探偵たちの鎮魂歌


 レッドキャッスルの限りなく最上階に近い一室で、白馬探は膝の上に乗せ広げていた本からふと顔を上げた。
 窓の向こうにあるのはミラクルランドだけで、たとえ夜と言えどもカーテンを閉める必要はない。日中こそは初夏の陽気に汗ばむほどだったが、陽が落ちれば少しばかり肌寒い。それでも探は開いたままの窓を閉めようとはしなかった。
 ドォンと言う音ともに、たった一発の花火が上がる。オレンジ色の光を放ちながら零れる火花の中に、すいと過ぎった黒い影を見つけ、探は仄かな笑みを浮かべた。
「おやおや」
 呆れるような口ぶりでそう呟き、テーブルの上のカップを持ち上げる。香り高い紅茶の琥珀色を目で楽しみ、鼻腔で楽しみ、そしてようやく唇へつける。一口啜り、ソーサーへ戻せば、開け放したままのベランダでばさりと羽音がたった。再び顔を上げ見やれば、そこには稀代の怪盗、怪盗キッドの姿があった。
 スーツにマント、シルクハットに手袋に至るまでと総白尽くめで、夜目に目立つことこの上ない。モノクルを外し、スーツのポケットに落とし込んだ彼は、部屋の中の探がじっと見つめているのに気付くと、大仰にシルクハットを取りお辞儀をした。マジシャンさながらの仕草にマントは翻り、一瞬キッドの姿を隠す。そしてそれが取り払われた後には、ジーンズにシャツ姿のラフな少年の姿があった。
「よぉ、ワトソン」
 部屋の隅の止まり木で目を細めている鷹に挨拶をし、探の座るテーブルの側へやってくるのは黒羽快斗。怪盗キッドその人でありながら、怪盗キッド専門の探偵である探の同級生であり、恋人のようなものだ。
 ようなもの、とつくのは、まだそこに至るまでの過程の中に彼らがあるからで、もう一歩二歩、足を互いに踏み出せれば恋人とはばかりなく称せられるだろう。
「随分とサービス満点でしたね、黒羽くん」
 探が自ら紅茶を注いで差し出せば、サンキュ、と軽い礼を口先に乗せ、快斗はソーサーを受け取った。
「あの花火はデートをすっぽかされ、一日待ちぼうけを食らわされた恋人への罪滅ぼしですか?」
 受け取ったカップをすぐに口に運び、熱い…、と眉を顰めてテーブルへ戻す。じっと見上げる物言わぬ目が、多弁に違うものを用意しろと要求する。やれやれ、と探は溜息を吐いて、部屋の隅にあるミニバーの冷蔵庫からペリエを抜き出した。
「ペリエでいいですか? レモン? ライム?」
「ラズベリー」
 まったく、と口ではそう言いながらも、内心ではさほど苦とは思っていないのが、快斗の我侭だ。他愛ないことで我侭を言われると、何が何でもそれを叶えてやりたくなる。叶えられる範囲で言われる我侭だと解っているからなおさらだ。おそらく快斗は、部屋に入った数秒の間で、ミニバーの中にラズベリーのボトルがあるのを見取っていたのだろう。カクテルに使うためのラズベリーのボトルを棚から下ろし、手早くペリエを拵える。グラスの中でからからと揺れる氷の音に紛れさせるように、快斗が低く呟いた。
「悪かったよ」
「待ちぼうけをさせたことですか?」
 探がグラスを持って寄れば、ああ、と快斗が呻く。
「それに、こんな所に行こうって言ったのも」
「ああ、その事ですか」
 ミラクルランドのスーパースネークに乗りたいと言い出した快斗の願いを叶えるために、探はレッドキャッスルのホテルを予約した。探偵白馬探の名に気付いた曰くあり気な依頼人に会ってくれるようにと依頼人の秘書とやらに頼まれたのだが、探はあっさりきっぱり断ったのだ。僕の専門は怪盗キッドだけですから、と。
 その話をしながら、ひとまず部屋に荷物を入れ、少し休憩してからミラクルランドへ出かけましょうか、と提案する探に、そうだねぇ、とベランダで呑気に頷いていた快斗だったが、うわ、すごい人…、と言いながらひょいと下を覗き込み、そして血相を変えて部屋を出て行ったのだ。
 ちょっと出てくる、と言い置いて部屋を飛び出し、帰ってきたのはつい今しがたと言うわけだ。
