おまけ




「ああもうピサロ様ったら」
 物陰からこっそりと花畑で抱き合う二人を伺うロザリーは、ぎゅっと眉を寄せてハンカチを握り締めている。
「押し倒してしまわれればよろしいのに!」
「…ロザリー様、戻りましょう……」
 一応護衛として付いてきたものの、付いてこなきゃ良かった、と思っているピサロナイトが口を出すも、ロザリーはまるで聞いていない。ユーリルの住まいである小屋の影から顔を出し、苛立ちを隠しきれずに呻いた。
「ピサロ様ったら、なんて意気地なしでいらっしゃるのかしら。ユーリルさんがお好きならお好きで、大事になさったらよろしいのに……」
「それはロザリー様を大事に思われていらっしゃるからで…」
「わたくしはもう十分大事にして頂きましたもの。次はユーリルさんを大事にして頂きたいのです。それなのにピサロ様ったら……ユーリルさんのお気持ちに気付いていらっしゃるはずなのに、知らぬふりをされているだなんて……臆病風に吹き飛ばされてしまえばよろしいのですわ」
「それ、使い方違うんじゃない?」
 ひょいと気配も見せずに顔を出したモンバーバラの姉妹の姉の方に、ピサロナイトはもう少しで悲鳴を上げるところだった。迂闊にも、そう、迂闊にもだ。ロザリーを守るべく護衛の任を与えられているにも関わらず、迂闊にも、そして不覚にも後ろを取られてしまっていたのだ。
「水晶を覗いていたら何か進展がありそうな予感がしたもので、ひょっとしてときてみたのだけれど……ようやくあそこまで進展したのね」
 水晶球が凶器に思えて仕方がないミネアが、溜息混じりにそう呟いた。ピサロナイトの甲冑の中ではだらだらと冷や汗と脂汗が入り混じって流れている。不覚にも迂闊にも不覚にも、と延々同じ言葉が脳裏を過ぎっている。
「で? どこまでいったの?」
 マーニャはくびれた腰に手を当てて、まるで観劇でもしているように花畑の二人を眺めている。ロザリーはぎゅっとハンカチを握り締めた。
「おでこにちゅーだけですわ!」
「はぁ? 何それ、ガキの恋愛じゃないんだからさー。もっとこう…がばーっと押し倒しちゃえばいいのに。青空の下! なんて健康的」
「不衛生よ」
「大丈夫よ、ちょっとやそっとじゃ死にゃしないわよ。大体あいつら、普通の人間じゃないんだから、免疫力も抵抗力もあるでしょうに」
「あああああ、ロ、ロザリー様は聞かれてはなりませんー!」
 わたわたと慌てるピサロナイトの腕を、マーニャもミネアも鬱陶し気に追い払う。
「シッ、静かに! なんだかちょっと雰囲気が違うみたいだよ!」
 ピサロナイトの甲冑の口元の辺りをぐいと押さえたのは、またもやいつの間にやら現れたアリーナ姫だ。そのままうっかり首を捻られそうで、ピサロナイトはうごくにうごけない。ぎしぎしと甲冑を軋ませながら、ただひたすらじっとしているしかなかった。
「まーっ!」
「わお!」
 花畑でくちづけを交わす二人の姿に、両手を頬に当てたロザリーと、目を輝かせるアリーナとが揃って頬を赤くしている。ふぅと大きな溜息を吐いたのはモンバーバラの姉妹だ。
「よーやくキスか……これじゃ、最後まで行き着く頃にはあたしらババァね」
「いいじゃない、姉さん。老後の楽しみがあるのだから」
「まぁそりゃそうかもしんないけどさー。何? なんでそこで押し倒さないの! じれったいわねぇ!」
「でしょう? そう思われるでしょう? ピサロ様ったらまったく意気地がないのですわ!」
「僕ならがばっとやっちゃうけどなー」
 勝手気まま口々に物を言う女達の声は、少々大きすぎた。
 人よりも何倍も聴力に優れている魔族の王が、その声に気付かぬはずがないのだ。殺気めいた視線を感じ、ピサロナイトはぎぎぎと錆びた音を立てて振り返る。いつの間にやら、彼の身体は花畑の二人から視覚になる小屋の陰から外へ押し出されていたのだ。
 視線だけで人が殺せるとしたら、今頃ピサロナイトは死んでいただろう。ピサロの恐ろしい眼差しを浴び、ぎぎぎとピサロナイトは錆びた音を立てる。
「か、帰りましょう、ロザリー様!」
「あら、どうして?」
「ぴ、ピサロ様に気付かれております!」
「あ、じゃあさ、うち来ない? サントハイムで今日お祭りがあるんだよ。だからみんなを誘いにきたんだけど」
「あら、よろしいですわね!」
「祭りって何やるの? いい男いる?」
「久しぶりにブライさんやクリフトさんにもお会いしたいわね」
 口々に好き勝手を言う女達をひとまとめに集め、ピサロナイトはキメラの翼を放り投げた。サントハイム、と叫べば山奥の村の情景は遠ざかる。
 胃が痛い、とピサロナイトはサントハイム城へ喜び勇んで駆け込んで行く女達の後を追いかけながら、溢れる涙を飲んでいた。