■ Around the world.

 一年振りに再会した成歩堂は、随分貧弱な男になっていた。
 矢張が人の迷惑も顧みずにかけてきた電話で叩き起こされた時は、それはもう心底心配した。成歩堂が大変だと騒がれ、混乱した気持ちと冷えて震える心臓ををどうなり落ち着け、とにかく日本へ早く行かなければと、そればかりを考えた。一刻も早く、一秒でも早く。はやる気持ちはジェット機をチャーターするなどと馬鹿げた事までしでかしてしまた。その時は、とにかく焦っていたせいで、電話をかけてきたのが矢張だと言う事を、すっかり忘れていたのだ。あの矢張だ。嘘、大袈裟、紛らわしい、の三拍子が揃いに揃って、絶対一度はとある公共機関に通報されているであろう矢張なのだ。まずは疑ってかかるべきだった。
 取るものも取らず、取りあえず飛び乗ったジェット機は、成田に降り立った。タクシーでは時間がかかるからと、公私混同も厭わず、糸鋸刑事を働かせ、千葉県警に根回しさせてパトカーを出動させた。赤色灯を鳴らして走らせ、辿り着いた病院で、成歩堂は、あのバカは、薄汚い頭巾をすっぽりと被って、アマガエルような顔色でぶるぶると震えていた。てっきり死んだか、危篤状態なのだと思い込んでいたせいで、安堵するのを通り越し、怒りが沸点を突き破るのは容易かった。この馬鹿者が、と思わず怒鳴りつけ、殴ろうとしたのを、たまたま通りかかった堀田院長に止められた。
 決して頭巾を外そうとしない成歩堂から、事の顛末を聞かされた。そして、弁護士バッチと緑色の奇妙な石を託された。
 勾玉、と言うのだそうだ。
 ぼんやりと発光する石は、羊水の中で眠る胎児の形によく似ている。これが魂の形なのだと、大昔に日本史の授業で聞いたような覚えがあった。まさか、本物を手にする事になるとは思っていなかったが、その勾玉には、不思議な力が込められていた。
 嘘を吐く人の心を、見抜く。
 嘘を吐いた人には、この勾玉を持つ者にしか見えない鎖と錠が見える。心を閉ざす錠。心をがんらじ固めにする鎖。嘘の大きさや数によって、それらも強固になっていった。
 初めてそれを目の当たりにした時、驚くのと同じに、怯えが心の片隅に浮かんだ。
 成歩堂は、これをずっと身につけていた。
 私が、検事であることから逃げ、彼の前から行方をくらまし、再び彼の顔を見たその時すでに、彼はこれを手にしていた。
 あれからずっと、親友としてだけではなく、恋人としても、成歩堂とは付き合ってきた。諸外国の法廷や裁判を研究するための旅行に出る前までずっと、彼とは同じベッドで寄りそうようにして眠ってきた。
 嘘を吐いたこともある。
 それはとても些細なものばかりだが、その度に成歩堂は、この勾玉の力によって、鎖と錠を見たのだろうか。
 いや、見たのだろう。
 私の嘘を、成歩堂はいくつも見てきたのだろう。
 彼は、錠を外そうとはしなかった。
 嘘を見抜いているという事を、おくびにも出さず、ただただ微笑み、私の嘘に付き合った。それを信じ込んでいるふりをし続けていた。
 成歩堂は、どんな気持ちだったのだろうか。
 成歩堂と私の前に現れる鎖と錠を、どんな思いで見つめていたのだろうか。些細な嘘でも、彼にはそれが解らなかったろうに。深く考えたり、思いつめたり、しなかったのだろうか。
 私なら耐えられない。
 きっと問い質していただろう。
 それなのに……。
 成歩堂は、計り知れない男だ。
 広く深く、暖かく冷たく、決して底の見えない海のような男だ。時には荒れ、時には凪ぐ。人を恐怖のどん底へ叩き落すくせに、掬い上げ海面へ浮き上がらせもする。
 うなされながら、そして頭巾を被りながら、奇妙な顔色でうんうんと唸り、震え眠る成歩堂を見下ろして、私は思った。
 この男のためならば、どんなことでもしてやろう、と。成歩堂を掬うためならば、私自身が傷付いても構わない。彼が、そうしてくれたように、私も彼を救うのだ。拒否されても、逃げられても、置き去りにされても、諦めてなるものか。
 私の目指した理想像たる弁護士。
 成歩堂が、誇らしく、愛おしかった。
 成歩堂の親友であり恋人である私自身が、彼から弁護士バッチを託された私自身が、誇らしくてならなかった。