共存の地 |
さわさわと初夏の風が葉を揺らす下で、ユーリルは額に汗を浮かべ剣を握り締めていた。打ちかかる相手は、少し動くだけでも汗ばむ陽気だと言うのに、黒尽くめの衣装を纏い、長い銀色の髪を靡かせて、涼しげな面持ちを崩さない魔族の王だ。片手だけでユーリルの渾身の一撃を受け止めたピサロは、薄い唇の端にほんの僅かな笑みを浮べる。 「身体がなまっているのではないのか。踏み込みが甘いようだが」 「うっさい!」 余裕綽々の顔で振り払われた剣の切っ先から逃れるために、ぱっと地を蹴り後ろへ飛びすざると、着地の衝撃を借りて再び切りかかる。おかしそうに赤い瞳をきらめかせている様が小憎たらしく、ユーリルは足運びに少しのフェイントをかけた。右に行くと見せかけ、一歩で左へ飛ぶ。そのまま強く地を踏み跳躍すると、ピサロの前でくるりと背を返す。回し蹴りのように打ち込むが、まるで最初からそれを知っていたかのように、ピサロは軽く身をかがめ、僅かな差で剣の下を潜る。しまった、と思う時にはすでにピサロはユーリルの懐に飛び込んでいる。 「勘も鈍っているようだな」 吐息が触れ合うほどの間近で微笑まれ、ユーリルは頬を赤くした。 「生きが良いのは寝所でだけか?」 からかうような口調と共にさらりと唇の端を舐められて、咄嗟にユーリルは右足を振り上げた。仇を討つための旅は終り、脚力は少しばかり衰えたかもしれないが、それでも常人のそれとは違う。殺傷能力すら秘めた蹴りは、だが獲物を捉えることはなかった。ピサロはユーリルの足を交わすだけでなく、軽やかな様子で飛び上がり、離れた場所へ降り立っている。 「あ〜もうっ、苛々するなぁッ!」 地団駄を踏んだのはユーリルではなかった。いつしか伸びた髪をひとつに束ね、あの旅のように活動的な格好をしたアリーナだ。サントハイムの女王となってからも、頻繁にこうして山奥の村を訪れている仲間達の中で、一番行動が取りにくい立場にあるだろうに、なぜか一番良く村を訪れている。あの旅の間と同じに、傍らには慎ましくクリフトが控えている。だが、あの旅の間とは劇的に彼らの関係は変化していた。数年前に彼らは夫婦となったのだ。そして今は、一人の子宝に恵まれ、彼を一人前の王とすべく養育の真っ最中だった。 「ユーリルッ! そんなにちんたらやってるんだったら、僕が変わるからねッ!」 「陛下! そんなに足を振り上げてはしたのうございますぞ!」 齢五つの子を切り株に座らせ、その側に立った現役の教育係は顰め面を隠さない。それを聞き、ピサロがおかしそうに目を細めた。 「サントハイムの女王殿は、子を成し少しはしとやかになったと聞いたが?」 「それがそのぅ、はぁ、まったく前と変わらない有様でして…」 溜息を吐いているのはその女王の夫だ。相変わらずアリーナの尻に敷かれているようだ。 「なんせ子供と一緒に冒険だ何だと城を抜け出す始末で……」 「ほう。お転婆ぶりは健在か」 弱りきった様子を装ってはいるが、さほど困った様子でもないクリフトは幼い頃からアリーナのお転婆ぶりに付き合ってきたのだ。今更それについて兎角目くじらを立てる必要もないと考えているようだ。なんだよぉ、と不貞腐れているアリーナと、それを愛しくてたまらないと言うように見つめているクリフトのほのぼのとした雰囲気に、ピサロが少しばかり呆れ、剣の切っ先を下ろしたのをユーリルは見逃さなかった。 「もらったッ!」 高々と跳躍し、その勢いを借りて剣を振り下ろしたユーリルに、ピサロはつと目をやった。赤い瞳がにやりと歪むのをユーリルは見た。意地の悪い笑みに、やばい、とユーリルが躊躇したのが悪かった。その隙を逃さず、ピサロは振り下ろされたユーリルの剣の根元、鍔ぎりぎりの場所を己の剣の先で引っかけ、くるりと回す。あっと思ったときにはすでに剣はユーリルの手からすっぱ抜け飛ばされ、ユーリル自身の身体はピサロの片腕に抱かれていた。ドスッと鈍い音を立て、ユーリルの手にあった剣は土の上に十字を作る。 「降参か?」 相変わらず細い腰を抱え込んだままのピサロが面白そうにそう尋ねると、ユーリルはピサロの肩に手を突っ張って身を逸らした。 「はーなーせーっ!」 「わぁ、すっごーい!」 ユーリルがピサロの腕から逃れようとがむしゃらに暴れていると、幼い声が歓声を上げた。ピサロが振り返ると、切り株に腰を下ろしていたサントハイムの王子が父に似た目をきらきらと輝かせながら駆け寄ってきた。ピサロの腰よりも低い子供は、恐れることを知らずに魔族の王を見上げた。 「ピサロ様、すごく強いんだね!」 