ミッションインポッシブル




「解ってるね、オドロキ君? これはキミにしかできない、大事な仕事なんだ。完璧に任務遂行できなかったその場合は………解ってるね?」
 いつになく真剣な顔の成歩堂にそう脅され、法介は項垂れながら事務所を出た。片手に下げた鞄の中の厄介なものを、法介は人情公園の川にでも流してしまいたい気持ちに狩られる。が、本当にそうしたら小梅さんの箒でバッサリ切られそうだ。
 まだ日が高く、駅への道中にある小学校からは元気な小学生の声が聞こえてくる。あんな頃に戻れたら…、とうっかり後ろ暗い気分になりかけ、このままではいかん、と法介は歩く足を早めた。
 電車を乗り継いでやってきたのは検事局で、約束も取り付けていないのに、検事局の警備の警察官は法介の姿を見るなりサッと敬礼して通してくれる。尚且つ受付のお姉さんは、牙琉検事ならオフィスにいらっしゃいますよ、とにこやかに教えてくれる。どちらの目も法介の後ろを探し、あれ、今日はあの変な格好したお嬢ちゃんいないのね、と拍子抜けした表情になる。
 平日ですからね、と内心で答えながら、法介は響也のオフィスの前で立ち止まった。一瞬躊躇った後、結局、ここでうだうだしていてもどうしようもないのだと手を振り上げ、ドアをノックした。
「はいどうぞ?」
 中から気軽にかけられる声に、やっぱりいたよ、と法介は溜息を吐いた。受付のお姉さんがオフィスにいると言っていたのだから、響也がオフィスにいないわけがないのだが、嫌な仕事を済まさなければならないと思うと、どうしても、響也がオフィスにいなければいい、と思ってしまう。
 法介は進まない気持ちでドアを開け、オフィスの奥の本棚の前で、資料らしきファイルをぱらぱらと捲っていた響也にぺこりと頭を下げた。
「こんにちは、牙琉検事」
「やぁ、おデコくんじゃないか! どうしたんだい? あのお嬢さんが一緒じゃないなんて、珍しいね」
 にこやかな笑顔で尋ねられ、法介は、平日ですからね、と言う言葉を飲み込み、変わりに成歩堂に教え込まれた言葉を呟いた。
「俺一人できちゃ、駄目ですか? その、二人きりでお話ししたいことがあって……」
 響也がにこやかな笑顔を凍結させ、目を真ん丸にして法介を見つめる。ほらやっぱり引かれるじゃないですかっ、と脳内で、あっはっはっ、と朗らかに笑う成歩堂に愚痴ってみるも、脳内の成歩堂は朗らかな笑顔で、まぁ頑張って、と匙を投げている。
 じぃっと見つめる響也の視線がいたたまれずに俯くと、響也はハッと我に返ったように首を振った。
「ああ、ごめんよ、おデコくん。あんまりキミが可愛らしいことを言うものだから、うっかりどこかの誰かに入れ知恵をされたんじゃないかと疑ってしまって…」
 その通りです牙琉検事、と法介は後ろめたさに涙を飲んだ。
「とりあえず、座っておくれよ。飲み物は何がいいかな?」
「ああ、いえ、お構いなく…」
 オフィスの中には響也の私物らしいティセットやコーヒーメイカー、急須に中国茶用の茶器が並んでいる。響也はその中からコーヒーカップを取り出すと、コーヒーメイカーを慣れた手付きでセットした。
「そんなわけにはいかないよ」
 にこやかに笑いながら、ガリガリとコーヒー豆をひいているせいで声は少々聞き取りにくいが、響也は心底嬉しそうだ。
「折角おデコくんが、僕と二人きりで話がしたいなんて言って訪れてくれたわけだからね。最大限のおもてなしをしなくちゃ。ケーキでも頼むかい?」
「いえっ、本当にいいですっ! すぐに終わる話ですからッ!」
 オフィスにある応接セットのソファに腰を下ろし、法介は鞄の中から封筒を取り出した。茶封筒はA4サイズの入る大きなもので、法廷へ書類を持ち込むのに良く使っているアレだ。『成歩堂法律事務所』と書かれた封筒は七年前から使用用途がなくそのまま埃をかぶっていたものを、先日の大掃除で発掘してきたのだ。法律の部分を二重線で引いて消して、上にみぬきの字で、なんでも、と書かれている。
 響也はコーヒーを持ってくると、法介の向かいに座り、にこにこと微笑みながら法介を見つめた。
「それで? 僕に話って一体なんだろう? デートのお誘いかな?」
 違うんですー、と法介は半ば泣きたい気持ちだった。
