■ 安息の日
 ボロミアの頭は、アラゴルンの膝の上にあった。
 そよそよと穏やかな風が入り、木々が広げる雄大な葉に程よく遮られた光は優しく羽根のように二人に降り注いでいる。アラゴルンは大木の根元で木に背を預け、ボロミアの頭の重みを心地良く感じながら、一冊の書物に目を落としていた。エルフ語で記されたそれを、アラゴルンは誰からともなく借り受けてきた。長い旅路に、娯楽の書物は要らぬ。裂け谷で彼らが再会した折もアラゴルンは薄暗い場所で本を読んでいたので、ボロミアは彼が本好きであると言う事を何とはなしに解っていた。なので、エルフの方々に作って頂いた弁当を食べ終わった後、おもむろに取り出した本を広げた時も何も思わず、何も言わなかった。ただ彼の膝を借り、穏やかな午睡を楽しむ事にしたのだ。
 かの美しき奥方の住まう森の外れに、かつて世捨て人が住まったと言ううち捨てられた小屋があった。屋根は苔むし、中は荒れ果てている。木戸の半分が欠けており、そこから中に枯れ葉や土塊が舞い込んでいる。床板を下から突き破り、若木が小屋の主のように育っている。屋根にも満たないそれは、だがいずれ、屋根を壊し大きく大きく背を伸ばして行くだろう。
 アラゴルンが見つけたその小屋に初めてボロミアは招かれ、そして一目で気に入った。この世ではないどこかのようだ、と呟き、詩人だな、とアラゴルンに微笑まれるほどだった。中の木がいい、と木戸に手をかけた途端、ギィと耳障りな音を立てたそれから慌てて飛びのきながら、ボロミアは笑っていた。家の中に木があるなど、まったくもってエルフの方々の生活のようだ、とおおよそ人が寛ぐには値しない寂れた小屋の中を、まるで宝箱のように仔細に眺めていた。
 過酷な旅の合間の、ほんの僅かな休息だ。思い思いに羽根を伸ばす中で、彼らはこうして、仲間の目を盗むように少しばかりの遠出をしてきたのだ。旅の道中の夜番と夜番の隙をつくような逢瀬ではなく、ここでは彼らは、初めて恋人らしい逢瀬を楽しむ事ができた。くちづけ、手を繋ぎ、身体を寄せ合う。草を褥に、とんでもなく耳の良いエルフから逃れ、身体を重ねすらした。それはボロミアを悩ませる奥方の声を、忘れさせてくれるものであったし、そうしている間は、己の双肩に圧しかかる宿命から逃れさせてもくれた。アラゴルンは私の苦悩を知っていたからこそ、ここへ誘ってくれたのではないだろうか、と彼の指がゆっくりと本を捲る音を聞きながら、ボロミアは思っていた。時折、本から離れた指が、ゆっくりとボロミアの髪を梳く事がそれを裏付けているような気がする。
 一刻ばかり、そのようにして互いに口も聞かず、過ごしていただろうか。うつらうつらと、眠りと目覚めの間を彷徨っていたボロミアは、近くの木の枝から飛び立った鳥を機に、閉じていた目を開いていた。
「…起きたのか」
 静かな声に、ボロミアは何度か瞬いた。ずっと閉じていた目に、柔らかな光は眩しい。実は本当に眠っていたわけではなかったけれど、そう言ってアラゴルンに反論するのも億劫で、また、眠っていると思ってそっとしておいてくれた彼の気遣いを無下にするような気もしたので、ただ簡単に、ああ、と頷いていた。
「あなたはずっと、それを読んでおられたようだが……」
「懐かしくてね」
 アラゴルンは微笑み、ボロミアにその本の表紙を見せてくれたのだが、金色の気取った飾り文字で書かれたそれは、生憎エルフ語だったので理解できなかった。
「…ディーネの物語、と書いてあるのだよ」
「ディーネ。名前から察するに、どうやら女性のようだが」
「驚いた。ボロミア、あんたは知らないのか」
