ご注意。
・兵盤な真嶋です。
・やんぼ小説の逆バージョンです。
・メインは盤です。












手を繋いでこころ繋いで





 玄関のとっつきに腰を下ろしブーツの紐を結んでいた盤は、部屋の中からガタガタと聞こえる音に首を捻って振り返った。
「まだ見つからんと?」
「あー…うん、絶対この辺に落ちたはずなんだけど……」
 玄関に腰を下ろしている盤から見えるのは、畳に頬を摺り寄せている兵悟の尻と足だけだ。昨日の夜帰ってきた時に置いた鍵が、机の上から転がり落ちたのをそのままにして眠ってしまい、いざ出かけるという時に見つからなくなってしまったのだ。昨夜落ちた鍵を拾えなかった理由は改めて言う必要もないだろう。大人の事情と言う奴だ。
 両足の紐を結び終えてもまだ兵悟は鍵を見つけられないようだ。盤は溜息を吐いて、仰け反るように後ろに手をつく。
「鍵くらいかけんでも良かね。盗られるもんもなかろーもん」
「あ、盤君が酷いこと言う…」
「早うせんね。オイだけ先に行くったい」
 狭い玄関で足を伸ばして、ブーツの先をぶらぶらとしていると、あった、と兵悟が声を上げた。盤の見える範囲から兵悟の尻と足がぱっと消え、すぐに兵悟の顔が覗く。
「ほら!」
「解ったから、早うせんね」
 盤が呆れた溜息を吐いた時、バンッと乱暴にドアが開いた。勢いよく開いたドアは延ばしていた盤の足に当たって跳ね返る。ノックも誰何も入室の許可も一切なしの突然の訪問者は、神林ィッ、と官舎が揺らぐような大声で呼ばわった。
「は、はいィイイ!」
 見つけたばかりの鍵を握り、出かける準備をいそいそと始めていた兵悟は条件反射で直立不動になる。
 玄関に座り込んだまま目を真ん丸にしている盤に気付くと、乱入者は途端に嫌そうに顔を顰めた。
「なんや石井、おったんか」
「……なんの用ね、軍曹さん」
 経験からして三隊の誰かが前触れもなく突然兵悟の部屋にやってくる時には、大抵ろくなことがないと盤は解っていた。飲み会だの雪掻きだの朝釣りだの西瓜割りだのと、三隊の隊長は口ではやかましく言いながらも兵悟をいたくお気に入りのようで、何かと言うと連れ出すのだ。それは何も嶋本だけではない。兵悟が三隊に配属されたばかりの頃はぐちぐちと文句を言っていた一ノ宮も、仕事以外でもつるんでいる大口と佐々木も、暇さえあれば兵悟を構う。そう言う時の兵悟は上司と先輩を恋人よりも優先するので、盤との約束もそれで何度かぽしゃったことがある。
 今日はそうならないようにと隙を見て兵悟も掠め取ったと言うのに、直接こられたのでは対応のしようがない。だから早く出かけたかったのに、と盤は思わず唇をひん曲げて嶋本を睨みつけた。だが嶋本は恨みがましい盤の視線などまったく気にせずに、狭い玄関で盤を押しのけ靴を脱ぎ捨て、ずかずかと部屋の中に上がりこんで行く。
「まぁ座れや神林。何突っ立っとんねん」
「へっ、いやっ、あのっ……ハイ…」
 ちらっと振り返った兵悟の目が申し訳なさそうに垂れ下がっている。盤は玄関で、行儀悪くも上がり框の上に足を上げ、壁に背中を預けた。
「そがん顔ばするくらいなら、用があるって軍曹さんに言えば良かろうが」
 不貞腐れてマフラーに顔を埋め、ぎゃんぎゃんとポメラニアンのように喚く嶋本の後ろ姿を睨んだ。兵悟はそんな盤の不貞腐れた顔と、嶋本の怒涛のまくしたてに、ぐうの音も出ずに、はぁ、とか、あぁ、とか呻いている。
「休みの日ィくらい仕事から離れてもええと思わへんかっ! なんでわざわざ休みの日に基地行かなあかんねん! そりゃ出動要請かかったら俺かて行くわ! せやけどなっ、インドネシアから帰ってきて初めての休みやで! それもデートやデート! 普通はもうちょい違うとこに行こうと思うやろ! 思わへんかっ? 思わへんやろうな! お前もあの人と同じレスキュー馬鹿やもんな! それともあれか? 基地はデートコースかっ? トレンドかっ?」
