■ 足りない言葉 ■

「あ、今日俺の誕生日だ」
『そりゃ良かったな。クルッポー』
「なんだよ、それだけかよ」
『仕事が終わったら一杯おごってやる。急に言われたんだ。プレゼントは何もないぞ』
「や、おごってくれるのが一番嬉しい。何せもう金欠で金欠で……」
『先週のヤガラレースも負けたしな』
「そうなんだよー。あれ、惜しかったよなー。鼻の先っちょの差だったよなー」
『あれに賭けてなきゃ、来週までの食費は残ってたろうにな』
「そうなんだよなー…って、予定では再来月までの食費をあれで稼ぐはずだったんだよ!」
『そう言って全部なくしてりゃ世話ない』
「うっせーっつーの! お、あれ見ろよ、ルッチ。サン・ファルドのカーニバルに行く奴らじゃねぇか。もうそんな季節だな」
『うるさいお前の誕生日近辺に、サン・ファルドのカーニバルか。ぴったりじゃねぇか』
「嫌味かよ、それ」
『ほう、馬鹿なお前でも解ったか。いっそ行ったらどうだ、カーニバル。馬鹿騒ぎにはぴったりだぞ』
「……そうだな、一度行ってみてぇな。話に聞くばっかりで、行ったことがねぇ」
『…そうなのか?』
「だってよ、お前、考えてみろよ。この時期はいつだって忙しいだろ。船の修理が立て込む時期だ。俺が抜けて仕事がはかどるもんか」
『自意識過剰だ、ポッポー』
「あー…見てぇなぁ、カーニバル! 楽しそうだなぁ。一度でいいから、見てぇなぁ…」
『………ガキみてぇだな』
「だってよぉ、見てぇじゃねぇかよぉ。あー一度でいい。見てぇなぁ。なぁルッチ、いつか見に行こうぜ。一緒にさ。俺の誕生祝にでもいいからさ」
『……旅費を全部出させるつもりか』
「宿泊費もな」
『船大工やってる間は行けねぇだろうがな』
「…だよなぁー……けど行きてぇなぁ…」





 ばさばさと、そう遠くはないが、けれど近くもない所での鳥の羽ばたきに覚醒した。
 うっすらと目を明けると、開け放したままの窓から光が差し込んでいる。
 目だけを動かし、そこが紛れもない自分の部屋で、傍らに人の姿やぬくもりがないと確認すると、パウリーは息を吐いた。
 夢か、と小さくごちた声音が奇妙に掠れる。
 夜明けの暖かな太陽の光が、ベッドの足の方だけに当たっていた。道理で足だけが暑いと思った、とパウリーはベッドをずり上がり、日陰で丸くなる。
 この時期のウォーターセブンは暑い。
 太陽の日差しが一番強くなる季節で、尚且つ町全体が水の中にあるのだから、湿気も相まって、陽が中天を越すとまるで蒸し釜の中にいるような熱気に包まれる。とてもじゃないが窓を閉めて寝た日には、翌朝汗みずくで目を覚ますことになる。
 ウォーターセブンで生まれ育ったパウリーにとって、その暑さは苦ではない。むしろ喜ばしいと思う。ああもう夏がきたんだな、と思えるからだ。
 子供の頃は、夏と言えば自分の誕生日で、ささやかながらバースデーケーキがあって、知り合いから口々に、おめでとう、と祝いの言葉を貰った。子供時代がウォーターセブンにとって苦の時代だったので、プレゼントらしいプレゼントは貰ったことがなかったけれど、それでも誕生日は格別なものだった。
 寝ぼけた頭のままで、つらつらとそんな事を考えていたパウリーは、ふと壁かけのカレンダーを見た。数字だけが並ぶシンプルなものには、小さな文字で色々と書き込んである。
 船の納期やら、作業の予定日やら、果ては忘れがちな職長会議の時間などだ。
 今日は一体いつだったか…、とパウリーはしばし考え、他でもない自分の誕生日だと気付く。
 七月八日。
 週収めの金曜日だ。
 今日は週半ば以上に忙しかろうと、普段の起床時間よりも早いが身を起こした。二度寝をすれば、悪い夢の続きを見てしまいそうで、嫌だったというのも早く身を起こした理由の多くに含まれる。
 窓を開けて寝たにも関わらず、じっとりと浮いた寝汗を冷たいシャワーで流し、濡れた髪をタオルでざっと拭った。仕事着に袖を通し、テーブルの上に放り出してあるパンをひとつ口に放り込む。窓を開けたままで家を出て、玄関の鍵だけを閉めた。
