つぎたん!



 朝起きたら一面の雪景色だった。そりゃもう半端ないくらい雪景色だった。
 なんでも夜のうちに大寒波がやってきたらしく、観測史上の積雪を誇っているらしい。暑さ寒さ大雪大雨色々あるが、いずれも観測史上最高のなんて余計なことは誇らないでもらいたい。
 リビングから見える庭の高さはいつもよりも高いし、物干し竿はいつもより低く見える。ついでに言えば門柱も低いし塀も低い。平日の昼間でももっと人通りが多いはずの家の前の道は、人っこ一人、車一台通らない。そもそも動くもの影などありゃしない。
 と言うよりも通れない。
 何しろ雪が路上をすべて埋め尽くしているのだから。
 ぱっと見た感じ六十センチ、いや八十センチは積もっているだろうか。
 テレビでは史上類を見ない大雪に、危険だから外へ出ないようにと警告をしている。公共機関はすべてストップ、除雪作業も遅々として進まないようだ。
「すげーな」
 昨日の夕方、学校帰りからそのまま家に泊まりに来ていた男鹿が、ほー、と目をしょぼつかせながらリビングで茫然と立ちすくむ古市の横に並ぶ。だー、と目を輝かせているベル坊は相変わらずの真っ裸だ。対する古市はボアのソックスに褞袍を着込み、更にはマフラーまでしているのに、寒くないだろうか。ちなみに室内だ。雪景色を見るだけで体感温度が五度下がる気がする。
「さすがに帰れねーな」
 褞袍の袖に手を突っ込んだまま唸るようにそう言うと、男鹿はきょとんと不思議そうな顔をする。
「え、帰るんならアランドロン使えばいいんじゃね?」
 はぁい、と後ろから顔を出すアランドロンを綺麗さっぱり無視し、古市はむぅと口を曲げる。そしてリビングの窓ガラスへ顔を向け言った。
「さすがにこの雪だと帰れねーな」
「いや、だからアランドロンで」
「辰巳くん、ちょっとはさ、お兄ちゃんの気持ちっての理解したら?」
 リビングのソファに座り、テレビを眺めているほのかが、実に呆れ切った顔をして振り返る。古市の頬がかぁと赤くなったが、ほのかの方を振り返った男鹿は気付かず、その足元にいたベル坊だけが、ダッ、と目を真ん丸にしただけだ。
「あ? 古市の気持ち? なにがだ?」
「うちのお父さんとお母さん、法事で親戚んちに行っててさすがに今日は帰ってこれないでしょ」
「いやだからアランドロン」
「てことは家の中にいるのは私とお兄ちゃんと辰巳くんとベルちゃんだけよね」
「いやだからアランド」
「ヒルダさんもこれないだろーし」
「いやだからアラ」
「美咲ちゃんだってこれないし!」
「いやだから」
「ほんっと人の気持ち理解できないよねー辰巳くんってば!」
 ばんっとほのかがソファの背を叩き、男鹿はらしくなくびくりと肩を震わせ口を噤む。
「普通はいつもよりいっしょにいられるから嬉しいなーとかそーゆーこと言うわけよ! 恋人と一緒にいるんならね! 雪なら余計ロマンチックな感じになるし! ならないの? ならないわけ? なんでならないの? てゆーかなんで辰巳くんってそーなわけ? お兄ちゃんのことちっとも考えないで自分のことばっかり! 雪だと帰れないなってことは一緒にいろよって意味だってなんで思いつかないかなぁ?」
 あーやだやだ、とほのかは辟易した顔でソファから立ち上がる。
 古市はこっそりと隣を盗み見る。男鹿は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてほのかを凝視していて、さっきからぴくりとも動いていない。
「あたし、今日と言う今日は辰巳くんのこと見損なったわ」
「あだー……」
 なぜか青ざめた顔をするベル坊をちらりと一瞥し、ほのかはやれやれと溜息を吐く。
「お兄ちゃんももっと大事にしてくれる人見つけた方がいいと思うよ!」
 妹に言われるにしては微妙な言葉に、古市はへらりと頬を緩める。
「うーん……でもまぁこいつもそれなりにいいとこもあるわけで……」
「それなりじゃ駄目なんだよ! 絶対このままだと苦労するよ! 今でも充分苦労してると思うけど! 今以上に苦労することになるんだよ! だってこんだけ人の心の機微ってものが解らない辰巳くんだし!」
「はぁ、まぁ、じゃあ前向きに検討しときます」
「そうした方がいいよ絶対!」
 ほのかはぷりぷりと怒りながらリビングを出て行く。バンッといつもよりも強めにしまるドアに、ハッと我に返った男鹿が、引きつった顔を古市へ向けた。
「なんだありゃ。ほのか、どーかしたんか?」
「彼氏と別れたんだと」
「え」
 古市は、あー寒い寒い、と肩を竦める。リビングのドアの開閉で冷たい空気が入ってきたように感じられるのだ。実際は床の冷たさなど解らないのに、なんとなく足を踏み替え、ボアソックスの中で爪先をぎゅぎゅっと動かしてみる。
 古市家にはこたつがないので、こんな時は男鹿家にいれば良かっかったな、と思う。男鹿家のリビングにはこたつ様がでーんと幅を効かせていて、そこに足を突っ込んでみかんを食べる至福のひと時と来たら例えようもない。
 今からでもアランドロン使って男鹿家に行くかなぁ、と考えかけた古市だが、いやでもやっぱり寒くてもいいから、二人きりでいられるこっちの方がいいか、と思い返す。