 響也が純粋に喜んでいる様子を見ると、自分がこれからしようとしていることが、酷いことに思えてくる。いや、実際酷いのだが、発案者は成歩堂であって法介は実行するだけなので、本当に酷いのは成歩堂だ。だが成歩堂に言わせれば、実行犯はオドロキくんだから、などとにこやかに言うに違いないのだ。
 法介は湯気を立てるコーヒーカップを見つめながら、成歩堂に教え込まれた台詞を呟いた。
「その…俺、もっと牙琉検事と一緒にいたいな、と思って…」
 ガシャン、と響也の手からカップが滑り落ちる。手にしていたソーサーの上に、僅かばかりの高さから落ちただけだったので、派手な音が鳴った割にはコーヒーが零れもしなかったのだが、法介はその音に首を縮めた。
 ほらやっぱり引かれてますってナルホドさんっ、と朗らかな笑顔で匙を投げつける成歩堂に訴えるも、成歩堂は法介の脳内ですらも無責任に笑っているだけだった。
「それで、その、ナルホドさんに相談したらですねっ、俺が牙琉検事とずっと一緒にいるには、ひとつだけ方法があるって……それで、その……っ」
 法介は一刻も早くこの場から逃れたい一心で、茶封筒の中から引っ張りだした書類をばさっと響也の前に突き出した。緑のインクで印字された書類に、響也の目が落とされ、そして見開かれる。
「これにサインしてくださいっ!」
「これって婚姻届じゃないかおデコくん!」
「だってナルホドさんがそれしか方法がないって言うから! それともっ、それにサインするのは嫌ですか、きょっ、響也さんッ!」
 驚きに目を見張っていた響也が、ズガンと何か強烈な証拠品でも食らったかのように衝撃を受けてよろめいている。
「きょ、響也さん…? ま、まさかおデコくんの口からそんな風に呼ばれるなんて…ッ!」
「い、嫌ですかっ? だったら止めます!」
「とんでもない! ノープロブレムだよおデコくん! 遠慮なく呼んでくれたまえっ! 何しろ僕達は夫婦なんだからっ!」
「ええええっ?」
 がっちりと両手を握り締めてくる響也に、法介はうっかり嫌そうに顔を顰めてしまった。テーブルを乗り越えて今まさにキスをしかけようとしていた響也は、その表情にハッと顔色を変える。
「あ、そうか。ごめんよ、おデコくん。僕だけ名前で呼んでもらうだなんて、ちょっとシツレイだったよね? それじゃ、ええと…オドロキくん…は駄目か、結婚したら苗字も一緒になるわけだから……そうだな、法介って呼んだ方がいいよね?」
 ズガンッと心臓打ちぬかれたくらいの衝撃で法介はよろめいた。
 響也のきらきらした笑顔で真っ向から見つめられ、甘ったるい声で、法介、などと呼ばれた日には腰砕けというものだ。ふらふら倒れそうになるのを、おっと大丈夫かい、と響也が甲斐甲斐しく助けてくれる。
「す、すみません…思いの他、ダメージが強くて……」
 ふうふうと額の汗を拭う法介を、響也は嬉しそうな顔で見つめている。
「だけど嬉しいな。まさかキミがこんな風に考えてくれているなんて。ファンの子を悲しませないためにも、僕は結婚するつもりなんてなかったけど、キミが望むなら全国一億二千万人のファンを泣かせても構わないよ、法介」
 両手を取られながら、法介はクッと顔を背けた。奇妙な汗がだらだら流れてきて、早いことここを逃げ出さないと大変なことになりそうだ。
 キラキラした輝きをバックに微笑む響也の手を振り払って、法介をずいっと書類を差し出した。
「サインしてくださいっ、今すぐに! 早く行かないと俺…っ!」
 大変な目にあうんです、とはさすがに言えず口篭もると、響也は勝手に自分の都合のいいように解釈してくれたらしい。
「勿論だよ、法介。一刻も早く市役所に提出しなくちゃね!」
 ああもう呼び方が法介で定着しちゃってるよ、と内心、涙の海に沈没寸前の法介は、響也がいそいそとペンを取り出して、婚姻届の夫の欄のところにサインをするのを見た。
 なんだかひしひしと罪悪感が押し寄せてくる。
 止めるべきか、止めずにこのまま押し通すべきか。
 法介がうろうろとどっちつかずの考えの間を彷徨っていると、ペンを走らせていた響也が、あれ、と眉を寄せた。
「これ、他の書類が重なってるみたいだよ?」
「ご、ご存知なかったんですか、響也さん! 最近の婚姻届は複写式になったんですよッ!」
