everybody needs.
 ビビは、カルーと護衛隊長のイガラムとを引き連れて、アルバーナの街中をあっちへ視線を走らせ、こちらへ顔を向けと忙しなく歩いていた。後ろからハラハラと冷や汗をかくイガラムは、何度も、そんなに余所見をするとこけますよ、と忠告をするのだが、ビビはまるで聞いていない。長いスカートの裾をひらひらと踊るように動かしながら、綻ぶ顔を隠さずに露店の先を覗いて回る。
 あの、忌まわしい三年から解放されたアラバスタは、復興の一途を辿っていた。町の大半の建物はすでに修復を終え、後は大きな公共の施設を残すのみだ。毎日どこかで工事が執り行われ、アラバスタの国はどこも少々うるさい状況に置かれているが、それでも人々の顔に笑みは耐えない。
 国をクロコダイルの手から取り戻したビビは、王女であると言う事に付け加え、英雄でもあった。それが毎日、気さくに町へ降りてくるのだから、国民としては嬉しい限りだ。今日も露店の先を覗きこみ、店の中に入り込んではあれやこれやと話をしていく王女を、皆が皆、微笑ましく見守っている。
「それで、ビビ様。何をお探しなんで?」
 乾物ばかりを扱っている食料店の中で、店主はビビに店にひとつきりしかない古びた椅子を、何度もエプロンの裾で拭いながら差し出した。いいのよ、と遠慮をしながらも、結局ビビは腰を下ろす。昼を過ぎてからずっと歩き通しだったので、正直彼女は疲れていたのだ。良かったらお飲み物も、と店主は店の中を興味津々の様子で覗き込んでいる子供を呼び寄せた。入り口からしゃっちょこばった様子で入ってくる少年は、砂砂団を結成していた頃のビビと同じくらいの年頃だろうか。コーザのように勝気な顔をしている。
「こ、こんにちは、ビビ様」
「あら、こんにちは」
 ビビはにこりと微笑んだ。カルーが「ぐえ」と片手を上げれば、子供はおっかなびっくりカルーを見上げる。
「これ、噛まない?」
「こらっ、お前、失礼な事を!」
 慌てる店主の前で、ビビは口元に手を宛てる。
「噛まないわ。大人しくていい子よ。ちょっと食いしん坊なんだけどね」
 カルーのくちばしの辺りを撫でて見せるビビに、触ってもいい、と子供はやはりおっかなびっくり手を伸ばす。こうなってしまえば店主は呆れ顔で見ているしかない。カルーはビビに目配せされ、少し頭を下げて子供の小さな手が撫でる優しさに甘んじている。
「こらこら、少し頼まれてほしいんだよ」
 子供を店の中に呼び寄せた店主が、腰に手を当てながら言う。え、なぁに、と顔を上げる子供に、店主はポケットの中から紙幣を一枚取り出した。
「そこのジャームッシュの店へ行って、ビビ様とイガラムさんに飛び切りのチャイを一杯ずつ、買ってきてくれないか? おつりはお前の小遣いにしていいから」
「え、いいのよ…そんな、悪いわ」
「何言うんですか、ビビ様。国を取り戻してもらったのに、遠慮なんてなしですよ。さぁ行ってくれるね?」
 差し出された紙幣を引っ手繰るように取った子供が、行ってくる、と叫んで飛び出していく。それを見送り、やれやれ、と店主は苦笑を馳せた。
「すみませんね、ビビ様、うちの悪たれが」
「あら、ご主人のお孫さんだったの? 可愛らしいわ」
「ま、素直なだけがとりえですかね。ええっと、それで…」
 こんな店へきたのはどんな用向きかと尋ねる店主に、あそうそう、とビビはちらりと舌を出した。
「とてもお世話になったコックさんが、もうすぐお誕生日なの。カモメ便で送るのだけれど、日持ちがして、尚且つアラバスタでしか売っていないような、食材ってないかしら」
「コックですか…それなら調味料がいいですかねぇ?」
「それは去年送ったの。同じものって、なんだか芸がないって思いません?」
「それもそうですねぇ…。それなら、麺なんてどうでしょうね。この麺、アラバスタ独自で…コナーファにも使う麺ですよ」
「じゃあ、それにしようかしら…。あ、でもやっぱり調味料も一緒に贈りたいわ。アラバスタ料理でよく使う調味料、三種類ほど選んでいただけるかしら」
「よろこんで」
 店主がいそいそと店の中を歩き回り、麺だの調味料の瓶だのを集めていると、お待たせっ、と子供が戻ってくる。その手には盆があり、ふたつ頼まれたはずのチャイはみっつ乗っていた。店主はそれを見て、おいおい、と苦笑する。
「儂はいらんよ」
「違うやい!」
