安曇野の美術館を訪ねて

 

北アルプスの麓、安曇野には15を越える美術館があって、「安曇野アートライン」と呼ばれています。 そのいくつかを訪ねて来ました。 ここでは、安曇野ジャンセン美術館と碌山美術館を紹介します。 いずれもJR大糸線穂高駅近くにある美術館です。 

最初に紹介するジャンセン美術館は、穂高駅から車で10分足らず。 雑木林に囲まれた小径を通って正面へ進むと、合掌づくりを思わせる、奇抜で斬新なデザインの建物が姿を現します。 傾斜のきつい三角屋根と、落ち着いた煉瓦の色が目を引きます。

azumino1.jpg (20239 バイト)

ジャン・ジャンセンは、1920年に現在のトルコで生まれたアルメニア人で、パリ装飾美術学校に学び、フランス現代絵画の鬼才として、活躍しています。 「翳(かげ)がなければ、輝きも美しさも何もない」という、彼の言葉が象徴しているように、薄暗い背景に描かれた、陽炎のようでおぼつかない印象の作品が魅力的です。

王と女王の舞踏会」と題した油彩画は、丸テーブルの回りに、王や道化師たち8人を描いた大作です。 テーブルから放たれる光を受け、鮮やかな色彩で人物像が浮かび上がっていました。 油彩でありながら、水彩画のような美しさをもった印象的な作品でした。 ジャンセンは「不安、苦悩、苦痛」を表現すると言われていますが、まるで霊魂のようで、つかみ所のない感じがします。

バレリーナの吐息」という作品は、彼の代表作であるバレリーナシリーズの一枚です。 華やかに舞台に立つ踊り子の、翳った部分を取り出したような、はかない美しさが心を打ちます。 展示室では、照明が最小限に落とされていて、作品の持ち味を存分に楽しめるよう、細かな配慮が行き届いていました。

(作者が現存しており、絵を掲載できません。 2枚の絵は、美術館HPの画像にリンクしています。)

表紙へ戻る

次に、穂高駅のすぐ近く(徒歩7分)にある、碌山美術館を紹介します。 
荻原碌山(ろくざん 本名は守衛)は、1879年安曇野で生まれ、ロダンに師事し、帰国して日本近代彫刻の扉を開いた彫刻家です。 高村光太郎はじめ、当時の著名な芸術家達とも親交がありましたが、1910年新宿の中村屋で吐血し、30歳5ヶ月の若さで世を去りました。 

azumino2.jpg (20253 バイト)

蔦の這う外観を見ているだけでも、心の安らぎを感じる美術館は、教会風レンガ造りの建物です。 ここでは遺作になった「」をはじめ、「デスペア」などの秀作を鑑賞できます。  (いずれも、美術館HPの画像へリンク)

「女」は、新宿中村屋の創始者で、同郷の先輩の妻でもあった相馬黒光(こっこう)がモデルであると言われています。 碌山は黒光を慕いながら、叶わぬ思いをこの作品に込めたのでしょう。 以前、東京国立近代美術館でも鑑賞したことがありましたが、碌山生誕の地で見ると、さらに作家の思いが伝わってくるような気がしました。

2003年8月に訪問

表紙へ戻る