■ Felt begin to grow at the time. |
真宵が誘拐拉致された事件が片付いてから、二度、成歩堂は御剣と会った。 一度目は法廷で偶然に出会っただけで、言葉を交わすも何も、御剣は困ったようにふと視線を逸らし、足早に歩み去ってしまった。糸鋸刑事が成歩堂と御剣とを見比べて、慌てて御剣を追っていった。待って下さいッス検事! と大声で叫ぶのを背中に聞き、成歩堂は一抹の淋しさを味わった。一年の空白はたった一瞬で埋まるはずもなく、以前のようにただの友人として過ごすわけにはいかないのだと、逸らされた視線で気付いたからだ。まぁそれも仕方ないだろうなと成歩堂は思った。弁護士と検事の間柄は、それだけで難しい。ましてやそれが、曰くありげな一枚の手紙を置いて姿を消し、その後何の音沙汰もなく、死んでいるのか生きているのかすらも解らなかった検事と、ずっと心の隅に彼の存在を置きながらも、見て見ぬふりをしてきた弁護士では、尚更だ。 二度目は、狩魔冥の病室だった。 コロシヤサザエモンの行方を追うため、引いては真宵を救い出すために、冥は病院から抜け出してきた。だが、そのせいで彼女の肩の容態は悪くなってしまった。病院へとんぼ返りになった冥を成歩堂は再び見舞っていたのだ。 真宵を連れず一人で訪れた成歩堂が、病室のドアをノックすると、ああどうぞ、と男の声が返事をした。成歩堂は眉を寄せ、一瞬躊躇ったものの横開きのドアをからからと開く。そう言えば、堀田院長もどきの患者が冥の病室に見舞い客がきていると言っていた。取り立てて気にしていなかったのだが、ひょっとしたら出直した方がいいのかもしれない。 「あのー…狩魔検事。お邪魔でしたら俺、出直しますけど……あれ?」 病室を覗き込むと、窓際の椅子に腰を下ろしていた男が顔を上げた。それは赤いスーツを纏った御剣だった。御剣は目を丸くして病室に入ってきた成歩堂を凝視して、その後で冥を見た。冥も驚いたように目を丸くしていたが、成歩堂が病室を訪れるのは二度目なので、一瞬肩の力を抜いた後、高慢に顎を上げて見せた。 「どうしたの成歩堂龍一。さっさと入ったらどうなの」 「え、あ、そうですね、はい」 成歩堂はぎくしゃくとドアを閉めた。そして手に抱えていた小さな花束を纏めるセロファンをがさがさと鳴らしながら、冥のベッドに近付いた。 「あの、狩魔検事、これ……」 小さな花束を差し出すと、冥はふんと花を鳴らした。 「またチンケな花を持ってきたものね。チューリップの次は向日葵だなんて…深紅の薔薇くらい持ってきたらどうなの、成歩堂龍一。捻りがないわね」 そう言いながらも、冥は自由に動かせる方の手で、ミニ向日葵の花束を受け取った。膝の上に乗せ、心もち頬を緩めてその小さな花束を見下ろした。成歩堂はそんな仕草を眺めながら、頭を掻いた。 「狩魔検事には薔薇よりも向日葵の方が似合いそうな気がしたもんで…あ、でも、気に入らなかったら今度は、薔薇持ってくるよ」 「いえ、これはこれで味わいが……今度? 成歩堂龍一! 貴様、またここへくるつもりなのっ?」 ハッと顔を変える冥に、え、まぁ、と成歩堂は一歩足を引いた。咄嗟に身を引いてしまうのは、鞭の襲来を恐れた条件反射だ。 「だって、ほら、なんか…心配だし……」 「し、心配っ? 貴様に心配などしてもらう必要などな……ッ!」 身を捩り、顔を真っ赤にして怒鳴りつける冥が、撃たれた肩を押さえて息を飲んだ。身を捩った拍子に縫合された皮膚が引き攣れたのだ。慌てたのは御剣と成歩堂で、成歩堂は持っていた鞄を床に放って駆け寄り、御剣は座っていた椅子から腰を上げた。 「大丈夫か、冥!」 額に汗を滲ませて苦悶する冥に、成歩堂は慌ててナースコールを押そうとしたが、それは寸前で冥自身に止められた。 「騒ぐほどではない」 「で、でも!」 「耳元で煩い。いいから座りなさい。今、怜侍に今日の法廷の話を聞いていたのよ。成歩堂龍一、貴様の話も聞いてみたい」 「あ、でも僕、もう行かないといけないんで…折角だけど」 成歩堂はにへらと笑って頭を掻いた。そして身を屈め、床に落としていた鞄を指先で引っかけ持ち上げた。 ちゃんと暇を告げようと振り返り、成歩堂は目を見張る。御剣と冥が揃って同じような顔をして見上げていた。つい、成歩堂は微笑した。なんだか詰まらなそうな顔をしていて、恐らく二人は、それを表情に出しているつもりはないのだろう。真一文字に結んだ唇が、二人とも可愛らしい。