 子供は頬を赤くした。
「カルーの分だよ!」
 言われた超カルガモは、ぱっと顔を輝かせる。器用に羽の先でコップを持ち上げ、ごくごくと一気に飲み干すカルーを、子供は嬉しそうに見上げている。その頭を、ビビはそっと撫でた。
「ありがとう、カルーの分まで」
「いいんだよ! だってこいつ、すげぇ面白いもん!」
「良かったわね、カルー」
 ビビがチャイを受け取ると、イガラムもいただきましょうとのっそり手を出す。それここらで評判のジャームッシュおじさんのチャイなんだよ、と子供は自慢気に胸を逸らす。
 おいしいわ、とビビは微笑みながら、これと遜色ないチャイを作ってくれたコックの事を思い出していた。



 甘いものが好きなの、とビビが恥ずかしそうに言うと、ゴーイングメリー号の心優しきコックさんは、まるで魔法のように美しいデザートを拵えてくれた。
 ぱりぱりの生地にふんわりと、そして冷たいクリーム、バニラビーンズたっぷりのカスタードを乗せ、熟れた苺やブルーベリーを盛り付けたミルフィーユ。
 口に入れれば蕩けそうに柔らかく舌を滑るプリン。
 ちょっと酸っぱいけれど、後からじんわりと甘さの滲み出てくるフランボワーズ。
 フォークがささらないくらい硬いタルト生地の上に、黄金色に輝いているレモンタルトは、ビビには少し酸っぱかった。けれど、その酸っぱさと一緒に飲んだロイヤルミルクティの甘さと言ったら、今までビビが口にしたどんな紅茶よりも美味しかった。
 アラバスタに残ったビビが淋しいと思ったのは、あの優しいコックさんが、ビビのためにだけに作ってくれた愛らしいデザート達を見る事も叶わなくなってしまった事だった。ビビをずっと守り支えてくれたナミは、ビビが甘いものを大好きだと知ると、内緒よと言って、剣士のために残されていたデザートを盗み出してきてくれた。無論コックの許可もあったろうが、彼女はそれを遠慮するビビに微笑みながら食べさせた。いいのよ、あんなゴクツブシに、こんな上等なケーキの味なんて解らないんだから、とナミの綺麗な指先によって口にまで運ばれたストロベリーケーキは、ビビが自分用にと分け与えられていたものよりも、随分お酒が効いていた。甘い者が苦手だからと、時折剣士はビビに白い皿に乗った何の飾りもないケーキを差し出してくれた。わぁありがとう、と目を輝かせれば、うまいぞ、と剣士は微笑む。よく日に焼けた浅黒い顔が微笑むのを見るのは、ビビは本当に嬉しかった。剣士のためのデザートは、どれもこれもが甘さが控えめにされていて、お酒が効いている。コックが、時折皆の目を盗んで剣士に贈るキスのようだ。ビビには少し大人びたデザートに思えて仕方がなかったし、それを貰い受けられることが、幸せでならなかった。船長は、サンジのケーキはうめぇ、と大声を上げながら、抱え込んだケーキを、少しだけだからな、と何度も言いながらビビにも差し出した。そんなに食べられないわと笑うと、お前もっと食え、と頬をクリームだらけにしながら言う。チョッパーはビビと一緒に誕生日ケーキを囲んだ時に、おれこんな嬉しいケーキ初めてだ、とちょっぴり涙を流しながら笑っていた。ウソップはビビのケーキを虎視眈々と狙っていた。苺だけを分けてあげれば、次の日のデザートはビビにチョコレートスティックをくれた。
 あの船で、たった一度だけ、ビビは誕生日を向かえた。
 出されたケーキは何の変哲もないショートケーキだった。大きさは、船長用も入っているのでとてつもなく大きな物だが、もっと凝りに凝ったものが出てくるのだろうと期待していたビビは正直落胆した。けれどサンジは、自信満々の顔で、さぁビビちゃん、と大きく切り分けたケーキを差し出した。
 一口食べて、ビビは目を見張った。
 見た目は、今までたべてきたどのレストランのショートケーキとも変わらないのに、中身が前々違う。スポンジがしっとりとしていて、少しブランデーでもうってあるようだ。じわりと中から苦いものが滲み出てくるが、それが思い切り砂糖を効かせてあるクリームによく合う。蕩けるように甘くて、けれど後味の残らないとても美味しいケーキ。
 放心したように、ショートケーキを見下ろすビビに、コツがあるんだよ、とコックは微笑んだ。
 あのケーキが、もう一度食べたいと、ビビは思っていた。
 復興を遂げるアラバスタで向かえた初めての誕生日の日にだ。
