版画家池田満寿夫の世界展

日本が生んだ世界的アーティストの一人、池田満寿夫。 版画だけでなく文筆にも才能を発揮し、1977年には「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞しました。 これは、ウッキーも学生時代に読みましたが、正直なところあまり良さがわからなかった。 ところで、池田の両親の主治医だった黒田惣一郎氏は、彼の版画全作品を収集し、それは黒田コレクションとして知られています。 この膨大なコレクションを公開してくれる展覧会が、上野の東京都美術館で開催されました。

池田満寿夫は1934年満州で生まれ、1997年に63歳で急逝しました。 大変若々しく見えた人だから、亡くなったと聞いて「えっ」と思ったことを覚えています。 版画家として知られていますが、この人の作品は多彩で、版画から陶芸、屏風画にまで及びます。 彼は、著書の中で、「私は意識的に自分のスタイルを次々に壊し、変貌していくことに情熱を持った」と記していて、その前向きで意欲的な姿勢に心を打たれます。 優れた画家や作家からは作品だけでなく、その振る舞いや態度から学ぶことも少なくありません。 この展覧会では、生前の製作の様子を記録したビデオが流されていて、池田の言葉を聞くことができました。 飾らなくて子供の様にはしゃいだり、優しく人に話しかける池田の魅力ある人間性。 芸術家である前に人として、卓越したところがあるから、人を魅了する作品を生み出せるのでしょう。 さて、出品された作品は、それはそれは膨大なもので、期間内に作品の入れ替えがあるから、コレクションの全部を見た訳ではありませんが、それでも十二分に彼の作品を堪能できました。 作品によっては、そばに池田自身の発言や解説が添えてあって、これも気のきいた配慮でした。

池田は自分自身の言葉で語っているように、大変多くの先人の影響を受けているようです。 ピカソやマチスなど現代の芸術家だけでなく、ルネサンスの様な古典作品や、日本画にも傾倒したことがありました。 尾形光琳を意識して屏風を描いたり、さらに晩年にはコンピュータ・グラフィックを使った作品にもチャレンジしています。 中に、ピカソを思わせる「陽光のように」という作品があって、印象に残りました。 池田本人が、「陽光のように」は「陽子のように」だと解説しています。 もちろん陽子とは、晩年の妻、バイオリニストの佐藤陽子さんのことです。

一連の作品を見ていくと、画風が本当に多彩です。 どうして、この人はこんな違うイメージの作品を生み出せるのでしょうか? 音楽家でも、ドボルザークのように人並みはずれて楽想の豊かな作曲家がいますが、池田の版画も同じ人が製作した作品とは思えないくらい。 この人の才能は、本当に際限なかったんだなあ。

作品を全部見終わったあと、もう十分満足したはずなのに、まだ心残りな気がしてミュージアム・ショップでポケット版の作品集を買い求めて会場を後にしました。

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