「へぇ、そうだったんだ。知らなかったな…ってそんなわけないだろう!」
「ああっ!」
 重なっていた書類をばりっと引き剥がし、響也は二枚目の書類に目を走らせる。
「なんだこれは! 成歩堂なんでも事務所専属契約証明書…ってコラッ、王泥喜法介!」
「ごーめーんーなーさーいぃいいいいい!」
 法介は逃げ出そうと身を翻したが、それよりも早くベルトをがっちりと響也に掴まれる。
「俺だって嫌だって言ったんです! でも事務所の家計は火の車で今月のお家賃も払えないしみぬきちゃんの給食費も底をついてナルホドさんのツケは溜まる一方なんですーッ!」
「それがどうしてこういうことになるんだ! 純真な僕の男心を踏みにじりやがって! ただじゃおかないからなっ! 検事を騙してもいいと思ってんのか!」
「だってナルホドさんがそれしかないって言うから! ガリューウェーブは解散したから牙琉検事はフリーでどことも契約してないはずだからって! 牙琉検事がうちの事務所所属になったら依頼がたんまり来て、給食費もツケも家賃も全部解決するからって!」
「だからってわざわざこんなもの用意してまで僕を騙すのか! ああ、そうか! どうせキミの僕への気持ちなんてそんなもんだったんだろうね! 金と愛とじゃ金の方が勝つってわけだ! こんなにコケにされたのは初めてだよ!」
 逃げ出そうとしていた法介だったが、響也がベルトを離しても、その場を逃げ出すことはできなかった。
 響也の言う事はいちいち本当のことだったし、そして正しいことでもあったからだ。
 法介と響也の関係は世間一般で言うお付き合いをしている関係で、多少なりとも他人よりも親しい間柄ではあるけれど、だからこそ、こんな風に騙すべきではなかった。と言うよりも、最初から騙すべきじゃなかったのだ。あの爽やかな笑顔の裏で何を考えているのか解らない成歩堂に脅されなければ、法介とてこんな暴挙に出なかっただろう。
 響也はぐったりとソファに座り、手の中で別たれた婚姻届と成歩堂なんでも事務所専属契約証明書なるものを眺めている。
「ハッ、ご丁寧に婚姻届に自分の名前まで書いて僕を騙そうとするなんてね!」
「え?」
 愚痴モードの響也の言葉に、乱れた服を正していた法介は、目を丸くして顔を上げた。
「俺の名前ですか?」
「そうだよ! ほら、ここにこうして…」
「あーッ! 何で俺の名前が…あぁあああ、な、ナルホドさんかッ!」
 事務所で婚姻届を見せられ、作戦のあらましを説明されて、法介はそれきり茶封筒の中に婚姻届を突っ込んでいた。あまりの作戦に婚姻届を見たくなかったこともあるし、見ていたらなんだか眩暈がしそうだったからだ。まさか法介の名前まできっちり書き込んであるとは思わなかった。
「そう言えば今朝、何かの手続きに必要だからって署名したような…」
「てことはコレはおデコくんが書いたってことか………」
 ふぅん、と顎に手を当て婚姻届を眺めていた響也がパッと顔を輝かせた。
「交換条件と行こうじゃないかおデコくん!」
 今までの愚痴モードが嘘のような溌剌とした笑顔に、法介は嫌な予感が否めない。
「あんまり聞きたくないけど…なんですか?」
 響也はにこにこと婚姻届を片手に、そしてもう片手に成歩堂なんでも事務所専属契約証明書を持ち、晴れ晴れと言い切った。
「この婚姻届を市役所に提出する代わりに、こっちの専属契約書をおデコくんに渡すって言うのはどうだろう? そうだなぁ、エンゲージリングならぬエンゲージ書類、みたいな?」
「いやいやいやいや! それちょっとおかしいですよ!」
「どうしてだい。だっておデコくん、キミはこっちの専属契約書がないと大変なんだよね? えーと、なんだっけ? 事務所の家賃にお嬢さんの給食費に成歩堂龍一のツケだっけ?」
 ぶすっと不貞腐れた顔をする響也に、法介はわたわたと指を突きつける。
「それって脅迫じゃないですか!」
「うん。でもそれって、キミが働こうとしていた詐欺よりも証拠になりにくいものだよね?」
「うっ、で、でもっ! お、俺たち男同士だしっ!」
「あのねぇおデコくん」
 やれやれ、と溜息を吐かれ、心底呆れ果てたと言わんばかりに首を振られ、法介は突きつけた指を下ろしてしまう。
