Someday.
 それを聞いた時、正直羨ましいと思ったのだ。
 何の話の延長か、与太話はクルーの誕生日の話になった。テーブルに盛大に盛られたつまみを次から次へ、酒を飲みもせずにかっくらっていく船長が、いいよなぁ誕生日は、と大きな口を開けて笑う。
「だって何食っても、どんだけ食ってもいー日なんだぜ」
 ちょっと違う気もするけれど、とナミは笑いながら酒を傾けた。
「誕生日って言ったら思い出すなぁ。あたし、誕生日なかったのよね、養いっ子だったからさ」
 俺も、とサンジは言えなかった。それよりも先にルフィが大きな声で、養いっ子だったら誕生日ねぇのか、と素っ頓狂に叫んだのだ。ナミの隣の定位置で酒を飲んでいたゾロが僅かに眉を顰め、デリカシーのない奴、とルフィを睨んだが、今更のことだった。
「違うわよー。誕生日って理念がなかっただけの話なの。あたしたち、とにかく生きてくだけで精一杯だったからさ。近所のガキが誕生日ケーキの話を自慢気にしてて、何だろうそれって思ったの。そしたら馬鹿にされちゃってさ。泣きに泣いて家に帰ったら、ベルメールさんが言ったのよ。じゃああんたには、特別な日を誕生日にしてあげるって」
 なんだそれ、とウソップが丸い目をもっともっと丸くした。彼の前にはジュースで割った酒が置いてあった。ナミは長い睫を瞬かせてうっすらと笑う。
「ベルメールさんがあたしを拾った日。あたしとノジコとベルメールさんが出会った日よ。特別以外のなにものでもないからって。それが、七月三日。いい日でしょ」
 そうだね、とサンジは愛想笑いを浮かべて、空になったゾロのグラスに酒を注いだ。いつもより少しいい瓶酒を開けていた。とくとくと音をたてて注がれる色のない酒を眺めながら、サンジは唇の端を持ち上げる。
「テメェは?」
「あ?」
 煙草の煙がかからないように、コンロへ向かって吐き出しながら、サンジが問うた。指に挟んだ煙草はもうすでに短くて、少し歩いたコンロへぽいと投げ入れる。じゅっと濡れた音がして、煙草の火は水に濡れ消えた。
「テメェは誕生日あんのかよ、クソ腹巻」
「あるに決まってんだろうが」
「へぇ、そりゃ知らなかったな。いつだよ」
「昨日だ」
 きっぱりと言って、酒の瓶を切り上げたサンジの手が遠のくのを待ち、ゾロはグラスを持ち上げた。
「昨日。俺の誕生日だった」
「何よそれ! 言いなさいよね! お祝いしてあげたのに!」
「別に祝ってもらうような年でもねぇだろ」
「そう言う問題じゃないの! 誕生日って言うのはね、みんなが集まって楽しく騒いで、美味しいもの一杯食べて、ケーキの蝋燭吹き消すもんなのよ!」
「別に俺、甘いもん好きじゃねぇし」
「だからそう言う問題じゃないって言ってんでしょ、このトーヘンボク!」
「まぁまぁナミさん。そんなに怒るとお肌に悪いですよ」
 とりなすサンジにまでナミは、そうは言ってもねぇッ、と食ってかかる。渦中の人であるくせに、関係ないといわんばかりに、一人淡々と酒を飲み、手を伸ばしつまみを食う男をちらりと眺め、サンジは薄く笑んでいた。
 誕生日だと一人騒がぬ辺りが、剣士らしくていい。
「明日、パーティでもすりゃいいじゃないッスか。何か作りますよ、豪勢な誕生日の食い物を。ケーキも作って。蝋燭は仏壇に添えるようなもんが確かあったと思うんで、それで代用すりゃいいでしょ。シャンパンとかワインも一応あるし、それでいいでしょ、ナミさん」
「だから俺は別に…」
「あんただけの問題じゃないの! 誕生日ってのは、一緒にいるみんなの問題なのよ!」
「別に、うちじゃ特別なこと、何もしなかったけどな…」
 面倒臭そうにぽつりと呟いたゾロに、そうなのか、とサンジは目を瞬いた。そこで顔を向け、ジュースで割った酒を飲んでいるウソップに、おい長っ鼻、と声をかけた。
「テメェ、誕生日いつだ」
「おりゃもう過ぎたし、まだまだだ」
「テメェんち、誕生日何やった?」
「何って?」
「だから、ケーキ焼いたり…ほら、あんだろ。誕生日だけ特別に出てくる料理とかさ」
「ああ…うちは別に…。みんなと一緒だよ」
「…そうか」
 むっつりと口を引き結び、ナミのグラスが空になっている事に、そこでようやくサンジは気がついた。ゾロの後ろを回り、ボトルを持ち上げ、お代わりはいかがレディ、と声をかけたが、もういいわ、とナミは首を振った。
「それ、いつもよりいいお酒じゃない。どうせならゾロに残り上げるわよ。あたしからの、ささやかな誕生日プレゼントってことで」
