sleep more kiss


 魔界の風物詩は生死に関わる、と古市は眠い目をこすりながら思った。
 ここ数日、ベル坊のとんでもない夜鳴きのせいで石矢魔周辺の住民は慢性的な寝不足に悩まされていたのだ。おかげで石矢魔高校の不良どもも名物の喧嘩や器物破損に勤しむ余裕もなく、みんなすぴすぴ寝息を立てている。
 古市も例外ではなく、割と真面目に受けている授業中も欠伸が止まらない。最も、教師も黒板にもたれかかって寝ている有様なのだから、授業中に寝ようが寝まいが同じような気もする。
 古市ですらこうなのだから、毎晩一緒にいる男鹿はもっとひどい。
 今も背中にベル坊をひっつけたまま机に突っ伏し、ぴくりとも動かない。呼吸音すら聞こえないほど寝入っているのか、とうとう死んだかのどちらかだが、男鹿の背中のベル坊もすぴすぴ寝入っているのを見て、古市は男鹿を揺さぶった。
「おい、男鹿! 起きろ! ベル坊が寝てるぞ!」
 男鹿の身を力ずくで引き起こし、前後左右にがっくんがっくん揺さぶると、寝息を立てていたベル坊がぱちりと目を覚まし、あいーっ、と嬉しそうに歓声を上げる。
「おっ、嬉しいか、ベル坊! よし、もっとやってやる!」
 ぱちぱち両手を叩いて喜ぶので、よっしゃとばかりに古市は渾身の力で男鹿を揺さぶった。首がありえない角度と方向に揺れまくっているが男鹿の身を案じている余裕など今はない。
「だーっ! うぃいいーっ!」
 ベル坊の歓声が響く中、同じクラスの不良どもが、うわあいつすげぇ、男鹿相手に何やってんだ、つかあいつあんな力あったっけ、と遠巻きに古市を眺めている。
 古市がなけなしの体力と腕力で男鹿を揺さぶり、ベル坊をきゃっきゃっと喜ばせていると、ようやく意識を取り戻した男鹿がぐわっと古市の胸倉を掴んだ。
「って痛いわアホ市! 首の骨へし折れっだろーがぁっ!」
「つかテメェが何すんだアホ男鹿! 足付いてねぇし超怖ぇだろうが!」
 男鹿に胸倉を掴まれ片腕で吊り上げられた古市が思いきり足をばたつかせ男鹿を殴る。とは言っても古市の腕力なので男鹿にはまったくダメージもなく、おお悪ぃ、とただ謝らせて床におろさせるだけに留まったが、古市としてはそれで十分だ。
「ベル坊が寝てたんだよ! 夜に寝かせるために昼寝はさせないっつってただろ。だから起こしたのに」
「あー寝てたか…すまん」
 ぽりぽりと頬をかき、男鹿がぺこりと頭を下げる。解りゃいいんだよ、と古市は眉を寄せ、期待に満ちた目で男鹿と古市を見比べているベル坊を、男鹿の背中からひょいと取り上げた。
「とにかく昼寝禁止! ベル坊も今寝ると夜寝れなくなっちゃうからなー。ちょっとつらいけど我慢しろよー」
 泣くなよー、と揺さぶってあやしていると、男鹿がくあぁあと大きな欠伸をする。その目の下には誰よりも濃い隈があり、目も血走っている。そりゃそうだよな、と古市は若干同情した。
 誰よりもベル坊の側にいるせいで、誰よりも一番夜鳴きの被害を受け、おまけに電撃攻撃にもさらされ、更には家族やご近所から怨念のこもった目で見られているのだ。家族はまだ理解があるからいいとして、男鹿父のスライディング土下座にも和まないご近所から恨みがましい目で見られるのはさしもの男鹿もそろそろ辛いだろう。
 古市はベル坊が腕の中でご機嫌な声をあげているのを確認し、ぼーっとゾンビのような顔で立ち尽くしている男鹿に言った。
「起こしといてなんだけどさ、お前、ちょっと寝たら? しばらくならベル坊も大丈夫だろうし、俺、見てるしさ。そんなんじゃ身体もたねぇだろ」
