毒消し草


 夜中、息苦しさに目を覚ました。ぼんやりとだるい手を持ち上げて額に触れれば、そこは湯のように熱い。断続的に続く息苦しさに呼吸もままならない。
 やっぱり熱が出たか…、とユーリルは闇の中で舌打ちをした。
 今日の戦闘で毒のある魔物と戦った。避けたつもりの毒牙が気付かぬうちに触れていたらしい。脇腹に怪我をしているのに気付いたのは宿へ戻ってからだった。動いても痛まぬほどの些細な傷だったのだが、その些細な傷から毒は身体中に蔓延していたようだった。
 解毒の呪文を使える仲間を起こさねば、と思ったけれど、すでに身体は身動きひとつするのも億劫だった。それに部屋はピサロと同室で、解毒の呪文が使えるクリフトは一番遠い部屋だ。そこまで這って行くのはごめんこうむりたい。止むを得ないがピサロを起こし、彼を連れてきてもらうしかないだろう。
 荒い息で傍らのベッドを見やれば、すでに異変に気付いていたらしいピサロが起き上がり、闇の中ですら赤いと解る瞳でこちらを見ていた。
「…どうした」
 ベッドから降り立ち、傍らに立ったピサロがユーリルの額に触れる。冷たい手が心地よく、ほうと溜息を吐けば、ピサロは忌々しそうに舌打ちをした。
「毒にやられたな。熱が随分高い」
「……キ、アリ…を」
「私はできん。神官を起こすのもこの時間では面倒だ。毒消し草を飲んでおけ。一晩ゆっくり休めば朝には体力も戻るだろう」
 額に浮かんだ汗を大きな手が拭い、ベッドの側を離れていく。部屋の隅にまとめて置いてあった道具袋の中から毒消し草を抜き出し、再び戻ってきたピサロがそれを差し出すも、ユーリルはゆっくりと首を振った。
「…い、らない…」
「なぜ」
 すっと眉を寄せたピサロがベッドに腰を下ろす。古ぼけた宿の粗末なベッドはそれだけでギシリと耳障りな音を立てた。
 ユーリルは唇を引き結び、見下ろす赤い瞳を見つめていたが、やがてふいっと顔を逸らし、小さな声で呟いた。
「……それ、苦い」
 やれやれと溜息を吐き、ピサロは毒消し草をユーリルの口元に運ぶ。噛み良いようにと千切ってやるが、ユーリルは頑なに口を閉ざしたままだった。
「薬が苦いのは当たり前だろう。飲んで大人しくしていればすぐに楽になる。子供のような駄々をこねるな」
「だ…って、苦いものは苦いんだ…」
 けほんとひとつ咳をすると、呆れたような顔をしていたピサロが、そら見ろ、と言った。
「咳が出てきたら、次は血を吐くぞ。いつまで意地を通すのかは知らんがあの魔物の毒は強固だ。毒が心臓に達すれば、息が止まるぞ」
 だから早く飲め、と突きつけられた毒消し草をユーリルは憎々しげに睨み付けていたが、やがて観念したのか薄く口を開いた。そこへ千切った毒消し草を押し込むが、すぐにべぇと吐き出してしまう。
「出すな、愚か者」
「苦い……」
 顔を思い切り顰めているユーリルの額に手を這わせれば、先ほどよりも明らかに熱が上がってきている。傷口から入った毒は、どれだけ微量であろうとも血管を通り増幅し、あらゆるところに不具合を起こす。心臓に達すればその活動を停止させ、どれほど毒消し草を飲ませようとも、解毒の呪文を使おうとも手遅れなのだ。夕過ぎの戦闘で受けた傷だろうから、そうのんびりもしていられない。
 ピサロは舌打ちをして、ユーリルに飲ませ損ねた毒消し草を己の口に放り込んだ。ぼんやりとした眼差し出それを見ているユーリルの唇に、唇を押し付ける。手を顎に当て、力を込めて歯を合わせられなくし、咀嚼し柔らかくした毒消し草を己の口の中から舌で押しやった。
「んっ、んうーッ!」
