シャリシャリと足の下で骨砂が音を立てる。
霊圧を殺し、気配を殺し、咎人の慣れの果てを踏みしめながら岩山の隙間にできた亀裂へと滑り込んだ。朱蓮の身を覆うマントの裾が尖った岩に擦れるが、マント自体が意志を持つかのように岩に引っかかることなくするりと避ける。
元より薄暗い地獄の果て、岩山の中にできた洞窟など真闇に等しく、まさに一寸先も見えない。それでも朱蓮の足は迷いなく進み、やがてはぽかりと開けた空間へ出た。
現世の感覚で換算するなら、おそらく二十畳に満たない空間に、申し訳程度の灯かりが灯る。地獄の炎をランプに篭め、天井から吊るしてある。部屋の隅にはベッドに見立てた平らな岩。どこから拾い集めてきたのかは解らない布を抱え込むように、長身の男が横たわっている。身体を丸め、薄暗い灯かりに背を向けていた。
色の抜けた髪が顔の大半を覆い、眠っている時ですらきちりと撒いた黒布の上に散っていた。苦しげに寄せられた眉と食いしばる歯、敷布代わりの布を掴む手に篭められた力とで、またいつもの夢を見ているのだと知る。
朱蓮は傍らに立ち、それを見下ろしていた。
ぶつぶつと時折呟くのは、妹の名前だ。
妹の復讐を果たし、地獄へ落ちてくるほど大事にしていた妹の名を、コクトーは夢の中でしか呼ばない。意識あるうちには思い出せないのだと朱蓮は知っていた。コクトーにとってそれが地獄であるのなら、地獄を司る者はコクトーから妹の名を奪った。そして時折、妹の最後を夢に見せる。大切にしていた者の名を、意識を持って思い出せない辛さになど朱蓮は興味もない。
ただコクトーがうわ言のように呟くせいで覚えてしまい、戯れに世を映す炎でその者の今を見たことがあった。
コクトーの大切な妹は、何度も転生を繰り返し、その時々の一生をそれなりに終えている。幸せであったり、幸せでなかったりもしたが、彼女は彼女を守ろうとした兄があったことなど欠片も思い出さず、安穏と暮らし、安穏と死んでいる。繰り返し、繰り返し、そうして転生して行くうちのいずれにも彼女の人生にコクトーなど存在しない。
当たり前だ。彼女を守り慈しんだ兄は、地獄の業火に焼かれているのだから。
ふん、と朱蓮は鼻先で笑う。
人を守ろうとし、人を大切にした慣れの果てがこれかとせせら笑った。
勿論コクトーに妹の今を見せてはいないし、見せるつもりもない。
何かを守ろうとすると馬鹿を見る。
誰かを大切にしようとすると己の身を危うくする。
それが地獄だ。
朱蓮は地獄の中で生きている。死して地獄へ落ちてきたのだから生きていると言う表現は聊か不釣合いにも思えるが、意識を持って動いているのだから生きていると認識している。
地獄では損得勘定が生き残る道を左右する。朱蓮はそれが長けているからこそ生き残り、生き残った他の輩を司る位置にまで上り詰めた。
その朱蓮の損得勘定が、これは損だと警告しているにも関わらず、朱蓮はこうしてコクトーの傍らに立つ。そしてそっと、らしくなく慎重に手を伸ばし、コクトーの髪に触れる。ぱさつき色の抜け落ちた髪は手触りが悪いことこの上ない。その髪の半ばをも覆う黒い布を取り除こうとさらに伸ばした手を、ガッとばかりに大きな手が掴んだ。
「…んだよ、またテメェか」
寝起き特有の熱を篭った声に、朱蓮は喉を鳴らし、唇の端を持ち上げた。
「暇潰しさ」
朱蓮の手を振り払い、コクトーが半身を起こす。ふぁああ、と大きな欠伸を放ち、着物の袷から手を突っ込んで胸の辺りをぼりぼりと掻いている。
「折角イイ夢見てたのによぉ。邪魔すんなよな」
「それは失礼」
ククッと喉を鳴らして笑い、冷淡な素振りを装いながらも、朱蓮の臓腑に苦い炎が宿る。
コクトーの見た夢が、イイ夢でなどあるはずもないことを、朱蓮は知っている。妹が死ぬ。その瞬間を、そしてその後を、地獄を司る者はコクトーに見せている。だが妹を大事にし、妹のために地獄へ落ちてきたコクトーにとって、そして妹の名すら忘れてしまったコクトーにとって、夢の中でも妹を見られることはイイ夢に値するらしい。例えそれが妹の最後だとしても。
「そんで? 何の用?」
顔の半分を覆う布を強く巻きなおし、コクトーが顎をしゃくる。朱蓮は靴の底をカッと鳴らし、一歩寝台へと近付いた。緩く開かれた膝の間へと片足を滑らせ、半ば寝台に乗りあがる形でコクトーへと顔を寄せる。己のよりも僅かに高い身長などこんな時には関係ない。伸ばした舌でコクトーのかさついた唇を舐めた。
「何の用? 私がここにくる理由などひとつしかないだろう」
首を覆う黒い布をぐっと下げ、曝け出した喉に歯を立てる。コクトーは嫌そうに眉を寄せるが、ミイラ化した半身が暴かれなければ本気で抗いはしない。
「暇潰しさ」