 目を見張るアラゴルンの表情に、それはよっぽど有名な話なのだろうかとボロミアこそが驚いた。エルフの間に語り継がれた物語が、人間にも浸透しているくらい古くからあるという事だろうか。だが、記憶のどこをひっくり返しても、ディーネの物語などと言う物語は思い当たらない。
「すまないが、記憶にはないな」
「子供の頃、誰かから聞かされなかったのか? 人の王子に恋をした、とても悲しい人魚の物語だよ」
「ああ」
 困惑これに極まりと言う表情で、アラゴルンの膝の上から彼を見上げていたボロミアが、そこでようやく相好を崩す。己の腹の上に置かれた手を伸ばし、アラゴルンの頬をゆっくりと撫でた。
「それならば存じ上げているよ、アラゴルン」
「さっきは知らないと言ったのに」
「ディーネと言う名に思い辺りがなかったのだ。それに私は、人魚姫伝説、と教えられたからね」
「人魚姫伝説……それでは何だか、恋物語と言うよりも、ただの伝承のようではないか」
「そうは言っても……」
 困ったようなボロミアの掌に頬を擦りつけ、アラゴルンは言葉ほどは拗ねていないようだった。
「私達はそのように話して聞かされているのだし…それに第一、人魚の姫に名などなかったよ」
「なんと!」
 アラゴルンの手から落ちた書物が、ばさりとボロミアの顔に被さった。エルフの方々が作ったそれは、人間が作ったものよりも随分と軽く、特に痛みも衝撃も感じなかったが、アラゴルンは見ている方が可哀相に思うくらい慌てふためき、ボロミアに謝った。
「す、すまない! 驚いて、つい手が滑ってしまった」
「いや、大して痛みはしなかった」
 ボロミアはゆっくりと身を起こし、アラゴルンが取り上げようとしたその薄い本を自分の膝の上に置いた。見下ろせば、流れるようなエルフの文字と、美しい色合いで彩色された絵が連なっている。紙の端々は少しばかり汚れ、縒れている。本を閉じる紐も随分と年季を感じさせるものだった。
「エルフの方々は、かの人魚の姫をディーネと名付けられたのか」
 目を細め呟いたボロミアの言葉に、アラゴルンは目を丸くした。
「ディーネの名付け親は、エルフではないよ。彼女の両親だ」
「いや……私が知っている話に人魚の姫の名などはなかったものだから…。エルフの方々か考えた話が、我ら人間に伝わってくるまでの間に、少し捻じ曲げられてしまったのだろうか。そう言う事はよくあると、裂け谷で耳にしたのだが」
「そうではない」
 アラゴルンはそこでようやく、自分とボロミアとの間にある見解の違いに気付いたようだった。おかしそうに首を傾げ、もたれていた大木の幹から、僅かに背を起こす。
「そうではないよ、ボロミア」
 立ち上がる事もせず、じりじりといざり寄るアラゴルンが両腕を伸ばす。旅の道中はお世辞にも綺麗とは言えない格好を厭わず、それどころかむしろそちらの方を好んでいるような素振りのアラゴルンだったが、さすがにかの美しき奥方のお膝元で、それは無礼と思ったらしい。常日頃の彼からすれば驚くほどこまめに服を替え、湯を使っている。そのおかげで美しく汚れの付着していない手を、ボロミアは愛しげに見つめ、引き寄せた。膝の上の本を少しばかり躊躇った後、積もった木の葉の上に置く。そのかわりに、アラゴルンがボロミアの膝へ乗り上げた。
 額と額がくっつきそうなほど間近に恋人の目を見つめ、彼らは互いに笑みを浮かべる。
「ディーネは本当にいるのだよ、私の愛しい人」
「なんと!」
 あたかも、誰にも教えてはならぬときつく戒められていた秘密を、そっと吐露するように、アラゴルンは囁いた。小さな小さな声に、ボロミアは大きく目を見張り、思わず声を上げる。その唇に、しぃ、と人差し指を当て、アラゴルンはおかしそうに目を細め言った。
