・・・03.自分が言ったなんて信じられない台詞 ・・・

 綺麗ですよね。
 思わず呟いた言葉に、え、と目を丸くしたのは荘龍だけではなかった。
 昼間の成歩堂法律事務所の日の当たる場所で、ブラインド越しに入る光を受けて、荘龍の髪は銀色に輝き、色素の薄い瞳は明るさをいや増す。ひどく反した色彩が鮮やかで、艶やかで、口をついて出た言葉に驚いたのは成歩堂自身だった。
 振り返った三対の目が、まじまじと成歩堂を見る。
 え、と呆気にとられた顔と声で、それぞれ違うみっつの瞳を見返せば、それぞれ違うみっつの表情が返ってきた。
「やだなぁ、なるほど君。神乃木さん見て綺麗だなんて。どっからどう見たって四十近いおっさんじゃない」
 闇よりも深いような黒い瞳がからからと笑いながらそういう。同じ色をした髪が、ブラインドを僅かに広げて室内に入る風に揺れていた。
「おっさんたぁ失礼だな、お嬢ちゃん。それに俺はまだ四十には程遠いぜ!」
「気持ちだけは、でしょ。それに神乃木さんなんてあたしから見たら充分おっさんだよー。ねぇ、なるほど君もそう思うよね?」
 思いがけず求められた同意に、成歩堂は、うーん、と照れ隠しで微笑んだ。
「そうだねぇ、四十近いとねぇ…」
「ほらやっぱり! なるほど君でもそう思うんだもん! やっぱり神乃木さんはおっさんだよ!」
 ぱちんと両手を合わせてこくりと頷く独特の仕草には、満面の笑みが良く似合った。荘龍は溜息を吐いてそれを眺め、ねぇはみちゃん、と少女に同意を求めるあどけない仕草を眺めている。
 いまや倉院の家元としての地位を確固たるものにし、日本中に散らばる倉院の流れを汲むものを纏める少女に、その支えとなるべく一日一日成長を遂げる少女は、栗色の瞳を瞬かせて首を傾げた。
「でも、わたくしも荘さまはお美しいと思います」
 真剣な瞳で告げられる言葉に、おいおい、と荘龍が苦笑を馳せた。
「俺のどこが綺麗だってんだ、お嬢ちゃん。言っちゃあなんだが四十前のおっさんだぜ?」
「あ、神乃木さん、自分でおっさんって認めた!」
 指をさす少女に、顔を顰めて荘龍は堪えない。
 お前が妙なことを言うからだ、と言わんばかりに、眼鏡をかけた瞳がこちらを向く。茶色ではない、もっと赤味を帯びた瞳は、見るものに恐れを抱かせる。人ではないもののように思わせる。けれど成歩堂は、見据える赤い瞳が人以外の何者でもなく、誰よりも人らしい人の目だと知っていた。
 空っとぼけて顔を背けると、ああやっぱり、と少女は目を細めた。
 栗色の柔らかな髪と、栗色の暖かな目を持つ少女は、自分よりも頭いくつ分ほどもある背丈の荘龍を見上げて微笑んだ。
「たましいの形がお美しいのです」
「……は?」
 今度目を丸くしたのは、成歩堂だった。
 たましいなどと言う言葉ほど、少女の口から聞くに相応しくない言葉はない。
 戯れでなく、心の奥底からそう思うのだと言いたげに、少女は告げた。自らの言葉に臆することもなく、周りから寄せられる視線に怯えることもなく、背中をしゃんと伸ばし、背の高い荘龍を見上げる様は、まるですべてを知り訓える神子のようだと思い、成歩堂は己の考えに苦笑した。
 霊媒師だ。
 人よりも人ならざるものに触れることの多い世界で生まれ育った子なのだ。
 人であるものに何を恐れることがあるのだろうか。
「荘さまは、たましいの形がお美しいのです。人は必ず後悔を持って逝くものです。後悔を引き摺るように逝くのです。けれど荘さまのたましいは、後悔を引き摺るのではなく、抱きしめていらっしゃいます。綺麗に抱え込んで、まるで守っていらっしゃるよう。わたくし、荘さまほどお美しいたましいの形を見たことはありません」
 にこりと微笑んだ少女の呪縛からは、成歩堂よりも荘龍の方が早く逃れた。
 伸ばした指先で秀でた額をぴしんと弾き、まぁ、と憤慨する少女を見下ろし笑う。
