■ 逆裁 ■

「ゴールデンウィークだよ、なるほど君! どっか行こうよ!」
 ばんっと所長室の大きなデスクに両手を叩きつけて、ずいと身を乗り出したのは何も真宵だけではなかった。その隣では小さな手のひらを精一杯、デスクに叩き付けた春美がいて、逆隣には同じく大きな手のひらで思い切りコーヒーカップをデスクに叩きつけた荘龍がいた。
「……なにごと…?」
 思わずチェック中の調書を抱きしめて椅子ごと飛びのいた成歩堂に、ぐいと荘龍が顔を近づけた。
「明日からゴールデンウィークだぜ、成歩堂!」
「ですとも、なるほど君!」
 ずずいと春美まで顔を近づけるので、成歩堂はそれ以上下がりようがない本棚に、椅子の背をぴったりとくっつけた。
「だからどうだって言うんだい…?」
「どっか行こうよ、なるほど君! あたし、遊園地がいい!」
「わたくしはサーカスをもう一度見てみたいのです!」
「俺はコーヒー博物館がいいぜ」
「いいいいい意義あり!」
 慌てて成歩堂は飛び上がった。大事に抱えていた調書をばしんとデスクに叩きつけ立ち上がるので、おっ、と真宵が顎を引く。
「コーヒー博物館って何ですか!」
 びしりと指を突きつけられた荘龍よりも、立腹した様子で真宵と春美がにじり寄った。
「それよりも遊園地だよ、なるほど君!」
「いいえ、サーカスですとも!」
「クッ、馬鹿言っちゃいけねぇぜ。ゴールデンウィークはコーヒー博物館だって相場が決まってるんだぜ、お嬢ちゃん方」
「な、なんですって! いくら荘さまと言えども今のお言葉は聞き捨てがなりません! ええ、なりませんとも! 一体全体、どなたがそんな事をお決めになったのですか! いつ! 何月何日何時何分何秒ですか!」
 春美がきーきーと喚き声を上げるのを、荘龍がなにやら構ってからかっている。それにまた真宵が加わるものだから、成歩堂法律事務所の所長室は大騒ぎだった。
 他所でやってくれないかなぁ、と調書にちょっぴりコーヒーがついているのを見て、ティッシュでこっそり拭っている成歩堂に、ふっ、と聞きなれた声が聞こえた。
「馬鹿な馬鹿どもが馬鹿にたかって馬鹿のような馬鹿騒ぎ……愚かね」
「狩魔検事…」
 所長室の戸口に立っている冥の姿に、思わず成歩堂はすがるような視線を向けてしまった。冥の向こう側には御剣もいる。
「ノックしても返事がなかったので、勝手に入らせてもらったわよ、成歩堂龍一」
「ああ、ごめん。全然気付かなかったよ。それで、どうかしたのかい、二人してくるなんて、珍しいじゃないか」
 こっそりと所長室を抜け出して、きっちりドアを閉め、事務所の方の応接ソファに腰を下ろしながら成歩堂が尋ねると、向かい側にきっちり足を揃えて座った冥が、ええ、と言葉を濁した。珍しい様子に首を傾げいていると、冥の隣で御剣が口を開く。
「検察庁の春の懇親会が催されることになったのだ」
「……検察庁そんな事やってたの…?」
「うむ。ずいぶん前から、検事だけでは面白くないからと、裁判長なども一緒に行っているのだが」
「…それって癒着じゃあ…?」
 大問題なんじゃ、と眉を寄せる成歩堂に、そうなのだ、と御剣が身を乗り出す。
「裁判官と検事だけでは都合が悪かろうと言うことで、弁護士もどうかと持ち上がったのだ。二泊三日の旅行で、旅行会社に頼んでツアーを組んでもらうので、交通費と宿泊費のみだが、どうかと思ってな」
「え、僕も?」
 成歩堂が目を瞬くと、ええ、と冥は澄ました顔で頷いた。
「一度だけだけれど私も行ったことがあるわ。静かでなかなかいい所よ。空気がいいし、ゆっくりできるわ。バスをチャーターして行くのだそうだけれど、二時間程度で行けるし、それに騒がしいのが嫌なら保養所の近くに狩魔家の別荘があるわ」
「へぇ、君んちって別荘まであるの」
 冥は少し頬を染めてそっぽを向いた。
「検事や裁判官の中には、家族連れでやってくる人もいるのよ。子供がいてゆっくりできないので、私は別荘に泊まるつもりよ。怜侍も一緒だから、あなたもうちにきて構わなくってよ。ただ、食事は他の連中と一緒になるだろうけれど、それ以外なら自由にしてもらって構わないわ。露天風呂もあるのよ」
「へぇ…露天風呂かぁ…いいなぁ」
「ちょっと待ったァア!」
 バーンと派手な音を立て、所長室のドアが開く。勢い良く開いたドアの向こう側には、びしりと指を突きつける荘龍、真宵、春美の姿があった。まるでそれが一揃いのように同じ格好で階段状の身長が並んで指を突きつけるのは、妙に微笑ましい。
「異議ありだぜ、お嬢ちゃん!」
「いくらかるまけんじさんと言えども、わたくし、抜け駆けは許しません!」
「ゴールデンウィークは遊園地だよ、なるほどくん!」
