ご注意。
・真嶋です。
・所帯染みてます。
・『ワルキューレ・プロット』の親戚のようなものですので、そちらを先に読まれた方がよろしいかと。
・そっちは兵盤です。







きんぎょのおびれがふれあえば





 わさわさと音を立てるビニール袋を持ち、夜の道をそぞろ歩く。
 等間隔に並んだ街灯に照らされて道にはオレンジ色の仄暖かい光がぼんやりと落ちている。だがオレンジ色の街灯よりも、ブルーの街灯の方が視認が容易く犯罪率が減ると聞いたことがある。人通りも少ないこんな場所ではブルーの方がより向いているのだろう。ブルーでは海の中を泳いでいるような気持ちになるのだろうか。
 海の中は好きだが、地に足をつけて歩いているのに海の中の気分を味わうのは好きではない。それに、ブルーよりもオレンジの方が暖かみがあって好感が持てる。オレンジは彼を象徴するように思えるからだ。
「家戻ったら一番にビール冷蔵庫に入れんと」
 上機嫌でビールの箱を肩に担いだ嶋本が、ほくほくと嬉しそうな顔で笑う。小柄に見えてもさすがに鍛えられた身体ではあるので、ビールの箱などものともせずに歩いている。
「やっぱ餃子にはビールでしょ」
 真田は真っ直ぐに伸びる道と、どこまでも続くようなオレンジの街灯に目を
向け、重いビニール袋を持ち直した。ビニール袋の中で大きな白菜がごろりと位置を変えた。
「挽肉も買うたし、明日の水餃子の準備もオッケーやし、もう言う事ないっすね」
「無事にできるまでが問題だと思うが…」
 どこまでも真っ直ぐに続くかに思われた道にも曲がり角があり、突き当たりもある。途中で角を曲がり、官舎へ行くにはそこから高架を潜り、信号を渡る。夜の中途半端な時間のせいか、官舎の前では誰にも会わなかった。独身寮由縁か、食事時だと言うのにあまり生活に密着した夕飯の支度の匂いはしない。角部屋の嶋本の唯一のお隣さんの部屋も明かりはついていなかった。当直ではないから飲みにでもでかけているのだろう。
「大丈夫ですって。オカンに作り方聞いたし、それに餃子なんてもんはお好み焼きと一緒で、ぐっちゃぐっちゃに掻き混ぜたらええんです。ああ、そうや。オカンが白菜はよう搾らあかんから真田さんにしてもらえて。俺は力ないと思てるみたいで、いまいち信用ないみたいです」
 先に入った嶋本の変わりに真田が電気を付ける。暗さに慣れた眼に射るような明かりが灯る頃には、嶋本は冷蔵庫の前に陣取り、手際よくビールを詰め込み始めていた。
「解った。お母さんは家で餃子を作るのか?」
 流しの上にビニール袋を置き、中から白菜、挽肉、ニラ、生姜、にんにくなど嶋本が言うがままに買った食材を取り出していく。だが出して行くだけで、真田はそこから先に着手しようとはしない。餃子など何をどうしていいのかさっぱり解らないからだ。
「まぁ、たまには。夏休みとかようやりましたよ。餃子パーティ。中身だけ作って、あとは自分らで包むんです。親戚が集る盆とかに、ホットプレート出して、包みながら焼いて食うんです。甲子園見ながら」
「嶋のホットプレートはお好み焼きを作るためのものだと思っていた」
「こないだ焼肉したやないですか。お好み焼き限定とちゃいますよ。あ、隊長、先にテーブルに新聞敷いて、ホットプレート出してください」
 手持ち無沙汰にしていたのがばれたのか、嶋本は振り返りもせずに言った。居間の押入れに入れてあるホットプレートを出すのに嶋本の後ろを通りかかった真田は、ビール箱が空になり、冷蔵庫に二十四本すべてのビールが並べられているのを目にした。多分今日であれの半分は消えてなくなるだろう。明日も仕事だが、真田も嶋本もそれくらいで明日に響くような胃袋ではない。
 テーブルの上に並べてあったペン立てやテレビのリモコンを部屋の隅に置き、新聞を広げるための場所を作る。その上できちんと新聞ラックに積み上げられた新聞紙から古いものを抜き広げ、押入れから出したホットプレートを設置する。
「終わったぞ。スイッチを入れるのか?」
「あ、まだ待ってください。中身作らんと。隊長、白菜洗うんで、切ってください。できるだけ細こう」
「解った」
 初めて作ると言う割に、嶋本は手順が良かった。ちょこまかとあれこれ忙しく動いているように見えるが、その実無駄がなく、瞬く間にステンレスの大きなボウルの中には餃子の餡がぎっしりとできあがる。真田はただ、嶋本が洗った白菜をできるだけ細かく切って、そして搾っただけだ。布巾に包んで搾り、ぼたぼたと手指の間から漏れ零れる白菜の汁を見て、潰してるんやのうて搾ってるんですよね、と嶋本は不安げに眉を寄せていた。半ば潰しかけていたことは内緒にして、真田は水気のなくなった白菜を、潰れた部分ができるだけ下側になるようにしてボウルに入れた。目が痛いとぎゃあぎゃあ喚きながらネギを刻んでいた嶋本は気付かなかっただろう。いや、気付いていないと思いたい。