「たましいまで見えるたぁ、恐れいったぜ」
「まぁ! 荘さまったらわたくしを馬鹿にしていらっしゃるのですね! 本当です、本当なのです! 本当にとてもお美しいたましいをしていらっしゃって…! なるほど君! なるほど君も仰ってください! わたくしと同じものをご覧になったのでしょう!」
 拳を握り締めて、頬を赤く染め力説する姿に、成歩堂は苦笑した。
 腰かけていた椅子の肘掛に身体を預け、うーん、と唸る。
「できればそうしたいところなんだけど、俺が綺麗だと思ったのは色がね、綺麗だなぁって思っただけなんだよね」
 今度は少女の方が目を丸くして、首を傾げる番だった。
「いろ?」
 幼い声の調子に、うん、と成歩堂は近くに立つ荘龍を見上げた。
 注目を浴びることに迷惑そうな顔をして、眉間に皺を寄せている。けれど先ほどからその角度が変わっていないのでブラインド越しに入る光が当たる角度は変わらない。
 銀色の髪に、燃える赤い瞳。
 綺麗でないと思う人がいるだろうか。
「ほら、この角度からだとね、荘龍さんの目が赤いんだよね。真っ赤でさ。髪も銀色で、綺麗だなぁって」
「あ、ほんとだ!」
 成歩堂の側に寄ってあげられる甲高い声と、ぱちんと両手を合わせる音に、荘龍がまた顔を顰めた。
「おいおい、何を言い出すんだ」
「ほんとにすっごく綺麗!」
「まぁ、荘さま、たましいの形だけではなく、瞳の色までお美しいのですね!」
 三人に寄ってたかって褒められたのでは荘龍も居心地が悪いのだろう。
 顔を顰めてぷいとそむける。それはブラインドの方に向けてだったので、成歩堂たちからはすっかり赤い色彩が奪われてしまう。ああっ、と声を揃える二人の少女が、わざわざ先を争うように荘龍の前に回りこんで、赤い瞳を見ようと躍起になっていた。
「ちょっと、神乃木さん! じっとしててよ!」
「そうです荘さま! 折角なのですからとくとお見せ下さいませ!」
「俺の眼なんざ見たところで面白くもなんともないぜ! おい、成歩堂、なんとかしやがれ! お前が言い出したんだろう!」
 振り返る荘龍の目の燃えるような明るさに、成歩堂はにんまりと頬を緩めた。
 二人の少女からは照れて隠すくせに、こちらに向くときにはまっすぐ見つめる赤い色に、成歩堂はにっこりと微笑みかけた。
「いいじゃないですか、荘龍さん。綺麗ですよ」
「くっ…口の減らねぇコネコちゃんだぜ…!」
「あ、久々のコネコちゃんだ! ねー神乃木さん、ちゃんと見せてよー! おっさんって言わないから!」
「そうです荘さま! いいませんとも!」
 きゃいきゃいと戯れる少女達に、荘龍は疲弊の色を隠せない。
 それでも不貞腐れたように成歩堂から逸らされた頬がうっすらと赤く染まっていたのを成歩堂は見逃さなかった。
 綺麗などと言う形容詞で褒められることのない人だから、照れくさいのだろう。
 陽が落ちるに近付き、窓から入る光はオレンジを帯び、やがては赤くなる。
 荘龍の瞳と同じ、赤い色になる。
 荘龍の持つ色が美しいのは、少女の言うようにたましいの形が美しいのから、なのだろうか。後悔を抱き守っているからだろうか。その後悔が、何であるかを成歩堂は知っている。
 そうであるのなら、荘龍ほどに美しい人はいないだろう。
 滲むオレンジに照らされ、更に燃える荘龍の鮮やかな色を眺め、成歩堂は目を細めた。
 二人の少女の前に荘龍は陥落し、真っ向から目を見つめられている。
 うわぁ、綺麗だねぇ、ほんとうです、なるほど君のおっしゃる通りです。
 居心地の悪そうな荘龍の目前で歓声を上げる少女たちに、成歩堂は笑みを浮べる。
 そうだろ、と告げる声はまるでそれが我が事であるかのごとく誇らしさに満ちていた。

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