「うんと暖かな海に、人魚は住まっているよ。それがどこかは、教えられないがね」
「では、今も? ああ、それでは、あなたは会った事がおありなのか? なんと羨ましい」
「生憎、私は会った事がない。義父上は会った事があると、私がまだ幼い頃自慢げに話して下さったがね」
「では、人魚の姫は? 人魚の姫が慕う王子と添い遂げられず、泡になってしまったのも本当の話だったのだろうか。だとしたら、なんと不幸なことだ」
「ボロミア」
 アラゴルンはぎゅっとボロミアの首に回した手に力を込めた。しがみつくように寄り添うアラゴルンの背に腕を回し、ボロミアは彼が小波のように小さく繰り返す呼吸の音を聞いていた。
「泡になったのではないよ」
 呼吸と同じに小さな声に、ボロミアは耳を傾ける。
 ボロミアからの返事があろうとなかろうと、アラゴルンは一人囁くように話を続けた。
「人の子の王子に想いが届かず、ディーネは海に還ったのだ。日々、人の子の王子を想い、憔悴し、そして儚くなってしまったのだよ。可哀相な話だが、私はディーネが海に還って正しかったと思うね」
「なぜ」
 ボロミアの小さな声に、うん、とアラゴルンは僅かに身を引いた。できた隙間から覗くように、ボロミアがアラゴルンを見上げている。金色の髪がボロミアの端正な顔立ちを隠すので、アラゴルンは指を伸ばしその髪をそっと両脇へ避けた。
「想い遂げられずとも、王子の側にいるのが人魚の姫の幸せではなかったのだろうか。私は幼い頃から、ずっとそう考えていた。泡にならず、ずっと王子のお側におられたのなら、人魚の姫は幸せではなかったのだろうか、と。ファラミアに言ったら、兄上らしいと笑われてしまったが」
「私は、逆だ、ボロミア」
 髪を避けて現れたボロミアの額に、アラゴルンはひとつくちづけを落とした。 
「もし、私がディーネだったのなら、そんな辛い事には耐えられないよ」
「辛い事…というと?」
「焦がれた王子は私ではなく、娶った人の子の姫を愛しているのだよ。その側にいて、王子と人の子の姫とが幸せに暮らすのを見届けるなど、考えただけでもこの身が、嫉妬の炎で焼け落ちてしまいそうだ。人の子と、私とでは命の長さが違う。ずっと側で見届ける事になるだろう。彼と彼が愛した女性が子をなし、その子が大きく育って行く。やがて彼には孫ができ、彼は彼の家族に囲まれて幸せに……。私の居場所など、ない。苦しくて、悔しくて、気がおかしくなりそうだ」
 眉を寄せるアラゴルンの表情は、人魚の姫に共感し浮かべるものではないように、ボロミアには思えた。彼自身の感情から浮かぶものに思え、だからこそ、ボロミアは微笑み、静かに告げたのだった。
「…私は、耐えられます。耐えてみせましょう。ああ、いや、耐えるというのは少しおかしいかな」
「ボロミア?」
「あなたと共に白き都に還ったならば、いずれあなたは妃殿下をお迎えにならねばなりますまい。契り、子をなさなくては。あなたの方が長命であられるから、私はあなたの死に目には会えますまいが、あなた方の幸せを、お側でお守りする事はできましょう。あなたがお迎えになった妃殿下に、そしてまだ見ぬお子様にお仕え致しましょう。ああ、王子殿下だろうか、王女殿下だろうか。どちらにせよ、あなたの血が一滴なりとも流れているのだと思うと、私のこの胸が張り裂けそうなほど、まだ見ぬ殿下方に愛しさが込み上げるのです。それがどうして、辛い事なのだろうか。あなたと、あなたの愛しい方々をお守りする。想像するだけで私は、幸せでならない」
「ボロミア」