「別に僕はミラクルランドで一日遊ぶと言うのも、悪くはないと思うのですが…。何かあったんですか? ああ、いいえ、推理してみましょうか」
 ラズベリーのペリエを受け取り、ストローでちまちまと飲んでいる快斗を見下ろし微笑み、探はこの日中見た光景を思い出しながら言った。
「あなたのお気に入りの坊やが血相を変えてホテルを飛び出して行きました。毛利探偵と一緒に。その前に彼は園内に入場したばかりの少女と連絡を取っていた。これもまた血相を変えていた。彼女の手には何か時計のようなものがついていましたね。不自然な大きさで…どうやらVIPパスのようですが、再三僕に探偵の仕事を依頼してきた名もなき依頼人の秘書の方が持っていたものと同じでした。おそらく毛利探偵もそのパスをもらったのでしょう。彼の娘さんの手にもあった。探偵が血相を変えて飛び出すなど、よほどの事情があるのでしょう。おそらく、あのVIPパスは爆弾。坊やのお友達の少女が、彼女の友達を外へ出すまいと画策していた…となるとあれはセンサー付きの爆弾。ミラクルランドから出れば爆発するということですか。彼らは家族や友人を人質に取られ、事件を解決するように脅迫された。そんなところでしょうか? と言う事は…ああ、そうですか。先ほどの花火は別に僕への罪滅ぼしと言うわけではない。爆弾がひとつ残っていたんですね。それをあなたが爆破させた。見事な手腕ですよ」
 にこりと微笑む探に、快斗はむぅと口を尖らせた。そうするとひどく幼い表情になる。突如として世間から姿を眩ませてしまった高校生探偵の工藤新一と黒羽快斗とは良く似通ってはいたが、そんな表情をするとまるで違った。
「……悪かったよ」
「先ほどからそれしか聞いていませんよ」
「ごめんなさい」
「似たような言葉じゃないですか。それで? 何があったのか話してもらえますか? 勿論、差しさわりのない所だけで結構ですよ」
 怪盗キッドとしての話を、探は聞こうとはしない。恋人関係にありながらも、今も怪盗キッド専門の探偵である探は、自らの手でキッドを捕まえたいのだ。それは恋人として快斗を思う気持ちとはまた別の場所に、しっかりと根付いているもので覆せようもない。
 穏かに微笑む探の表情を見て、快斗はほっとしたように息を吐いた。それから行方を眩ませていた一日をどこでどう過ごしていたのかを話し始める。
 要点だけを纏め話したのだが、それでもすべてを語り終えるには小一時間かかってしまった。
「では今日は、大忙しの一日だったということですね」
 快斗が飲まなかった紅茶を引き寄せる探に、快斗はペリエを飲み、ああ、と頷いた。
「それは良かった。どこで何をしているか解らず、怪我でもしているのかと心配していましたからね。有意義な一日だったようで何よりですよ」
「あー……ごめん、連絡しなくて…。したくてもできなかったと言うか……ああ、でもこれ、言い訳だよな。ごめん」
 しょぼんと肩を落とす快斗を見て探はくすくすと笑い声を洩らした。
「いいですよ、もう。そんなに謝って頂かなくても」
「でもさ、誘ったの俺だし、ミラクルランド行きたいって言ったのも俺だしさ…白馬はこういうとこ、あんまし好きじゃないのにさ」
「でも、楽しかったですよ」
「え?」
 目を丸くする快斗に、探はにこりと笑みを浮かべた。
「いつ待ち人が来るのかと想像するのはね。さぁ、それだけ動いたのなら、お腹も空いているでしょう? 何か作らせましょう。メニューを持ってきますね」
 探が席を立ち、部屋の隅にある電話の側へ近付く。持ってきたメニューを広げて快斗に差し出した。すぐに受け取るかと思いきや、快斗は両手でペリエのグラスを持ったまま眉を寄せている。目の前に差し出されたメニューも目に入らないような様子に、さすがに心配になった。
「どうしました?」
 探がそう問えば、快斗はむぅと眉間に皺を寄せたままで呟いた。