 餡の入ったボウルと水の入ったお椀、湯の入ったポットを持って居間に移動して、ホットプレートのスイッチを入れてから餡を包む作業に入る。
「……餃子を包むのは、初めてなんだが…」
 ぽてっとした手触りの皮を片手に持ち、右手にティスプーンを持った嶋本は、途惑う真田を置いてさっさと作業に取りかかっている。餃子の皮に餡を置き、お椀の水に指を浸して半円の縁につける。半分に折り、皮と皮とをつけながらぺきぺきと折り目を付けていく。
「すごいな」
 思わず感心して見入っていると、早う作って下さいよ、と嶋本に顔を顰められてしまった。
「やり方なんて簡単なんですって。皮の真ん中に中身乗せて、そんで水つけて、折ってくだけ」
「それが難しいと思うんだが…」
 真田も嶋本の手付きを真似てやってみるが、どうにもうまく行かない。餡を皮の真ん中に乗せ、半円の縁に水をつけるところまでは何の問題もなかったのだが、半分に折って、尚且つ餃子特有の折り目をつけていくのが難しいのだ。人並み程度に器用だと自己判断をしている真田ではあったが、餃子の餡包みは人並み程度の器用さでは補えないものかもしれない。
 ひとつめの餃子は折り目のないまっ平らなものになり、二つ目の餃子は時間をかけすぎて皮の縁がひび割れてしまった。三つ目の餃子は折るには折れたが、嶋本のもののように片側がぴしっと揃ったものではなく、両側にべきべきと屏風のように折り畳んだ不恰好なものだった。
 嶋本が十作っている間に真田が作った三つの餃子を見て、嶋本は嬉しそうに笑う。
「俺もガキん頃はそんなんしか作れんかったんですよ」
「なぜそんなに綺麗に折れるんだ」
「え、せやから」
 嶋本は持っていた皮とティスプーンとを置くと、ずいっと身を寄せた。腿と腿がふれあい熱がじんわりと行き会う距離で、嶋本は真田の手を取った。皮を乗せた真田の左手を包むように持ち、餡を乗せる。そして真田の手を取ると、ゆっくりと餃子を折った。
「口ではうまいこと言われへんけど…こうして……こう」
 嶋本の手が、真田の手を外から押さえ、ゆっくりと餃子を折っていく。
 嶋本の手は真田の手よりも少し小さかった。身体のことを考えれば当たり前で、尚且つそれを充分知っていたはずなのに、改めて認識させられた手指の長さに、真田は仄かに笑みを馳せる。
 一生懸命に嶋本が教えてくれているというのに、真田の頭の中にはそれのほとんどが流れてはこず、どこかへさらりと消えていってしまったようだ。
「解りました?」
 はっと気付けば真田の手の中では綺麗に折りあがった餃子がひとつ乗っており、嶋本は満足気な顔をして真田を見上げている。真田は餃子を手に乗せたまま、いや、と眉ひとつ動かすことなく答えた。
「聞いていなかった」
「なんすかそれ」
 むっと唇を曲げる嶋本を見て、真田は目元を緩める。
「嶋本の手に見とれていたんだ」
「………なんすかそれ」
 途端に赤みを帯びた頬に唇を寄せ、林檎かプラムか苺か、ともかく甘そうな赤い果物を連想させる頬をべろりと舐めると、ぎゃーっ、と色気のない悲鳴が上がる。
「とっ、唐突に何するんすか! 心臓に悪い!」
 餃子の皮からついた片栗粉と、餃子の餡に汚れた手がどこにも付かないように万歳をしながら後ずさる嶋本に、真田も軽く手を上げたまま尋ねた。格好は、これからオペを始めます、と言うような感じだ。
「ああ、すまない。では、今からキスをしてもいいだろうか」
 これもまた生真面目に尋ねてみると、今度もまた、ぎゃーっ、と悲鳴が上がる。いちいち大袈裟に反応する嶋本がおもしろくて、ついついいつも過剰に構ってしまう。
 嶋本の許容範囲を真田はそこはかとなく感じていて、これ以上すると泣くだろうなとか、これ以上尋ねると切れるだろうなとか言う事がなんとはなしに解っている。だからそのリミットラインぎりぎりまでを問い詰めてみたり、突き詰めてみたり、追い詰めてみたりする。真っ赤になってぎゃーぎゃーと喚く嶋本を見ていると、奇妙な充足感さえ覚えるのだ。
「できればキス以上のこともしたいのだが」
「ななななっ、何をっ、すっぺらかんに清らかな顔で言わはるんですか…!」
 案の定、顔を真っ赤にしてどもりながら後ずさり、それでも手を下げずに万歳の格好をしている嶋本に、ああやっぱり、と思った通りの反応に真田は笑う。
「いや、なんとなく」