「同性同士の婚姻が認められてから、一体何年経つと思ってるんだい? 芸能人でも同性同士で結婚した人たちなんてたくさんいるし、検事局にもいるんだよ? 今更男同士だからって、後ろ指差すような保守的な考えの持ち主は、数えるほどしかいないと思うけどね」
 ほらほらどーするんだい、と言わんばかりに、目の前で専属契約書をひらひらとさせられ、うううっ、と法介は唸った。
 これがなければ成歩堂にひどい目に合わされることは明白だ。その上、家賃も払えない、給食費も払えない、ツケも払えない甲斐性なしだとみぬきに罵られるだろう。と言うよりもそれらすべては成歩堂が払うべきものじゃないのかと法介は今更ながら気付くのだが、当然のことながらそれを言う勇気などさらさらなかった。あったらこんな所で婚姻届を牙琉響也に突きつけてなどいない。
 心なしか楽しそうな響也の顔をちらっと見て、法介はグッと拳を握り締めた。
 こうなったら背に腹変えられない。
 法介はがたんとソファを蹴って立ち上がると、響也の両手で揺れている専属契約証明書と婚姻届をバッと奪い取った。
「ごめんなさいっ!」
「あっ、こらっ! 待て!」
 どたどたと脱兎のごとく勢い、とまでは行かなかったが、それでも法介にできる限りのスピードでオフィスの出口を目指すも、途中で響也に捕まってしまった。ベルトを掴まれ引き摺り倒され、もう少しでギターが置かれていたテーブルに頭を打ち付けてしまうところだった。馬乗りになられながらも、なんとか専属契約書と婚姻届だけは死守しなければとぷるぷる精一杯手を伸ばす。
「往生際が悪いぞ、王泥喜法介! 素直に僕と結婚すればいいんだ!」
「素直に結婚なんかできるかッ! 俺はまだ独身でいたいんだ!」
「僕と結婚したら毎日美味しいものが食べられるし、マンションだってオートロックだし、それに家賃の心配もツケの心配もしなくてすむんだぞ! 何しろ僕は牙琉響也だから! ガリューウェーブのガリューだし! それにほらっ、今をトキメク公務員だよっ? 公務員! 退職金も一杯出るし! 天下り先も一杯あるし!」
「うっ、それには心を惹かれる…けども、やっぱ駄目です! て言うか、あんた退職金と天下り先に頼って老後の生活するつもりだったのかよ!」
「ものの例えじゃないか! 僕はもう一生遊んで生活できるだけの金は印税で稼いだからね!」
「だったら退職金の返上くらいしたらいいじゃないですか!」
「それとこれとは話が別だろう!」
「……何やってんです二人して」
 婚姻届と専属契約書を巡って床の上ですったもんだしていると、飛び切り冷静でいて飛び切り呆れた声が二人の頭上から聞こえてきた。ハッと顔を上げる法介の目には、呆れ果てた顔でさくさくとかりんとうを齧っている茜の姿がある。いつものポシェットにいつもサングラス、いつもの白衣のポケットからは妖しげな道具が覗いていた。
「あ、茜さんッ! 助けてくださいッ!」
「え、助けていいの?」
 法介がぷるぷると手を伸ばしながら茜に助けを求めると、茜は目を真ん丸にして頬に手を当てた。
「てっきり取り込み中でお邪魔しちゃったかもって思っちゃったんだけど…」
「そうだよ、刑事くん! 今はとっても取り込み中なんだから、邪魔しないでおくれよ!」
「何言ってんですか、牙琉検事! 茜さんっ、お願いですから助けて下さい! それが駄目ならせめてこれを燃やしてくださいッ!」
 法介が一縷の望みをかけてぽいっと放った婚姻届は見事茜の足元まで滑っていく。法介は専属契約証明書の方はがっちり手元に残し、消し去って欲しい婚姻届を投げたのだ。茜はヒョイと身を屈め、足元に滑ってきた婚姻届を拾い上げた。
「なぁにコレ? コレを燃やしちゃえばいいわけ?」
「そーですそーですバンバン燃やして下さい!」
「駄目だよ、刑事くん! それは僕達の華々しい人生のスタートを切るのに必要なものだからね! 丁重に扱っておくれよ!」
「あらやだコレ! 婚姻届じゃないのよ!」
 拾い上げた婚姻届を広げ、茜は目を見開く。
「こんなの燃やしたら呪われそうじゃない、カガク的に!」
 呪いはカガク的じゃないと思いますよ、と突っ込みは法介の喉元まで出かかっていたが、今は茜に助けてもらわなければ逃れられそうになかったので、余計なことは言わないことにした。
「燃やすのが駄目なら破ってください粉々に!」