 窓を開けたまま仕事に行くのは無用心だが、取られる物は何もないし、帰ってきた時の蒸した空気に全身を包まれる不快感を思えば、見知らぬ誰かに部屋の中に入られる事の方がよっぽど我慢できる。
 まだ湿っている髪にゴーグルをかけ、階段を下りる。途中で仕事上がりの夜女と擦れ違った。めっぽう婀娜っぽい女は、パウリーを見ると、おはよう、早いのね、と声をかける。パウリーは逆に、お疲れさん、と答えた。そのまま階段を下りようとしたパウリーに、あ、そうそう、と夜女は声をかける。
「おめでと、パウリー。あんた今日、誕生日でしょ? 昨日あたしのお客が言ってたの」
「て事ァ、昨日の客は一番ドックの職人か?」
 からから笑いながら、まぁ、あんがとよ、とパウリーは片手を上げる。心なしか軽快になった足で階段を下りきり、ヤガラのつないである裏へ回った。そのついでにマンションの部屋全部の郵便受けがまとめられている場所へ行く。
 この島では、郵便配達だろうが新聞配達だろうが、はたまたは牛乳配りだろうがすべてブルが仕事人の足だ。自然と、それに便利なようになっている。水路に面した方から入れた郵便物や新聞は、壁を挟んだ内側から抜き取れるように工夫されていた。
 パウリーは自分の郵便受けをかぱっと開けて、中から新聞を引っ張り出した。
 今日も一面を飾るのは、アイスバーグの写真だ。ブッチの市長との会合を終え、コメントを発表したのがつらつらと書かれている。くだらない与太話までもが採用されていて、思わずパウリーは笑ってしまった。
 平和な証拠だ。
 それを丸め手に持って、ヤガラに乗ろうと向きを変えたパウリーは、地面に一枚の葉書が落ちている事に気付いた。手を伸ばし、屈めていた腰を伸ばす。
 あて先はパウリーだった。
「……誰からだ?」
 手紙を寄越す知り合いなどいないのに、とパウリーは葉書を裏返し、ますます眉を寄せた。
 裏は写真だった。絵葉書だろう。三分の二を締める写真の横に、残り三分の一の余白がある。本来ならばそこに書かれるはずの文字は何も書いていない。
「…またかよ……」
 ここ数年、毎年、誕生日には誰からのものとも知れぬプレゼントが届いた。
 ガレーラの一番ドックの職長と言えば、ウォーターセブンでは最ももてる地位のひとつだ。パウリーも例に漏れず、数年前の市長暗殺未遂事件からこっち、女に困ることはない。それもこれも一番人気と二番人気を浚っていた職長二人が、里帰りで島を出て行ったからだ。欲望のあて先をなくした女は、他の職人に目をやり、結果パウリーにも群がるようになった。プレゼントが届くようになったのも、市長暗殺未遂事件以降だ。
 匿名のプレゼントはいくつももらったが、それらすべてはガレーラ本社に届き、家に届くことはない。
 それなのに、家に直接届くプレゼントが、毎年ひとつあった。
 葉巻だったり、パウリーが好みそうな音楽のレコードだったり、または誰にも言ったことがないけれど実は好きな甘い菓子の類だったりした。
 それらを貰うたびに、ああこの人は自分の事を良く知っているのだ、と不思議な気分になった。
 それが、今年はプレゼントではなく、絵葉書だ。それも何の言葉も書いていないものだ。
「…てか、誰なんだよ…」
 首を傾げたパウリーは、ふと、写真に目を凝らす。
 赤や黄色の原色が散る写真は、見たことはないが話には聞いたことのあるサン・ファルドのカーニバルのようだった。
 奇抜な衣装に身を包み、誰もが仮面をつけている。大きな羽のついた飾りをつけ、半ば裸かと思うような女達が踊っている。
「……サン・ファルド……」
 パウリーの見開いた目に、そしては暑さを忘れた脳裏に、今朝方の夢が、数年前の誕生日のやり取りが思い出される。
 甚大な被害をもたらした、前代未聞の巨大なアクア・ラグナがやってきた年よりも、数年前の今日と同じ日の事だ。