 ピサロの身体を押しのけようとする両腕を一纏めに押さえ、口の中の毒消し草を押し返そうとする舌に舌を絡める。すいと裏側を撫で、いつもの閨での折のようなくちづけを寄越せば、ユーリルの腕からは力が抜けた。本当に観念したらしく、ユーリルの口の中から毒消し草はなくなったが、ピサロは念を押し、ゆっくりと十数えるまで唇を離さなかった。
 十を数え、ふっと唇を外せば、苦い、と呻き声がすぐに漏れる。
「苦い苦い苦い苦い苦い……」
「死ぬか生きるかの瀬戸際だ。毒消し草くらい一人で飲めるようになれ」
「…苦い」
 ピサロは枕元のテーブルから水差しを取り上げると、グラスに水を注ぐ。粗末な宿だが真心は行き届いているようで、グラスの水もレモンを浮べたものだった。まだ身体に力の入らないらしいユーリルの背に手を当て、グラスの水を飲ませれば、ようやくほぅと溜息を吐く。
「……苦かった…」
「苦かろうが薬は薬だ。水を飲んで、大人しく寝ていろ。安静にして、明日の出立は少し遅れさせる。念のために朝になったら神官に解毒の呪文を唱えてもらえ」
「だったら何も今、毒消し草飲まなくたって……」
「死にたいのか?」
「…………苦いの飲まなくていって言うんなら、迷う…」
 ぐったりとベッドに横たわり、馬鹿なことをぶつぶつというユーリルの夜具をはぐり、傷を負ったらしい脇腹を調べた。そこは自分で治癒呪文を宛てたらしいが、どす黒く変色している。毒がまだ残っているのだ。ピサロはもう一枚毒消し草を袋から取り出した。
 それを見たユーリルが顔色を変える。
「へ、平気っ! もう治った! 元気!」
「黙れ、愚か者。患部の毒を吸い出さねばならんだろう」
「…また飲むの…?」
「飲まん。宛てるだけだ」
 ピサロは手布を取り出し、揉みしだいた毒消し草を包んだ。それをどす黒い患部に押し当て、タオルで巻く。
「これでいい。明日には消えているだろう」
「……ご迷惑おかけしました…」
 大きな溜息を吐くユーリルに負けず劣らずの溜息を吐き、ピサロは細い身体に毛布をかけなおす。熱い、と文句を言い、行儀悪く足で毛布を蹴飛ばそうとするユーリルの額に張り付いた髪をかきあげ、くちづけをひとつ落とす。
「大人しく寝ていろ。できんのならもう一枚毒消し草を飲ませるぞ」
「ハイ、大人しくしてます」
 ぴたりと足を止めたユーリルの素直さに笑いながら、もう一度毛布をかけなおす。それをじっと見上げていた紅玉髄の瞳に気付き、なんだ、と尋ねれば、ユーリルはちらりと悪戯っぽい目を瞬いた。
「大人しくしてるから、ご褒美先払いして」
「褒美を貰いたいのは私の方だがな」
 やれやれ、と溜息を吐いてピサロはユーリルの唇にくちづけを落とす。
 少しばかり毒消し草の苦味が残るくちづけをゆっくりと交わした後、これでいいか、と訪ねれば、ユーリルは嬉しそうにうんと頷いて目を閉じた。すぐに寝息を立て始めたユーリルの寝顔をしばらく見つめ、ピサロも己のベッドに戻って横になる。
 翌日、すっかりユーリルは毒が抜け、いつもの元気な姿に戻っていた。

 日記で思いついたネタ。『口移し毒消し草』。だってとっても苦そうなんですもの、毒消し草とか薬草とか。どくだみ草の味がしそうで。ちなみに中学か高校の時に見た誕生花の本で、私の誕生花はどくだみ草だった。普通さ、ひまわりとかさ。桜草とかさ。せめて菜の花でもいいよ。そう言う可愛いのじゃないの、誕生花って! でも最近ネットで調べたら時計草とかゆーのだったので、まぁどくだみ草よりはいいかなと思いました。ピサロの誕生花は人食い草だと思う。うん、間違いないと思うよ。