ことば遊びの部屋
かっぱかっぱらった らっぱかっぱらった とってちってた
かっぱなっぱかった なっぱいっぱかった かってきってくった
冒頭にあげたのは、詩人 谷川俊太郎さんの 「ことばあそびうた」に収録されている「かっぱ」という詩です。 この詩集にはこんな感じの詩ばかり集められています。
ウッキーは幼い頃から、言葉の韻に惹かれるところがあって、今で言う「親父ギャグ」が大好きでした。
谷川俊太郎さんの詩を読んで、面白いと思う人も、興味を示さない人もあるんでしょうが、この詩を初めて耳にしたとき、ウッキーはある種のショックを覚えたことを記憶しています。 こういうものに楽しさを感じられるのは幸せなことだと思うけどなあ。
ここは、言葉に関連して、ウッキーが「おもしろいなあ」と思ったことが書きとめてあります。
避雷針に捧げる話
ウッキーは避雷針という言葉が嫌いです。 これはヒライシンに大変失礼な言葉だと常々思っています。 たぶんヒライシンさんは「避雷とはなんだ! 俺は雷に打たれるんだぞ!」と気が収まらない事でしょう。
ウッキーは「被雷針」と名付けて、その労をねぎらいたいと思います。 ウッキーは学生時代に放電の勉強をしてたし、仕事でも少なからずお世話になって、何となく愛着があるんだよな〜。
阪神ファンに告ぐ
ずいぶん以前ですが、ウッキーの上司は熱烈な阪神ファンでした。 その上司をからかおうと思って周到に準備していたギャグがありました。
「ウッキー君、この装置、信頼性は大丈夫なんだろうな?」
「所長、そりゃもう大丈夫です。 ここにデータがありますが、重大な故障の発生確率は20年に1回ほどです。 要するに阪神の優勝確率と同じくらいですから、実質0だと見なしていいと判断します。」
「な 何? ☆×○□△・・・・」
こんなやりとりを想定して、いつ聞かれてもいいように、故障率のファイルを手元に置いていたのに、結局言う機会がなかった。 もし、言っていたらどうなっていたんだろうな? 「ばかもん!!」 で終わったかな? それともどこか遠くへ左遷かな? お気に召して大出世なんてないかなあ〜。
アホ! と バカ!
ウッキーは根っからの関西人ではありません。 もっとも関西か関東かと言えばもちろん関西人ですが。 ホームページの他の所にも書いたように、生まれ育ちは若狭です。 でも学生時代を京都で過ごし、大阪に本社がある会社へ勤めているので、言葉は割と関西弁っぽくなりました。 若狭の言葉ともちょっと違う様になりました。 今は東京へ単身赴任していますが東京へ来てもやっぱり若狭なまりの関西弁は変わっていません。
ところで、関西では「アホ」という言葉は険のある言い方ではありません。 まるで吉本新喜劇のように「アホやなあ〜 お前は」と言われても気を悪くする関西人は少ないでしょう。 しかし、「バカ!」と言われるとかなり受け取り方が違います。 少なくともウッキーは「バカか! お前は」と言われたら偏差値30くらいに扱われたような気分がしてムカッときます。 おそらく関西人は同じ感じ方でしょう。
面白いことに、関東と関西ではこの感じ方がまるっきり逆なんですよね。 ウッキーは東京では迂闊に「アホやなあ〜」と言わないようにしています。 大阪や京都でなら、「こんにちは」と変わらないくらいの感じなんだけどなあ。
貧乏で閑?
たまに、ワープロって人間より口が悪いんじゃないかと思うことがあります。 以前ウッキーは会社の品質管理部門にいたことがありますが、「ひんかん(品管)」と入力して、変換キーをたたくと、なんと「貧閑」と表示される。 「なに〜 貧乏で閑だと!」なんだか、バカにされたような気分になった。 機械は冗談を言わないから、かえってきつく感じました。
ワープロでタイタニックと打ちたかったのに「炊いた肉」にしてしまったという話も聞いたことがあります。 ワープロの誤字って面白いよね。 自分で間違えて、一人でニヤリとすることがあるものなあ。
「炊く」といえば、関西と関東で使い方が違います。 関東では「炊く」を「ご飯」に限って使いますが、関西では煮炊き全般に使うので、例えば、おでん等の煮物も炊くと言うんですね。
街で見かけて不思議だったのは「関西風関東煮」という看板。 なんじゃ こりゃ。
弱肉強食
もうひとつ。 ある学校の4字熟語の試験で、「○肉○食」という問題に「焼肉定食」と答えた解答があったそうな。
これは、感性も何もあったものじゃないけれど、これ、間違いだよなあ〜。 でも、面白い。
雪が溶けたら何になる?
先日、雪の降る寒い日に家族で夕食に出かけました。 そのときにウッキーは学生時代に、確か朝日新聞の天声人語で読んだ、次のような話をしました。
ある小学校の理科のテストで「雪が溶けたら何になりますか?」という問題が出されたそうです。 ところが、ある一人の生徒が「春になります」と解答しました。 それを採点した先生は機械的に×にするのではなく、○にはしたけれど理科のテストだから点数は与えなかったか、良く覚えていませんが、なんかそんな配慮をしたんだそうです。 それで、天声人語子は、このような情緒を理解する先生や子供が育ってほしいと願ってやみません、というような記事でした。
この話をしたところ、我が家の子供たちは、口をそろえて「春になるでもいいやんか」と言います。 ウッキーは日頃テレビゲームばかりしている子供達がどう感じるか興味を持っていたのですが、まだこういうものを理解する感性があることにやすらぎを感じました。
「今日は寒そうやなあ〜。 ところで、”サム・ソーヤ”って”トム・ソーヤ”の弟だったかな〜」
困ったことに、これを子供たちが信じてしまった。 さあどないしよう。 あまり冗談ばかりいうもんじゃない。
そういえば、いつか夏休みの宿題を見てやった時に、迂闊にも「話す」の反対は「黙る」だと言ってしまった。 正解は「聞く」なんですが、やっぱり「黙る」じゃダメか。
いつかは、「馬頭観音ってなに?」と聞かれて、「首から上が馬の格好をしてるんだろう?」と言ってしまった。 本当は頭の周りに馬の首がくっついているんです。 そりゃそうだよな、首から上が馬だったら、観音様じゃなくて「ただの馬」だものな。
ばねばかり なかみは ばねばかりなり
これはウッキーが中学生の頃の作品(?)です。 なぜか、いまでも脳裏に焼き付いて離れません。