■ 白い花の夢 |
花を咲いているのを見つけたのだよ、レゴラス。 裏庭の木の陰に、ひっそりと咲いている白い花だ。小さくて、茎も細く短くて、雑草に埋もれそうになっていた。けれどその花はしっかりと花びらを広げて咲いていたんだ。 レゴラス、馬鹿みたいに思うだろうか。 私はそれを、ボロミアみたいだと思ったんだ。 どんなにか多くの人の中にいても、私は彼ならすぐに分かる。 あのすんなりと伸ばされた背筋、重力に逆らわずまっすぐに落ちる小麦の穂の色をした髪。明けの露を含んで濡れた緑葉のようなエメラルドの瞳。 彼を特徴付けるものすべてがなかったとしても、私は彼を、魂だけで見つけることができる。 生まれたばかりの赤ん坊を抱かせて頂いたあの時から、きっと私はあの林檎みたいなほっぺをした赤ん坊に夢中だったのだ。光り輝くような笑顔を振りまき、小さな手にたくさんの幸せを掴もうとしていた。抱きしめると、乳臭く、だが同時に日向のにおいもした。穢れを知らず、含みもなく私に微笑みかけた。 再び、裂け谷で会ってからの彼は、なかなか私にあの赤ん坊のような笑顔を見せてはくれなかったけれどね。 レゴラス、君は覚えているだろうか。 彼は、指輪の誘惑に負けてしまったけれど、それは彼の弱さじゃない。 彼は、彼だけのために何かを欲したことなど、一度もなかったのだ。 彼の国のため、彼が守りたい人たちのため、彼を国で待つ家族のため、闇の脅威に怯える人たちのため、彼は指輪を欲したのだ。 思えば、そう、旅の間もずっと、彼は彼だけのために何かを欲したことはなく、彼は彼だけのために何かをなしたことなど何もなかった。 どうして気付かなかったのだろうな。 彼を、どうして気付けなかったのだろう。 奥方の森で怯え涙していた彼に、どうして私は何がしかの約束をしてやれなかったのだろう。 レゴラス、私は後悔ばかりする。 私は、いつもいつも遅すぎる。 もっと早く決意さえしていれば。 もっと早く彼の期待に答えていれば。 彼は変わらず、ここにいたのだろうか。 いや、後悔しても変わらぬことは、痛いほどに分かっている。 そして彼が、そう望まぬことも。 だが、レゴラス。 私は弱い人の子だ。 何がしかの支えがなければ生きてゆけない。 傍らにいと美しき妻がいようとも、いついかなる時にでも話を聞いてくれる友達がいようとも、決して埋まらぬ穴を、私は己の胸の内に見つけてしまったのだ。 その穴は、私の支えになるはずだったものが、ごっそりと抜け消えてしまってできた穴なのだ。 ボロミア。 私の執政。 決して自らの欲のためには指輪を欲せず、家族や近しい人、そして見も知らぬ人たちのために指輪を欲した優しい人。 自分のためにではなく、誰かのために生涯を尽くした人。 時折、君がうらやましかったよ、レゴラス。 彼の笑顔を真正面から見、彼と笑い、彼と語らった。 知らなかったと思っているのか。私は何だって知っているんだ。特にそれが、ボロミアの関わることならば。 モリアの鬱屈とした闇の中でも、君とボロミアの小麦の穂の色をした髪は、とてもよく目立っていたよ。並んで座っているのを見て、割って入ったのは思わずだった。 彼の側で私は、ただずっと横顔を眺めているだけだった。 メリーやピピンに笑いかけるボロミアを。 レゴラスやギムリと共に微笑むボロミアを。 サムやフロドと一緒になってシチューの鍋を覗き込み、幸せそうな顔をしているボロミアを。 そしてガンダルフの話に耳を傾けるボロミアを。 私はただ、見つめているだけだった。 戻ってきては、くれぬだろうか。 永久の旅路に着いた彼が、何かの気まぐれで、この新しきゴンドールに戻ってはきてくれぬだろうか。 時折、夢に見る。 傍らに妻がおり、今はまだいぬ私の子がその膝にいて、私の大切な仲間たちもいる。 そして。 ああ、そして、なんと残酷な夢なのだろう。 私の目の前には、満面の笑みを浮かべたボロミアがいるのだ。 夢だ。 些細な夢だ。 惑わされてはならぬ。 おぼれてもならぬ。 けれど、その夢を思い出し、こっそりと微笑むのは決して悪いことではないはずだ。 叶わぬ夢だ、レゴラス。 だが、君だけに白状しておこう、レゴラス。 私は、その夢が予知夢であればと祈らずにはいられないのだよ。 どんな奇跡をもってしても叶うことのない夢だが、そう願わずにはいられないのだ。 白い花のようだった、ボロミア。 明日、明け方、一緒に見に行こう、レゴラス。 私のボロミアは、庭の木陰にひっそりと咲いている。 まるであの、あの日の彼のように、ひっそりと、眠るように咲いている。 |