machismo
 チョッパーには最近解った事がいくつかある。
 それはナミがゾロ曰くの鬼の守銭奴ではあるけれど、案外チョッパーを含めた動物には優しいことと、そんなナミをビビが意外にも慕っていること。
 サンジはいつも倉庫に食料を貯蔵しているが、そこにねずみ避けならぬルフィ避けのトラップが仕掛けてあること。これにはルフィにそそのかされて一緒に摘み食いしようとしたチョッパーも引っかかり、痛い目にあったのでよく記憶しておこうと思った。
 ウソップは色々と奇妙な新兵器を考案しては製作しているが、そのうちの8割は全くの役立たずのガラクタであること。
 それから、ゾロが夜、まったく寝ないことだった。
 昼間はあんなにがーがーと鼾をかいて、敵襲でない限りは嵐がこようが吹雪がこようが、はたまた昼飯になろうが夕飯になろうが、サンジが起こさない限り決して頭を擡げないのに、不思議と夜は目を閉じてはいるけれど、意識を方々に飛ばして目を覚ましている。この前だってそうだ。チョッパーも他の船員と同じようにハンモックで寝起きしているが、どうにもそれには足が届かず往生する事がある。夜目を覚まし、トイレに行く時など四苦八苦している。変なところに足をかければ絡まって下りられないし、かと言ってサンジのようにぼすんと飛び込めばそれで一番いい寝場所を確保できるわけでもないのだ。その時も丁度、左足が網の隙間に絡まってしまった。トレイには行きたいし、けれど足は外れないし、右足も下につかないし、大きくなってしまっても良かったが、それだとますます足が抜けない。それどころかうっかりハンモックに穴でも空けたら、明日からチョッパーは床で寝る事になってしまう。どうしようか、と固まり思案しかけた時、ひょい、とチョッパーの身体が持ち上げられた。うわ、と呟いてしまって慌てて辺りを見渡したが、そんな微細な声で起きるような繊細な神経の持ち主はこの船には乗っていない。きょと、と上を見上げると、無愛想な男がチョッパーを両手で抱えていた。
「どうした」
「う…あ、ト、トイレ…」
「ああ、足が抜けねぇのか」
 ゾロはいとも簡単に網の中からチョッパーの足を引き抜くと、下に下ろしてくれた。ありがと、と見上げると、行ってこい、と無愛想に顎をしゃくる。うん、と頷いてチョッパーは梯子を駆け上がり、甲板に出て一目散に倉庫へ走って行った。倉庫の真下は女部屋になっているので、なるべく足音を忍ばせた。けれど翌日、ナミに、昨日はどうしたの、と首を傾げられて肝を冷やした。チョッパーの足は蹄なので、音が他の船員よりもよく響くのだとナミは説明してくれた。煩かったか、と気まずい思いで言うと、ううん、とナミは首を振った。ただどうしたのかなぁって思っただけよ、と笑い、チョッパーの頭をぽんぽんと撫でてくれた。
 用を済ませてチョッパーが男部屋に戻ると、ゾロは壁にもたれて目を閉じていた。寝ちゃったのか、とチョッパーが両手をハンモックの端にかけ、よっこらしょ、とハンモックの上に転がり込もうとした時、またひょいと身体が持ち上げられた。
「もういいのか?」
 チョッパーの脇の下に手を入れ、ハンモックの上に乗せてくれながらゾロが聞いた。第一印象は怖いと言うそれしかなかったゾロの目も、最近ではちょっと優しいんじゃないかな、とチョッパーは思っていた。それを見上げながら頷いて、うんありがと、とチョッパーは布団にもぐりこんだ。足が出ていた毛布を元に戻してくれ、寝ろ、とゾロは顔を背ける。うん、と頷いてチョッパーが目を閉じると、カツカツと靴底の音がした。薄目を開くと、ゾロが腰に三本の刀を帯びて梯子を上って行く所だった。ゾロもトイレかな、と思ってそのままチョッパーは目を閉じた。
 そう言う事が、何度かあった。
 さすがに不思議になってゾロに、夜何をしているんだ、と無邪気に聞いたのだが、別に、と素っ気ない答えが返ってきた。
 ルフィに尋ねても、そぉかぁ、と間延びして欠伸をかましながらの返事が返ってくるのが関の山だ。元々ルフィは他人に深く関わろうとしない。色んな意味で。
 ウソップはそうだなぁ、と首を捻り、あああれだ、と手を叩いた。
「眠れない病ってすっげぇ怖い病気があるんだ。それはゾロのように昼間寝てばかりいる奴がかかる病気で、夜になると夢遊病みたいに歩き回るんだ。きっとゾロは無意識で夜歩き回ってるんだ。移るぞあれは!」
「…そんな病気ないよ…」
 チョッパーは溜息を吐いて、目標をナミに変えた。ラウンジで羽ペンを走らせながら測量した結果を地図に起こしていたナミは、チョッパーの話を聞いて「そぉねぇ」と宙を見た。