 呆気に取られている成歩堂と御剣を他所に置き、冥はうっすらと微笑した。法廷でよく見かける勝ち誇ったような表情に、むっ、と早くも真宵がたじろいだ。
「馬鹿の馬鹿による馬鹿のための馬鹿騒ぎね。残念ね、お三方。成歩堂龍一のゴールデンウィークは我々検事局が頂いたわ」
「うむ、あきらめたまえ」
 重々しく頷く御剣に、ひどいです、と春美が涙目で訴える。
「みつるぎけんじさんまで、わたくしの邪魔をされるのですね! わたくし、ゴールデンウィークは絶対なるほどくんと一緒にサーカスを見ようって、心に決めておりましたのに! それなのに、それなのに、ひどいですぅうう!」
「おっと、いけねぇなぁ! こんな可愛い子ちゃんを泣かすなんて、テメェ男の風上にも置けねぇぜ!」
 荘龍に抱きついてわんわんと泣き始めた春美と、それを抱きしめている荘龍を見て、ふっと御剣が笑った。例によって法廷で浮かべる勝ち誇った顔だが、それが冥と並ぶとそっくりだった。
「嘘泣きに騙されるほど私はお人よしではない」
「……なかなかやりますわね、みつるぎけんじさん…!」
「クッ、ばれちまっちゃしょうがねぇぜ」
 チッと舌打ちをする春美と荘龍の横で、んもーっ、と真宵が大声を上げた。
「サーカスも温泉もコーヒー博物館もどうだっていいよ! 遊園地ったら遊園地!」
「そう言えば…」
 冥が顎に手をあて考え込むような素振りをした。
「近くに富士急ハイランドがあったような気がするわ。どれくらいかかるのかは調べてみないと解らないけれど、そう遠くもないはず」
「え、ほんとに?」
 ぱっと顔を輝かせて、真宵がぱっと挙手をした。
「あたし、行きたい、ゴールデンウィークに狩魔検事の別荘!」
「おいおいおい…」
 成歩堂が溜息を吐く。そのあっさりとした変わり身の早さはなんだろう。遊園地だったらどこでもいいのだろうか。
 ついで御剣も首を傾げた。
「富士急ハイランドと言えば、今、タチミサーカスが巡業に行っているのではなかっただろうか」
「わたくし、かるまけんじさんの別荘に行きます!」
 ぱしっと挙手した春美の手が、屈んでいた荘龍の顔面を直撃したが、春美はまったく気にしていなかった。それどころか真宵と手を取り合ってきゃいきゃいと喜んでいる。
「富士急ハイランド!」
「サーカスですわー!」
「楽しみだね〜、はみちゃん!」
「楽しみです〜!」
「じゃあ、ゴールデンウィークは懇親会ってことで」
 成歩堂がにっこり笑ってそう言うと、きゃあ、と女の子二人が歓声を上げた。
「狩魔検事、一緒にお風呂入ろうね〜!」
「温泉です〜!」
「露天風呂なので景観は最高よ。あなた方もご一緒にどうかしら、怜侍、成歩堂龍一」
「え、混浴? 照れるなぁ」
「何を照れているのだ成歩堂。冥、無論水着着用だろうな。でなければ混浴など許さんぞ」
「別にいいじゃない、タオルで隠せば」
「そうだよー! 御剣検事ってば、狩魔検事のお父さんみたーい!」
「まぁ確かに君、ちょっと過保護かもね」
「ほーら、御覧なさい、怜侍。成歩堂龍一もああ言っているのだから、水着は却下よ。そうだわ、お嬢ちゃん。近くに犬ばかりの動物園のようなところがあるのよ。あなた、そう言う子供っぽい所が好きなのではないのかしら」
「犬さんですか! 行ってみたいです! 荘さま、わたくし、とっても楽しみです〜!」
 きゃあ、と叫んで春美が荘龍に飛びついたが、荘龍は一人忘れ去られていじけ床にのの字を書いていた。いいんだどうせ俺なんかいなくたって誰も気付きゃしねぇんだぜ、とぶつぶつ呟いているのを聞こえないふりをして、いやぁ、と成歩堂は声を上げた。
「楽しみだなぁ、ゴールデンウィーク! 温泉なんて久しぶりだよ」
「ではまた詳細が決まったら追って知らせよう」
「邪魔をしたわね、成歩堂龍一。次にきたときには茶菓子くらい出しなさい」
 御剣と冥が相次いで席を立ち、戸口へ向かうのを、荘龍以外が見送った。
 彼らが帰った後も、楽しみだなぁ、楽しみです、楽しみだねぇ、と口々に言い合う他三人は、返事の返ってこない背中を振り替える。部屋の隅っこに縮こまっている荘龍を見て、さすがにいじめすぎただろうかと、三人は彼を慰めるため苦笑顔で近付いていった。

 なんつーか、荘さまの扱いが悪うございますな…。冥とみったんが出てくると、どうしても荘さまは三枚目キャラになってしまうのです。でもってはみたんを出したいので、はみたんが出てくると、これまた荘さまが三枚目になるわけです。かわいそうな荘さま……ククッ(ウラミたん)。ああ、そうそう。コーヒー博物館と言うのはマジであります。神戸です。UCCです。今の建物になる前の建物の概観に、ちょっぴりときめくコーヒー党でありました(紅茶も好きです)。