そうかい、と呆れた声を漏らす唇を噛みつくように塞いだ。逃れもしない舌を絡め取り、寝起きで干上がった口腔を潤すように唾液を流し込む。
んく、とコクトーの喉が鳴る。朱蓮の唾液で寝起きの喉を潤しているのだ。もっと、と催促され、朱蓮は更に深く口腔を貪った。
そうしながらも寝乱れた着物の裾を割り開き、ミイラでない方の足を手のひらで撫で擦る。踝から膝、膝から太股へと足を逆に辿り、緩く芯を持つ付け根へと行きついた。僅かに力を篭めて握ると、う、とコクトーが軽く呻き声を上げる。やわやわと揉みこんでやると、心地良さそうな息を吐く。
「テメェも出せよ。やってやる」
おら、とマントを払うコクトーの手が、朱蓮の腰に巻いたベルトを外す。衣装の前立てを緩め、現われたものをコクトーの手袋を外した手が扱く。利き手ではないのでつたない手付きだが、神妙な顔で男のものを見下ろし愛撫するそれに煽られる。
「くそ…デケェな、テメェの」
こんなの突っ込まれてんのかよ、と改めて悪態を吐く口が、大きく開き飲み込んだ。
「くっ…」
暖かい、熱いと言ってもいいほどのコクトーの舌が絡みつき、朱蓮を昂ぶらせる。もう何度も身体を重ね、互いにいい場所は解っている。そこを的確に攻めるコクトーの髪に朱蓮は手を這わせた。髪を撫で、耳の裏を辿る。ん、と軽く肩を竦めるコクトーを見下ろし、こんな所が弱いのかと指先でくすぐった。やめろよ、と身を捩るコクトーの肩を押して倒し、着物の裾を捲り上げる。露になった股間のものはすでに張り詰め露を零している。朱蓮はその奥へコクトーの唾液に濡れたものをなすりつけた。
熱い切っ先を押し付けられたそこは、なんら施してもいないのに期待しひくついている。朱蓮を飲み込もうと扇動するそこへ、朱蓮は己の身を割り入れた。
「くぅっ…あ、あぁあ…」
ずるずると際限なく飲み込むそこへ、朱蓮はでき得る限り身を沈めた。燃えるような狭路を押し進み、陰毛がコクトーの双玉に擦れるまで身を押し込む。進むたびにびくびくと震える身体はどこを触っても感じやすい。戯れに身体を揺すってやれば堪えかねたように濡れる先端から先走りが漏れる。
「あっ、ひっ…あ、あっ……」
奥を穿てば穿つほど、コクトーのそれは固くなり体液を漏らす。
「好きものめ」
すでに我を忘れ、熱を帯びた目で虚空を見上げ声を零すコクトーを眼下に、朱蓮は腰を使う。奥へ奥へ、これ以上ないほど奥へと身を進め、先走りを溢れさせるそれには決して触ってなどやらない。
喉を覆う黒布を剥ぎ、露になった首筋へ歯を立てる。皮膚も裂けよと力を篭めた犬歯の舌で、ぷつりと肌が音を立てる。
「うぁああっ」
コクトーの肌がぞわりと総毛立ち、朱蓮を収めた奥が収縮する。避けた皮膚へ舌先を捻じ込めば、面白いほどにコクトーが喘ぎ叫ぶ。
「あーっ、あ、あぁ、んうっ、はぁっ」
投げ出されていた手は助けを求めるようにしがみつき、朱蓮は溢れた血を啜り暗い笑みを浮かべた。
「善がり狂え、コクトー」
がつがつと容赦なく腰を打ちつけ、熱に惑う目を見下ろす。虚ろな眼差しが朱蓮を捉え、声なく唇が朱蓮の名を形作るのを見た。その瞬間、朱蓮の臓腑に宿る暗い炎が歓喜に沸き返る。
「あ、くぅ…っ、あっ…あ、しゅ…れ……しゅれ…」
ひどく感じる場所ばかりを狙い突き、わざとタイミングをずらしてはコクトーを戦慄かせる。髪を振り乱して悶えるコクトーの耳の裏へ舌を伸ばし、びくびくと痙攣する身体に歯を立て、爪を立てる。
「ああっ、あ、しゅ、朱蓮…っ、んぅっ、あああっ」
もっとくれ、と強請る言葉に乱暴に腰を突く。
繰り返される己の名以外、この唇で何者の名も紡ぐなと喉に手をかける。熱を帯びた眼差しがぽかりと朱蓮を見上げ、安堵するように笑む。地獄の闇よりも深い闇を湛えるその眼差しに捉えられる。
朱蓮は喉を絞める手に力を込め、ひゅうと掠れた息を零す唇に噛み付いた。
全身を痙攣させ、息を引きつらせながら達するコクトーの根元をぎゅっと握り締める。塞がれ達することを阻まれ、狂ったように喘ぎ懇願するコクトーの奥を更に穿つ。
「うぁあっ、はっ、朱、蓮…っ…あーっ」
朱蓮の名を叫ぶコクトーに、朱蓮は嫣然と微笑む。
すでに我を忘れたコクトーは、快楽だけを追い、それを与える朱蓮の名を呼び更にを求める。そして朱蓮は熱と欲に塗れ己の名を呼ぶコクトーの声が途絶えぬよう、手を尽くしては情交を長引かせ、終焉を遠ざける。
熱に浮かされ、コクトーの手が宙を掻く。朱蓮はその手を掴み寄せた。力を篭め、逃げられぬよう寝台へと叩きつける。
それはまるで蜘蛛の巣に捉えられた獲物が逃れるため足掻く様にも似ていた。
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