捻くれものの愛情


 実は昨日辺りからおかしいなとは思っていたのだ。
 最初は少し物がかすんで見える程度だったのが、時間がたつにつれぼやけるようになり、視点が定まらなくなった。その頃になるとこめかみの辺りがずきずきと痛み始め、ついには目の奥に熱を持ち、刺すような痛みも感じ始めた。
 眼鏡をかけていても見えないし、何より眼鏡をかけるのが苦痛で仕方がない。
 仕方なく雨竜は、眼鏡を外してテーブルに置いた。
 銀色のフレームがたてるカチャッというかすかな音に気付いたらしい。部屋の隅で漫画を読んでいた一護が顔を上げこちらを見たが、雨竜にその表情は解らなかった。
「どうかしたのか?」
 昨日から取り掛かっている布を、汚さないようにテーブルへ置き、うん、と雨竜は瞼を両手で押さえる。指先が冷たく、熱を持つ目には心地よい。
「ちょっと目が痛くて……。少し休憩したら続きをやるよ」
「馬鹿、休めって」
 ごしごしと乱暴に目を擦ると、やめろって、と一護がすっ飛んでくる。目を擦る雨竜の手を退かせ、瞼を開かせる。あー、充血してんなぁ、と独り言のように呟く一護の顔は近距離にはあってもよく解らない。
 ぼやけた視界で判別できるのはオレンジ色の髪と、目の位置くらいだ。
「疲れ目だろ。横になれよ」
「でもまだ続きしなくちゃ」
 あれ、と伸ばす指はテーブルの上の布に向く。
 淡い水色の布は明日にはワンピースになる。それもただのワンピースではなく、白いフリルがたっぷりついたワンピースだ。スカートはパニエで膨らまさなくてもいいようにたっぷり布を使っているので、腰の部分のギャザーを作るのが難しい。変な形によれないよう気を使いながらの手作業は、思った以上に目を酷使していたのだ。それでも期限には仕上げなければいけない。
 続きを、と伸ばす指は一護の無骨なそれに掴まれた。
「いいって、あんなん」
「あんなんって……あのねぇ、きみが頼んできたんだぞ!」
「そうだけど、一日二日遅れたって構わねぇだろ」
 自分が頼んできたくせに、と目を吊り上げる雨竜の瞼に、一護の手がそっと重なる。暗く落ちる視界に瞬くと、くすぐってぇ、と一護が笑った。
「期限なんつってるけど、自分が早く着てぇだけなんだよ。学芸会なんてまだひと月も先なんだから」
 雨竜がこのところかかりっきりになっているのは、遊子の学芸会用の衣装だ。
 不思議の国のアリスのアリス役に抜擢された遊子は、衣装が自前と聞くなりすぐさま雨竜に頼み込んできたのだ。折角の主役だし、うんと可愛い衣装が着たいし、アリスの服を作ってっ、と涙目でお願いされて、雨竜に嫌と言えるわけがなかった。
 嫌がる一護を伴って(勿論荷物持ちだ)、ひまわりソーイングで買い物をし、あれこれ注文をつける遊子の話を聞き、それから製作に取りかかった。スカートはふんわりさせてねっ、と言う遊子のリクエストを取り入れたせいで手作業が多くなってしまったが、楽しいことは楽しい。ちまちました針仕事は大好きなのだ。だがそれにも限界がきたらしい。
 遊子の作んならアタシのも作ってよ、と夏梨がニットキャップとマフラーをリクエストし、とっ、父さんもお願いしていいかなぁっ、と一心までもがセーターを催促してきた。テメェは石田の親父じゃねぇだろっ、と一護に足蹴にされながらも、何ならドテラでもいいっ、と悶えていた一心を思い出し、雨竜はくすっと笑った。
 おそらく一護も何か作ってくれと頼みたかったのだろうが、一心を足蹴にしながらも何も言わなかった。黒崎家全員分の何かを作れなど無謀もいいところだと思っているのだろう。甘いなぁ、と雨竜は内心でほくそ笑む。
 ひとつふたつ増えたところで手間は大して変わらない。
 結局のところ、いつも何かしら作っているわけで、それが誰かのためのものにとって換わるだけなのだ。
 ただ一心のセーターは今からでは時間がかかりすぎるし、寸法も測らなければならないのでドテラにするつもりではいるのだが。お揃いで一護にもドテラを作ってあげようか。どうせならコンにも作ってやってもいい。きっと自分だけ何もないとなると、あのちっちゃなライオンは盛大に拗ねて一護に当たりまくるだろうから。
「なに笑ってんだよ」
 目を覆われているせいで、一護の声でしか判断できないが、おそらく、不貞腐れた顔をしているのだろう。