 心の底から幸福そうに微笑むボロミアを、アラゴルンは溜まらずに両腕で抱きしめた。彼の膝の上に腰を下ろしていたので、ボロミアの頭を胸に抱きかかえるようになってしまったけれど、アラゴルンはそれだけでは足りず、彼の金色の髪に頬を摺り寄せた。
「ボロミア」
「お約束致しましょう、まだ冠を抱かぬ王よ」
 アラゴルンの腕に囲われ、胸に抱きしめられたボロミアの声は、そのせいで少しばかりくぐもってはいたが、アラゴルンの耳に届く彼の声は喜びに満ち溢れていた。
「あなたが玉座に着かれるその日も、わたくしがお側におります事を、お約束致しましょう。あなたが玉座を退かれるその日も、わたくしがお側におります事を…、あなたのお目に姿は映らずとも、常にお側におります事を、お約束致しましょう。この命尽き果て、肉体は滅びても、わたくしの気持ちは今と変わらぬ事を、お約束致しましょう」
 締め付けられる胸の痛みに、アラゴルンは目尻に涙が滲むのを感じていた。ぎゅっと目を閉じ、震える唇を噛み締める。アラゴルンの背に触れるボロミアの掌は温かく、そして優しい。顔を上げないでくれ、とアラゴルンは願わずにはいられなかった。こんな情けない顔を、彼には見られたくなかった。
 だがアラゴルンの願いとは裏腹に、ボロミアが身をもぎはなす。抗うアラゴルンの手の中から無理矢理抜け出して、泣き出しそうな顔をしているアラゴルンの顔を見上げ、微笑んだ。己の肩に乗っている彼の手をそっと取り、両手で包む。
「お約束致しましょう」
 目を瞬くと、アラゴルンの頬に涙が形となって転がり落ちた。泣くなど何十年ぶりだろうかと、薄ぼんやりと思うアラゴルンの手に、ボロミアはゆっくりと唇を寄せる。手の甲に、暖かいものが触れた。
「お約束致しましょう、アラゴルン。あなたが玉座に背を向けられようとも、この気持ちが変わらぬ事を」
 ああ、とアラゴルンの唇から吐息のような溜息が漏れた。伝う涙はボロミアの掌に拭われたが、転がり落ちたその溜息だけは拭いきれなかった。
「ボロミア」
 涙混じりの声で呼ばれ、ボロミアは苦笑する。はい、と返事を返せば、アラゴルンは片手をボロミアの両手に包まれたまま、彼の肩に顔を伏せた。
「……私は…約束など、できない」
 ゆっくりと首を振るアラゴルンが、ボロミアが何かを言うのを恐れるように言葉を続けた。
「私は、約束などできない。あんたの国の王に……あんたが望むのならそうしたいと、今ほど思ったことはない。だが、私にはその資格がないんだ。私には忌まわしき血が流れている。あんたの国を滅ぼしてしまうかもしれない…」
「あなたが忌まわしいと仰る血は、私にはこの上もなく尊きものに思えますが」
「あんたを失望させたくない」
「失望など。あなたを一目見たときに、すでに地の底に落ちる心地のように失望しているのです。今更、何を」
 おどける言葉と声に、アラゴルンも思わず唇の端を持ち上げる。
「…何を、そんなに失望してくれたのかな」
「あなたが私の王だとレゴラスに聞かされた時、本当に失望したのだよ。こんな小汚い男が! とね」
 アラゴルンの手を離し、大袈裟に両腕を広げるボロミアに、心底弱りきった表情でアラゴルンは首を傾げた。
「…小汚い…あの時はまだ、多少…綺麗だったように思うのだが…。義父上が毎日毎日、違う服を持って訪れるものだから…」
「服ではない、アラゴルン。様相だ。無精髭を生やして、髪もろくに梳かず…ああそうそう、知っているのだぞ、アラゴルン。あなたがあの時、昼寝から起きたばかりで顔も洗わずに会議の場にやってきたことをね! 涎の跡がついていた」
「まさか! そんな!」
