朝に見る夢


 手の中でさらさらと流れる銀色の髪が心地よく、すくっては散らし、すくっては散らしを繰り返していると、その持ち主が身じろいだ。すぐ側で眠っているのだから、そんなささやかな動きとて、気配に聡い魔族の王には容易く知れてしまうのだろう。閉じていた瞼が開き、髪と同じ銀色の睫が持ち上がるのを、ユーリルはじっと見つめていた。
 白い肌の隙間から現れるような赤い瞳が好きだと、唇を寄せる。頬にくちづけを落とせば、眠りから覚めたばかりの王は少しだけ顔を動かしてユーリルを見つめた。どこか膜の張ったようにぼんやりとした眼差しをしていたが、ユーリルと視線が絡むと、それが徐々にはっきりとした意思を持った眼差しに変わる。移ろい行く赤の光彩が、ユーリルを認め、ほんの僅かに細められるのが好きだった。
 横になり、向かい合い、眠ったのも目を覚ましたのもユーリルが先だった。朝の光が薄いカーテン越しに部屋の中に入り、柔らかな光で部屋を満たしている。魔族の王たる男の部屋には相応しくない光景ではあったが、誰かにそうと教えてもらわなければ、ユーリルの側にいるのが魔族の王とは知れなかっただろう。
「おはよう」
 ピサロは、目を細め、鼻先に触れるユーリルの唇が紡ぐ言葉に耳を傾けている。動かない唇に焦れ、ユーリルは尖った耳の先を引っ張った。
「おはようは?」
「……ああ」
 呻くような声は、おそらく返事だったのだろう。こうして初めて知ったのだが、ピサロはあまり朝の寝起きが得意ではないようだった。魔族なのだから、行動する時間は主に夜で、思えばあの旅の間も昼の光の下では精彩を欠いていたように思う。
 眠そうに、何度か瞬きをする瞼に唇を押し当てた後、ユーリルはまた耳を引っ張った。迷惑そうに眉を寄せるが、やめろとは言わない。
「おはようは?」
 重ねて強請られた言葉に、とうとう魔族の王は観念したようだった。小さなあくびをひとつ噛み殺し、耳から手を離さないユーリルの手を引き、その指先に唇をつける。首を伸ばし、緑葉色の髪の生え際にくちづけが落ちた。
「おはよう」
 皮膚をくすぐる唇の動きと吐息にユーリルは首を竦めた。それがおかしかったのか、それとも気に入ったのか、ピサロはこめかみに息を吹きかける。やめろよ、と言葉だけで抗うユーリルが軽やかな笑い声を洩らせば、つられたかのように、ピサロも低く染み渡るような笑い声を洩らした。
 頬にひとつのキスを寄せ、ユーリルはまるで秘め事を明かすかのように囁く。
「腹減ったよ」
 ピサロが呆れたような顔をするのは、おそらくユーリルの食欲が衰える気配を見せないせいだろう。旅の間でさえも、細い身体のどこに消えて行くのかと思うほどの量を食べてはいたが、何しろ始終身体を動かす旅ではあった。得た糧を身体がすぐに使いきってしまうのだろうと思っていたのに、旅が終わり、落ち着いた今となってもそれは変わらない。
 じっと見つめる赤い瞳に、ユーリルは不貞腐れた顔を装った。
「だって、腹減るのは仕方ないじゃん…」
「鈴を鳴らせばよかろう」
 ユーリルを腕に抱きこんだピサロが、手を伸ばし、ベッドの側の卓の上にある鈴を示す。そんな些細な品でさえも意匠を凝らし、細やかな模様が細工されている。魔王の私室にあるものはすべて、恋人であっても、選び抜かれた秀麗な品ばかりだった。ユーリルは無理に首を曲げてそれを認めたが、すぐに顔を逸らしてしまう。
「こんな格好見られたくない」
 少しばかり、本当に少しばかり頬を赤くしたユーリルを間近に見つめ、何を今更、とピサロは呟く。
「貴様との関係など、誰もが知っている」
「……そ、れは……そうだけどさ」
 そうじゃなくて、羞恥心の問題と言うか、とぶつぶつ呟いているユーリルが渋るのも当然だろう。何しろ二人ときたら、纏っているものは互いの身体と、一緒に纏った毛布くらいなのだから。眉間に皺を寄せて考え込んでいるユーリルの表情がおかしく、ピサロはユーリルの身体から身を離し、卓の上の鈴を取った。ちりんと音が鳴る前に恋人の暴挙に気付いたユーリルが慌ててその手を止めようと身を乗り出す。腕を掴まえ、ベッドに押し付けて、その上から八つ当たりのように枕を押し付けた。
 笑い声を上げて逃れようとするピサロの手から、鈴が転がり落ちる。床に落ち、何度もちりんちりんと可憐な音を響かせながら、鈴はもはや手の届かぬ場所へと転がってく。あ、と慌てたのはユーリルだけで、ピサロは頭の上に乗った枕を引き摺り下ろしている。
