楽しむんじゃないでしょうかね。信じられないですね。だから別なもん、体に入れてるんだろうなあ。冷たいもん体に入れてんだろうなぁ・・・っていうのは、容易に想像だにつきますが。私はそういう趣味はないので、ね―。』って部分、何のことなんでしょうかね。酒なしで楽しむのに、体に入れてる冷たいもん って何ですかねぇ。hideにはそういう“趣味”はない って言うもの??。精神高揚剤?幻覚剤?のようなものかなぁ?。深夜2時でお酒を取り上げるほど『忌み嫌うくらいだったら』、『そっち規制すりゃいいのに』って言って続く『タバコしかり』という話の筋から行くと、吸うような物が該当するとなると、大麻、マリファナ・・のような幻覚症状を起こすものをさしてるんでしょうかね、よくわからないです。タバコには、相当いらだってますね。吸わないと『チェーンになっちゃうんですよ』。体が固まってしまうと言う意味かな?。それを起動させ動かし続けるのに『俺がタバコか、吸われてんのが俺か?吸ってんのがタバコか?どっちがどっちだかわからなくなるくらい吸ってしまうので』。ここのセリフ、歌詞になりそうですね。ピンクスパイダーのクモの続きの話があるとなってましたが、クモと雲と煙の話、どこかでつながっていたかもしれない。「あの雲に乗ってみたいと思ったクモが、タバコの煙を大量に吐いて作った雲をつくって、あの雲まで飛んでゆく。飛んでいったが、白い雲は細かい霧になって何も見えない。夢や憧れは、近づけば形がおぼろげにかすれ、蜃気楼のようにずっと向こうにまた現われる」。夢や憧れ、追いかける空しさ追い続ける空しさが、クモの憧れの続きであったかもしれない。『ピンクスパイダー2』の歌詞がどこかから発見されたら、いや、たのしいだろうなあ。
2007.06.03 逍遥のエックス(39)
4月17日hideのオールナイトニッポンRの第2回放送の「NRN2」は「<ゲッツ・インフォメイション> 完パケ (5'00")」となってる。何のこと??。ロスでは情報が少ないと言う話があったので、情報の取り方の話をするって言うこと??。“完パケ”???、業界用語ですかね。何のことか良くわからないので、5/25〜26(2007)のJ-ROCKレボルーション・フェスの大島さんのレンタカー話(ロックンロール日記)やGEORGEの5年ぶりのロス(亀家GEORGEブログ)の話から想像できることを、自分がロスに行った日に待ち受けるアクシデントを想像しつつ、前回のhideの話の延長で語ってもらうことにしよう。今日はちょっとお疲れ気味の内なるhideさん、テンション上げて、どうぞ!
“ピンクスパイダーでした。クモのように空の上から見渡すと、このロスはホント、だだっ広いだけに見えるんでしょうねえ。もっぱらの移動手段といえば、ロス在住者はマイカー、訪問者はレンタカーになりますかね。ところがどっこい、ロスの車事情は、日本の完璧な車事情とは大いにアバウトでして、ハイウェイーを走っていますと、もう車体がスクラップに近い車が走っていたり、その辺でエンストしてたりと、車社会にしては車が頼りないという部分があるんですね。日本のように車検という制度がないらしく、事故は本人の責任になると言う考えですから、事故を起こしたくないなら自分でメンテを実行してゆくという自己責任の範囲になっちゃうんですね。だから、車が壊れてようと事故を起こさなければ、OKという状況で、お酒を飲んで走ると、日本では大変な交通違反ですが、こっちは飲んで走っても一応、可という状況で、交通事故さえ起こさなければ違反にはならないと言う、いい加減な交通ルールがあるんですね。その代わり事故を起こせば飲酒運転で、きつーい罰則を受けるんですね。事故を起こす起こさないという境界で、事故を起こすまでは緩やかな生活環境、一旦事故を起こしてしまえば厳しい生活実態になってしまうという、極端に峻別されてしまうと言う印象がありますね。YES、NOのはっきりした区別、契約条項にある事だけ仕事をするがあとは自分の自由時間という白黒はっきりしていると言うか、日本のように情緒的なもの、あいまいな部分がないんですね。はっきり区別があって区別が法律や契約で区画されていて、お互いの利害の主張がそれを元になされると言う、自由がまずあって規律が制限を加えてゆく生活様式がアメリカですかね。ですから規律の外は自由、しかし規律の中は相当厳しい。日本は規律も網の目のようにあって、自由が狭められてるようですが、規律の中はそんなに厳しいものではないので、日本式はまず規律があって実際はその運用が緩やかで自由に生活できるという、うーん、難しいですが、どっちの国も、まあいい加減というのがあたっていると言う事になりますね(笑)。仮にレンタカー借りて、エンストした場合、日本みたいにすぐには修理の車が来ません。っというのは、高速でエンストする車を君は契約で借りたんだから、自分で処置しなさいって言うのがアメリカ式になるんですね。日本のように途中でエンストする車をお貸ししてしまったんじゃない、君がエンストする車を自分で借りたんだから、自分で直すなり処置して何時までに返しなさい ってことになるんですよね、こっちは。エンストして修理に何時間も要して、しかも契約時間に返さなかったので違反金を取られると言うのがこっちのレンタカーなんですね。日本なら とんでもない と言うことですが、アメリカは自分の責任でその車を借りたんだから責任を持って時間通り返しなさいという部分があって、その間の事情は斟酌(しんしゃく)しないという原則があるんですね。