REPORT 0

2002-10-13    館山旅日記       papa

10月13日、11時に渋谷を出発して、行ってみたかった館山に向かった。YOSHIKIとTOSHIがどんな地域のところに生まれ、]というバンドを作ったのかこの目で見たいと思っていた。首都高、京葉道路、館山道路と乗り継げばすぐに行くだろうとの考えは甘く、連休真ん中の混雑で道はごった返ししており、とくに木更津からは地道で、信号毎に長い渋滞となり館山市に入れたのは3時となっていた。木更津の向こうの君津までは、ロードサイドの店や自動車のショーウインドウは、大型店が幅を利かせていたが、君津からは一応国道といっても道は狭く、「何々遂道」という小さなトンネルがたくさんあって、館山までの交通は、昔はたいへんだったように感じられた。やっとの思いで館山市に入ると両側に高いやしの木が並び南国のイメージが浮ぶとともに地理的にも平地が広がり、明るい感じとのびのびした感じがした。R127をずっと走ってきたが、広がる平地のどこにも町の中心らしきビル群が見えず、どこが館山市の中心かと迷っていたら、標識に「市街地」の表示。その先にはそれらしき建物も見えなかったが、とりあえずその方向に進んだ(西へ)。すぐ南北に走る市役所どうりがあり、南へ向かうと税務署があり、中心へ入って来たと思ったところ、信号交差点に「北条」の文字。たしか北条小学校を卒業したはずだから、校区に入ったと思い、すぐの道端のレストランに入った。「モンフルニエ館山店」だった。ウエイトレスに尋ねると、北条小学校はその道東へすぐで、YOSHIKIの家は次の信号右へ、しばらくして左との事。腹ごしらえを終えて、すぐそこの小学校へ行った。校門左が幼稚園、右が小学校で、29年前(7才入学として)は、今の校舎かどうか分からないが、この校門から確かに登下校を繰り返していたのかと思うと、広々とした明るそうな校舎から黄色い帽子をかぶった2人が話しながら出て来そうに思えた。写真に収めて、YOSHIKI邸へ向かった。次の信号は、R128との交差点で、右へおれて行くと教えてもらったクリニックはすぐで、通りすぎてしまった。その先の交差点にも「北条」とあり、その辺りは、角に千葉銀行やお店が連なり、町の繁華街らしきと思って右おれ(北)したら、「館山銀座」の看板があった。ビルはなく2階建てのお店が軒を連ねて、こじんまりと商売にいそしんでいるという感じの店構えであった。Uターンのついでにガソリンスタンドに入って、]JAPANのYOSHIKIとTOSHIの家を若い女性にきくと、YOSHIKIの家は知っていたが、TOSHIの家は分からず、友達に携帯で聞いてくれていたが、教えてくれた場所は違っていた。しかし、誰かということは知ってる訳で、2人とも「有名人」になってるようだった。本屋で詳しい地図を買い、YOSHIKIの実家に行った。クリニックは休日で駐車場を勝手にお借りした。歩いて、1分か、すぐ左にどこかで見た家があった。西は産婦人科の病院、大きな引き戸の門扉とレンガ張りの家は、この辺りではすっきりしてあか抜けしたしゃれた感じがした。庭には、乗用車が一台止まっていたが、人のいる気配が無く、花などの鉢物も置いてなく、家を空ける事が多いための処置に思えた。通り過ぎて前からもみて戻ってきたが、1人写真をとるため、前の敷地、裏へ回る、門扉に手をかけて中を覗き込むなど、空き巣にでもこれから入ろうかという人がいた。どこからかおばちゃんが出て来て、「またか」という素振りで通り過ぎていった。辺りは広々とした空間で、立て込んでる風も無く、いい感じの住宅地であった。しかし、この家で、ドラムの練習、ピアノの練習は、回りに音が漏れていただろうと思われ、特に道を挟んだ産婦人科病院の新生児には、生まれてすぐより]の音楽が聞けてラッキーではなかったかと思ってしまった。次にTOSHIの家に行った。これまた、入る角を通り過ごしたのでUターンついでにコンビニに入った。店主が町内の人で、よく知ってるとの事。「祭りによく帰ってきてた」との事だが、言外に今は帰って来て無いとのニュアンスであった。主要地方道館山白浜線から30Mぐらい入ったところで、最近立てられた明るい家であった。車から拝見しただけであった。今はいい状態でないので、そっとしておきたく思いました。TOSHIの家から真北へ直線距離で800MでYOSHIKIの家、そこから北東へ800M小学校(同600Mで中学校)。TOSHIが誘いに行って登校し、帰りはYOSHIKIの家で遊んだのではないかと思われる。夕方になった。せっかく来たのだから館山港も行っておこうとなり、西へ向かった。1KMぐらいで海岸で、安房水産高校前まで来ると夕日が見事で、写真を撮った。夕日の少し離れた右にかすむ地平の上に富士が見えていたが、薄くて写真には写らなかった。帆船も見えた。夕日の沈むのを待って館山港へ行った。自衛隊の遊休地に入って釣りをしている人がたくさんいた。正面山上に館山城がライトアップされて輝いていた。きれいな夕暮れであった。街道筋には、屋号を掲げた店もみられ、「越後屋」も予定どうり商売をされておりました。すぐ帰途につきましたが、道は行きほど混んでなく、木更津からアクアラインの海ほたるを通って帰ってきました。これはすぐ東京に着いてしまい、今度館山へ車で行くときは、この道を利用するに限ると思った。

間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m