■ 指輪物語 ■

 たくましい翼を持つ鷹が手紙を届けたのは、騒々しいエルフがこの都を発ってから一月のちのことだった。
 春の暖かな風を窓一杯に取り込み、ホビット庄から送られてきた花の香りのする紅茶を飲んでいたボロミアの頭のてっぺんを掠めるように、その猛禽は部屋の中へ飛び込んできたのだ。侍女は悲鳴をあげ、衛兵はぎょっと目を剥き硬直した。ばさばさと勇ましい羽音を響かせた後、猛禽は一番高い戸棚の上で翼を畳んだ。ギャ、と子供が悲鳴を上げたような短い鳴き声を上げ、猛禽はボロミアを見た。ボロミアも衛兵と同じように硬直し、目を見張っていたので、猛禽はまたもやギャと鳴く。まるで早くこちらへこいと言っているような鷹に、ボロミアは腰を上げた。よく見れば、鋭い爪の光る鷹の足には、なにやら紙筒のようなものがあったのだ。
 危のうございます、と衛兵と侍女が揃って言うのを宥め落ち着かせ、ボロミアは戸棚の上でまっすぐにボロミアを見下ろしている鷹へ手を伸ばした。しかし、背の高い戸棚のてっぺんにいる鷹に、ボロミアの手は届かない。一番上の棚にある本を取るときには、脚立を使わねばならぬほどのものなのだ。
 そら、降りてきてくれ。私の背では届かないのだよ。
 そう笑いながら言うと、人の言葉を理解したのか、鷹は羽を広げ、音もなく戸棚から滑空し、ボロミアの肩にとまる。爪に傷つけられる痛みを覚悟したボロミアだったが、ひどく気を使っているのか、鷹は何度か足を踏み替えはしたが、爪を立てることはなかった。
 紙筒の中には、短いながらも手紙が入っていた。
 ちょっと諸国漫遊の旅にでかけてきます、とドワーフの友人と共に先月旅立っていたエルフからだった。
 まずは季節の美しさを愛でる挨拶から始まり、今彼らが逗留している場所についてがそれに続く。すでに奥方が旅立ったロスロリアンの地に、彼らはいるのだと言う。エルフの作り上げた住まいや森は、そのまま残っているのに、エルフそのものがいないことが何か不思議で堪らない。旅の途中には知らなかった湖を見つけた。朝焼けと夕焼けに染まる湖面は美しく、あなたにも見せてあげたい。
 そんな風に書かれている手紙に、ボロミアは知らず頬を緩めていた。
 手紙の最後には、ロスロリアンで出会ったのだと言う鷹の事も書かれていた。驚いたかもしれないけれど、と言う言葉で締められた手紙を、鷹はボロミアの肩にとまったまま眺めていた。
「驚いたかもしれないけれど……などと書くのであれば、一番に書いてもらわねばな…。誰か、すまんが、厨房へ行って、水と食べ物を…いや、鷹の主食は確かねずみや蛇だと聞いたことがあったな…。さすがに厨房にそれはないか…。鶏肉だと、共食いになるかな」
「伝令の鳥係に、聞いて参りましょうか。詳しく知っているかもしれません」
「いや、それよりもよっぽど野に詳しい方に尋ねた方が良いだろう。それに、妃殿下ならば言葉を通じることができるかもしれん」
 ボロミアが席を立つと、鷹は肩に乗ったまま大人しくしていた。
 この時間なら、王とその家族が住まう城の奥で、まだ朝食をゆっくりととっているはずだ。常ならば執務を行っているはずのボロミアと、その肩で澄ました顔をして大人しくしている鷹とが城内を闊歩する様は、珍しくもあり、また微笑ましくもあり、見ている者に彼が自分たちの指導者の紛れもない一人であることを誇らしく思わせた。
 王とその家族がくつろぐ部屋の前で入室の許可を請えば、内側から扉が開き、王妃自らが立ち招いてくれた。
「これは、わざわざ恐縮です、妃殿下」
「おはよう、ボロミア様。今日はとてもすてきなお友達とご一緒ですのね」
 アルウェンはボロミアの肩で、くるる、と甘えるように喉を鳴らした鷹の羽に手を滑らせ、目を細めた。
「良い子ですこと。名は?」
「いえ、わたくしの飼っているものではありません。レゴラスの手紙を運んできてくれたもので、水と食べ物をと思ったのですが、鷹が何を食べるのか検討もつかず、陛下ならば何かご存知ではないかと」
 ボロミアの声に振り返ったエルダリオンが、椅子を滑り降り、鷹に手を伸ばそうとするのを慌ててボロミアは押し留める。賢い鷹を信じていないわけではないのだが、世継ぎにわずかなりとも危険を近づけるわけにはいかなかった。
「鷹ならねずみや蛇だろうな。うさぎを抱えて飛んでいるところも見たことがある」