 今朝まですっかり忘れていたけれど、確かにあの日、パウリーはサン・ファルドの話をした。カーニバルに行ってみたいとも言った。一緒に行こうぜ、と誘った男は今はいない。数年前に市長暗殺を企て、ガレーラの本社ビルを破壊し、パウリーを半殺しにして島を去って行ったからだ。
 まさか、とパウリーは自嘲する。
 あいつがこんなものを送って寄越すはずがない、とパウリーは言い聞かせる。
 誕生日を覚えていたにしろ、あいつにとってパウリーはただの情報源のひとつで、情報を得るために、アイスバーグの信頼を得るために踏み台として使われていただけだったのだ。キスもセックスもしたが、それらすべてはパウリーを利用する手段にしかすぎなかった。
 何年かかかって、そう思い込んだパウリーの元に舞い込んだカーニバルの絵葉書には、『発行・サン・ファルド市庁舎』と小さく刷られている。サン・ファルドの市庁舎が売っている葉書だろう。カーニバルはサン・ファルドの観光の収入源だ。絵葉書は飛ぶように売れるだろうし、それを市庁舎が作るもの納得できる。
 パウリーは改めて宛名を見た。
 几帳面な字はかつて製図紙の上で何度も見た。切手の上に押されたスタンプは、サン・ファルドの市庁舎からこれが送られた事を示している。
 サン・ファルドの市庁舎で売っている絵葉書。
 サン・ファルドの市庁舎で投函された絵葉書。
 サン・ファルドのカーニバル。
 いつか一緒に見に行こうと約束した、カーニバルだ。
「………あの…馬鹿……」
 ぐっと、パウリーは唇を噛み締めた。
 封じ込めた思いが蘇る。
 蓋をしてぐるぐるに縛り上げた感情が、かたかたと音を立て、溢れ出ようとする。
 たったこの一枚のために、あいつはサン・ファルドにまで行ったのか。
 では、今まで毎年、家に直接届いた無記名のプレゼントは、彼からなのだろうか。
 パウリーの好む葉巻。
 パウリーの好きそうな(実際聞いて好きになった)レコード。
 パウリーがひそかに好きな甘い菓子。
 そして、一度は見たいと行ったカーニバル。
 数え上げたらきりがない。
 けれどそこには、パウリーに対する愛情しか感じられない。
 パウリーは目頭を、ぐいと指先で拭った。
 大きく息を繰り返すと、忘れていた暑さと湿気が喉に入る。
 ポストを開けたときには差していなかった光が、太陽が動いて今は足元を照らしている。仕事に行かなければ、とパウリーは頭を振るった。
 そして、手にしていたメッセージのない絵葉書を、それはサイズが大きすぎたので半分に折って、ジャケットの胸ポケットに入れた。ジャケットの上からそっと押さえると、確かな感触としてそこにある。
 ずっと水路で待っていたヤガラが、待ちくたびれてニーと鳴く。
 いつの間にか手から転げ落ちていた新聞を拾い、パウリーはヤガラの元へ向かった。
 そして思う。
 クリスマスか、もしくは来年のあいつの誕生日。
 サン・ファルドの絵葉書を取り寄せて、送ってやろう。
 あいつが今住んでいる場所なんて知らないけれど、エニエス・ロビーに送れば届くだろうか。
 いつか一緒に行こうと言った言葉を、俺だってまだ覚えていると伝えたい。
 一番ドックへ向かうパウリーの頬には、隠しきれない微笑が浮かんでいた。
 なんだこの少女漫画のような話は…ときめきト●ナイト(第一部は好き)も真っ青だ。時間設定は市長襲撃より3〜5年後と思って頂ければ。パウリーは割り切ったとかいいながら未練たらたらだと思います。恋人作らず二十代後半(三十代前半も可)まで突入してほしい。心配した周りに見合いを持ちかけられても断るといい。「俺には心に決めた奴がいるんで」とか照れ笑いしながら言ってくれるといい。そんなんだったらルッチCP9止めてお嫁にいっちゃう。そして二人で幸せな家庭を築くのよ。小さくてもいいから庭のある家であなたと二人船を作って暖かい家庭を以下略(もう夢見がちな年は過ぎたはずだ)。
 『縄誕』便乗作品でした。