興奮しきりの様子で、頬は真っ赤になっていた。滅多に見れぬ手合わせに、母に似た喧嘩好きの血が騒ぐらしい。 「ユーリルより強いなんて、すごい! 母様とだったら、どっちが強い?」 ピサロは片手に下げたままの剣を軽く振るい、腰の鞘へと収めた。ユーリルを片手に抱えたままで、さて、と意外にも柔らかな眼差しで微笑む。 「そなたの母とは手合わせをした事がない」 「それじゃやろうよ!」 ぱっと顔を輝かせるアリーナに、これっ姫様っ、とブライが顔色をなくしている。 「だってピサロとまともに打ち合ったことないんだもん! 僕、ユーリルとは違ってちゃんと毎日鍛錬してるし、こないだだってフレノールの井戸にうっかり間違って住み着いちゃった井戸魔人一撃でのしたんだから!」 しゅっしゅっと両手でファイティングポーズを作って拳を繰り出しているアリーナに、クリフトは穏やかな笑顔で何度も頷いている。長年その職を退けずにいる教育係はぱしんと秀でた額に手を打ち付けたが、クリフトはもはや見ぬふりをしていた。 「あれはお見事でした」 のほほんのんびりとしたクリフトの褒め言葉に、アリーナは嬉しそうだ。 「だろっ? だからさぁ、いいじゃん、一回くらい!」 「拳と剣では勝負にならんだろう。力比べがしたくば、ヘルバトラーが暇を持て余しているぞ。何しろこの所している事と言えば、どこぞの村の畑仕事くらいだ」 ピサロが後ろを振り返れば、巨大な身体に似合いの巨大な鍬を片手にしたヘルバトラーが手合わせを眺める間止めていた手を再開している。転がっている巨大な石を掘り起こし投げ飛ばし、魔族の重鎮が荒れた土地を耕していく姿はなかなか滑稽だ。山奥の村の畑仕事は、力を持て余している魔族の鬱憤晴らしになっているようだった。 「離せってば!」 今もって抱え上げられたばかりのユーリルがばんばんとピサロの肩を叩いても、ピサロはびくともしなかった。それどころか涼しい顔でユーリルを見上げ、不思議そうに尋ねた。 「少し痩せたか? 寝所でばかり過ごしているから筋肉が落ちたか」 「うっさい!」 とうとうユーリルは実力行使に出た。思い切り頭をぶつけ、ピサロが思わぬ攻撃によろめいた所で思い切りピサロの胸を蹴って飛び降りる。黒い服にくっきりと足型の土汚れが残ろうとも、ユーリルはざまぁみろと言いたげににんまり笑う。 「そっちこそ、寝所でばかり過ごしてるから油断したんじゃねぇの?」 「僕、力比べしてこようっと!」 ぱっとアリーナが畑へ向かって駆け出していく。その後を追いかける子供を押し留めたクリフトの判断は正しかった。何しろ魔族の重鎮ときたら畑の中の石や巨大な切り株の残骸などを、辺り構わず放り投げているのだ。アリーナはひょいひょいと軽やかにそれを避けて行き、気付いて鍬を振るう手を止めたヘルバトラーに何事かを話している。そうこうすると、二人は畑にする予定だった場所へ一緒になって何か丸い円を描き始め、相撲を取り始めた。 「これはなかなか面白そうな一局だ」 クリフトがにこやかにそう言って、子の手を引いて行く。早速ヘルバトラーに掴みかかっているアリーナを見て、はしたない、と嘆くブライもあれで案外相撲などの単純明快な力比べを眺めるのは好きな質だ。ぶつぶつ文句を言う口の端がにんまりと持ち上がっている。 押せば返され、返されれば押し、魔族と人間とはなかなかに良い勝負のようだった。クリフトやブライがアリーナを応援し始めるのを見て、ユーリルが苦笑する。 「あれじゃあ公平じゃないよな。俺、ヘルバトラー応援してこようっと」 白熱した力比べの場に駆け寄ろうとするユーリルの腕がぐいと掴まれ、力任せに引き寄せられる。わっと傾いだ身体は、足跡の土汚れが払われた胸に抱き止められた。 「何すんだよっ!」 怒鳴り振り返るユーリルの鼻先に、柔らかなくちづけが落ちる。驚いて目を見張ると、今度は頬に唇が触れた。先ほどまでの激しいやり取りとは裏腹の静かで穏やかな仕草に、ユーリルは尖らせていた眦を下ろすしかない。 「……なんだよ」 むぅと曲げた唇にもくちづけを寄越されて、ユーリルはきゅっと眉を寄せた。赤い瞳を見上げると、それは先ほどとは変わらず飄々とした様子だ。 「特に理由などはないが?」 なんだよそれ、とユーリルが文句を言うも、それは激しい轟音にかき消されてしまう。驚いて振り返れば、なんとヘルバトラーが土の上にひっくり返っていた。ぴょんぴょこ飛び上がって喜んでいるアリーナの側で、サントハイムの王子も一緒になって飛び跳ねている。 「やったー! 勝ったぁっ!」 