季節が木々を彩る時
item3
When the season paints the

*さいとまっぷ

*読み物

*写 真

*ぶろぐ

*りんく

*携帯さいと

「そして、繰り返す」

 山々を走り抜ける数多くの道路。そのうちの一本、地元の人以外はあまり利用しない、通行量の少なく、行き交う車も疎らな道路があった。その両脇には、真夏の太陽の日射しを受けて青々と輝く木々に囲まれ、蝉の声を鳴り響かせていた。
 そこを1台の車が通り抜けていった。グレーのセダンで、普段この道路を利用する車種と比べると、少し浮いた存在だった。乗車しているのはスーツ姿の二人。運転席には20代中頃の若い男、助手席には30代後半の女性がいた。女性はサングラスを掛け、深く背もたれに寄り掛かって眠っているようで、若い男の方はラジオのニュースに耳を傾けていたが、横にいる女性を察してそのボリュームを下げた。その微妙な変化に女性は反応し、顔に掛かった髪をかき上げながら座り直した。
「すいません。起こしましたね」
「いや、いいのよ。元々眠りは浅い方だから」
「疲れているんですよ。最近、寝ていないんじゃないですか?」
「とても眠る気分にはならないわ」
「少しでも寝ないと身体が保ちませんよ。まだ着くまで1時間程あります。少し休まれては?」
「いいのよ。少し考えたいことがあるから、静かにしてくれる?」
 そう言って、女性は窓から外の流れる景色に目を向けた。若い男は少し呆れたように息を漏らしたが、そのまま黙って運転に集中した。
 女性は黙ったまま外を眺めていたが、実際には何も視界に捉えていなかった。サングラスを通しての景色は夜の景色を思わせ、女性の頭の中では様々な写真や文字が駆け巡った。それらこそ、女性を悩ませ、安らかな睡眠を奪っていたものだった。
 女性は今中莉奈子。科学警察研究所、犯罪行動科学部捜査支援研究室の一人で、ある連続殺人事件の捜査に協力していた。今向かっている場所も、その事件の手掛かりになるような情報が得られたためだった。普通ならば、警視庁捜査一課の捜査員が向かうのだが、その情報源の怪しさに重要視されず、こんな遠方まで来る捜査員はいなかった。今中は重要性を訴えたが誰も聞き耳を持たず、今中自ら車を走らせたのだった。
 横にいる若い男は捜査一課の新人捜査員。この捜査の間、今中と組むことになっていた。新人と組ませただけで、捜査一課の今中に対する扱いがよく分かる。年々活用度が増えてきたが、犯罪行動・犯罪心理を専門とする今中のようなプロファイラーは事実・証拠から捜査する捜査員にはあまり歓迎されなかった。今中にとって、こんな扱いは毎度のことで慣れていたし、小言をぶつぶつ言う中堅・ベテラン捜査員と組まされるよりは、何も知らない聞き分けのいい新人と組む方が気が楽だった。
「着きましたよ」
 若い男の声と共に車は一時停車し、そこで今中の頭の中の巡る映像は途切れた。若い男は車のウィンドーを下ろして、塀にあったインターホーンを押した。
「はい」
「宮鍋先生と会う約束をしています警視庁の者ですが」
「はい。連絡頂いています。どうぞ」
 3メートルはある高い塀に付けられた扉は開かれ、車を招き入れた。車が中へと進んでいく間に、今中は最低4つの監視カメラを見つけた。駐車した車から出て徐にサングラスを外した今中の目の前には、森の洋館といった出で立ちの少し時代を感じさせる造りの真っ白な建物が立っていた。三階建ての建物は青々とした木々に包まれ、より一層その白さが映えていた。ただ、普通の洋館と違っていたのは、すべての窓に白い格子がつけられていたことで、真っ白な監獄のように感じられた。
 今中は書類の入った鞄を手に持ち、臆することなく建物の中へと入っていった。若い男は気が乗らない様子だったが、彼女の後を付いていき、建物に入る直前、掛けられていたプレートに目をやった。そこには『雨嶺の森病院 精神科病棟』と書かれていた。
 今中たちはホールで待っていた警備係に迎えられ、一階奥の部屋へと連れ立って歩いていた。建物の中の様子は先程の監獄のイメージとは違っていた。広々とした中庭では何人かの患者がケアワーカーに付き添われ、散歩したり、遊んだり、本を読んだりしており、その中庭から建物へと差し込む光は白い壁や廊下を照らし出し、明るく緩やかな時間の流れを運んでいた。
「もっと暗いイメージがあったのに」
「意外でしょう、精神病棟にはしては」
 周りを見渡す若い男の言葉に警備係が笑いながら答えた。
「初めてここに来られたみなさん、そう言われますが、本来はもっと開かれたものでなければいけないんですよ。個々を尊重し、この建物内を自由に過ごせるようにしなければいけないんですが、何分ケアワーカーや看護士の数がまだ足りなくて。夜は未だに施錠せざる得ない所があるんです。せめて日中だけでも、とこういった広い中庭が設けられ、患者が自由に過ごせるようになっているんです。さあ、ここです」
 警備係はある部屋の前に来ると立ち止まり、ノックした。中からこもった返事が返ってくると、警備係は今中たちを中へ誘導し、自分はそのまま部屋に入らず去っていた。
 部屋は質の絨毯が敷かれ、英国調の大小の本棚が壁に並んで置かれ、窓側に年代を感じさせるアンティークの机があり、書類が積まれていた。その向こう側に白衣をまとった一人の年配の男性が座っていた。男性はすぐさま立ち上がり、今中たちを迎えた。
「これはこれは、ようこそいらっしゃいました」
「私は今中という科学警察研究所の者で、こちらは捜査一課の杉山です。あなたがメールを下さった宮鍋先生ですね?」
 温かい表情を浮かべながら差し出した男性の手を握り、今中は答えた。
「ええ、そうです。お役に立つかどうか分からなかったのですが、気になったものですから。なにせ今話題になっている事件ですからねえ。けれど、個人に関する情報だったのでメールでは詳しく話すことはできず、警察の方が本気にされるかどうかも分からなかったんです。それが、まさかこんな遠方までお越し頂けるとは思いませんで、電話を頂いた時、正直驚きました」
 男性のゆったりとした物言いに遮るように、今中は単刀直入に言った。
「それで、彼は?」
「今は自室におります。彼に関する記録をご覧になりたいだろうと思って、記録・資料をまとめておいたのですが、ご覧になりますか?」
「詳しい記録は後で。先に彼に会わせてもらっていいですか?」
「ええ、もちろん。今すぐ会われます?それとも、何かコーヒーでも飲まれて休まれますか?」
 男性の呑気な受け答えが、今中の気分を逆撫でしたようで、苛立ちが早口となって表れていた。
「すいません、あまり時間がないもので。事件の早期解決に向けて全力を挙げている所なんです。今回の情報が有効なものかどうか、それによって今後の捜査が大きく変わるんです。よろしければ、今すぐ彼に会わせて頂いてよろしいですか?」
「これは気が利かないもので、すいません。今すぐご案内します」
 男性は慌ててドアを開け、今中たちを誘導した。今中は机に積まれた書類の一番上に載っていた記録の文字に目をやると、その記録を手に取り、男性の後を追った。


