従者の休息


 春の暖かな心地に、ロザリーヒルが今まさに花盛りだと言っていたロザリーの言葉を思い出した。焼きあがったばかりのパンを持って、どうせだからちょっと外に出ようよ、とロザリーを誘うためにロザリーヒルを訪れていたユーリルは、村の中でホビット達の中で一際目立つ背の高い存在に気付いた。
 彼も塔へ向かって歩いているので、ユーリルからは後ろ姿からしか見えなかったが、珍しく束ねている銀色の長い髪に少しばかり覗く尖った耳は見間違えようもない。春の陽気には相応しくない黒衣を纏い、颯爽と歩く後ろ姿に、ユーリルは思わず笑みを浮べた。
「ピサロ!」
 声をかけて駆け寄ったユーリルは、かけられた声に振り返った相手を見て、思わずぎょっと足を止めた。
「え、えええっ?」
 驚愕に目を見開き、立ち止まってぽかんと口を開けるユーリルに、ピサロと呼ばれた魔族は思わずと言ったように苦笑を馳せた。
「残念ながら、ピサロ様ではありませんよ」
 穏かな口調はピサロよりもほんの僅かに声のトーンが高い。ユーリルを見つめる眼差しも、ピサロと同じ赤い瞳だ。マーニャが飛び上がって喜んで抱きつきそうなほど整っていて、なおかつピサロの近付きがたいほどの美貌と言うのも似通っている。だがその顔の造作が少し違った。どこがどう、とは言いにくいのだが、けれどどこか違うのだ。そう言えば纏っている服も形が違う。ピサロのものよりも簡素なものだった。
 呆気に取られているユーリルの前で、ピサロに酷似した魔族の男は優雅に一礼をした。その仕草にユーリルはようやく合点がいった。
「アドン?」
 目を丸くしているユーリルに、はい、とアドンは穏かに微笑む。ユーリルはそれを見て、うわぁ、と感心しきったような声を上げた。
「甲冑取ったらそんなんだったんだ……」
「ええ、まぁ。良く言われますが、一応私も魔族なので」
「あ、そっか。ミネアから聞いたことがある。魔力が強い魔族は目が赤いって…銀色の髪で、ピサロにそっくりだから、すごくびっくりした」
「ああ、そのことですか」
 アドンはユーリルが抱えていたパンの詰まった籠を見ると、お持ちしましょう、と何気ない仕草で取り上げた。塔へ向かって連れ立って歩きながら、アドンは穏かな様子で口を開く。
「ロザリー様の御身警護に任命されるまでの私の仕事は、ピサロ様の影武者でしたので」
「……影武者?」
「姿の似た者が選ばれるのです。ピサロ様のお命を狙う者も今よりも昔の方が後を絶ちませんで、いざと言う時には私が身代わりに」
「ああ…なるほど。でもなんで、ロザリーさんの前じゃ甲冑なの?」
 ユーリルがいまだ驚きの取れない顔で見上げてくるので、アドンは苦笑顔で答えた。
「ロザリー様の側にいるのがピサロ様と同じ顔をした者では、匿っている意味がありませんからね」
「あ、そっか…なんだ。でもなんか、すごくびっくりした。本気でピサロだと思ったもん。マーニャが喜ぶよ。ピサロはもうお手付きだからってすっごく悔しがってたからさ。ひょっとしたら求婚されるかも」
「……それは、是非にも勘弁してもらいたいですね」
 顔を顰めて思わずと言ったように胃の辺りを押さえるアドンに、ユーリルは笑い声を上げた。
「まだ胃潰瘍治ってないんだ」
「ええ、まぁ……というか、一生治らないような気がするんですよ。この所ロザリー様も誰の影響をお受けになったのやら、破天荒極まりないご様子ですし…」
「あ、そう言えば今日はロザリーさんの警護しなくていいの? 折角天気がいいから、一緒にピクニックでもと思ってきたんだけど……」
 ユーリルが高い塔を見上げて言うと、同じように塔のてっぺんにある窓を眺めているアドンが答えた。
「ロザリー様ならサントハイムにお出かけですよ」
「えっ、そうなの?」
「ええ、サントハイムの女王様にお招きされまして、お茶会なるものに出席されています。魔族の私が側にいるのも他の方に気を使わせるでしょうから、クリフト殿とブライ殿に後をお任せしてきました。人間の中へ行くのに甲冑は不似合いですから、今日は旅着なんですよ」
「なんだ、そうだったんだ」
 ユーリルは溜息を吐いてアドンの手の中の籠をちらりと見た。焼きたてのパンは香ばしい香りを漂わせていて、今にも食べてほしそうだ。会心の焼き上がりだと思ったからこそ、ロザリーと一緒にピクニックをと思ったのだが、その本人がいないのでは話にならない。かと言って山奥の村に戻って一人で食べるのも味気ないし…、と考えたユーリルはパッと顔を輝かせた。
「そうだ、アドン、ピクニックに行こう!」
「はい? 私とですか?」
「うん」
 ユーリルは思いがけずいいアイディアを思いついた自分を褒めてやりたいような気分で、にこにこと笑みを浮べながら頷いた。
「だってロザリーさんがいないって事は、アドンは暇なわけだろ? 折角焼いてきたパンも勿体ないし、いいだろ?」
「ええ、まぁ、構いませんけど」
「じゃあそうしよう。そこの高台でいいよね。あ、そうだ。お茶がないからそれ持ってこないと…ティセットとか、ロザリーさんの勝手に使ったら怒られるかな」
「そこの宿で貸してくれますよ。私が行きましょう。ユーリル様はこれをお願いできますか?」
 ユーリルが先ほど持っていた籠を差し出し、アドンが申し訳なさそうに微笑む。そんなに気を使うから胃潰瘍になるんだよ、と思いながらも何も言わずにユーリルが受け取ると、先に行っていてください、とアドンは促した。
 かつてはロザリーの墓のあった場所は、今では花の咲き乱れる憩いの場所だ。誰もがちょっと寄り合って楽しめるようにと、素朴な手作りの椅子とテーブルとがいくつか置かれ、今もドワーフの男女が向かい合ってお茶を楽しんでいる。すっかり顔なじみになっているユーリルが挨拶をすると、ドワーフの愛らしい女の子は頬を染めてぺこりと頭を下げ、男の子は被っていた帽子を持ち上げて挨拶をした。パンを少し彼らにお裾分けして、ユーリルは日当たりのいい場所のテーブルに腰を下ろした。パンを置き、しばらく待っていると、アドンが盆にティセットを持ってやってくる。慣れた手付きで淀みなくお茶を淹れ、ユーリルに差し出してから、アドンは向かいに腰を下ろした。
「ユーリル様のパンがあると聞いて、宿のものが持たせてくれましたよ」
 そう言って見せたのはいくつかの種類のチーズと、いくつかの種類のジャムだった。ドワーフのチーズやジャムはこくがあってまろやかでうまい。早速瓶の蓋を開けてパンに塗りつけているユーリルに、アドンはにこにこと笑顔を浮べて言った。
「夕暮れにロザリー様を迎えに行くまで、することがなくて何をしようかと考えていたところだったんです」
「じゃあ丁度良かったんだ」
「ええ」
 以外にも洗練された仕草で紅茶のカップを持ち上げ口に含むアドンに、ユーリルは思わず目を奪われる。
 仕草のひとつをとっても、甲冑を着けている時には特に何も思わなかったのに、素顔となればどうしてか何もかもがピサロに似て見える。
 ぽかんとしているユーリルに、アドンが不思議そうに首を傾げた。
「どうかされましたか?」
「え、いや…なんか、すごいピサロにそっくりだなぁと改めて思ったんだ」
「意識してそうしている所もありますからね」
「え、そうなの?」
「影武者ですから。仕草ひとつでも違和感を感じられるようでは意味がありません」
「ああ、そうか…なんか大変だなぁ。でも今は違うんだろ? ロザリーさんの警護だもんな」
「ですが、長年染み付いたものはそうそう抜けませんからね。ロザリー様の警護を任されるようになったのも、ここ数年…数十年程度のことですし」
「そうなんだ…なんか、あれだよな。アドンとは一杯顔合わせてるのに、全然アドンの事知らなかったよ。顔も初めて見たし、今まで甲冑だけってのに違和感もなかったって言うか」
「それが仕事ですからね。ユーリル様とお会いする時は常に仕事ですから…」
「じゃあ今は仕事じゃないよな? だってロザリーさんいないし、ピサロもいないし」
 アドンはユーリルの笑顔にそう言われ、少し考えた後笑みを浮べて頷いた。
「そうですね。久しぶりの休暇のようです」
「じゃあ夕方までゆっくりしよう。俺がいたら邪魔?」
 くるりと首を傾げてみせるユーリルに、アドンは浮べていた笑みを深くして首を振る。
「いいえ、とんでもない。ユーリル様を見ていると、心が和みますよ」
「じゃ、夕方まで俺もいようっと。あ、紅茶おかわり」
「ジャムを入れても美味しいですよ」
「紅茶に? へー、そうなんだ。じゃあやってみる」
「私はパンを頂きます」
 にこにこと笑みを浮べるアドンに、そっちが胡桃入りで、こっちが紅茶で、こっちが珈琲味で、と指を差してユーリルは教えていく。
 春の暖かな日差しの中で穏かな時間を過ごしながら、アドンとユーリルの顔から笑みが消えることはなかった。