「……トレンド…って、古かー…」
「やかましいわっ! 黙っとれ石井! それに、こんな事は言いたぁないんやけど…なんか怪しいわ。絶対インドネシアで何かあったと俺は踏んでんねん。インドネシアで撮った写真、一枚も俺に見せへんしな。浮気しとったんや、間違いない、絶対や、うわー、俺、浮気されとったんや、最悪や……」
 烈火のごとく怒り狂っていたのが一転し、ちゃぶ台に突っ伏してさめざめと嘆いている小さな後ろ姿を眺め、アホくさー、と盤は溜息を吐いた。
 嶋本が真田と付き合っていようが真田がインドネシア滞在中に浮気をしていようが、盤には一切関係ない。それよりも早く兵悟を解放して欲しいというのが盤の心情だ。
 何かと言うとここに駆け込んできて思いのたけをぶちまけて嶋本は帰って行く。本人はそれですっきりして真田といい関係を続けていけるらしいが、その間滞っているこちらの関係はどうなるのだ、と盤は尋ねたい。
 こうなったら除隊覚悟で嶋本をぶん殴って兵悟を連れ出すか、と半ば本気で考えていると、上着のポケットに突っ込んでいた携帯がぶるぶる震えた。引っ張り出してディスプレイを見れば、『真田隊長』の文字が点滅している。ちゃぶ台を挟んで宥めているのと喚いているのとをちらりと見た後、盤は通話ボタンを押した。
『休み中にすまない。嶋本がそちらに行っていないだろうか』
 いつもと変わらない冷静な切り口に、盤は思わず溜息を吐いた。
「良か迷惑ですばい…」
『……すまない』
 携帯電話の向こう側で項垂れていそうな真田の声に、盤の声も思わず尖る。相手がいくら憧れの真田隊長でも、その真田隊長が原因で兵悟とのお出かけの予定がずれつつある。そこだけはきっちりせねば、と盤はマフラーに顎を埋めながら唸った。
「オイはこれから兵悟君と出かける予定ばい。そがんこと、あんたらには関係なかろーが」
『すまない。引き取りに行く』
「オイの部屋にはおらんとよ」
『では神林の部屋だな。五分で行く』
「早うしてほしかー。そもそも何が原因ったい。軍曹さんはトレンドがどうの言うとったと」
『休みが合ったので基地にでも行かないかと誘ってみたいんだが』
「そいはデートとは言わんです。オイなら買い物とか、映画とか、誘ってほしかー」
『だが特に欲しい物もないし、映画も特に見たいものもないのだが。どこか行きたいところでもあるのか?』
「そがんこつ、オイに聞いてもしょうがなか。軍曹さんに聞けば良かろーね」
『だが嶋に聞いても、俺の行きたいところでとしか言わないんだ』
「なんねそれ? のろけ? のろけとうとですか?」
『いや、そんなつもりはないんだが』
 淡々と言葉を返す真田との電話に、盤は大きな溜息を吐いた。携帯電話の向こう側でもそれは聞こえたらしい。もうじきに着く、と真田は告げると一方的に電話を切ってしまう。業務連絡かい、と盤は再び溜息を吐き、部屋をちらりと振り返った。
 部屋の中では茶がないと騒ぎたてた嶋本に紅茶を出し、相変わらず兵悟はちゃぶ台の向こう側で縮こまっている。それへ散々文句をぶちまけている嶋本の後ろ姿を盤は見る。
 嶋本の髪の向こうに見える耳の先が、赤くなっている。
 真田の悪口を、いや、悪口なんてものじゃない。ほとんどが真田ののろけ話を大声で喚きたてて、あの人はこうで、こんなで、こうだけど、ここがいいのだと、嶋本は必死で話し続けている。真田に腹を立ててここへきたはずなのに、嶋本の口から飛び出した真田への文句は最初のほんの少しだけで、後は称える言葉ばかりだ。