「おー……って、いいのか? お前も寝てねぇだろ。顔見てりゃ解るんだからな! 俺がベル坊見てるから、お前寝ろ! いいから寝ろ!」
 びしっと指を突きつけて言われ、古市は思わず苦笑した。
「俺はいいよ。ベル坊の電撃も食らってねぇし。ヘッドホンしてりゃまだマシだしな。よし、ベル坊。裏庭に行こうぜ。お外で遊んだら気持ちいいぞー。男鹿も裏庭でいいよな?」
 ダァッ、と顔を輝かせたベル坊と、おー、と覇気のない男鹿を連れ、古市は裏庭を目指した。
 途中の校内の至るところには死屍累々と不良たちが転がっている。死んでいるわけではなく、夜の寝不足を解消すべくぐっすりと夢の中だ。中には廊下の真ん中で大の字になっていたり、窓枠にひっかかったまま寝ている者もいるが、そこまで眠いのならわざわざ無理して学校に出てこないで家で寝てりゃいいのに、と古市は大の字になっている不良をまたぎながら思った。
 ちなみにその不良は男鹿に思い切り蹴飛ばされて飛んでいったが、悲鳴もうめき声も聞こえなかったので相当深い眠りについているのだろう。永眠していなければいいが。
 校内の至る所に転がっていた不良どもも、さすがに裏庭にはいなかった。
 芝生が広がり、そこそこ日当たりもいい裏庭など絶好の昼寝ポイントだろうに、裏庭にまで出る気力が寝不足の高校生にはなかったのか。
「ほら、ベル坊、芝生だぞ」
 古市がベル坊を芝生の上におろしてやると、あいー、とベル坊が芝生の上にぽてんとひっくり返る。ごろごろと転がり、だーだー、となにやら楽しそうにしているので、古市もその近くに腰を下ろした。
 ふぁと欠伸をかみ殺し、あー、と見上げるベル坊に、外はやっぱ気持ちいいなぁ、と古市は笑みを向ける。そんな古市の横にどさっと身体を投げ出すように腰を下ろした男鹿が、くそー、と呻き声を上げた。
「ヒルダのヤツ、早く帰ってこねぇかな」
 ごしごしと目をこすり、男鹿が恨みがましい声で唸る。昨日の夜からヒルダは魔界に帰っていると古市も事情は聞いていた。
「ベル坊の玩具探してんだっけ?」
「おー…なんか、すげー気に入ってるヤツがあるから、それがあれば一発で寝るって」
「早く見つかるといいな」
 そしたらお前もゆっくり寝れるもんな、と古市は苦笑する。
 確かに古市も寝不足で辛いのだけれど、男鹿の比べ物にならないことはよく解っている。今も眠いけれど、堪えきれないほどではない。けれど男鹿は今にも上瞼と下瞼がくっつきそうなほどだ。思わず手を伸ばし、よしよし、と男鹿の頭を撫でてやると、あだーっ、とベル坊が声を上げる。あいーっ、と叫び、古市の膝に頭をごいごい押し付けてくるので、古市は笑い声を上げた。
「なんだよベル坊。お前も頭撫でてほしいのかー?」
「あいーっ!」
 ごいっと押しやられた緑色の頭に、古市はぽんと手を乗せる。芝生みたいな髪は赤ん坊特有の柔らかいもので、撫でると心地よい感触が手に返る。あだあだとご機嫌のベル坊に、このまま夜まで寝かさないようにして…、と古市が考えていると、すぐ間近で、古市、と名前を呼ばれた。あん、と振り返ると、ぼやけるほど近くに男鹿の顔があり、避ける間もなく唇を奪われる。