 ちなみに、翌日ロザリーヒルを訪れたピサロは、昨日、ユーリルとピサロがいつになく仲睦まじい様子で高台のテーブルで逢引をしていたと言う身に覚えのない噂を聞きつけ、ぴくりとこめかみを引きつらせていたが、英気を養ったアドンは睨みつけるピサロの眼差しにも気付かず、甲冑の奥でにこにこと笑顔を浮べていた。

 浮気じゃないけど、アド勇を読みたいと仰られたので……ということで、卯月さんへ(笑)。こんなもんでよければ煮るなり焼くなりお好きにどうぞ〜。
 余談ですが、この話以外ではいつもアドンの名前を出さずにピサロナイトを通してたんですよ。理由はピサロナイトだとさまよう鎧っぽいけど、アドンだと人間(人型魔族)じみたイメージだから。でもアドンの名前を出すのに辺り、容姿も考えなくちゃなぁと思って色々考えたんですが、ふと思ったのがロザリーの警護を任されるまでアドンって何してたんだ?ってことです。そういえばピサロナイトと称するからにはピサロの騎士なわけで、となるとピサロの身を守る警護役……お庭番?はっ、影武者!と言う事で、ピサロと同じような容姿にしてみました。でもすっごい違和感ある…想像してください。穏かに微笑むピサロ(の顔をしたアドン)。優雅に一礼をするピサロ(の顔をしたアドン)。顔を顰めて胃を押さえるピサロ(の顔をしたアドン)。……薄ら寒い……ピサロナイト元影武者説は失敗か……? でもいいとおもったんだけどなぁ。ちなみに顔は双子のようにそっくり…というわけではありません。格好や仕草が似ているからそっくりに見えるだけで、ちょっと似てるかな程度だと思って頂ければ…あでも絶対に美貌でなくては…! なぜならピサロナイトの素顔を見たマーニャにこれから追い掛け回される予定だから(笑)! 早く胃潰瘍治せよ、アドン!(笑)