 怖い表の内側で、嶋本の心は純粋だ。一筋に、ひたむきに真田を見て真田を追いかけて真田を思っている。浅くしか彼を知らない自分にもそれはよく解る。きっと、深く彼を知る真田には、嶋本の押し寄せるほどの思いや心がよく解るのだろう。
「…羨ましかー…」
 盤は壁に頭を預け、嶋本の後ろ姿としょぼくれている兵悟を眺めて自嘲を馳せた。
 嶋本のように感情を表すことができればどれほどいいだろう。
 自分は、捻くれて、本当のことなんてひとつも言えずに強がりばかり言って、心とは裏腹の酷い言葉で兵悟を傷つける。せめて嶋本の十分の一、百分の一でも、素直さやひたむきさが自分に備わっていたら、兵悟に優しくできるのだろうか。
 考えたところで自分のどうしようもない性格が直るとは思っていない。どうしようもなか、と盤は口の中で呟き前髪をぐしゃりと握ったところで、部屋のドアが控えめにノックされる。盤が手を伸ばして座ったままドアを開ければ、向こう側から顔を出した真田が、ちっともすまなさそうな顔で、すまない、と謝った。
「どうでん良か。早う持って帰ってくれんね」
 部屋の中で真田が顔を出したことにも気付かず、わぁわぁと喚いている嶋本を顎で示せば、真田はすっきりと背筋を伸ばしたまま嶋本を呼んだ。
「嶋」
 決して張り上げた声ではないのに、真田の声はよく伸びる。兵悟がハッと顔を上げ、嶋本は敏捷に振り返った。仏頂面だったその顔が瞬く間に喜びに満ちた顔になる。目が輝き、仄かに唇の端が持ち上がる。だがそれも一瞬だ。すぐに仏頂面になった。
「なんしにきはったんですか」
 本人はきっと気付いていない。
 顰め面で不機嫌を装っていても、表情じゃないすべてが真田の来訪を喜んでいる。嶋本の解りやすさに、盤はおかしさよりも苛立ちが勝る。あんな風に表現できたら、と比べても仕方のない相手と自分とを比べてしまう。
「帰ろう」
 帰るぞ、でも、帰らないか、でもなく、帰ろう、と。
 そう右手を差し出す真田を嶋本はぽかんと見ている。動かない嶋本に焦れたのか、真田が盤の足を跨ぎ、室内に踏み込む。失礼する、と言ってきっちり靴を揃える辺り真田の律儀さが現れている。官舎の狭い部屋を大股で歩き、真田がちゃぶ台の側へ歩み寄る。真田が手を伸ばしたところで、盤は目を背けた。
 なぜだろう。
 見たくないと思ったのだ。
 真田の指が嶋本に触れるのも、嶋本の手が真田を掴むのも、なぜかどちらも見たくないと思った。
 手を繋ぐなんて、自分と兵悟には有り得ないものだから。
 真田と嶋本は互いに労わりあい、高めあい、前へ進む。けれど自分達は、好き合っているくせに、きっと好き合っているんだろうと思うけれど、それ以上にいがみあって、意地を張り合って、競い合って前へ進む。手を取り合って、並んで歩くなんて愛し方は、きっとできない。
「邪魔をした」
 真田の静かで凛とした声に、盤は顔を上げてしまった。そして、繋がれた手と手を見てしまった。
「ほななー、ちゃんと自炊せぇよ神林」
 いつの間にか話は真田の愚痴から自炊の話に移っていたらしい。曖昧に笑う兵悟が見送るためにやってくる。近付く足音と熱とに盤は知らず焦る。
 目の前で繋がれた手が揺れている。
 見たくない。
 咄嗟に膝に顔を埋め視界を遮断すると、頭のすぐ上で、何不貞腐れとんのや、と嶋本の声が聞こえた。だが盤は顔を上げなかった。上げられるはずもない。だって顔を上げてしまったら、見たくもない親愛の形を目の当たりにしてしまうからだ。
 盤は世界を遮断したまま真田が嶋本を連れ出してくれるのを待った。真田がもう一度、邪魔をした、と言って部屋を出て行き、部屋に静けさが満ちる。そろりと顔を上げると、思いがけない距離に兵悟の顔があった。