「だってさ……まぁ、俺のせいなんだけど、折角ミラクルランドの前にいるのに、スーパースネーク乗らず帰るなんて、なんか勿体ないし、それに、こうしてセッティングしてもらったのに、結局、あんまり一緒にいられなかったし、なんて言うか、勿体ないって言うか…」
「それならもう一泊しましょうか?」
「え」
「あなたの言葉じゃありませんが、だって折角きたのに、勿体ないでしょう? 僕としては黒羽くんのご要望は何としてでもかなえてあげたいですし、それに観覧車にも乗ってみたいですからね」
「か、観覧車?」
 目を丸くした快斗に、ええ、と探はにっこりと微笑んだ。
「デートの定番だそうじゃないですか。まぁ最も、あなたがいやだと仰るのなら、諦めますけどね」
「え、いやって事はないけど……でもどうかな、男同士でそれはちょっと不毛って言うか悪目立ちしそうって言うか……」
「ですから言ったじゃないですか。あなたがいやだと仰るのなら諦めますと」
 探はそう言って、さぁ何にしますか、とメニューを差し出す。
 ようやくペリエのグラスから手を離し、完全には納得しきれていないような様子でメニューを受け取る快斗に、探は笑みを深くする。
 おそらく、伝えても伝わるまい、と探は思っていた。
 快斗を思う気持ちは、何から何まで複雑すぎて、いちいち整理がつかない。
 快斗は快斗であり、それでいながらキッドでもある。
 害をなすすべてから守りたくあり、手錠をかけ白日の下にその姿を晒してやりたいとも思う。
 対極の考えを探は有し、持て余しながらもなんとか身の内に抱え込もうとする。
 だから、探は快斗の我侭をすべてかなえてやりたいと思うのだ。
 この先、自分達の進む道が必ずしも重なっているとは限らないのだから、今を大切にしたい。
 真剣にメニューに目を落とし始めた快斗に、探は少し身を乗り出して言った。
「こっちのレストランの方の海鮮料理がオススメですよ。昼に食べたら美味しかったもので。さすがに海の近くだけあって魚介類が……あ、いえ、シーフードが美味しくて」
 じと目で睨む快斗に気付き、白馬は慌てて言葉を変える。
 ニュアンスの変わったそれに、へぇ、と快斗は相槌を打った。
「それじゃ、俺もそれにしようかな。このシーフードパスタって奴。あ、でもあれだな…なんか危険な感じがするな……」
 探はメニューを受け取りながらくすくすと笑い声を上げ、電話の元へ歩み寄った。
「あなたの天敵がいたら、まず僕が取り除いて差し上げますよ。デザートにティラミスはいかが?」
「食う」
 随分遅い時間ではあるが、二十四時間ルームサービスに対応していると言うのがこのホテルの売りだ。オーダーを終えると、またペリエのグラスを両手で抱えるように持っている快斗へ探は笑んだ。
「明日、晴れるといいですね」
 顔を上げる快斗が、探の笑みを認め、じんわりとした微笑みを浮かべる。
 柔らかく、警戒のない表情に胸を暖かくされる。
「そしたら、遠くまで見渡せそうだよな」
 椅子を引いて腰を下ろしながら、探は快斗の言葉に首を傾げた。
「スーパースネークで周りを見渡す余裕があるんですか?」
「観覧車だよ」
 ぷいと顔を背ける不貞腐れたような顔に、ああ、と探は心底嬉しくなった。
「そうですね」
 笑みを深くすれば、快斗の頬は赤く染まる。可愛らしい人だ、と呟けば、気障野郎、と小さな声が悪態を吐く。それすらも愛しく探の胸をくすぐっていく。
 カーテンの閉じられていない窓を見やれば、明るい月が顔を覗かせている。
 明日もまた、良く晴れそうだ。

 何と言われようとも卯月さんへ!(笑) 約束は果たしたよ!!と言う思いを込めてもう一度…卯月さんへ!(笑)
 平新で書くつもりだったのに、なんだか途中から白黒で妄想しながら映画見てたので、できたのはこんなのでした…。ああん、平新はあまりにも映画で堪能しすぎたので、妄想のしようがなかったと言うか…なんと言うか。
 平新も書きたいな。