 鈴の音を聞きつけたホイミスライムが、お呼びでございましょうか、と主の寝室へ姿を見せる。ベッドに突っ伏し枕を頭に押し付けられている主と、ベッドの上に起き上がり、それを押さえているユーリルの姿を見た時、ホイミスライムは元から見開いている目を更に見開いたが、取り立ててなんでもないような様子を装っていた。ふわふわと空気を泳ぎ、己の足元に転がっている鈴に気付くと、拾い上げ、卓に乗せる。
 ピサロは込み上げる笑いで声を震わせながら、枕の隙間からホイミスライムに命じた。
「腹が減っているそうだ。用意してやれ」
「畏まりました。あれはいかがいたしましょう」
「あれ……ああ、あれか。もう良い頃合だろう。ひとつ出してやれ」
「では、そのように」
 ふわふわとホイミスライムがお辞儀をし去っていくと、顔を赤く染めたユーリルが仏頂面で尋ねた。
「あれってなんだよ」
 ようやく頭の上に乗った枕をすべて落としたピサロが、その長さのせいで絡まってしまったような銀色の髪を払い退けながら眉を寄せる。
「あれ?」
「さっき言ってたじゃん。あれが、どうとか」
「ああ……貴様の菓子を作っている者が作りたいものがあると乞うてきたので、地下室をひとつ与えてやったのだ。酒を床にまいて蒸発したものを菓子に吸わせて熟成させるのだとかなんだとか……詳しくは知らんが、それがそろそろ頃合らしい」
 仏頂面のままでそれを聞いていたユーリルは、途端にぱぁっと顔を輝かせた。紅玉髄の瞳がきらきらと輝きを放つのを、ベッドに横たわったままのピサロは微笑ましいような、呆れたような気持ちで眺めていた。
「それって、うまい?」
「さぁな。私は菓子は好かぬ」
 ユーリルは思わず笑みを零した。その菓子を好かぬ男が、ユーリルのために地下室をひとつ明け渡してくれたのだ。隠しても隠し切れぬ喜びのまま、ユーリルはピサロの額にくちづけを落とした。
「ありがとな! 俺、見てくる!」
 一体どんな調子で菓子が作られているのか気になるのだろう。そそくさとベッドを降りて、椅子の背にかけてあるシャツやらズボンやらを身につけていくユーリルの姿を、ピサロは積み上げた枕に上身を預け眺めていた。
「……都合の良いときばかり素直になるようだな」
 最後にぎゅっとベルトを締めているユーリルが、小さなぼやき声に気付いて、そんな事ないって、と目を丸くしている。
「ちゃんとピサロも好きだって! 見たらすぐに戻ってくるし、そしたら飯な! 二度寝すんなよ」
 慌しく頬にくちづけを寄越し、寝室を飛び出していくユーリルの後ろ姿を見送り、やれやれ、とピサロは溜息を吐く。思い切りが良いのも威勢が良いのもあれの美徳と言えば美徳だが、せめて情事の翌朝くらい雰囲気やら色濃く残る夜半の空気やらに酔っていてもよいのではなかろうか。
 今はまだ色気よりも食い気が勝っているユーリルに、それは土台無理な話ではあろうが、とピサロはぬくもりの残るシーツに身を寄せ、目を閉じた。ユーリルの暖かさが残る寝具は、心地よい眠りをもたらす。ここで寝ればまた、煩く囀られるのだろうが、この心地よさから離れるのもまた至難だった。
 うとうとと夢か現かわからぬ場所をピサロは彷徨う。
 菓子作りが行われている地下室の様子を、心行くまで堪能してきたユーリルが戻ったときに見たものは、枕に埋もれ、幸福そうな顔をして眠る魔族の王の姿だった。


 例えるならば、砂糖たっぷりのホットケーキに生クリームとバニラアイスを乗っけて、メープルシロップとキャラメルソースとチョコレートソースをかけ、チョコレートスプレッドを撒き散らし、アクセントにさくらんぼを乗っけて、ティスプーン十杯分の砂糖を入れたココアを飲むくらいの甘さですな。ゲロ甘。まさかこんな話をピサ勇で書けるとは思わなかった…(笑)。殺伐したというか、擦れ違ってるというか、そういうイメージの話はぽこぽこ浮かぶんですが、こーゆー甘いのは……(動揺中)。つか、自分で書いた話に動揺するのもどうなんだろう(笑)。
 ところで、作中に書いたお菓子ですが、名前が解らなかったんです。カヌレかとも思ったけれど、作り方は全然違うし。昔何かのテレビ(多分NHKの夜中にやってるまったりドキュメントだろう)で見たんですが、地下室の天井にツボに入ったお菓子を吊るして、その下にお酒を撒き散らす。で、そのお酒が蒸発してお菓子にしみこんでいくのを待つと。何ヶ月もかかるとか覚えてるんですけど、どなたか名前をご存知じゃないでしょうか。ご存知でしたらばご一報を(笑)。
 このお話は、某Mさんの試験終了を祝って、お疲れ様でしたという気持ちも込め、某Mさんに勝手にお捧げしたいと思います。お疲れ様でしたv と書いたらイラスト頂いてしまいました! 秀逸なる素敵イラストはこちらから!