 おはようとみんなに挨拶をしながら、食堂へ向かうビビに、テラコッタが声をかけた。ちょっといいですか、と連れていかれたのは厨房で、銀色の調理台の上には、大きなショートケーキが乗っていた。
 一口どうぞ、と差し出されたケーキを、ビビはありがとうと笑って受け取った。ショートケーキとは皮肉だが、サンジのあの美味しいケーキとは比べてはいけないのだ。テラコッタさんも、精一杯私のために作ってくれたんだから、と。
 ビビは朝から幸せと笑いながら、ケーキを一口食べ、目を見張る。
「……解りますか?」
 テラコッタは微笑みながら、ビビを見つめていた。
「つい先日、このあたしに手紙が届いたんですよ。懇切丁寧に、このケーキの作り方が書いてあったんでね」
 見せられた手紙を奪うように読むと、そこには確かに、見慣れたコックの文字がしたためられていた。
「ビビ様」
 込み上げた涙が頬を伝うビビの肩を、そっとテラコッタが抱きしめてくれた。
「ビビ様は、このケーキをそりゃあ楽しみにしなすってたんですねぇ。もう一度食べたいって、ずっと仰ってたって、この手紙の差出人、書いてますよ。こんなこと書いてちゃあ、そりゃああたしだって、腕によりをかけて作らないとね! ああそれから。これも一緒に入ってましたよ」
 ハンカチで顔を拭っているビビに、テラコッタはもう一通の封筒を差し出した。受け取り、涙を拭いながら開くとそこには、あの懐かしいゴーイングメリー号のクルー達からの、お祝いの言葉が連ねられている。
 船長は大きな文字で。
 狙撃手は綺麗な絵をつけて。
 船医は暑さに負けてないかと心配をしてくれて。
 剣士は、意外にも綺麗な文字でただ一言、ケーキはうまいだろ、と書いていた。
 ナミからのお祝いの言葉は、便箋二枚にも渡っていた。
 全部読むのに、何度涙を拭いたのか解らない。
 そんなビビを見守りながら、テラコッタは微笑んでいた。
「いい仲間に、巡り合えましたねぇ」
 何度も頷き、ビビは手紙を胸に押し抱いた。
 再び会う事ができるのか解らない、あの愛しい仲間達の顔を思い浮かべながら。



「ビビ様?」
 肩を強請られる感覚に、はっと顔を上げると、心配そうな顔をしたイガラムとカルー、店主と子供がビビを見つめている。
「あ、ごめんなさい…」
 つい先日の事を思い出して、ぼんやりしていたらしい。恥ずかしくて苦笑を浮かべると、店主はほっとしたように、抱えていた箱を見せた。
「こんな具合でどうですか?」
 おがくずに包まれているのは、乾燥麺二種類に調味料三種類。木箱に納められ、綺麗なリボンも用意されている。
「ありがとう。嬉しいわ」
 それを受け取りながら、ビビは微笑む。
 手紙をつけようと、思いついたのだ。
 船長には、ありがとうと。
 狙撃手には、下手だけれども絵をつけてみようか。
 船医には毎日元気でいますって付け加えて。
 剣士には、おいしかった、と報告をしなければ。
 航海士には、今まであった面白い事、うんとうんと長い文章で書こう。
 それから、コックにも。
 どんなに嬉しかったか、手紙に書こう。
 そして、お誕生日、おめでとうございます、と。
 ビビは箱を抱きしめて微笑む。
 これから、彼らの誕生日がくるたびに、こうして贈り物を選ぶのだ。
 やっぱりナミにはアクセサリーや服、本もいいかもしれない。
 ルフィには肉が一番いいのだろうけれど、腐ってしまったら元も子もない。テラコッタに協力してもらって、サンジ宛にアラバスタの伝統料理のレシピを送ろう。
 チョッパーには何がいいだろうか。お菓子や、絵本も喜んでくれるかもしれない。
 ゾロには何か物を送るよりも、ただ手紙を送った方がいいのだろうか。あまり物を多く持ちたがるようなタイプではなさそうだし…悩みそうだ。
 ウソップには勿論、絵の具や色鉛筆、それにカンバスなんかもいいかもしれない。
 サンジには、こうして調味料を。
 毎日それが楽しみになるだろう。
 届いたかしら。
 喜んでくれたかしら。
 ビビはチャイのお礼を言って、立ち上がる。ポケットから取り出したお財布は、ナミがくれたものだ。
 来年の誕生日には、何が届くのかしら。
 こうして、離れていても、心はこんなにも繋がっている。
 ビビは箱をぎゅっと抱き締める。
 彼らがまるで、すぐ側にいるようだった。