それは秘する人の恋


 まだ肌寒い春先のことだった。
 浮竹から預かった書類を届けるため、六番隊隊長の執務室の半ば開いていた扉を何気なく押し入ったルキアは、一歩足を踏み入れるなり目に入った光景にぎくりと足を止めた。
「……兄…様?」
 目を見開き、思わず取りこぼした小さな声に、ふと兄が振り返る。
 彼女の兄は常ならば執務机に向かい、ぴんと伸びた姿勢で流れるように筆を取っている。だが今日は執務机の前に姿はなく、部屋に入って左手に設えられているソファの側にあった。
 僅かに身を屈め、ソファに横になる恋次の緋色の髪を一房、指先に絡めていた。恋次はソファに埋没するように横になっており、どうやら意識なく眠っているようだった。白哉が側にいることにも気付いていないに違いない。
 恋次はおそらく任務から帰ってきたばかりなのだろう。着物のあちこちが土埃や血で汚れ、普段は頭頂で纏めてある髪がほどけていた。その髪を一房、白哉の白い、汚れなど知らぬような指先が持ち上げている。
 ただ髪を一房、指に取る。
 静謐に満ちたその光景は、なぜか艶かしく、しどけない情交を思わせた。
 ルキアは思わずカァと頬を染めた。
 情交など、あるはずのないことを連想した己のはしたなさを恥じ、また同時にそれを連想せざるを得なかったその場の雰囲気に気後れした事を恥じた。
 頬に朱を上らせた妹をどう思ったのか。白哉はいつもの感情の読めぬ目で、驚愕するルキアを見返し、僅かに目を伏せた。
「内密に」
 水の上を滑るような静かな声音に、は、とルキアは目を瞬く。
 白哉の指先からするりと緋色の髪が落ち、ぱさりとかすかな音を立てる。緋色が落ちた先には、土埃に汚れた恋次の頬があった。白哉はそれを見下ろし、兄の言葉の真意を測れずにいるルキアに聞かせるでもなく呟いた。
「私はこの者に触れてなどおらぬ」
「……はぁ…」
 ルキアが間抜けな声を返せば、白哉はほんの僅か、悔いるように目を伏せ、さらりとした衣擦れの音を立て踵を返す。流れるような動きの中に、掻き消えそうなほど小さな声が漏らされる。
「愚かなことを…」
 ルキアに向けた言葉ではないそれは自嘲に他ならないのだろう。白哉は困惑するルキアの横をすり抜け、執務室を出て行った。
「に、兄様、どちらへ…!」
 慌てて後を追おうとするルキアだったが、執務室の外にすでに兄の姿はない。中庭から入る風に煽られた髪を押さえ、ルキアは眉を寄せた。
「なんだったのだ、一体……」
 兄の行動の意味も、兄の言葉の意味も、そして兄の真意もその時取り残されたルキアには理解できなかった。
 だが後にルキアは気付く。
 何ものにも揺らがされぬ兄が、己の幼馴染を見やるその時、揺らがぬはずの眼差しの奥に、時折、僅かな色熱が篭ることに。
 あまりにも僅かすぎて、近しいものでなければ気付かぬその熱は、紛うことなく恋乞う者の帯びる熱。





兄様のなんと書きにくいことよ…。逆にルキアは書きやすい。そして存在感のない恋次。