『堤浦亮生(37)
 富山県宇奈市生まれ。父:堤浦亮治、母:沙織の次男。兄弟は7歳上の兄と2歳下の妹の二人。6歳の時、ある事件(別資料参照)により、両親・兄妹を失い、自身も頭部に外傷を受け、意識不明の重傷を負う。事件当時の記録には多数の打撲痕、それもかなり以前からの痕もあったとあり、家庭内暴力の可能性あり。また、その事件での体験が強い心傷性ストレスを与えたと思われる。事件後、外傷が治っても発語はなく、無表情、無関心、無気力、日常生活全般において介助に頼らなければならなかった。いくつかの治療を長期間持続的に行い(記録B参照)、単語の発語から始まり、簡単な会話まで回復。しかし、6歳児くらいの知能・精神より上の発達は見られず。時々強い不安に襲われることあり、大声等の興奮や内に閉じ籠るなど見られる。<病院履歴>67年、富山県立病院脳外科、山川病院精神科、70年、長居病院精神科、71年ー』
 男性と並んで歩きながら、今中は簡単な経歴が書かれた記録に素早く目を通し、予備知識として頭にインプットしていた。
「ここに書かれてある事件というのは?」
「事件?ああ、彼の事件のことですか。実に悲劇的で悲惨な事件で、当時はかなり騒がれたそうです。一家三人が家族の手によって亡くなったんですから、騒がれるのは当然かもしれませんが」
「家族の手で?何があったんですか?」
 若い男が興味を示して、横から割り込むように聞いた。
「記録にあるように、彼は小さい時から暴力を受けていた。それは兄妹も同じで、父親から暴力を受けていたんです。長男には過度の期待をかけると同時に厳しい体罰が与えられ、押さえつけられて育てられた。それがあるきっかけで爆発し、その怒りが・・、家族にバットを振り落とすことに」
 男性はなるべく遠回しな言い方をした。
「その兄は?」
「事件の二日後、近くの山中で発見されて、その時には亡くなっていました」
「自殺ですか?」
「ええ」
 男性の重い言葉に暗い空気が漂って若い男も押し黙ってしまった。しかし、今中は雰囲気に囚われることなく、頭の中では急速に組み立てられた無数の仮説が浮き上がっていた。
「彼には事件の記憶はあるんでしょうか?」
「根底にはあると思いますが、すべてを封印してしまったんです。彼にはあの事件以前の記憶も、自分が誰であるかも分からないのです。今あるのは、事件後に作られたものしかありません」
「催眠療法などで探ることはできないのですか?」
「別の病院で今までに何度も試みられたようですが、その度にひきつけのような発作を起こして中止しています。この病院では、閉じ込めた記憶を無理にこじ開けようとはしていません」
「そんな彼が今回の件にどう繋がっているとお考えですか?」
「それが全く分からないのです。彼は空想や想像で話を作れません。そのかわり、見たもの聞いたものに関する高い記憶力を持っています。特に一度見た風景は瞬時に詳細まで記憶します。彼が話した時、私はてっきり自分が経験した事件のことを話しているのかと思って驚きました。しかし、よく聞いてみるとそれは違っていて、むしろ、今話題になっている事件に似ていて・・・。それで、メールでお知らせしたんです」
「ご協力には感謝します。彼から直接その話を聞けたらいいのですが」
「それは、彼のその時の気分にもよりますし、初対面の人とのコミュニケーションがやや苦手な所もあるんです。聞けば素直に答えてくれるというわけにはいかないことを頭に入れておいて下さい。それと、無理強いや押しつけも彼にとってストレスになるので、あまり興奮させないようにお願いします」
「それはもちろん分かっています。私たちはあくまで協力して頂く側ですから」
「では、入りましょうか?」
 男性はある部屋のドアの前で立ち止まって今中たちと目を合わせると、ゆっくりと引き戸のドアを引いた。

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