成歩堂は肩を竦めた。 「次くるときは、本当に薔薇を持ってきますよ、狩魔検事」 御剣は冥の膝の上にある、ミニ向日葵の小さな花束を見つめ、いや、と首を振った。 「冥には、向日葵の方が似合う」 「怜侍、あなた、私には薔薇よりもチンケな向日葵の方が似合うと言うの」 口で言うほど嫌がっていない様子の冥に、本気で言っているのではないと思いながら、成歩堂は少しばかり傷付いた。チンケだといわれる向日葵の花束も、結構高かったんだけどなぁ、と成歩堂は口を尖らせる。 御剣は成歩堂の心など知らず、法廷で語るように軽く手を広げて言った。 「向日葵の花言葉は、憧れ、光輝、敬慕。赤い薔薇の花言葉は、熱烈な恋。成歩堂から冥に送られるのであれば、向日葵の方が相応しいのではないだろうか」 「……み、御剣…」 成歩堂は少しばかり顔を赤くして、頬を引きつらせた。 「君、花言葉にまで精通してるのか…?」 「趣味だよ、成歩堂。趣味は人を豊かにするものだ」 「君、他に趣味ないのかい」 「これも充分立派な趣味だと思うがな。ちなみに、貴様が今朝方冥に送ったチューリップの花言葉は、永遠の愛情、愛の告白、真面目な恋、誘惑、美しい瞳、だ!」 「なんだい御剣、君、もしかして花束でもほしいのかい」 にやりと笑う成歩堂に、なっ、と御剣は一言発したっきり顔を真っ赤にして硬直してしまう。 冥が、ふっと微笑した。 「そうならそうと言えばいいのに」 「ですよねぇ、狩魔検事。御剣ってば素直じゃないなぁ」 「怜侍にはどんな花が似合うかしら」 「うーん」 成歩堂が首を捻ると、赤面と硬直から解き逃れた御剣がハッと顔を上げる。 「別に欲しくないぞ、私は! 花など!」 「まぁまぁそう言わず。近いうちにプレゼントしてやるよ」 成歩堂がにやりと笑うと、あら、と冥が長い睫をぴんと跳ねさせた。 「それなら私も、贈ってさしあげようかしら。百合にカスミソウ、カーネーション」 「薔薇とチューリップと向日葵」 「成歩堂龍一。貴様、それ以外の花を知らないの?」 「すいませんねぇ、無学で。花屋に行ってもどれが何なんだか…」 「ああだから朝はチューリップ、そして今は向日葵と言うわけなの」 「はぁ、ばれました?」 「まぁ構わないわ。成歩堂龍一、貴様に花を贈ると言う知恵が備わっていたことにまず驚くのだから」 「なんだか酷い言われよう…」 「事実よ」 傍から見ているとまるで夫婦漫才のように思えなくもない会話を、御剣はぽっかりと口を開いたまま眺めていた。あっ、と冥は少し頬を赤くして、喉を鳴らす。 「そ、そうね…怜侍には、やはり百合かしら。あのふてぶてしい様なんて、そっくりよ」 「百合かぁ…あの匂いのきつい花ですよね」 「ええそうよ。花粉が服につくと、なかなか取れないのよ。百合科の植物の花粉には気をつけた方がよくってよ、成歩堂龍一。貴様のその馬鹿みたいな見てくれに馬鹿に似合う馬鹿安そうなそのスーツも、駄目になってしまっては大変だろうから」 「…お心遣い痛み入ります……」 広い肩を無理して縮める成歩堂を満足気に見やった後、ああ、と呟き冥は、口を噤みじっと二人を見比べている御剣を振り返った。 「クリスマスローズ」 はっ、と成歩堂が目を丸くしているのを知っていながら無視し、パジャマ姿の冥はその姿に似つかわしい素朴な笑みを浮かべた。素直で、恐らくは彼女本来の笑い方なのだろう少女らしい優しい笑みだ。高慢に顎を持ち上げ鞭を振りかざしながらの不敵な笑みも悪くはないが、この恐ろしく素直な笑みも悪くはない。 後ろからこっそりと眺め、成歩堂はそう頷いた。 「怜侍、あなたにはクリスマスローズがよく似合う」 「悪評」 自分の思いつきに目を細めている少女の前で、御剣は無表情に呟いた。 「誹謗、発狂、スキャンダル、中毒」 「な…なに?」 眉を寄せる冥へ、成歩堂が止める暇もなく御剣は告げる。 「クリスマスローズの花言葉だ。なるほど、私には良く似合う」 「御剣!」 「な…何もそんなつもりで言ったんじゃないわ!」 御剣のかつての噂を、アメリカにいたとしても冥が知らないはずはない。狩魔豪を師と仰いだ御剣と、その愛娘の冥は一緒に暮らしていた。御剣が日本へ渡り検事として活躍し、嫌な噂に纏わりつかれていることも、知っていただろう。顔色を変える冥の弁護をすべく、成歩堂が身を乗り出した。 「御剣! お前あんまりじゃないか! 狩魔検事だってそんなつもりで言ったんじゃない! それくらい、君だって解るだろう!」 