 ここは学校だ、と慌てたのも束の間で、ついばむようなキスと逃げる古市をなだめるようなキスの繰り返しに、すぐに古市も目を閉じて男鹿の唇が齎す心地よさに酔う。そう言えばベル坊の夜鳴きがひどくなって、男鹿の部屋で遊ぶことも少なくなったので、自然とキスやなんかの回数も減っていた。しばらくぶりのキスに古市からも舌を絡めると、男鹿がちょっと驚いたように舌をびくりと強張らせる。それが面白くてまた古市から深いキスをしかけた。
 息を吐くために唇を離し、男鹿の濡れた唇を指先で拭ってやると、お返しのように古市の唇を男鹿が舐める。そのまま頬に、こめかみに唇を押し当てた後、男鹿はぽすりと古市の薄い肩に額を押し付けた。
「あー…押し倒してぇ……。押し倒して脱がしてぇ…セックスしてぇ……」
「……お前、心の声が漏れてるぞ」
 頬を引きつらせてそう言うと、男鹿はそのままずるずると古市の背を伝うように芝生の上へ倒れこむ。ぴったりと古市の背中にくっつくように芝生の上に横たわった男鹿の腕が、古市の腹に後ろから周り、ゆるく抱き込まれる。
「してぇけど、眠くてそれどころじゃねぇのが辛い」
「だから寝ろって」
 軽く首を曲げて男鹿を振り返ると、おー…、と目の下に隈をくっきり作った男鹿は、すでに目を閉じて船を漕いでいる。右手を枕に、左手を古市の腹へ回し、すっかり寝付く体勢だ。絶対に夜鳴きが収まったら朝までヤル…、と不穏なことをごにょごにょと呟いたっきり夢の中へ落ちていった男鹿を、あいー、とベル坊が覗き込む。ぺちぺちと小さな手で顔を叩き、それでも起きない男鹿にじれたのか、やはり小さな手で頬を掴むベル坊を、ふぁと欠伸をしながら古市は抱き上げた。
「あだー!」
「ちょっと寝かせてやろうぜ、ベル坊くん。お前の保護者は疲れてんだよ」
「あーだーだー」
「赤ん坊は泣くのが仕事だってうちの母親も言ってたけど、お前の夜鳴きは半端ねぇからなー。寝られるときに寝かせてやるのが魔王ってもんだ」
「あだ!」
「ヒルダさんが玩具持って帰ってきてくれるって言ってるし、それまでは昼起きて、夜にぐっすり寝ようぜー」
「あー」
 解っているのか解っていないのか。
 古市の膝の上で片手を上げてベル坊が、あだっ、と頷く。本当に解ってんのかねぇ、と芝生の上に再びおろすと、ベル坊はごろごろと芝生の上を転がって一人で遊んでいる。少し遠くまで転がっていったので、まだまだ余裕はかなりあるけれど、うっかり十五メートルを超えられてはかなわない。
 ベル坊を連れ戻そうと腰を上げようとした古市だったが、後ろから回った男鹿の腕ががっしりと腰を抱え込んでいるので身動きが取れなかった。腕をはずさせようとしても、男鹿の腕にこめられた力は強く、起きてんのかと振り返ったが男鹿はやはり夢の中だ。ここ数日、いつも眉間にくっきりと刻まれた溝も、今は取り除かれてくつろいだ顔だ。
 起こすのはかわいそうだな、と古市は溜息を吐き、男鹿の髪を撫でる。ふっと安堵するようについた吐息が可愛らしい。
 幸いベル坊もまた転がって戻ってきたので立ち上がる必要もなくなった。
 きゃっきゃっと歓声をあげ賢く一人遊びに興じるベル坊を視界に捕らえながら、古市はせめて夢の中だけでもゆっくりと過ごせと、腹に回った男鹿の手に己の手を重ねると、男鹿の指が古市の手指にするりと絡む。
 無意識のその甘さに古市は笑みを誘われ、絡んだ男鹿の指先にそっと小さなキスをした。


アニバブ何話目か忘れましたがベル坊の夜鳴き回(別名男鹿父土下座しまくるの回)の感想もどき小説です。
やっぱり何をどうしてもナチュラルに夫婦なおがふる。
男鹿が古市を好きすぎてどうしようなのはデフォルトなんですけども、古市も男鹿を好きすぎてどうしよう。