君の涙を見るのはつらいけれど、泣きたい時は我慢しないでほしい。




 弁護士をやっている以上、裁判に負けるなんてことも当然あるわけで、遅かれ早かれそれが自分の身に降りかかってくることも当然法介にも解っていた。序審裁判での有罪無罪は無論のこと、その後にある量刑を決める裁判も何度となくこなしていた法介だったが、今回の裁判だけは意味合いが違った。
 法介にこの裁判の弁護を担当させた成歩堂も、最初から諦めた顔色で、まぁ何事も勉強だから、と言い、当の依頼人も何か悟りきったような顔で、面倒なことをお願いしてすみません、と言っていた。
 こうなることははじめから解っていた。
 それでも下された刑罰に噛み締めた奥歯と握り締めた拳が痛い。
「大丈夫かい? おデコくん」
 裁判所のロビーでソファに座り、俯いたまま、じっと一点を見つめ続けていた法介は、上から降ってきた柔らかなアルトにはっと瞬きをした。いやに瞼の裏が痛く、ひょっとしたら瞬きも忘れていたのかもしれない。
 法介の斜め前に、嫌味なほど長い足が見える。それを辿って顔を見上げれば、少し困ったような顔で響也が微笑んでいた。
「大丈夫って感じじゃなさそうだね。キミのところの弁護士先生からキミを回収してくるように頼まれたんだ。事務所に苦情が行ったらしいよ。そろそろ動いてくれないと、裁判所は二十四時間営業じゃないんだからね」
 子どもに言い含めるように告げられた言葉に、のろのろと首を回せば、まるで油が切れたブリキ人形のようにぎしぎしと関節が痛み骨が鳴る。裁判所のロビーの壁にかけられた時計は、すでに午後八時を示しており、通常であれば玄関の門も閉められている時間だ。
 法介の受け持った裁判が終わったのは午後三時。
 それからずっとここに座っていたのか、と時間の感覚を失っていた自分に驚く。
 すみません。
 そう呟いたはずだったのに唇は音を生まず、法介は困惑し俯いた。
「立てるかい?」
 俯いた視線の先に差し伸べられた手は、いつも法廷で異議を唱え差し出すその手に他ならない。ギターを弾くせいか指先に傷が多く、検事にあるまじき装飾過多な様は手も例外ではない。銀色の指輪が填められた手は、立てるかい、などと法介を促す口調だったのに、動かない法介に焦れたように無理矢理に法介の腕を引いた。
「いくら裁判の結果が極刑だったからって、ここにずっと座ってていいわけじゃないんだよ、おデコくん。さぁ立って、歩くんだ」
 極刑と言う言葉に法介の背にはひやりと冷たい汗が流れたが、再度促され、法介は軋む身体を動かし、延々座り続けていたソファから腰を上げた。
 響也が傍らに置いてあった資料やらの入った鞄を取り上げ、法介の手を引く。
「おいで。検察局なら年中無休二十四時間営業だからね。この僕が話を聞いてあげるよ。どうせそんな顔じゃ、事務所になんて戻れないんだろう?」
 響也の声は嘲るような色を含んでいたけれど、その声音は驚くほど優しく、法介の強張った顔が歪みかける。だが、駄目だ、と法介は唇を噛み締めた。
 項垂れたままの法介を連れ、響也は検察局へ歩き始める。法介が気付かなかっただけで、どうやら近くに裁判所の職員がいたようで、響也はそちらへ向かって、迷惑をかけて悪かったね、と告げている。
 裁判所を出れば生ぬるい風が身体にまとわりつく。
 冬から春に変わる前の、独特の風だ。
「最初から解ってたそうじゃないか」
 のんびりと、夜の散歩を楽しむような風情で半歩先を歩く響也が、まるで天気の話でもするかのように言う。
「キミの依頼人は人を殺して、しかも遺体をバラバラにして棄てたんだろう?」
 職務時間を終えた裁判所の前は驚くほど人気がない。街頭の明かりが落ち、二人の足音だけが響く路上で、響也はさらに続けた。