ある意味恐いですが、ある意味時間さえ守ればどんな運転をしようと文句を言われないという、大胆さがあるんですね。契約条項と自由が利害の先端でせめぎ合う社会ですね、ここは。Xでレコーディングにロスに来たときに、滞在も考え、アパートを借りたんですね。アメリカでは耐久財は何年も使って価値を高めるという思想があって、日本のような使い捨て思想は薄いんですね。だからアパートも価値を高める、値打ちを落とさないと言う基本思想の契約内容になるんですね。価値を落とす行為には厳しい制限があったり、皆が利用する廊下や階段には厳しい制限が付くんですが、部屋の中は個人の自由の世界と言う考え方で、この個人の自由な生活を守る部屋の平穏の確保にも制限が厳しいんですね。騒音とか深夜の大声とか酔っ払いとか、部屋の中へ進入する外部の音なんかは自由を妨害するという理由で、厳しく書かれてますね。部屋の騒音を外部に出せばこれも解約の理由になるわけで、厳しいです。ですから部屋でギターも練習できないので、スタジをにこもる事になってしまうんですね。音楽をする場所でしか自由な練習が出来ないんですね。タバコを吸う場所も最近外ではなくなりつつありまして、きれいな空気で呼吸する権利が、煙によって侵害されてる訳で、空気はもともと清浄で透明ですから、その状態の空気を吸う権利がある訳ですね。タバコは自分の部屋の自由な中でしか吸えないんです。そして煙は外には出せないんですね。YESとNOの世界、自由と契約、白黒はっきりした生活感、慣れればこれも気を使わなくていいんですが、慣れるまでがね、ひと苦労あるんですよね。
2007.06.04 逍遥のエックス(40)
hideの回答:『そんな幸せなロサンゼルス生活なんですけども。今現在借りてるアパートの周りっていうのは、わりと平和なんですよ。事件もそんなに起こらないし、夜な夜な歩いても全然・・・全然ってことはないけど、気をつけてれば、まぁ大丈夫かなぁていう感じなんですけども。前住んでたアパートはけっこうデンジャラスな場所にありましてですね。近くにコンビにあるんですけども、そこがいわゆるフッカー・・・あの―売春、春売りのお姉さんたちがたまるところで。で、不思議なことを一つ。夜はもちろん、買いに来るお客様っていうのはわかるじゃないですか。午前中なんですよ。人垣ができんですよ。人垣っていうか、並んでんですよ。で「何だ何だ?」って聞いたら「待ちなんですよ」って。「待ってるんです」って―。1人なんだか2人なんだか“スペシャル春売り”のお姉ちゃんがいるんだと思うんですよ、人気の人がね。その人待ちなんだと思うんですよ、午前中に。でも、そこも最近、区画整理されて、そういうのも排除されたらしいんですけどね。あとねぇ、僕の借りてたアパートの下に、スタッフが自転車置いといたんですよ。自転車置いといたら、ある日ね、タイヤがなくなったんですよ、タイヤだけ。スポークは残ったまま。で、次の日になったら、またタイヤがなくなってんですよ。もう1個のタイヤが。で、次の日はサドルがなくなって、次フレームなくなって、最後に全部なくなったんですよ。まとめて盗めよ!っていうねぇ。で、僕も自分の車のカーステ、1回、窓割られて盗られたことあるし。オーナーとかに言ってもね、全然、ネズミが出たくらいの話なんですけどね。だから防御、“プロテクトは自分でせよ”っていう“プロテクト・ユアセルフ”みたいな感じがすごいあるんじゃないかな。
あと、たまにっていうか、そのアパートの前の通りとかっていうのは、ただ一方通行で入って来た車なんだろうけど、それをいちいち、お巡りは張っててね。みんな地べたに這わせるんですよね。そのためにショットガン出すんですよ。相手が、ちょっとクスリの売人ぽいとね。そんなんしょっちゅうで、僕ショットガンて見慣れちゃったもん。で、僕ね、もうこんなところにはいられん!ていうことになって引っ越したんですけど。で、その引っ越す前日くらいに、なんか掃除機の音するから、ウルセエなあと思って起き上がったんですよ。そんで窓バッて開けたら・・・『バックドラフト』って映画あるじゃないですか、『バックドラフト』の映画の人みたいのがいっぱいいて、チェンソー振り回してたんですよ。僕、そこ2階借りてんですけど、「何だよ〜」とか思ったら、煙がぶわあって入って来て、ホント15センチくらいしか離れてない隣が大火事だった。で、そのバックドラフト隊がチェンソーで屋根切ってんですよ。何だよーとか言って、ベランダガラッと開けたら、こっちのチャンネルワンとか、CBSとかカメラが一斉にこっち“バッ”て向いて。ウワッとか言って、俺、何をするのかと思ったら、寝ボケてるから、洗面台とこ行って顔洗って、髪の毛1回とかして、サングラスかけて、もう1回出て来た。もう1回出てって、俺、何だろ・・・セカンド作ってるころだったかなぁ。プロモーションとかって思ったのかなぁ、俺。でも燃えてんですよ、隣。別に避難命令とか特に出なかったけど・・・。でもね、その外観は大丈夫だったんだけど、中、丸コゲになってたんですけどね。そう、それはスゴイびっくりしましたよね。っていうか、俺ね、最初それが火事だと思わなくて。絶対ねぇ、なんだあの―、13日の金曜日“ジェイソン”が来たとか“レザーフェイス”が来たのかと思ったもん。チェンソー振り回して。うーん。そういうこともありました。けっこうデンジャラスなとこでしたね』(hideの回答終わり)
間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m