「ほんと、ささやかだな」
 ウソップが笑うと、いいでしょ別に、とナミが肩を竦め隣を窺った。
「要は気持ちよ。今度、ちゃんとした島に着いたら、なんか買ったげるから」
「いいよ、俺は、これで」
「そう? でもま、考えておきなさいよ」
 ああ、とゾロは軽く頷いた。サンジはどうしようか迷った挙句、持っていた酒の瓶を、ゾロの前にコトンと置いた。ウソップはジュースで割った酒をぐいと全部飲み干すと、ごっそさん、と立ち上がる。
「俺、もう寝るよ」
「あ、俺も俺も!」
 慌てたルフィが、大きな皿をぐいと持ち上げ、残っていたつまみを全部ざらざらと口の中に流し込む。
「ごちそうさん!」
 サンジが怒ると思ったのだろう。ルフィは慌ててラウンジを飛び出していく。テーブルに、口の端から零れたつまみがひとつ残っていたが、それはドアから伸びてきた手がぴょいと持ち上げ去って行った。ウソップはその後を追うように、ゆっくりと出て行く。じゃあ明日な、とひらひら手を振ってきっちりドアを閉めていったが、それを見送っていたナミが、あらじゃああたしも、と笑う。
「お邪魔だもんね」
 その言葉が差す意味に、サンジは口を噤み困惑したが、ゾロは「別に」と唇を歪める。満更でもない顔だった。
「折角だもの。楽しめば?」
「ナミさぁん」
「明日の朝はゆっくりでいいわよ。ルフィにはきつく言っておくから」
「…えらく気が利くじゃねぇか」
 酒の瓶を自分の手で持ち上げ、グラスに注ぎ、ゾロは立ち上がったナミを見た。彼女は薄い肩を竦め、落ちかかった髪を後ろへ払うと、そう言うもんでしょ、とサンジを見た。
「誕生日って」
 サンジは一瞬口篭ったが、…そうだね、と曖昧に微笑んで受け流す。ナミは少し首を傾げたが、じゃあ、と背を向けた。
「おやすみ」
「ああ」
「おやすみなさい、ナミさん」
 カツカツとハイヒールの踵の立てる音が、ラウンジを出、階段を降りていく。階段を下りた甲板を踏む音が、段々と小さくなっていくのを聞きながら、ゾロが隣を示した。今までナミが座っていた席だ。
「座れよ」
 あ、うん、とサンジは棚からグラスを持ってきて、そこへ腰を下ろした。つまみはすでに姿を消していて、何か作ろうかと言ってみたが、別にいらない、と素っ気ない応えが返ってくる。持ち上げようとした酒の瓶は、大きな手が先に取り上げてしまった。サンジの手にあったグラスに、とくとくと酒が注がれる。色のない酒から香るのは、腹の底から温めるいい匂いだ。グラス半分ほどで酒は止められた。あまり酒を嗜まないサンジには、明日の事を考えればそれでも十分すぎるくらいだ。ナミやゾロのように酒豪ではないし、味として楽しむだけなら好きなのだが、どうにもサンジには、酒は料理に使うものと言うイメージが強い。かぷりと口に含んだ酒は、辛いが、どこか甘い匂いのする不思議な味だった。
 なんとなく、言葉なく並んで酒を傾けていたが、やがてゾロのグラスに酒瓶の液体がすべて移し変えられた時、サンジは口を開いていた。
「…もう一本、あけるか?」
「いや、いい。飲んだら寝る」
 そっか、とサンジはまだ余っているグラスを両手で抱え、溜息を吐いた。
「…あの…あのよ」
 そう言えば煙草を口にしていないと気付いたが、今更ポケットを探って煙草を取り出す気にもなれず、酒を口に含む。僅かだけ舌に乗せ、ころりと喉の奥に流し込むと、カッと喉が焼けた。
 呼びかけたっきり口を開かない男を不審に思ったのか、ゾロが首を少し傾けた。
「なんだよ」
 サンジは、うん…、と言葉を濁す。
「明日の…その、パーティだけどさ…」
「ああ」
 言い難そうな様子を察したように、ゾロは相槌を打った。
「…何、作ればいいのかと…思ってさ」
「…何って…。別に何でもいいんじゃねぇの」
「それが、その…解んねぇんだよな、俺、そう言うの。なんつーのかな…誕生日だけの特別料理とか、あんなら出そうって思うんだけど…生憎、そう言うのに縁がなくてよ」
 両手に抱えたグラスに揺れる、酒の表皮を見つめ、サンジは俯いていた。
「……ケーキっつーのはあれだろ…。何でもいいんだろ。ケーキだったら」
「…ああ」
「じゃあ、料理は?」
「…別に、何でもいいんじゃねぇの」
「それが困んだよ!」
 怒鳴るサンジに、少し驚いたような顔をしていたゾロも、ふいっと顔を逸らし、コンロの方を眺めると、別に、と呟いた。
「俺の好きなもんでいい」
 水道の水が、ぴちゃんとシンクに落ちた。やけにそれがラウンジに響いて聞こえ、サンジは、そっか、と呟いた。
