■ エルフの友 |
覚えているかな、エステル。 ボロミアを亡くした日のことをだよ。 小さい人たちを守って、彼が血を流した日のことをだよ。 指輪の誘惑に抗えず、そんな自分を恥じいて涙していた日のことをだよ。 ガンダルフを悼むエルフの歌が耐えられないと、苦しく呻いていた日のことをだよ。 そして僕たちを、くだらないことで笑い、安らぎ、共に身を寄り添って過ごしたすべての日のことをだよ。 彼は弱く、儚く、もろかった。 愚かで、鈍く、察しの悪い人だった。 ああけれど、それと同時に、彼は強く、強く、強かった。 賢く、尊く、慈しみにあふれた人だった。 愛したのだよ、僕は、彼を、この上もなく。 エルフにあるすべての恩恵を彼に注いでもいいと思うほどに、彼が愛しかったのだよ。 エステル、君は知らなかったかもしれないけれど。 僕たちは、誰よりも先に、友達だったんだ。 彼の一番初めの友達だったのだよ。 裂け谷で、誰が彼のことを気遣っていた? ホビットはホビットの内のことに忙しく、君は君とアルウェンのことに忙しかった。エルフたちはもたらされた指輪に意識を尖らせ、誰も彼を気にもとめていなかったのだよ。 脆弱で愚かな人間が一人エルフの谷に転がり込んできたところで、何がどうなろうというのだろう。 穏やかな流れの川に転がり落ちた小石のようなものだ。 緩やかで、決して強くない流れであるのに、その小石は転がらざるを得ない。 ボロミアはそうだった。 小さな小さな小石だった。 よるすべもなく、一人、流れに翻弄されていた。 裂け谷でも、旅の道中でも、ずっと。 彼一人が、ひどい流れの中にあった。 僕が、守ってあげなくちゃ。 僕が、見ていてあげなくちゃ。 そう思わせたんだよ。 話しかければ、ほっとしたように頬を緩めて僕を見た。 笑いかければ、少しばかり恥ずかしそうに目を伏せた。 エステル、ほかならぬ君の事で、僕たちは口喧嘩もしたけれど、彼は決して僕に手を上げなかったし、僕を疎んだりもしなかった。 言い合って、言い合って、仲直りをした。 知っているかな、エステル。 僕たちはとても、仲が良かったんだよ。 不寝番で二人がかち合ったときには、こっそりと小さな声で、いろいろな話をしたものだよ。 彼の母上や父上、弟君のこと。初恋のかわいらしい女の子のこと。初めて剣を握った日のこと。憧れの英雄のこと。この旅が終わったら、なんて話もたくさんした。彼は僕を、彼の国に招いてくれると言った。隅から隅まで案内して差し上げようと、笑いながら言ってくれた。 知っているかな、エステル。 僕たちは、本当に仲が良かった。 彼のぶきっちょな指は、僕の髪を何度か編んでくれたよ。とてもじゃないけれど均等に編むことは彼には難しく、何度かやり直しをさせたけれど、彼は真剣にやってくれたんだ。 解くのがもったいなかった。 彼が、ああなってしまうだなんて分かっていたら、決して解かなかったのに。ずっとずっとこの身に残しておいたのに。 お礼に僕は、彼の髪を編んで上げたよ。 小麦の穂のように小金色に輝く、彼の髪をね。 意外にも柔らかくて、触っているととても気持ちがいいんだ。エルフのようにこめかみから両脇にひとすじずつと、うしろにひとつ。短いから、とても苦労して編んであげたのに。分かるかな。おそろしく似合わなかったよ。思わず笑ったら、仕返しに髪をぐしゃぐしゃにされてしまったよ。 僕は彼を、愛しているんだよ、エステル。 誰よりも彼を、愛しているんだよ。 もうここにはいないけれど。 もうどこにもいないけれど。 もう二度と会えないけれど。 できるなら、この恩恵をすべて返上してもいい。 叶うのなら、永遠の命をなくしてもいい。 彼に、会いたいんだよ、エステル。 彼の笑顔を見たいんだよ。 あの目に見つめられて、レゴラスと、僕の名を呼んでほしいんだよ。 彼はずっと君のことばかりだった。 君が王様になることばかりを願っていたんだよ。自分のことは二の次で、君を始終気にしていた。 知っているかな、エステル。 ずっと、ずっと、永遠の命が続く一生の間、言うつもりはなかったけれど、彼は君を愛していたんだよ、エステル。 僕が欲してやまなかった彼の心を、彼は君に捧げていたんだよ。 君はずっと、気付いていなかったけれど。 君はずっと、彼を省みなかったけれど。 君はずっと、彼に気付かなかったけれど。 彼はずっと、君を見続けていたんだよ。 エルフにあるまじき嫉妬を、僕は君に抱いたよ。 僕の心を受け取ってくれても、彼は僕に彼の心をくれなかったんだもの。 だけどね、エステル。 彼は僕を、こう呼んでくれたんだよ。 わたしの初めてのエルフの友、と。 わたしの初めてのエルフの友。 彼の声の音が奏でるその言葉は、どんな賛辞よりも僕を幸せにしてくれたよ。 彼は僕に、心をくれなかったけれど、僕にいろいろなものをくれた。 だからね、エステル。 僕は君を、ずっと見守りたいと思っているんだよ。 彼がそうしたかったように、君が王冠を戴く姿をこの目で見届けてやりたいと思うんだよ。 彼がそうしたかったように、君が統治する国の治世を、見つめたいと思うんだよ。 君の子供が生まれる瞬間をこの胸に刻み付けたいと思っているんだよ。 君が幸せだと感じるその時々を、僕はずっと側で感じたいと思っているんだよ。 彼が愛した君を、僕はずっと守りたいと思うんだよ。 君が子供や孫に愛されて生き、そしてその息を止めるその時までずっと、僕は君の側にいたいと思うんだよ。 彼がそうしたくても、できなかった代わりに、僕が君の側にいようと思うんだ。 僕は彼を愛しているから。 そして彼は君を愛しているから。 僕のこの気持ちを受け取る人はもういないけれど、やりきれない気持ちはそうすることで、少し、楽になるから。 ああ、どうか、エステル。 ボロミアの願った通り、いと気高き王に。 ボロミアが眠るあの場所まで、この国の民の笑い声が届くほどに平和な治世を。 そして、どうか、エステル。 僕の愛しい人の魂が安らぐほどに、幸せになっておくれ。 エステル。 僕たちの希望。 君がいたから、僕たちは出会えた。 君がいたから、僕たちは分かり合えた。 君がいたから、僕たちは。 僕たちは。 僕たちは、友達だった。 友達だった。 友達だったんだよ、エステル。 それ以上にも、それ以下にもなれなかったけれど。 友達だったんだ。 |