あなたの言葉はまるで魔法


 独特の形をしたオークニスの町から少し離れた場所の木の下に佇む赤い影にエイトが気付いたのは、酒場から宿屋に戻る途中の回廊だった。申し訳程度についている窓はいつも曇っている。外と内との温度差が激しすぎるからだ。手で軽く撫でれば窓の向こうを見せてはくれるけれど、どうせ見た所で、景色は視界不良の雪の向こうだ。いつの間にかオークニスの街中を歩くのが健康法の趣味になっているらしい商人が、夜の挨拶をエイトに投げる。慌てて返事をして、それから取ってつけたようなおやすみなさいを言ってエイトは、窓の向こうの赤い背中を見つめた。
 何をしているんだろう、と眉をひそめる。
 ヌーク草の恩恵を受けても、暖かい土地に育ったエイト達にオークニスの冬は厳しく、吹きすさぶ風は容赦なく身体からぬくもりを奪ってゆく。
 雪の中のククールは、確かにエイトやヤンガス、ゼシカに比べればはるかに厚着ではあったが、だからと言って外套も纏わずに突っ立っているだけなんて無謀だ。
 どうしようか、とエイトは辺りを見渡した。
 店という店が回廊で繋がれ、地下では家と言う家が廊下で繋がれている。外と比べ物にならないほど暖かい街中を歩くのに、邪魔な外套は宿においてきた。このままの格好で外へ出るのは自殺行為だ。だが、だからと言って、一人佇んでいるククールを放っておけるほどエイトは仲間意識の薄い質ではなかったし、それに気にもなっていた。あんなにもずっと、じっと見つめる何があるのだろうかと。
 エイトは小走りに宿に戻ると、部屋で鎌の手入れをしていたヤンガスに、ちょっと外に出てくると言って外套を身体に巻きつけた。オークニスに入ってから手に入れたそれは、こんな雪国にこそ重宝する毛皮の裏打ちされたものだ。エイトの言葉に、え、これからですかい、と吹雪いている外を見るような仕草をしたヤンガスは、エイトがククールのベッドに投げ出してある外套を掴むと、納得したようだった。
 宿の階段を上がり、街の入り口から外へ出ると、途端にビュウと風が吹きぬけた。門番代わりの兵士が今年の吹雪はことさらひどい、とぼやいている。エイトは外套を身体に巻き付け直すと、意を決して吹雪の中に飛び出した。
 町を出て左の傾斜を上ってゆくと、エイトが回廊から見た方向になる。膝まで埋まる雪の中をざくざくと歩いて行くと、丁度オークニスを見下ろす場所にククールを見つけた。赤い服はこんな白いばかりの世界では良く目立つ。近付くエイトを、気配に聡いククールが薄い笑みを頬に浮かべ、振り返って待っている。どうやらククールのいる場所は、崖のすぐ下で風がこないようだ。吹き付ける雪風も周りに比べると格段に少なかった。
「何やってんの」
 大きな木に青々と葉が茂っている。極寒の地の、それも真冬に茂る青い葉に見とれていたとでも言うつもりだろうか。ククールはエイトの投げつけた外套を羽織ると、白い息を吐き出して少し目を細めた。
「いや、ヤドリギがあるな、と思って」
「ヤドリギ?」
「ほら、あれ」
 不思議な顔をするエイトに、ククールはすっと指を伸ばし、枝の先で丸い形を作っている葉を示した。
「他の木に寄生して育つ木なんだ。冬でも青い葉を茂らせてるんで、修道院じゃ聖誕祭にはこれをリースにしてたなと思い出してさ」
「聖誕祭?」
 聞きなれない言葉に首を傾げるエイトに、あれ、とククールが目を丸くする。
「ああ、そうか…トロデーンじゃ言い方が違うのか……ええと、クリスマスって言えば解るのか? それか、降臨祭?」
「ああ、クリスマスか。それなら解る。あれ、でも……」
「ま、聖誕祭はとっくに終わってたけどな」
 旅をしていると、気をつけていなければ日付の感覚が狂う。特に街から街へ移動をする最中ならなおさらだ。一度行った街にはキメラのつばさやルーラを使えばわけはないが、新たな地へ向かう最中にはそうもいかない。一日や二日の野宿はざらだし、魔物に襲われ、昼も夜もなく戦っていることもある。
「聖誕祭が終わるどころか、もうすぐ年が変わるぞ」
「旅に出る前には、そういうイベント事は欠かさなかったんだがなぁ」
 ククールはそう笑ってオークニスの町を振り返った。教会が丸い円形の街の中に組み込まれているオークニスでは、町の中央にある屋敷に鐘楼がある。つられて振り返ったエイトは、がらんがらんと無遠慮に鳴り始めた鐘の音に驚いた。
「この街じゃ、新年になるまで一時間、ずっと鐘を鳴らしっぱなしなんだそうだ」
「…そりゃまた派手な…」
「家の中にずっと閉じこもりっぱなしの雪国の、そのまた雪が多くなる季節に迎える新年だぜ? 何か派手なことでもしねぇとやってらんねぇんだろ」
「そりゃまぁそうかもしんねぇけど…」
 エイトは思わず外套の中に吹き込んだ風に身体を震わせた。今の今まで、暖かい暖炉の前にいたのだから当然だ。街に戻らないのかと言う期待をこめてククールを見上げれば、何をどう勘違いしたのか、ククールは纏った己の外套の中にエイトを包みこんだ。
