ブラックティキッス

 風呂でほかほかに暖まった身体にエアコンの冷風が気持ちいい。
 リビングのソファに埋没するように座り、エアコンを操作して風が自分のいる場所にしか吹かないようにした。汗ばんでいた身体に冷風が吹き付けられ、冷えていくのが心地よく、しばらくそのままでまどろんでいたら、こら、と言う声と共に下りてきた手に、濡れた髪をわしゃわしゃと掻き乱された。
「まーた、そんな事しとんのか。こないだかて、風呂上りにクーラーの下に立っとって風邪引いたん忘れたんか? あーあー、髪からまだ水が落ちとるやないか。せめてちゃんと拭かんかい」
 肩にかけていたタオルを取り、乱暴に髪を拭く手は片手だ。いつもなら両手でされるそれが片手である事を不思議に思って見上げれば、新一と入れ違いに風呂に入った平次の片手にはアイスティのグラスがあった。
 氷の鳴る音が涼しげで、新一がじっと黙ってそれを見上げていると、自分こそ水を滴らせている平次は、なんや、と不気味そうに顔を顰めた。
「言うとくけど、ちゃんと風呂場の換気扇回してきたで?」
 日本の夏は湿度が高い。東京も大阪もそう変わらないだろうに、平次には風呂を上がれば換気扇を回すと言う習慣が綺麗さっぱり抜け落ちていた。恐らくは母親の静華がそれを教えなかったのだろうが、平次が夏休み一杯を工藤邸で過ごすためにやってきてから四日で風呂場に発生したカビに、罵声と悪態と文句を撒き散らしたのは記憶に新しい。カビ駆除用の洗剤を買いに行き、昼の熱気蒸す中、カビ取りをさせられた平次は、文句を言われる前に先手を打てと思ったらしいが、生憎検討違いだった。
「違ェよ」
 暑さにぐてっとへたりながら、新一は片手を伸ばした。
「それ、くれ、一口」
 指差されたグラスと新一の指とを見比べて、平次はようやく合点が入ったように笑みを浮かべた。
「なんや、そうならそうと早よ言いや。工藤、レモンティのがええやろ。今作ってきたるわ」
 身軽に踵を返し、キッチンへ取って返そうとする平次の背中を、新一は慌てて掴んだ。風呂上りの平次の姿はハーフパンツにTシャツ姿だ。ぐいと乱暴に、情け容赦なく背中を引かれ、ぐえっ、と平次は奇妙な呻き声を上げた。後ろに引かれてバランスを崩し、倒れそうになるのを持ち前の運動神経で持ちこたえる。アイスティが零れなかったのを褒めてやりたい。
「なにさらすっ!」
 勢い良く振り返る平次は赤い顔で首元を押さえている。そんなにきつく引いたつもりはねぇんだけどなぁ…、とのんびり思いながら、新一はソファの上で膝立ちになり、平次の手からグラスを抜き取った。
 氷が浮かんだアイスティのグラスはきんきんに冷えている。風呂上りの火照った手のひらに痛いような冷たさが心地良い。
「これでいい」
 その表情をどう取ったのか、平次は困惑したように首を傾げた。
「そやけど、それ、飲みかけやし」
 折角だから新しいのを、と言いかけた平次の先手を打って、新一は唇の端を持ち上げた。
「バーロー、これがいいんだよ」
 言葉にしなかった意図に、平次は気付いたのだろうか。
 新一は誘うようにちらりと舌を出してグラスの端を舐め、アイスティを飲んだ。甘いのを好まない平次らしくアイスティもブラックだが、風呂上りの乾いた喉には丁度いい。心地よく落ちる冷たさが喉を通り胃へ届く時には、驚いていた平次の表情もいつものふてぶてしい様に戻っていた。キッチンへ向いていた足はソファへと返り、伸ばされた手が新一の頬を擦った。
 新一が縁を噛んでいたグラスを取り上げ、平次はにんまりと笑う。
 あ、図に乗らしたかも、と新一が目を瞬くと、平次はアイスティで冷やされた新一の唇を掠めるように奪った後で、エアコンの風に冷たくなった肩に触れる。今の今までは冷たいのが心地よいと思っていたのに、風に冷やされた肩は平次の熱い手の方が気に召したようだ。じんわりと暖かくなる肩を片手で何度か撫で、平次はつくづく感心したと言うように言った。
「工藤、誘うん、上手ぁなったなぁ」
「馬鹿かテメェは!」
 二度目のキスをしようと近付く顔を新一は思い切り押しのけた。
「なんでや! 誘うてたんとちゃうんか?」
「誰が誘うか、馬鹿ッ!」
「関西人に馬鹿言うたらあかんて!」
「テメェなんか馬鹿で充分だ、色黒色ボケ野郎!」
「色黒は関係あらへんやろ!」
 アイスティのグラスを片手に、顔を近づけようとする平次と、それを押しのけようとする新一が、ソファの背を挟んでの攻防戦をおっ始める。力だけなら平次が圧倒的に有利だが、片手にはグラスがあり、中にはまだなみなみとアイスティが入っていると言う事で、どうやらいい勝負のようだ。
 だが、実のところ新一とて平次にくちづけられることが嫌ではなく、それどころか羞恥心が先に立って否定してはみたものの、平次を誘おうとしていたことは事実で、結局いつものように新一に土がつく。
 背を抱え込むように抱きしめられ、新一は喉を鳴らす。重なった唇は深く互いを貪りあって、冷えた身体を発熱させる。
 いまだ平次の片手の中にあるグラスの中で、氷が二人の熱に当てられたようにからりと転がり音を立てた。
「第二ラウンドといこうやないか」
 上がる息を持て余して離れた唇が告げた言葉に、新一はカッと頬を赤くする。
「風呂入ったばっかじゃねぇか!」
「工藤相手やと、何遍でもやりとぅなんねんて。それに、ほれ、夏休みやし」
「関係あるか!」
 脂下がった笑みを浮かべる色の黒い頬にばちっと張り手を食らわせるも、本気ではないのだからあまり効果はない。新一はしかけられるくちづけに甘んじながら、今日二度目のセックスに突入すべく、平次のハーフパンツに手をかけた。
 
 ああんもうタイトルに何の捻りもないこと! こう、なんというか、暗号を解読して出てくるタイトル!みたいなのチャレンジしてみたい。どこかで売ってないかな。『これであなたも怪盗キッド!暗号の作り方100選』みたいな奴。推理小説を書くときって、所詮は単純人間なので小難しいことが捻れない。コナンやるんなら小難しくて恐ろしく難解なのを!(矛盾してますよー)と思うんですが、どーにもこーにも無理ですね。推理小説家の方はすごいなーと感心します。と言うようなことを考えながら書いたわけではないんですが、お風呂上りに書いたので、自分的にリアルタイムな話だったのでありました。