ユトリロ展

生誕120年記念

 

4月中旬、雨の日。 大丸ミュージアムKYOTOで開催中のユトリロ展を観に行きました。 モーリス・ユトリロ(1883〜1955年)といえば、パリの街並みを描き続け、日本で最も人気のある画家の一人です。 

ユトリロを語る上で、その母にして画家でもあったシュザンヌ・ヴァラドン(1865〜1938)を抜きにはできません。 彼女はルノワールやロートレック、音楽家エリック・サティらのモデルであり、愛人でもありました。 著名な画家達のモデルを務めるうちに、自然と自身も絵筆をとるようになっていったようです。 ユトリロの本当の父は定かではなく、生後8年もたってからスペイン人ジャーナリスト、ミゲル・ユトリロに認知されています。 ユトリロは平坦ではない幼少時代を過ごし、10代から酒におぼれて、アルコール依存症のために、精神病院への入退院を繰り返します。 その治療のためにと、絵を描くことを強要したのは、母ヴァラドンでした。 ユトリロは絵の教育を受けたわけではなく、いわば素人の絵が高じたと言うことなのです。
 
ユトリロは「白の画家」と呼ばれ、家並みや壁を描いた白っぽい絵で有名です。 その「白の時代」は1907〜14年頃までのわずかな期間ですが、傑作が多い豊穣の時代として知られています。 この頃ユトリロは、白の材質感(マチエール)を出すために、絵の具に石膏や砂を混ぜて、さまざまな手法を工夫しています。 展覧会では、個人蔵の作品を中心に彼の人生を追いかけた展示になっていました。 特に若い頃の作品では、絵の中に人影がなく、描かれていても遠くにポツリと影のようにかかれています。 正直なところ、かなり不健全なイメージ。

utrillo.jpg (19781 バイト)

さて、今回の作品は個人蔵のものが主なので美術館等へのリンクはできず、著作権もまだ残っているので写真をスキャンすることもできず、仕方なくパンフレットや入場券を掲載するにとどめました。 パンフレットの表紙を飾っているのは「ラパン・アジル」(1912年頃)という作品で、ユトリロがよく通った酒場の絵です。 彼の作品には、自分の過去の絵を模写したものや、土産用の絵葉書から模写したものが多く知られていますが、実は、この作品も全く同じ構図の絵葉書が残っています。 ユトリロについて、知れば知るほど寂しい感じがしてきます。 ちょっと、ウッキーには受け入れがたいところも・・・・。

 

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