「そう言えばそうよねぇ。あいつ、前からそうだったわ」
「前って?」
 ナミさんお茶をどうぞっ、とハートを飛ばしながらサンジがアイスティをナミの前に置いた。どこから調達してきたのか、アイスティにはピンク色の可愛らしい花とオレンジの輪切りが添えられている。いいなぁとチョッパーが見ていたら、ほらよ、とピンクの花もオレンジもくっついていないグラスを寄越された。
「サンジ君が仲間になるよりも前よ。あいつ、夜には絶対寝ないのよね」
 ふむ、と首を傾げるナミを見て、サンジが胸の前で両手を組んで身悶えている。
「物思わし気なナミさんも素敵だぁ」
「昼間寝てばかりいるから、Mr.ブシドー、夜に眠れないんじゃないかしら。昼と夜と逆転していたりする人、いるじゃない?」
 口を挟んだビビの前にも、ナミと同じグラスが置いてある。やはりピンク色の花とオレンジが添えられていて、チョッパーはそれを見て、いいなぁ、と思った。オレンジがくっついているのがいい。ぼんやりとそんな事を思っていると、おら、とサンジがチョッパーの前にオレンジを丸ごとひとつ、皿に乗せてくれた。
「サンジ君、気にならない?」
「え、何がですか?」
 レディに皮を剥かせるなどととんでもない、とオレンジの皮を剥いてはナミやビビに差し出しているサンジが、ナミに顔を向けられ、へらっと笑った。
「ゾロよ。だって夜通し起きてるのよ。一緒に寝てて、気になったりしないの?」
「はぁ…そりゃまぁ最初は気になりましたけどねぇ…でももう諦めましたよ」
「諦めたってことは、一応寝ろって言ってはみたわけね。…ねぇ、陸でもゾロってそうなの? 夜起きてる?」
「そうですねぇ…大体ホテルでもずっと…って何言わせるんですかナミさんッ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴るサンジを見て、ナミがからからと笑った。
「やっぱりそうだったんだ」
「やっぱりって何がですか!」
「陸につくと、二人して帰ってこない事があるから、どうしてるのかなぁって思ってただけなんだけど。そっかー、陸でも起きてるのか…てなるとこれはもう海の夜が怖いとかそんなんじゃないわよねぇ…」
「でもナミさん、海賊狩りで有名だったMr.ブシドーが、夜の海が怖いだなんて理由で夜眠れないんだとしたら、それってちょっと面白いですね」
 そうね、と言いかけたナミは、製図インクの壷に羽ペンを突っ込みながら、あそっか、と手を打った。ペンだこのできた指でグラスを引き寄せ、ストローに口をつけながら、なるほどね、と頷いている。
「…ナミさん?」
 オレンジの皮剥きを続行しつつ、サンジが問うと、ナミは、ううん、と首を振った。
「何となく解った、ゾロが夜寝ない理由」
「……やっぱり昼間寝すぎて…?」
「じゃなくて、あいつ海賊狩りだったでしょ。海賊にも狙われてたし、賞金稼ぎの間でも、ゾロの首取れば一流みたいな雰囲気はあったと思うのよ」
「ああ、なるほどね。それでか」
 ポンとサンジまでが手を打つ。いや、サンジは打とうとした。打とうとしたのだが、両手はオレンジで塞がっていたのでどうしようもならず、こくこくと頷いて見せた。金色の髪がふわりと揺れ、ナミはまぶしそうに目を細めた。
「どう言うことですか?」
 まだ解らないビビとチョッパーが顔を見合わせていると、あのね、とナミが口を挟んだ。
「夜襲を警戒してるのよ、ゾロは」
「夜襲?」
「海賊狩りをやってたときは、同業者や海賊から自分の首を守るためにね。そして今は、なんせ三千万ベリーの賞金首を船に抱えてるわけじゃない? 誰に狙われてるか知れないし…私たちって案外行き当たりばったりな所ってあるから、夜は見張りを立てるけど、見張りだって寝てるしね」
「それじゃ見張りの意味ないじゃないですか」
 一度も見張りに立ったことのないビビは目を丸くしたが、そうは言っても、とサンジは苦笑する。
「見張りって辛いんだよ、ビビちゃん。寒いし一人だし話相手いないし寝ちゃいけないけど眠いし」
「だから、Mr.ブシドー、起きているんですね」
「それも推測だけどね。本当に夜の海が怖いってんなら笑っちゃうけどさ」
 話題は他へ移って行ったが、チョッパーは軌道修正することはしなかった。アイスティをずるずると音を立ててすすって、ぶつぶつ言いながらもサンジの剥いてくれたオレンジを食べて、べたべたする手を洗ってラウンジを出た。医学書の整理をするんだ、と言って男部屋へ戻ると、薄暗い室内でウソップがまた何かを作っている。変なにおいがするなぁ、と思いながら医学書を引っ張りだして、ああだこうだとやり始めたら、ウソップの手元がボカンと爆発した。