「あの姿を見た私に、レゴラスが言ったのだ。彼こそが私の長年待ち望んでいた我が国の王だ、とね。ショックで寝込むかと思ったよ」
「…そんなに酷かっただろうか」
 不安を露に、落ち着きなく目をそらすアラゴルンに、それはもう、とボロミアは自信たっぷりに頷いた。
「私の消沈ぶりに、後でレゴラスが心配して部屋を訪れたほどだ。もう少しまともな格好をしている時に伝えていれば良かった、とね。あのレゴラスが謝ったのだよ! せめて涎の跡がない時に、とね」
「確かに…それ以上あんたを失望させる事は、ないかもしれんな……」
 溜息を吐いて肩の力を落とし、アラゴルンは申し訳なさそうに首を振った。
「だが、ボロミア。本当に私は約束できない。あんたの国で、あんたの望むように王になるなんて…」
「もうお忘れか、アラゴルン」
 アラゴルンの唇を、先ほど彼がそうされたように指先でそっと押し止め、ボロミアは微笑んだ。目尻に皺が浮かび、それだけで厳めしい雰囲気をかもし出している彼の顔が、柔らかく、優しく豹変する。ホビット達が彼に懐いた理由が、彼の笑顔を見るたびにアラゴルンは解るのだった。
 その、誰をも懐柔する笑顔でボロミアは告げた。
「あなたが玉座に背を向けられようとも、わたくしの気持ちは変わらないと、お約束申し上げたではないですか、無冠の王よ。私は私の気持ちを盾に、あなたに即位を強請るつもりは毛頭ない」
「ボロミア……」
 感極まった表情を浮かべるアラゴルンに、ボロミアは圧し掛かる憂鬱な空気を追い払おうと、わざと大きな声を張り上げていた。
「さぁアラゴルン! 裂け谷で私を失望させた事を悪いと思うのなら、詫びのくちづけを寄越しなさい。それに、毎朝起きたら顔を洗うように」
「…くちづけは、頬に? それとも唇にかな? 愛しい人」
 ぎこちなくだが、ボロミアの思惑に乗り微笑むアラゴルンに、ボロミアは大袈裟に両腕を広げた。
「無論、唇にだよ、アラゴルン。それも一度ではとてもじゃないが足りない。エルフの方々の誕生日のように、際限なく頂かなくてはね!」
「それはまた随分とあんたを失望させていたようだな」
「まったくだ。そう思うのなら、毎朝顔を洗いなさい、アラゴルン」
「……努力はしよう」
「努力だけではなく」
「実施もするよ、ボロミア。ああ、頼むからそう怒らないでくれ。折角二人きりでいるのだから、恋人らしい事をもっとしたい」
「くちづけをする以上に、恋人らしいことがあるかな」
「……私の口からは、それ以上は言えんよ。はしたない男だと思われてしまうからな」
「何を今更」
 ボロミアの頬に、額に、瞼に、鼻に、唇にとくちづけの雨を降らせすアラゴルンの背をしっかりと抱いたまま、ボロミアは身を起こした。
 枯れ葉と下草を褥に、アラゴルンの身体がそっと横たえられると、今度はこちらの番だと言わんばかりに、くちづけの雨がアラゴルンを襲う。軽装の襟元ははだけられ、覗いた鎖骨にもその雨は降った。
 見つめ合い、微笑み合う恋人たちを、木々の隙間から差し込む光が祝福しているかのようだった。
 かの美しき奥方の住まう森の外れでのささやかな彼らの憩いは、ロスロリアンを発つその日まで繰り返される。それはいずれ来るその日を哀れんだ、かの美しき奥方からの贈り物のようだった。いや事実かの奥方からの贈り物だったに違いない。いくら中心から遠く離れた外れと言えども、奥方の身体とも言える森の中で繰り返された逢瀬だったのだから。
いくつも交わした、とりとめのない、けれど違える事しかできぬ約束は幸福に満ちていた。邪魔をされることのない安寧は、心底の疲弊を忘れられる夢のような、運命に別たれた彼らが共に過ごすただ一度だけの安息の日々だった。