マルモッタン美術館展

 

京都で開催されたマルモッタン美術館展で、新しい発見をしてきました。 久々に訪れた古都は、観光客や学生であふれ、初夏の日差しの中で輝いていました。

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日本一の大きさを誇る平安神宮の大鳥居の両脇には、それぞれ美術館があります。 ひとつは京都国立近代美術館。 もうひとつは、今回の会場になった、京都市立美術館です。 訪れたのは平日の午前中。 館内はさほど混雑もなく、落ち着いて鑑賞できました。

今回やってきた作品は、パリにあるマルモッタン美術館の収蔵品から選定されています。 この美術館は、印象派の先駆けとなったクロード・モネの「印象−日の出」(1872年)をはじめ、充実したモネの作品をコレクションしていることでも知られています。
展覧会の特筆すべき特徴は2つあります。 まず一つ目は、クロード・モネ晩年の連作として名高い睡蓮の大作が、一度に4枚も展示されたこと。 次に、日本では馴染みの少ない女流画家 ベルト・モリゾの作品を日本初公開したことです。

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まず、モネの睡蓮から。 よく知られている一連の作品群は、彼がセーヌ川沿いの街ジヴェルニーに移り住んだ後のものです。 住まいを移したのが1883年で、10年後の93年から睡蓮の庭を作り始めました。 1926年に亡くなるまで、モネはここを拠点として製作を続けますが、晩年には眩い色彩に溢れた絵は影を潜め、池の水面とそこに映る木々の陰だけを描写した絵が、目立つようになります。 愛妻や支援者の相次ぐ死を経験し、白内障とも苦闘しなければならなかった画家の気持ちを思うと、本当に心が痛みます。
掲載した「睡蓮」は、左から1903年、1914年〜17年、1915年の作品で、いずれもマルモッタン美術館蔵のものです。 水面に浮かぶ睡蓮の実像と、陽炎のようにおぼろげに映る柳やポプラの木の影、そして時には青空と白い雲の虚像を描きこんでいます。 

続いて、ベルト・モリゾの紹介です。 裕福な家庭の子女に生まれ、男性社会だった当時の芸術界にあって、女性進出の道を拓いた印象派の画家です。 コローに師事し、マネのモデルを務め、画風においてもマネから大きな影響を受けました。 マネの実弟ウジェーヌ・マネと結婚しています。 メアリー・カサットら後進の女流画家にも、少なからぬ影響を与えました。 印象派展が開催されていた時期と同じ時代に活躍しながら、比較的認知度が低い理由は、その作品の多くが身内に秘蔵されてきたからに他なりません。 今回初めて、そのコレクションが日本へやってきました。 

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最初の絵は、「桜の木」(1891年)という作品です。 ルノワールを思わせる筆運びで、二人の少女が描かれています。 上の少女のモデルは、最初モリゾの愛娘ジュリーだったそうですが、描いている途中に他のモデルに代わっています。 モリゾの絵を見ていると、人物、それも娘のジュリーや、身内の子供を描いた作品が多いことに気がつきます。 しかも、普段の生活の日常的なシーンを描いた、スナップ写真のような絵が多いのです。 

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左の作品は、「飾り鉢で遊ぶ子供たち」(1886年)で、大きいほうの少女は、娘のジュリーです。 右側の絵の題材も愛娘で、「ジュリー・マネとグレーハウンド犬ラエルト」(1893年)という作品です。 女性、母親の愛情溢れる視点が感じられ、他の印象派画家と違う新鮮さを感じました。

美術館を後にし、東山から蹴上(けあげ)を抜けて、琵琶湖疎水のそばを散策しました。 学生時代をすごした、懐かしい古都の匂いを満喫した半日でした。


会期 2004年4月6日〜5月23日   会場 京都市美術館

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