「成歩堂龍一…」 冥が振り返り、弱りきった目で見上げてくる。それへしっかりと頷き、成歩堂は胸を張った。 「今の君の言動は……」 「待った」 御剣は僅かに俯いていた顔をあげ、唇の端を持ち上げる。 「話は最後まで聞くものだ、弁護人」 病室の窓から差し込む光はとても暖かく、それが御剣を照らしていた。その中で微笑む御剣の様は、幼い頃の彼を思い出させた。あまり活動的ではなかった御剣を成歩堂は引っ張り出し、かくれんぼや鬼ごっこをした。陽だまりの中で本を読む御剣は、少し幸せそうに微笑んでいた。そんな、笑顔だ。 「クリスマスローズの花言葉は、悪評、誹謗、スキャンダル、中毒、発狂。そしてまた別に、追憶、慰め、昔を懐かしむ、私を安心させて」 一息つき、御剣は告げた。 「私、そのものだ」 「御剣……」 成歩堂は肩の力を抜き、俯き床の辺りを眺めている御剣に声をかけようとした。だがそれよりも早く、御剣が呟く。 「それにあの花は好きだ。白く茎もしっかりとしていて、一人で立っているように思える。あれが私に合うのだと言う冥の見立ては、確かに合っているだろうな」 成歩堂は素早く何を言うべきかを考えた。冥は、御覧なさい、と高慢に顎を上げていた。 「私の見立てが間違っていた事などないでしょう」 「まったくだ」 御剣がようやっと笑みを見せ、成歩堂はぽんと手を叩く。 「それならさ」 にっこりと笑う成歩堂が、腰に手を当てて自慢げに言った。 「今度御剣に、クリスマスローズって花をたっくさんプレゼントするよ。狩魔検事、その薔薇、花屋に売ってます?」 冥は目を丸くした。そしてぷっと吹き出し、口元を抑える。声を上げて笑い、冥はぽかんとしている成歩堂を見上げて言った。 「成歩堂龍一! クリスマスローズは薔薇じゃないわ」 「えっ。だって名前にローズって…薔薇のことでしょ?」 「クリスマスローズは、クリスマスに咲く薔薇のような形をした花だからそう呼ばれているだけ。実際はきんぽうげの仲間よ」 「きんぽうげ………」 「今度、花束にして差し上げるわ。黄色くて可愛らしい花よ。成歩堂龍一、貴様には良く似合う」 「…まったくだ」 御剣は一人、感慨深げに頷いていた。成歩堂を見上げ、彼はまるで紙に書かれた物事を読むかのように言う。 「楽しみの到来、子供らしさ、到来する幸福、無邪気、上機嫌、光栄。まったく、君そのものではないか」 「それじゃあ」 冥は目を細めて言う。 「怜侍にはクリスマスローズを。そして成歩堂龍一にはきんぽうげの花束を贈る事にするわ。ああ、なんだか馬鹿らしい。クリスマスローズもきんぽうげも、同じ種類の花。まるで貴様らのようだ。違う花を咲かせていても、根は同じ。なんだか妬けるわね」 言ってしまってから、冥は自分の発言の軽率さに気付いたらしい。赤い顔であっと口を押さえるが、もう遅かった。男二人はしっかりとその言葉を耳にしており、一瞬目を見合わせた後、疑り深く冥を見て、それからにんまりと笑った。 「妬けるって本当かい、狩魔検事」 「どちらに妬いているのか、是非とも聞きたいものだな」 「ああもう煩いわよ! 馬鹿どもめ! そっくり同じ顔をするものじゃない! 成歩堂龍一、貴様さっさと帰ったらどうなの! 怜侍もよ! 仕事があるんじゃないの! さっさと出て行きなさい!」 物凄い剣幕で怒鳴り始める冥だったが、男二人はにやにやと笑うばかりだ。冥の顔は真っ赤で、怒鳴っていてもなんとも迫力がない。法廷の権威はどこにいったのだと問いたくなるくらいだ。 「ああもうっ!」 冥はとうとう頬を膨らませた。 「馬鹿っ!」 怒鳴る言葉は廊下へまで聞こえていたが、病室にいる男二人は声を上げて笑った。寝るわっ、と不貞腐れる冥は子供らしく、年相応に可愛らしかった。 今度はもっと一杯向日葵を持ってきますよ、と言う成歩堂に、冥は、絶対に絶対に、と心の中で誓っていた。 クリスマスローズの花束ときんぽうげの花束を、法廷で叩きつけてやる。成歩堂龍一の顔はさぞや見物だろうし、怜侍もきっと目を丸くして馬鹿のように硬直するだろう。狙うのは、成歩堂と怜侍の法廷だ。二人が戦う法廷だ。その最中に乗り込んでいって、叩きつけてやる。 絶対にっ、と拳を握り締めている冥の側で、成歩堂と御剣は顔を見合わせ、こっそりと肩を竦めていた。 二人の表情はそろって楽しそうでいて、幸せそうで、きんぽうげの花言葉もあながち嘘ではないようだった。 |