「しかも一人じゃなかった。どう頑張ったって極刑になることなんか最初から解ってたんだし、キミのとこの弁護士先生もそう言ってたそうじゃないか。全部が全部、無罪で終わるわけがない」
 歩くことで思考回路が回復したのか、それとも繋がれた響也の手の暖かさに身体が熱を取り戻したのか。
 法介は繋がれていた手を振り払った。
 足を止め、振り返る響也の目は静かだ。夜だと言うのに外さないサングラスの向こうで、穏やかに瞬きを繰り返す。
「だけど」
 法介の声は、からからと乾いていた。
「だけど、殺人は、過剰防衛だったし、遺体をバラバラにしたのは、娘さんを守るためで、取調べにだって、最初から素直に応じてたし、反省もしてるし、極刑だなんて、重すぎる量刑だって」
 乾き熱する喉の代わりに、目の奥が潤んできたようだ。じわりと滲みそうになる涙に、駄目だ、と法介は首を振った。
 自分の不甲斐なさに涙するなど、弁護士としてあってはいけない。依頼人が受けた刑罰もすべて我が身のことと受け止めなければいけないのに。
「俺のせいだ」
 吐き出した言葉は、自らの胸を刺す。
「俺が、もっとちゃんと、俺が、色々できたら、死刑なんて」
「キミのせいじゃないよ」
 響也の柔らかな声に、法介は唇を噛み締める。
「そう言ってほしいかい?」
 半歩先に佇んでいた響也が手を伸ばすのが気配で感じられた。その手は法介の俯いた顎にかかり、穏やかに上向かせる。サングラスの向こうで瞬く眼差しに、じくりと胸が疼いた。
「言ってあげるよ? キミがそう望むのならね、僕はなんだってしてあげよう。それとも責めてほしいかい? キミがもっとしっかりしてたら、キミがもっとうまく立ち回れたら、あの人は死刑になんてならなかったのにって、そう言って責めてあげようか? どっちだっていい。僕は、キミが望む通りにしてあげるよ」
 半歩の距離を僅かに詰め、響也の手が法介を守るように背に回る。自分よりも背の高い響也に抱かれ、法介の頬は響也の肩に押し付けられた。
「キミの涙を見るのは辛いけどね、おデコくん」
 直接肌に染み込むように、静かに穏やかに響也の声は落とされる。
「泣きたいときは我慢しないでほしいな。そして、一人で泣かないでほしいな。僕はキミの泣く場所にだってなりたいんだ。僕は何もできないかもしれないけど、側にいることはできるから」
 一粒涙が落ちれば、あとはその軌跡を辿りただただ涙が零れてゆく。
 ひくと震えた喉の振動に気付いたのか、法介を抱く響也の腕に力が篭る。
 不甲斐ない自分を恥じ、悔い、零れる涙を響也の肩に押し付けた。嗚咽のように喉が唸る。
 だが誰も、響也以外誰も、それを知る人も聞く人もない。
 生ぬるい風が通り過ぎる。
 冬から春に変わる、一歩手前の夜のことだった。



 弁護士をやっている以上、こういうこともあるんじゃないかな、と言うことで。ナルホドくん弁護士復帰後なイメージで。ナルホドくんはこの頃にはその辺慣れていそうなのでオドロキくんで。
 タイトルはお題サイトを見るのが好きで色々巡っていたときに見つけたお題サイトの原色地さまから頂きました。好きなだけ持ってっていいお題だったんですが、5つずつひとくくりにされていて、それがとても逆裁っぽかったので。いつか書ければいいなと。

  ・裏切られるのが怖いなら、始めから誰も信じなければいいだけだ。(牙琉霧人)
  ・人に厭われることを恐れて、自己を殺して生きてきた。(狩魔冥)
  ・君の涙を見るのはつらいけれど、泣きたい時は我慢しないでほしい。(牙琉響也)
  ・聖人君子にも極悪人にも等しく太陽の恵みは降り注がれる。(裁判長)
  ・つらく苦しい闇に惑う夜の後には、必ず暁が訪れるように。(神乃木荘龍)

 まず間違いなく裁判長は書けそうにないな…(苦笑)。