「えー、なんだか検事の項垂れ具合を想像するととってもそう言うのってやりたくなるんだけど!」
「何言ってるんだい、刑事くん! 駄目だよ! それはちゃんと市役所に提出するんだからね! それに僕と結婚したら家賃とか給食費とかツケとかに悩む生活をしなくて済むんだよ! だから僕と結婚しようよおデコくん!」
「だからってなんですか、だからって! 俺は借金のカタに結婚なんてしたくありませんよ!」
 茜の手から婚姻届を奪おうと、そちらへ向かう響也を、法介ががっちりとしがみついて止めている。さっきとは逆の構図に、婚姻届を眺めていた茜がぱちぱちと目を瞬いた。
「え、何? もしかしてナルホドさん、またピンチだったりするわけ? この前もそんな事言ってなかったっけ?」
「それとはまた別のツケです!」
「一体どれだけツケを溜めてるんだ、キミの上司は! ああもう、いい加減に離せよおデコくん! 熱烈なのはベッドの中だけで充分だよ!」
「誰がベッドの中でも熱烈になんかするもんか! 茜さん! お願いですからソレ、破って燃やして灰をトイレに流して下さい!」
「うわっ、そこまで徹底的にしなくてもいいじゃないか! いいかい、刑事くん! それを市役所に持って行っておくれ!」
 ぎゃあぎゃあと言い争う二人に真逆のことを乞われ、茜は頬に手を当て、んー、と首を傾げた。そしておもむろにポケットに突っ込んでいたかりんとうの袋を取り出し、さくさくと食べ始める。
「どっちの意見を聞けばいいの?」
「僕だよ、勿論!」
「俺です! 茜さん、牙琉検事の嫌がることがしたいって言ってたじゃないですか! それを燃やしてトイレに流すことが一番の嫌がらせですよ!」
「そうだ、刑事くん! それを市役所に持って行ってくれたら、キミが欲しがってた例のアレ、プレゼントするよ!」
「え、本当に?」
 響也が法廷さながら、バッと差し出した右手に、茜の顔がぱぁあっと輝く。響也の前で茜がこれほどまでに嬉しそうな顔をした事があっただろうか。いや、自分が見た限りでは一度もなかった、と法介は響也の足にしがみついたまま思った。
「本当にコレ市役所に提出したら、アレ、買ってもらえるんですかっ?」
「勿論だとも! 男に二言はないさ!」
「きゃあ! やったぁ! じゃあ早速提出してきますからコレ! 約束ですからね! 約束破ったらかりんとう、食らわせますからね!」
「あっ、茜さん、待っ……!」
 うきうきとスキップをしながらオフィスを飛び出していった茜に手を指し伸ばすも、茜の白衣の裾はひらひらと法介の視界から消えていく。勿論、婚姻届も一緒にだ。
「………ああぁああああああ……」
 がっくりと項垂れる法介の側で、響也は嬉しそうに頬をほころばせていた。
「嬉しいなぁ。これで晴れて僕達は夫婦になったわけだね。勿論、頑張って働いて、ツケも給食費も家賃も払うから、安心しておくれよ! 大事にするからね、法介」
 項垂れる肩を抱かれ、耳元で甘く囁かれてしまえば、法介とて響也を嫌いではないのだから、拒んでいたことも馬鹿らしく思えてくる。それに考えてみれば響也は金持ちで、尚且つ自身が言っていたように公務員で将来有望でリストラに合う予定も可能性すらもない。
 不安定な職場で不安定な上司を持ち収支のバランスが不安定な生活よりも、苗字がちょっと変わるくらい、妥協すべきではないだろうか。
「…………なんか洗脳されてるかも。大丈夫か、俺…?」
 エンゲージリングも勿論プレゼントするからね、などと的外れなことを言っている響也を眺めながら、とりあえず手の中に響也の専属契約証明書もあるのだから、完璧に任務遂行できたと言ってもいいんじゃないだろうか、と法介は考え、ホッと息を吐いた。
 今の法介にとって、響也と同じ苗字になることよりも何よりも、成歩堂の朗らかな裏に何が隠されているのか知りたくもない笑顔を見ないで済むことの方が重要だった。



 察するに逆転裁判4の時代ともなれば、日本でも同性同士の婚姻も認められ、社会に浸透した頃だろうと勝手に解釈しました。と言うか資料見ていたんですが、響也とかおデコくんとか新世紀生まれなんですってよ! 2000年以降に生まれているんですってよ! 平成生まれなんて相場じゃなかったんですってよ! オネーサンちょっと、いやかなり衝撃を受けた次第です、ハイ。