「……むう」 ひっくり返っていたヘルバトラーがむっくりと上半身を起こし、土だらけの頭をぶるりと振るう。 「してやられたり、だ。人間の小娘に投げ飛ばされるとは」 そう言いながらもどこか嬉しそうなヘルバトラーの言葉に、ユーリルとピサロは揃って驚くしかない。 「…投げ飛ばした?」 ユーリルが思わずピサロを仰ぎ見れば、ピサロは眉間に皺を寄せ、ひゃっほーう、と拳を突き上げて自分の勝利を誇っているアリーナを見やる。 「……本当に人間なのか、あれは」 「ああ、はしたない…はしたないですぞ……」 ぶつぶつ呟くブライの隣で、クリフトは盛んに拍手を送っている。 「さすがです! お見事! 見事な投げ技!」 「母様すっごーい!」 きゃっきゃっと甲高い声をあげる子供は、恐れも知らずヘルバトラーの背中の土を払ってやっている。小さな手に甘んじる巨大な魔族は、近付いてくる自分の主君に気付くと困ったように笑みを浮べた。 「面目ない、ピサロ様。すっかりしてやられてしまいました」 呆れ果てた怪力に言葉もないユーリルに、へっへーん、とアリーナは指二本を突きつけて見せた。 「僕の勝ち!」 「負けてばかりでは魔族の名折れ。どうだ小娘、もう一勝負」 のっそりと起き上がったヘルバトラーが相撲の土俵に見立てた円の中で、母の勝利を純粋に喜んでいる子供を抱えて、円の外で石やら切り株やらの上に座ってのんびり観戦しているクリフトの元へ運んでいく。人には有り得ぬ巨大な手に抱えられて、子供は大満足だ。ない袖を捲り上げる母が、しとやかとは程遠い仕草で四股を踏む。 「負けないからね!」 「姫さま〜! 頑張れ〜!」 結婚してもまだ、伴侶を姫さまと呼ぶクリフトにぶんぶんと手を振って見せ、アリーナは俄然やる気だ。 思わずユーリルがピサロを見上げれば、ピサロはにやりと笑い、ゆったりと腕を組んで観戦の構えだ。 「この試合勝てば、望みの褒美を取らせよう」 「だってよ、ヘルバトラー! 頑張れ〜!」 ユーリルが声を上げると厳しい顔がにやりと笑った。 「むぅ、ユーリル様に応援されたとあっては、負けられん」 どすどすと地響きすらしそうなほど力強いヘルバトラーの四股踏みに、森から鳥が驚いて飛びだって行く。いつの間にやらブライがそこらに落ちていた木の枝を扇に見立て、行司の役に収まっている。 「ほれ、見合って見合って!」 ブライの掛け声にぎりぎりと睨み合う人間と魔族との二度目の一本勝負の行方ははてさて。 切り株に腰を下ろし、負ければ城へ入れぬぞ、とからかうピサロの隣に立ち、彼の肩に肘を預けるユーリルが、頑張れ〜、と声を張り上げる。 のこった、と振り下ろされる枝に、がんと人間と魔族の身体がぶつかり合う。一歩も引かぬ白熱の一勝負に、観戦者から歓声が上がる。その歓声に紛れ、ピサロは隣に立つユーリルの腰を引き寄せる。ちらっと下ろされた眼差しに険はない。ピサロの足を跨いで膝に腰を下ろしたユーリルの腹へ手を回し、ピサロは少し笑む。ピサロの腕の中で魔族の重鎮への応援を惜しまないユーリルの声が、人里離れた山奥の村の中に響き渡っていた。 |
相良さんに素敵主クク小説を頂いたお礼にリクエストがあれば〜とお伺いしたらば、『勇者とピサロの二人での稽古とか型あわせとか勝負』ってことでしたので書いてみたのですが……戦ってるの最初だけじゃん。うーん駄目かも(笑)。 あの旅を終えてから十二年ということで、なぜに十二年かというと、私的キャラ設定を見て頂けると解るかと思うのですが、アリーナがクリフトと結婚して子供産んで女王になって、となると十一年後以降でなけりゃならんわけです。しかも女王になった直後は忙しくて出られんだろうから、十二年後。自分で決めた設定ながら、なんとも細かく決めたもんだ(笑)。オリジナル設定もろ出しで申し訳ないです。(※最初十三年と書いていましたが、計算したら一年ずれてたので訂正しました/汗) ユーリルは山奥の村とデスパレスとを往復して暮してる感じかなぁ。ヘルバトラーは強い者が大好きだと公言してた所と、相良さんちのヘルバトラーがユノ(相良さんちの勇者君)ファンだったのでヘルバトラーに出張ってもらいました(笑)。そうでなくてもピサロの恋人だし、自分よりも上と認めているわけで、暇潰しがてら山奥の村にやってきては畑仕事(もはや開拓作業か?)を手伝ってるわけです。そうこうしてると他の魔物もやってきて手伝ったりして、気付けば魔物が住み着いてて、遊びにくる人間たちと仲良くなったりなんだりと。そんな感じだったらいいなぁ。滅ぼされた村もそうやって魔物と人間とが協力しあって再生したら素敵なことだと思います。 |