my feeling.


 それは、ゴーイングメリー号が、グランドラインの四本目の航海を終えようとしている時に届いた。
 一通の封書は、ひどく汚れ、ひどく色褪せ、宛先や差出人など読めなくなっていた。かもめ新聞配達が、新聞と一緒に運んできたそれを、ナミは指定の金を払いながらも、何よこれ、と眉を顰めた。
「間違いじゃないの? うちの船に、手紙寄越す奴なんていないわよ」
 かもめ新聞配達は、金を受け取ると一声高く鳴いて空へ飛び立つ。ナミの漏らした言葉が、独り言にならないうちに、サンジがへらりと笑顔を浮かべた。
「それはきっと、ナミさんの愛らしさを聞きつけた遠い国の王子が、花嫁になってくれって書いてきたんですよ〜!」
「…んなアホな」
 船は格段に大きくなり、船員も増え、その首々にかけられた賞金の額も、一本目の航海からは比べ物にならないほど大きく膨れ上がった船は、今も昔も変わらず、生傷が耐えない。自身の首にも賞金がかかり、それはいつぞやのゾロと同じ額になっている。クルーの増えた船の中では、下っぱから慕われる立場であるのに、傷付いた船を直すのは、ウソップの役目だった。
「誰からだ」
 誰よりも早く、野望を我が物にしたゾロが、腰の刀を抜きながら問う。頬にはいつぞやの戦いで受けた傷が、こめかみを走るのは先代大剣豪との最後の決戦にて黒剣が走った跡。腕には、先日の海軍とのいざこざで受けた流れ弾のあとが生々しく残っている。その腕が、白刃を手に、柄をナミに向けて差し出す。刀を受け取り、ペーパーナイフよろしく封書の上を切り落としたナミは、手をくるりと返してゾロの腰の鞘にそれを戻した。
「んーと……え…やだ…嘘」
 かさかさと、古びた紙を広げるナミの赤毛が、吹きつけた風に大きく揺れた。背を越えた長い髪は、遮られることなく風を漂う。
 大きく見開いた目が、信じられないと呟く唇が、見る見る内に喜びに輝いていく。
「おい」
 ゾロが不審を露にした。
「誰からだ」
 ウソップがカナヅチを握り締めている手を止めた。
「ナミさん?」
 首を傾げるサンジの前で、ナミは船首を振り返る。
「ルフィ! チョッパー! ビビから、ビビから手紙よ!」
 振り回す手の中で、古びた紙ががさがさと触れる。
 船首に跨っていたルフィが振り返る。麦わら帽子は相変わらずだが、その顔の精悍さは、イーストブルーにいた頃とは比べ物にならない。無精髭を、誰の真似か生やし、膝小僧がまぶしかったハーフパンツは、いつの間にかゾロのようなパンツにとって変わっていた。ただ、草履だけはそのままだったが。
 チョッパーが、船室から転がり出てきた。
 それと一緒に、ロビンもが出てくる。まぁ、と目を丸くするロビンは、口元に手を宛てて、ミスウェンズデー…、とビビがバロックワークスにもぐりこんでいたときのコードネームを呟く。
 わっと歓声が上がる甲板で、ナミはゆっくりと、その文字を読み上げていった。





 ルフィさん、ナミさん、ミスターブシドー、ウソップさん、サンジさん、トニー君へ。



 みなさん、元気ですか。
 わたしは元気です。
 わたしだけじゃなく、パパもイガラムもチャカもペルもテラコッタさんもカルーもマツゲも、みんなみんな元気です。
 みなさんと離れ離れになってから、もう随分経ちました。突然、こんなお手紙を書いてしまって、さぞみなさんはびっくりされているでしょうね。
 でも、どうしてもお伝えしたい事があったの。
 どうしても、みなさんに聞いてほしい事があったの。
 だから、わたし、ナミさんがいつも頼んでいた新聞屋さんにお願いして、お手紙を届けてもらうことにしました。
 いつ届くかわからないけれど、いつか届くことを願って、お手紙を書きます。