 ソファにちんまり座ってお茶を啜るアランドロンをちらりと見ると、それだけで察したかのように、あらいやだ、とアランドロンは頬を染める。そそくさと席を立って台所へ引っ込む人の心の機微に敏い悪魔とは裏腹に、こっちの悪魔は人の心の機微には疎いなぁ、と古市は隣を見て、ん、と首を傾げた。
 男鹿がぽかんと呆けた顔をしてほのかの出て行ったドアを眺めていたのだ。
「男鹿?」
 どした、と顔を覗き込んでも、男鹿の反応はない。
「あだ?」
 ベル坊も下から男鹿を見上げているが、やはりこちらにも気付かない。ベル坊と顔を見合わせた古市は、男鹿の顔の真ん前でひらひらと手を振る。
「おーい、おがくーん?」
 それでようやく気付いた男鹿が、かかかかかっ、と変な声を上げた。
「お、どうした男鹿、とうとうおかしくなったか。あ、前からか」
「彼氏って!」
 男鹿が焦ったように古市の腕を掴む。
「彼氏って、どういうことだ!」
「は? 何が? あ、ほのか?」
「彼氏いたのかあいつ! 聞いてねぇぞ!」
「あれ、そだっけ? クリスマス前にできたつってたけど、て言うか男鹿くん痛いです」
 腕をぎりぎりと掴む手をぺちぺちと叩くと、男鹿はハッと手を離しはしたけれど、今度は両肩を掴みがくがくと揺さぶってくるので気持ち悪い。
「どういうことだよ彼氏って! まだ早いだろ! ほのかには彼氏はまだ早いと俺は思うぞ!」
「ああそーっすねちょっと早いかもしんないけどでももう中学生だし彼氏の一人や二人いたっておかしかねーですよ男鹿くんなんなのお前のそのテンション気持ち悪い」
 揺さぶるのを止めてくれないので古市は思い切り向う脛を蹴り飛ばしてやった。さすがに悲鳴を上げるまではいかなかったものの、何すんだよ、と不貞腐れた顔をするので、いやいやお前が何してくれてんだよ、と男鹿の手を振り払う。
「ほんと何なのお前。ほのかに彼氏がいたからどーだっつーんだ」
「いやだってお前ほのかに彼氏って……うぉおおなんかショックだぞ俺は……多分これはあれだ、娘を嫁にやるようなそんな気分」
「……アホか」
 ヘッと古市は溜息を吐く。
 古市にしてみればほのかに彼氏がいたからと言って取り立てて騒ぐほどのことでもないし、それよりもそちらに気を取られて二人きりのこの状況なのに何もしてこない男鹿の方が腹立たしい。
 ほのかに彼氏なぁ、とぶつぶつ呟く男鹿に、古市はむぅと口を曲げた。
「ほのかに彼氏がいたからなんだっつーの。もう別れたからいいだろ。それよか折角の二人きりなんですけど! あ、ごめん、ベル坊もいたな。三人きりなんですけど! それでもほのかの彼氏について延々考えてたいわけ?」
 二人きりと発言するなり、だだだっ、とベル坊にものすごい勢いで主張され、ごめんごめん、と古市は謝る。ふいー、と額の汗を拭うふりをするベル坊は、自分がカウントされていることが解ると、安心したように頷いている。
 一瞬何を言われたのか解らないような顔をした男鹿に、古市はこくりと頷いた。
「三人きり」
 ほれ、と両腕を広げて見せると、男鹿はへにゃりと眉を下げ、ふるいちーっ、としがみついてくる。背中に回る腕にがっちりと抱え込まれ、首に顔を突っ込まれてぐりぐりと額を押し付けられる。まるで大型犬に懐かれているような気分だが、悪くはない。
 悪くはないどころか、最高だ。
 さっきまでの寒さを忘れるくらい心も体も暖かい。
「今日は一日イチャイチャできるぞー」
 外はあんな調子だしな、とまた降り始めた雪に目をやり、もしかしたら明日もいちゃいちゃできるかもなー、と笑う。男鹿の背中に置いた手は男鹿が薄着のせいで、すぐに体温が伝わって暖かい。
 幸せだなー、とへらりと頬を緩めた時、ぎゅうぎゅうと抱きつく男鹿から、ほのかに彼氏かぁ……、と恨みがましい声が聞こえ、古市はぐるりと大きく目を回した。
 結局、男鹿の頭からほのかは追い出せていないようだ。
 我が妹ながら妬ましい……、と言うかそれだけ男鹿にとってほのかが身内感覚なのが嬉しくもあるが、折角の二人きりを邪魔されるので迷惑と言えば迷惑だし嫉妬のような気持ちもあるし、複雑だ。
 男鹿の足元にいたベル坊と目が合ったが、ベル坊は両手を広げ、まるで外国人並みのオーバーアクションでやれやれと首を振って見せる。これはもう手におえないと言わんばかりの表情に古市は思わず吹き出してしまう。
 ベル坊のアクションが見えないせいで、自分が笑われていると思ったらしい。何がおかしいんだよちくしょー、と唸りながらも、ふるいちー、と甘ったれた声で懐く男鹿は可愛らしくて、ちょっとばかり抱いたほのかへの嫉妬も吹き飛んでしまう。
 構って撫でてとぐいぐいと肩に額を擦り寄せる男鹿のぴょこんと寝癖のついた髪の毛を、古市はよしよしと撫でてやった。




愛するダーリンへ。
お誕生日おめでとうございます! いつもありがとう!
ダーリンあってこその私だと常々土下座したい思いでおります。
これからも末永く幸せでいてね!!
琵琶湖一杯の愛を込めて! らぶちゅちゅ(≧3≦)