 ぎゃあぎゃあと騒いで換気だ脱出だと大童になりながら、チョッパーが医学書を抱えて甲板に飛び出てくると、ゾロはマストの下で大の字になって寝っころがっている。がーがーと鼾をかいて、悪臭を漂わせているウソップの新兵器のなれの果ての騒動にも目を覚まさない。
 チョッパーは医学書を抱えたまま、大口を開けているゾロを見下ろした。
 本当に、見張りしてるのかなぁ、と首を傾げる。
 それとも夜が怖いだけなのかなぁ、と今度は逆の方向に首を傾げてみた。
 眉を寄せてじっと見下ろしていると、こらこらこら、と首根っこを掴まれ足が浮く。すかすかした甲板を蹴ろうと足をじたばたとさせたが、首根っこを掴み上げたサンジは、暴れるチョッパーを自分の目線の高さにまで持ってくると、トナカイ、と睨みつけてきた。
「な、なんだよ…」
「俺の男に手ェ出すなよ」
「……出さねぇよっ」
「じゃあ何だ、じーっと見やがって。いい男なのは解るが、ちっとは遠慮しろっつの」
「……お前、目、悪いのか」
「あ?」
「…目、悪いんだろ。そうだろ」
「悪かねぇよ」
「…じゃあ、趣味悪いんだな」
「放っとけ!」
 がうっ、と噛み付く真似をしたサンジの手から身を捩って逃れようとすると、つるりとサンジの手が滑った。ぼすんとチョッパーが落下したのは、丁度ゾロの腹の上だ。お陰で尻は痛くなかったが、ああ、とゾロが不機嫌そうに顔を起こしてしまった。
「なんだ…チョッパーかよ……、つか、なんでお前までいるんだよクソコック…」
「あ、失礼だなぁお前。ちょっと通りかかっただけですーぅ。おら、チョッパー行くぞ! 飯炊くの手伝え!」
「あ…おい」
 再び医学書を抱えるチョッパーの首根っこを掴まえて、ゾロの上からひょいと持ち上げ歩き出そうとしたサンジを、ゾロの手が留めた。足首を掴まれ、なんだよっ、とサンジは怖い顔をした。
「…米運ぶなら…言え。あんま…重いもん持つな……背中…」
 とつとつと眠そうな声で呟くゾロの言葉に、チョッパーは丸い目をもっと丸くしていた。
「…背中…悪くなる……」
 サンジはぽりぽりと、チョッパーを持っていない方の手で頬を掻いていたが、やがて「解ってるよっ」と怒鳴りつける。そうか、と答えたゾロは、目をしぱしぱと瞬きながら、ぼんやりと呟く。
「飯、米なら起こしてくれ……」
「米じゃなくても起こしたるわい! それまで寝とけ! 剣豪!」
「……ああ」
 おやすみ、とゾロは寝返りを打って横になった。向けられた背を見ながら、サンジは溜息を吐く。それを首根っこ掴まえられたまま見ていたチョッパーは、お前、と呟いた。
「…趣味いいかもしんないな」
「だろ」
「…俺、夜、聞いてみよかなぁ…ゾロに、なんで起きてんだって…」
「…切り殺されるぜ」
「ええっ、本当か!」
「ああ本当だ。実は俺も先日切り殺されかけてなぁ。いやーあれは際どかった。俊敏な俺でなかったら即座にアウトだった。いやー厳しかった」
「……ウソップ。お前はどこから沸いて出てきた」
「いや、卵を貰おうと思ってよ」
「アホか。テメェにやる卵はねぇよ」
「じゃあ腐った卵くれ」
「俺が食材腐らせるわけねぇだろ! ねぇよ! そんなもん!」
「だったらどうやって新兵器開発しろってんだよ!」
「知るか! 大体テメェこないだだって、タバスコ一瓶全部無駄にしやがって。ありゃ高いタバスコだったんだぞ! テメェ弁償しろよ!」
「弁償たって、お前ナミから金貰ってんだろうが、食費。タバスコだって食費だろ!」
「食費を兵器開発代に使われて溜まるか!」
「じゃあチョッパー、あの薬わけてくれよ消毒液!」
「やだよ」
「なんでだよ、テメェ友達じゃねぇのか!」
「だって消毒液、この船に一番必要なんだぞ。できるなら樽で買いたいくらいだ」
「消毒液の樽買いなんて聞いた事ねぇよ」
「でも必要なんだよ」
「仕方ねぇなぁ。じゃあ俺の使うか!」
「持ってるなら自分の使え!」
 がつんがつん、と二つの痛そうな音がウソップの後頭部で響いた。
 甲板に大の字になって燦々と昼の光を浴びて目を閉じていたゾロは、記憶の隅っこでその話を聞いていた。まるで漫才を聞いているようだ。思わず微笑したゾロの顔を、まだサンジに掴まれたままだったチョッパーはいつもより視線が高くなっているせいで、目撃してしまった。
 なんだか嬉しそうで、なんだか安心したような顔だ。
 夜ゾロは、あんな風に寛いだ顔を見せない。
 昼は安心して寝てるってことかなぁ、とチョッパーはサンジの手の中でそんな事を思っていた。