「うさぎなら厨房にもありそうですな。いや、正直、ねずみや蛇は思いついたのですが、厨房にはなさそうなので、どうしたものかと考えあぐねていたのです」
「お望みなら、ねずみを狩ってくるが? たまーに走ってるんだ。執務室の隅とか、武器庫の隅とか。丁度いい食べ頃だぞ、あれは。丸々と太ってうまそうだった」
 食後の紅茶を飲みながらしれっとした顔でそんな事を言うアラゴルンに、眉を寄せ、ボロミアは嫌な顔をする。
「一応尋ねるが」
「なにかね?」
「あんたまさか、野伏時代にねずみを食したことなどなかろうな?」
「何を言う」
 心底、心外だ、とばかりに紅茶のカップをソーサーに置いたアラゴルンに、ああ良かった、とボロミアが胸を撫で下ろしたのも束の間、アラゴルンはにやりと笑ってテーブルの側に立っていたボロミアを見上げた。
「旅の間、あんただって食べてたじゃないか。サムのシチューはうまかったろ? 塩味の色の薄いシチューだよ。香草の良く効いた、これくらいの小さな肉団子の入った…」
「ああ、あれか。確かにうまかった……まさか、あの肉団子の肉は……」
 言葉を途中で途切れさせ、顔を強張らせたボロミアに、アラゴルンはにんまりと唇の端を吊り上げた。
「あの肉が何か、なんて、あんたは一度として聞かなかったからな」
「……まさか! そんな! 嘘だろう! 嘘と言ってくれっ!」
 いつもの取り澄ました顔など遠くへ放り投げ、ボロミアはアラゴルンの胸倉を掴んでぐいぐいと前後に揺さぶった。
 ボロミアの突然の動きに、鷹は肩から飛び上がり、差し伸べたアルウェンの手の甲に身を預ける。
 さすがに入り口を守る衛兵は顔色をなくしていたが、アラゴルンはそれが旅の間のスキンシップのひとつであったから、ボロミアがいつもの執政然とした姿勢を忘れてくれるのが嬉しかったし、アルウェンやエルダリオンに至っては、アラゴルンが楽しそうなので何も言わずにおこうと暗黙のうちに頷きあっていた。
「うまいうまいって、何度もお変わりをしていたのは誰だったかな」
「ああ! そんな! 知らなかったんだ、あれが、まさか、ねずみだとは! 大体なぜ、野にねずみがいるんだ! 森や草原で食ったんだぞ!」
「野ねずみだよ。都会よりもよっぽど自然に住むものの方がうまいんだ。臭みがないしな。よし、そうと解れば早速狩ってこよう。十匹くらいいれば、当座は足りるかな。待っていろ、ボロミア! うまいねずみを狩ってきてやるぞ!」
「私が食うのではない! 鷹だ! 第一あんた、まさか今から城内を走り回るつもりか!」
「何、ちょいと仕掛けをすれば……おっ、見ろ、ボロミア! いたぞ! 子連れだ!」
「見たくない! 私はそんなもの見たくない! 妃殿下、妃殿下! なんとか言ってください!」
 半べそのボロミアが、とうとう助けを求めると、アルウェンはくすくすと笑い声を漏らしながら、お諦めなさいませ、と微笑んだ。
「たまには陛下にも、息抜きをさしあげませんと」
「あれが息抜きであってたまりますか! ああ、陛下っ? どこへ行った! すぐに目を離すと……くそっ、どこだ、アラゴルンっ!」
 すでに室内に姿のない王を求め、ボロミアが廊下へ飛び出した。早めに捕まえなければ、両手にねずみを抱えて戻ってきかねない。額に汗を浮かべ、城内を探し回るボロミアの後ろを、ボロミアの何がどう気に入ったのか、それともレゴラスから何か言い含められているのか、ひょっとしたら彼にくっついていったらねずみがもらえるかもしれないと思っているのかもしれない鷹が音も立てず静かに滑空し、ついて回っていた。

マジでねずみの肉は食ったと思うんスよ。だってあんな長い旅ですよ。狩りや釣りでしのいだとしたって、さすがにいい獲物ばかりがとれたわけじゃないと思うんスよ。ねずみは意外と森に多く生息してるし、野伏は勿論、食欲大魔神のホビットたちもそれの美味しい調理法をいくらでも知ってると思うんスよ。ドワーフもお肉大好きっぽいので、珍味としてねずみを食っててもおかしくないんじゃないかと思うんスよ。知らなかったのは執政家のご長男だけ。育ちがいいからショックも大きいだろうと誰も言わなかっただけ。愛されてるね(そうか?)。
※とある方が鷲と鷹は同じと教えて下さったのですが、この小説で一緒にしてしまうと話が通らなくなってしまうので、支離滅裂と解っていながらも修正なしで再掲載させて頂きます。ご了承下さいませ。