 ぐっと唇をへの字にして、眉を寄せ、眉間に皺を刻み、そこらのチンピラよりもよっぽど凶悪な顔で不機嫌さを全面に押し出しているのだろう。
 雨竜はまたもやくすっと笑った。
 それが可愛いと思うなんて、相当疲れている。
「あっ、また笑いやがったな。なんだってんだよチクショー」
「別になんでもないよ」
 暗く覆われた視界が心地良い。
「あ、そだ。アイマスクするといいんだってよ。ちょっと作ってくるわ。お前、横になってろよ」
 不意に目を覆っていた手がどき、さっきまで何とも思っていなかった光が眩しく瞼に突き刺さる。思わず呻き声を上げたものの、一護は気付かずに台所へ行ってしまった。
 なんとなく置いていかれた気分でしょぼしょぼと目を瞬き、言われた通り横になる。ベッドに行っても良かったのだが、移動するのが面倒くさくてやめた。
 窓から入る昼の光が眩しく、目を閉じていると台所からの音が聞こえてくる。じゃぶじゃぶと水を使う音の後に、カチッと軽い音がしたので、湯沸かし器を使っていたのだろう。ぺたぺたという音は裸足で歩く一護の足音だ。フローリングの台所を歩く時にはそんな音がして、畳の居間に上がると足音は消える。
「ほら」
 ぺしゃっと目の上に乗ったのは熱い蒸しタオルだ。
「うわっ、びっくりするじゃないか!」
 驚いて飛び起きようとすると、肩をぐっと押さえつけられた。
「寝とけって」
 押さえつけられた頭が、一護の膝の上に乗せられる。ジーンズのごわごわした感触が首裏に触れ、雨竜はカァと頬が熱くなるのを感じた。
 目の上のタオルの位置を直すふりをして頬を隠す。
 膝枕なんて、恥ずかしい。
 客観的に今の自分達の姿を見たら尚更だ。
 その反面、甘やかされているようで奇妙に嬉しい気持ちもあって複雑だ。
 家庭環境のせいか、生業のせいか、雨竜は人と馴れ合うのが苦手だ。自分のテリトリーの中に他人の気配があるのも嫌なのだが、いつの間にか一護が自分のテリトリーの中にいることを許容してしまっている。
 許容すると言うよりも、強引に割り込まれ、居座られ、慣らされてしまった感がなきにしもあらずだが、本気で嫌だったら強引に滅却してでも追い出している。
 だから結局のところ、なんだかなんだと雨竜も自分のテリトリー内に一護の存在を認めているわけで、こうして甘やかされるのに悪い気はしない。
 顔の上に置いたタオルをずらし、できた隙間から盗み見れば、一護は雨竜の本を捲っていた。編み物関係の本で、型紙やらが載っているものだ。夏梨のためにと選んだニットキャップのページを開いている。なんだこりゃ、と網目の図を眺める顔が心底嫌そうで、雨竜は思わず含み笑いを漏らす。
 膝の上で雨竜の頭が震えていることに気付いたのか、一護が視線を落とし、タオルの合間から覗く目と合いぎょっとしたように顔を強張らせた。笑われていることに気付いたのか、何見てんだよっ、と乱暴にタオルを置き直される。
「うわっ、乱暴にしないでくれよ」
「うっさい、ボケ! 大人しくタオル当ててろ、馬鹿!」
「あのねぇ、ボケとか馬鹿とか……。きみ、小学生じゃないんだから…」
 雨竜は文句を言いながらも、タオルに視界が塞がれる直前、一護の顔と耳とが赤くなっているのを見てしまった。
 なんだ、意外と可愛いところがあるじゃないか、と雨竜は微笑む。
 閉じた瞼の上に置いた蒸しタオルが、じんわりと暖かさと心地よさをもたらす。首裏に触れるジーンズ越しの体温とも相まって眠気に誘われる。
 うとうととしかける雨竜の耳に、俺にもなんか作れよ、とぼそりと小さな呟き声が届いた。やっぱり欲しかったんじゃないか、と雨竜も小さな声で返したが、勿論最初から作るつもりだったよ、とは教えなかった。
 代わりに、何がいいんだい、と訪ねると、マフラー、と返ってくる。簡単なもんでいい、目の疲れねェやつ、と言いながら髪に差し込まれる手の優しさに、雨竜はセーターを編もうと決めた。




初イチウリ!
意外と書きやすかった! なんかこなれた夫婦っぽい感じだけど、まだ肉体関係はないようなので(コラコラ)、やるべきことやっちゃったらもっとベタベタするんだろうなぁと思いつつ書いてました。
一護がベタ惚れな方が書きやすい。でも雨竜も表面に出さないだけで一護にベタ惚れで……ってうちのカプこんなん多いな…。