「…解った」
「テメェはいつだよ」
 グラスの中の酒を全部飲み干し、グラスをテーブルへ戻しながら、ゾロが問うた。え、と不覚にもサンジは目を丸くしてしまった。右目が、うずを巻いた眉毛の下で瞬き、ゾロを見つめた。
「…俺?」
「そうだ。テメェの誕生日だ」
「……俺の、誕生日か…」
 弱ったな、とサンジは薄く笑んだ。俯き、両手の中で僅かに揺れている酒を見つめていると、おい、と横から不機嫌そうな声がかかる。サンジは、細い息を吐いた。
「ない」
 ゾロは何も言わなかった。
 サンジは、沈黙が居たたまれなくて口を開く。ピチャン、とシンクに水道の水が跳ねる音が、サンジの先手を取った。
「……その、俺はさ…、拾われたんだよな。どうやら、船が難破して、俺の家族だった人たちは、死んじまったらしい。俺は木端と一緒に浮いてて、あ、何かの箱に入ってたらしいぜ。そんで助かったんだけどよ。船で育てられて…、物心ついた時から、包丁握ってんだ。船じゃ、誰かの誕生日に何かするとか、なくて。バラティエでもそうだった。クソジジイと借金返すのに必死で働いて、借金返し終わったと思ったら、今度はバラティエの名が挙がって忙しくて、誰かの誕生日どころじゃねぇ。ジジィも何も言わなかったし、俺にとって誕生日なんざ、どっかのガキが両親に連れられてあのレストランにやってきて、ばかみてぇにはしゃいでケーキ食ってる姿なんだよ。俺にとっちゃ誕生日なんざ、俺の知らねぇガキのために、必死ぶっこいてケーキ焼いてやることだったんだよ。その…、正月がきたら、俺は一個年取ったって数えてっけど…でも、本当は俺、テメェと同じ年なんかじゃねぇかもしんねぇし。あ、でも解りやすくねぇ? 正月きたら、俺一個年取んだぜ。馬鹿なテメェでもすぐ覚えられっだろ」
 ゾロが何かを言うのが、なぜか怖くて、口を挟まれないように一気に捲くし立てた。貼り付けた笑みはバラティエよりずっと前の船から培ってきたもので、自然だったはずだった。
 サンジは俯いた。
 酒を口に運ぶと、喉が焼けたが、一気にそれを飲み干していた。
「……普通の人が言う誕生日ってのが、俺は解んねぇよ」
 サンジの頭に、ゾロの手が触れた。サンジが顔を上げようとすると、ゾロはガッと乱暴にサンジの頭をテーブルに押さえつけた。ガンッとかなりいい音がして、サンジは額をテーブルにぶつける。
「ってーッ! 何すんだよッ!」
 怒鳴ろうとしてもがくけれど、ゾロの力は強くサンジはじたばたとその手の下で暴れるだけだ。オイこの野郎離せよ馬鹿クソ野郎ッ! と思いつく限りの罵詈雑言を浴びせてはいたが、ゾロはちっとも気にしていないようすで、ぐりぐりと頭を押さえつけてくる。
「いいか」
 低い声は、少しも酒に酔っていなかった。
「テメェの誕生日は、今から三月二日だ」
「はぁ?」
 何言って…、とサンジが言い返そうとすると、ガツッと再びゾロが頭を押さえつける。僅かに頭を上げていたせいで、強かに額を再び打つ事になり、サンジは呻く。
「今は十二時三十二分だから。だから三月二日だ。それに、テメェの名前に合うから、丁度いい」
「…なまえ……」
 ぽつりとサンジは呟き、それきりゾロの手の下で暴れなくなった。
 ゾロは、手を引いた。
 サンジは顔を上げず、テーブルに突っ伏したままだったが、やがて「へへ」と微かに笑う声が漏れ始めた。
「……そっか」
 へへへ、と嬉しそうに顔をあげ、サンジは笑う。
「…三月二日か」
「嫌なら、自分で考えろ」
 ゾロが言うと、サンジは首を振った。
「三月二日でいいっつーの」
「そうか」
「ああ」
 へへへ、と笑うサンジの額は何度もぶつけたせいで赤かった。へにゃりと緩んだ目元は情けなく、だらしない口元も締まりがない。けれど嬉しそうに彼は笑っていた。サンキュ、と小さな声が呟く。ゾロはだらしのないサンジの笑顔を見ながら、いや、と呟いた。
 水道の水が、シンクに落ちる音が、なんだか嬉しくて浮かれた気持ちに浸食されたサンジの脳に響いたが、気にはならなかった。
 へへ、と笑うと、急に照れくさくなった。
 片付ける、と呟いて席を立ったら、意外と酒が身体に回っていた。すとん、と再びベンチに腰をついてしまったサンジを見て、ゾロが席を立つ。片付けるよ、と言ってテーブルの上に並ぶ皿やグラスを意外と器用な手つきでシンクへ運んだ。明日片付けりゃいいだろ、とゾロが促すと、サンジは「そだな」と頷く。
 にやけた顔を隠せなかった。