「なんとなくで言わんといて下さい! ほんま、心臓に悪いわ…」
「じゃあ告知してから言おう」
「や、もうええですって。それより早う餃子作らんと。いつまでたっても食えませんよ」
 不貞腐れつつも赤い顔で、またせっせと餃子を作り始める嶋本に、解った、じゃあ後で、と答えれば、後でも何もいりませんて、と嶋本は素っ気ない。それでもほんのりと笑みを帯びた嶋本の口元は、言葉ほど嫌がっていないことを伝えていて、こころが暖かくなる。
 ああ、だからか、とまだ真っ赤な顔をしてちまちまと餃子を作っている嶋本を見下ろし、真田は思った。
 嶋本を見ているとオレンジ色を連想する。
 オレンジ色を見ると嶋本を連想する。
 どちらも暖かさを帯びていて、どちらもこころに直接訴えかけている。ここにいる。確かにここに、いるのだと、どちらも真田に訴えかける。どちらも真田を引き寄せる。
 俯いている嶋本の短い襟足からちらりとうなじが覗くのが見え、舐めたらうまそうだと思ったが、そんな事をしたらきっと泣き叫んで手に負えなくなろうだろうと思ったので、真田はじっと我慢をして餃子を作った。
 いくつか作り、試行錯誤を重ねているうちに、なんとか見れる形になってくる。それでも真田が作ったものと嶋本が作ったものの差は一目瞭然だ。早さもまったく違う。ホットプレートが温まり、出来上がったものから並べられた餃子のうち八割は嶋本の作だった。
 焼いている間に次に入れる餃子を作るべくスピードアップを図る真田の横で、嶋本の手元には変わった形の餃子が並べられていく。前方後円墳のように一方がこんもりと丸くなり、通常なら円を半分にした形になるはずの餃子が、てるてる坊主のような形になっているが、やけにぴらぴらが多い。嶋本はそれを別の皿に並べていた。
「……嶋、それも焼くのか?」
「あ、金魚ちゃんですか? これは焼きません。明日、水餃子にするんです」
「金魚……ああ、言われてみれば、見えなくもないな」
「うわっ、ひど! 見た目より作るん難しいんですよ! それに、水餃子にしたら金魚みたいに見えるんですー」
 むきになる嶋本の手付きを見ていたが、確かに金魚ちゃんは難しいようだった。それでもすいすいと他愛ないことのようにやってのける嶋本の手付きを見ていると、自分にもできるんじゃないかと思ってしまう。
「教えてくれ。俺も金魚ちゃんを作ってみたい」
 真田が少し身を寄せた瞬間、嶋本の手からぼとっと作りかけの金魚ちゃんが落下した。見開いた目で、信じられないものを見るかのように真田を見る嶋本が、うーわー…、と恐れ入ったような声を洩らす。
「隊長の口から金魚ちゃんなんて聞くとは思わへんかった…」
「変か?」
「や、かわええなぁ」
 にへらと笑って見上げる嶋本に、真田は生真面目に頷いた。
「そうか」
 嶋本は丁寧に金魚ちゃんの作り方を教えてくれたが、真田がやるとどうしてもシュウマイが横に流れたようなものしかできなかった。
 仕方なく真田は通常の餃子作りに戻り、嶋本が金魚ちゃんを量産する事になった。
 せっせせっせと、ちまちまちまちまと餃子を作りながら、嶋本が、そうや、と声を上げる。
「明日、仕事終わったら、あいつら飯に呼んだろう思てるんですけど」
「あいつら?」
 ステンレスのボウルの中はもう残り少なくなっている。焼きあがった餃子を食べながら、餃子包みをしているのでスピードは遅くなったが、ビールを飲みながら餃子を食べ、その合間に話をして、餃子の餡を包む夕食は、思いの他楽しい。 
「神林と石井ですよ。どうせあいつらのことや。喧嘩してよう話もでけんようになっとるやろうから、飯食わして飲ませてべろんべろんに酔わしたって、酔っ払った勢いでヤッてもたらええんですよ。一発ヤりゃ気も収まりますて」
「そうか。では嶋を怒らせたときには一発ヤることにしよう」
 多分、きっと大袈裟に反応するだろうと思いながら真田は口にしたが、やはり嶋本は爆発的に顔を真っ赤にして仰け反った。
「ぎゃーっ、隊長は一発なんて言わんといて下さいーっ!」
 あまりにも想像通りの反応に、真田は思わず声を上げて笑ってしまう。
 嶋本は真っ赤な顔で床に突っ伏し、隊長のアホー、と恨みがましく呟いている。項垂れた姿が真田にはこの上なく愛らしく見え、短い髪から覗いている嶋本のうなじをぺろりと舐めた。






ウラネタ。
・マイ設定。真田はマンション、嶋本は官舎。兵悟や盤とは棟違い。でもご近所さん。
・お花のとこの真田さんは「ずるい男」。でもうちの真田さんは「あくどい男」と判明。
・あくどいっていうか、単なるむっつりスケベだね!