 わたし、結婚します。

 アラバスタが、みなさんのおかげでバロックワークスから守られて、街はたくさん壊れてしまったけれど、その復興もだいぶん進みました。もうほとんど、以前と変わらないくらい。
 雨はちゃんと降って、作物もたくさん取れます。他の島へ移住していった人たちも、たくさん戻ってきてくれて、島は活気に溢れています。
 だから、パパが言ったの。
 それそろ結婚を考えてもいいんじゃないかって。
 わたしはアラバスタが完全に復興するまでは、そんなつもり全然なかったんだけれど、イガラムや、チャカやペル、テラコッタさんにトトおじさんも薦めるものだから、とうとう決意しました。
 それによく考えたら、わたし、もう二十四歳だもの。わたしのママがパパと結婚した年だわ。
 そして昨日、プロポーズしたの。
 相手は、みなさんが知っている人。
 ちょっとだけ、ミスターブシドーに似ている人。
 八年前、反乱軍のリーダーだった人。
 そう、わたし、コーザにプロポーズしたの。
 結婚してくださいって。
 そして、結婚することになったのよ。
 まだ色々準備があって、今は婚約と言う形になっています。
 だけど、みなさんに、一番に報告したかったの。


 ナミさん。
 いつもとても優しくしてくれて、励ましてくれて、支えてくれて、ありがとう。国を出てから初めてだったの。普通の女の子みたいに、服のお話や、恋のお話をしたの。友達と一緒に買い物に行くのも初めてで、きっともう、二度と体験することはないわ。仲間の他にも、親友だとずっとずっと思っていてもいい?

 ルフィさん。
 ありがとう。言葉で言い表せないくらい、ありがとうを伝えたい。あなたがいなければ、わたしはきっと、国へ帰ることもできなかったと思うの。本当なら、たくっさんのお肉をプレゼントしたいけれど、いつお手紙が着くかわからないので、いつか、また、アラバスタへ着たら、たくさん食べてください。でも食い逃げはしないでね。ちゃんとお店の人に、名前を言って下さいね。

 サンジさん。
 あなたの作ってくれたアラバスタの料理、大好きでした。でも本当は、お魚のお料理が一番好きだった。お料理の説明をしてくれたり、かわいらしいデザートを作ってくれたり。どうしてかしら。あなたの作ってくれたお料理やデザートを食べるとき、わたしはいつも、国に帰ったような気がしていました。

 ウソップさん。
 楽しいお話を聞くのが、大好きでした。コーザもたまにおかしいお話をしてくれるけれど、ウソップさんのお話ほどおかしくはないの。けれど笑わないと申し訳ないでしょ? だから一生懸命笑ってるのよ。あなたのお話、大好きだった。ウソップさんのお話を聞いて、笑っている時、いつも国のこと、忘れてました。ウソップさんの故郷にいる彼女がくれた船も大好きだった。わたしの服を作ってくれたり、可愛らしいアクセサリーを作ってくれたり、今も大事にしてます。

 トニー君。
 ドラム島ではじめて会った時、あんなに臆病だったあなたが、アラバスタを守ってくれて、本当に嬉しかった。たくさんたくさん、みなさんの傷を治してあげてください。わたしも、あなたに癒されたわ。傷ではなく、心を癒されたの。カルーとお話できたのも、あなたがいたから。マツゲも、カルーも、時々顔を見せるハサミも、みんなあなたの話をしているみたい。

 ミスターブシドー。
 何を言ったらいいのかしら。あなたの名声は、アラバスタにまで届いてきました。新しい大剣豪が生まれたと。飛び上がって喜んじゃった。だってわたしもミスターブシドーが大剣豪になりたいって思っているように、ミスターブシドーが大剣豪になるところを見たいって思ってたんだもの。すごく、嬉しい。おめでとう。アラバスタでの最後の夜、一緒に船を見に行ってくれて、ありがとう。そして、あなたが、好きでした。




 最後に。
 みなさん、本当に大好きです。
 会えなくなって淋しいけれど、でもいつも、側にみなさんがいるような気がするの。
 どこかで、また会えるような気がするの。
 ありがとう。
 さようならは書きません。
 また、会いましょう。