「何すんだ!」
 すっぽりとククールの腕の中に納まってしまうのが悔しいと言うか、腹立たしい。正確な年齢など解らないけれど、おそらくはククールの方がふたつかみっつ年上だろう。けれど、たったふたつかみっつの年の差なんてないに等しい。だと言うのに二人の身長差は驚くほど違った。
「まぁまぁ。折角恋人を迎えにきてくれたエイト君が風邪を引いたら困るからさ」
「お前の恋人は世界中にいるんだろ」
「あれ、なんで知ってんの?」
「ベルガラックのホテルで働いている女の子口説いてる時に言ってた」
 エイトはいくらか前の出来事を思い出して言った。背中にククールのぬくもりがあり、同じ方向を向いているので顔を見られる心配がない。むっつりと引き結んだ唇、くっつきそうに寄せた眉は見られたくなかった。
 ふと、髪に柔らかいぬくもりが触れたような気がした。
「知ってたんだ」
 笑い声を含んだ声に、エイトは腹の中にもやもやしたものがうずまり集まってくるような気がした。
「……聞こえただけだ。でも、ひどい男だなって思った」
「ひどい男? いい男の間違いなんじゃないの?」
「ひどい男だろ。だって世界中に恋人がいて、誰一人とだってお前は今一緒にいないじゃないか。たった一人の側にだって…」
「俺が一緒にいたいのはさ、エイト君、きみなわけなんだけどね」
 エイトがむっつりと唇を引き結んで答えないでいると、ほんとだって、とククールは言葉を連ねる。少しだけ背中に重みが加わったように感じたのは、気のせいではないはずだ。ククールは楽しそうに言った。
「信じてよ。世界が終わる時だって一緒にいたいのは、エイトだけなんだからさ」
 その口説き文句、ドニの町でも使ってたよな、とエイトは言いかけて、やめた。
 ククールの言葉はまるで魔法だ。
 聞くものを酔わせ、巧みに言葉を操り喜ばせ、一時なりとも幸せを与えてくれる。優しく包む言葉の綿に包まれている間が、どれほど安らぎに満ちているのか、おそらく本人は知らないのだろう。見目が良いのも勿論だが、それだけで人は彼に惚れない。世界中に恋人がいるのだと豪語する彼の綿のような柔らかく優しい言葉に、偽りでもいいから包まれたいと願う女がいるのだ。エイトもそうだ。記憶を失せるという肉親から最も遠く隔絶された環境で育ち、エイトには綿のような柔らかさと優しさは側になかった。ククールはそれを与えてくれる。失くしたくはないのだと、エイトは顔を伏せた。ククールの外套が頬に辺り、彼の香りが鼻腔をくすぐる。
「トロデーンじゃ、年が変わってすぐの十秒間は、誰にだってキスしていいんだ」
「へぇ。そいつぁ愛の大安売りだな」
 軽い口調にエイトは追い討ちをかけた。
「俺は君にしかキスしたくないよって言ったら、俺もだって言ってくれる?」
 ちらりと振り返ったククールの顔は、それはもう見事だった。
 鳩が豆鉄砲を食らったようにぽかんと目を丸くして、何を言われたのか頭の中で十分には理解していないようだった。エイトと目が合うと、じわじわと顔が赤くなっていく。そんなククールのくちびるの端に、エイトは掠めるようにキスをした。
 オークニスの教会の鐘は、さっきよりも調子を変えてがらんがらんと盛大に派手に鳴り響いている。きっと今、年が変わったのだろう。
 顔を真っ赤にしたまま思わぬ不意打ちに固まっているククールの腕の中で、エイトはぐるりと反転した。そしてククールの首筋に顔を突っ込む。甘えるように額をこすり付ければ、ようやく、髪にククールの手が触れた。
「……好きだよ、エイト」
 ククールの柔らかい綿のような言葉に、エイトは目を伏せる。
「昨日も今日も、明日もエイトが好きだ」
 つむじにふれ、額に触れる唇の紡ぐ言葉に、エイトは少し笑った。
 それが今まで聞いた口説き文句の中で一番いいよ、と言ってやれば、ククールはどんな顔をするだろうか。
 エイトは数秒後のククールの顔を想像しながら口を開いたが、結局それを言う事はなかった。顔を上げた途端、エイトの鼻先に唇が触れたからだ。エイトは目を細めて笑い声を上げ、優しい綿の声を持つククールにしがみついた。
 
 
 年末に書きました。そしてそのままアップすることなく放置していました。
 ククールの口説き文句に関してはもうどうでもいいのですが、ドニの酒場のバニーちゃんは可愛いなぁと思ったので(笑)。それをエイトに目撃されているとも知らず、まったく同じ口説き文句を使う迂闊者のククール。かなり語彙の少ないお馬鹿さん。そしてエイトの中には徐々に嫉妬が溜まっていき、溜まりに溜まった嫉妬はやがて爆発してククールは瀕死の重傷を負わされるのでありました…。というのはまぁ冗談としても、なんだかかなりラブラブで甘々のが書きたかったんですが、結局は幸せ貧乏愛好家なので、そこはかとなく不幸せ感を漂わせてしまうのでした。ぱーっと馬鹿っぽい話も書いてみたいな。
 こっぱずかしいタイトルは他に何も思い浮かばなかったので…。ああ恥ずかしい…。