 無駄に大きな目をキラキラさせて、じっと見つめている。
 言葉よりも豊かにこころを語るそれがまず好きになったはずなのに、今の盤には煩わしく感じた。
「…なんね」
「ん? なんか、具合でも悪いのかなーって」
「そんなこつ、兵悟君には関係なか」
 大きな目を持っているくせに、自分の何も見えていやしないじゃないか、と八つ当たりのように思う。
「またそう言う事言う……」
 呆れたような顔をして兵悟は身軽に立ち上がった。右手に鍵を確かめて、ジーンズの尻ポケットに財布を確認する。出かける前のいつもの仕草に盤は目を瞬いた。
「じゃ、遅くなっちゃったけど行こっか」
 スニーカーを履き、兵悟は狭い三和土で振り返る。
 兵悟とは映画を見る予定をしていた。結構派手なアクション物で水難とはまったく関係のないサスペンスで前評判はかなりいい。だけど呼び出しがかかるかもしれないから公開中は見れそうにないと嘆いていたら、とりあえず行くだけ行ってみようよと兵悟が言った。そうだった、と盤は億劫な気持ちで瞬いた。
「予定してたのは無理かもしんないけど、次のは見れると思うよ。それまで何か食べて腹ごしらえしよ。盤君」
 ほら、と差し伸べられた手が盤の前にある。
 驚いて顔を上げると、照れくさそうに頬を染めた兵悟が、そっぽを向いて呟いた。
「だって真田さんと嶋本さんだって、手ェ繋いでたじゃない」
「だけん、オイは…」
「いいから」
 ぐっと手を掴まれて、無理矢理に立たされる。見た目よりもしっかりと筋肉のついている兵悟は容易く盤を引っ張り上げ、そのまま部屋を出た。鍵をかけ、官舎の廊下を手を繋いで歩く。
 こんなとこ誰かに見られたら、と盤は離れようと躍起になったが、兵悟の手はがっちりと盤の手を繋いだままだった。
「兵悟君、手ば離さんね!」
「官舎を出るまででいいから」
 兵悟は見たこともないような真剣な顔で前を見据え、盤の手を握り締めている。いつもよりもゆっくりとした足取りで、兵悟はなんだか感動したような声で呟いた。後ろから見える耳が仄かに赤くなっている。
「本当は嶋本さんとか真田さんとかどうでも良くて、本当は、好きな人と手を繋ぐのってどんなだろうって、思ってたんだ」
 昼の官舎の廊下に人気はなく、光が差し込まないせいで薄暗い。カツンカツンと盤のブーツの踵が音を鳴らし、ずるずるぺたぺたと兵悟のスニーカーが音をたてた。
 繋いだ手から、泣きそうになるほど暖かい何かが盤の中になだれ込んでくる。
 好きな人。
 兵悟の口から出たその言葉に、盤は唇を噛み締める。
 手を繋いで歩くなんて、真田と嶋本じゃあるまいし、自分と兵悟じゃありえない。こんなこと、何かの間違いでしかない。だから何か、憎たらしいことでも言って、こころにもないことでもいいから、兵悟の神経を逆撫でするようなことを言って手を振り払わなければいけない。
 だって、手を繋いで歩くなんて、有り得ないから。
 そう思わなければ、一度覚えた甘さを、身体は、こころは何度も思い出してしまうだろうから。
「…盤君?」
 だが盤の手は動かなかったし、唇も舌も声帯も動かなかった。
 込み上げそうになる涙を堪えてただぎゅっと唇を噛み締める。
 俯いたまま、盤は薄暗い廊下に埋没しそうになる。
 兵悟と手を繋いでいなければ、歩けそうになかった。








ウラネタ。
・兵盤なんです…。
・基本的に真嶋は思い合って高め合って信じ合って愛し合っての相互関係で、兵盤は意地を張って喧嘩して素直になれなくて擦れ違っての平行関係だと思います。
・でもどっちの根本にも相手が好きって気持ちがあればいいと思います。
・お花さん原稿お疲れさんでやんした。
・やんぼ兵盤ありがとう!