 ナミが、零れた涙を拭いながら顔を上げた。
「…以上。愛をこめて…ビビより」
 チョッパーがほうっと溜息を吐いて、頬を擦っている。ウソップがその頭をぐりぐりと撫でてやった。
「元気そうだなぁ!」
 ウソップの大きな声に、ルフィが不思議そうに首を傾げている。
「なんでビビ、今頃結婚のこと言うんだ? もうとっくに終わったじゃねぇか」
「ばかだなルフィ。これは随分前に出した手紙なんだよ。だから時差があるんだ、時差が」
 サンジが噛み付くように言う。ゴーイングメリー号のラウンジの壁には、アラバスタ国王女ネフェルタリ・ビビご成婚、と言う見出しの新聞が貼られているのだ。それももう、三年前の日付になっている。
「悔しいわねぇ…」
 ナミはデッキチェアに伸ばした足を組み替え、微笑んだ。
「ビビの花嫁姿、見られなかったわ。それにあたしが先に結婚するんだって思ってたのよね。赤ちゃん、いるのかしら」
 ビビと航海していた頃の、そしてビビが降りた直後に乗り込んできた頃の、ロビンと同じ年に今年なったナミが、落ち着いた仕草で頬に指先を滑らせた。
「それ言うならこいつじゃねぇのか。もう十分いきおくれ…いて」
 ゾロが後ろから顔を出して、ロビンを指差せば、ロビンが微笑んでゾロの額を能力で出した指で小突いた。
「良かったわ…ちゃんと復興していたのね」
「あ、そうか。あんたそん時敵だったもんね。随分悪さしてくれてたじゃないのさ」
「悪かったと思っているわ。けれど、歴史的な建造物には手を出していないつもりよ」
「ああそう。あ…あれ? まだ何か入ってるわ」
 封筒の中から出てきた、手紙よりも分厚い紙を、ナミは引っ張り出した。
 広げれば、金色の文字が、ご丁寧に飾りぶちに守られるようにして走っている。
「えー…と。招待状?」
「招待状? 何の? 結婚式の? だってビビの結婚式はもう…」
「もしかして、招待してくれるつもりだったのか? そう言えば…あの新聞の写真…空席が一列あったような…」
「うっそ! あれってあたしたちのための席だったの? やだ、どうしよう!」
 両手で頬を押さえるナミの膝から零れおちた招待状を、ゾロが身を屈め拾い上げる。
「なお、出席、欠席のお返事は……無期限?」
「は? 何言ってんだテメェ」
 顰め面のサンジがゾロの手から招待状を奪い取り、ざっと目を通し、そして笑う。
「なんてこった! やってくれるぜ!」
「え、なになに?」
 チョッパーが立ち上がってサンジの手から招待状を取ろうと背伸びするが、無論届かない。その前にナミがひらりとそれを奪い取った。
 飾り文字で書かれた招待状の、返事の期限が記載されている所に、横線が一本入っていた。手書きのそれの横には、無期限、とビビの字で書いてある。

 いつか、きてください。
 いつでも、きてください。


 可愛らしい文字に、ナミは頬を笑ませる。チョッパーも嬉しそうにうきうきしている。
「おれ、ビビに会いたいぞ!」
「俺もだ!」
「俺も」
「あたしもよ」
 口々に言い合うクルー達を見て、ルフィが不思議そうに首を傾げた。
「だったら会いに行きゃいいじゃねぇか」
 もうすぐ四本目の航海が終わる。幸いにして、アラバスタのエターナルポースは今も大事にナミの部屋に仕舞われていた。エターナルポースが狂うことはない。最初の双子岬へ戻り、ラブーンと四度目の再会をして、それから、そこから、一路アラバスタへ向かえばいい。
 ナミがぐるりと目を回した。
 ウソップが無意味に咳払いをする。
 サンジが、おい、とゾロを小突く。
 ルフィがゾロを見上げて、にやりと笑った。
「俺ぁ、行きてぇなぁ〜!」
 それを一身に受け、ゾロは腕を組んだ。
「……行くか?」
 わっと大歓声の上がる中、ロビンは複雑そうな表情をしていたが、すぐにもう、数年も前のことだと割り切ったらしい。お詫びに何かプレゼントをしたいわね、と呟いていた。

 船は、風を受け爽快に走る。
 あと一月もすれば、四本目の航海が終わるゴーイングメリー号は、五本目の航海を少し離脱し、まっすぐにアラバスタへ向かう。
 麦わらの海賊旗を上空から見たペルが、ビビに報告し、子育ても執務も放り出したビビが、王宮から海岸まですっ飛んでくるのには、あと半年はかかるだろう。
 けれど皆、気持ちはすでにアラバスタへ飛んでいた。