幸せの黄色いスニーカー



 目の前で黄色のスニーカーが炎上し消し炭と化すのを見て、男鹿は、あー…、と聊か遠い目をしてしまった。古市はわーわーと大騒ぎして、それは八時間も並んで買ったスニーカーだと訴えている。
 そう、確かに八時間も並んだ。
 思い返せば半年前、寒い冬の日だった。何かの雑誌を見ていた古市が突然、明日買い物に行くと宣言し、読んでいた雑誌をばっと男鹿の眼前に突き出したのだ。例によってドラクエをやっていた男鹿は眉間に皺を寄せた。
「んだよ古市、見えねーじゃねーか。すごろくやってんだ」
「すごろくなんかどーだっていいだろ、どうせお前の運は最悪なんだから大した駒出ねぇだろ! それよか見ろよこれっ! すごくね? これ履くとモテるんだって! すごくね?」
 古市が目をキラキラ輝かせながら男鹿に見せつけていたのは、ファッション雑誌の見開きをまるまる使ったスニーカー特集だ。その中でも一番紙面を割かれているのが派手な黄色のスニーカーだ。
 煽り文句の『これを履けば君もモテモテ! 幸せを呼ぶ黄色のスニーカー!』が特大フォントでばばーんと目に入ってくる。
「……ダサッ」
 思わずそう呟くと、なんだとっ、と古市は頬を膨らませる。
「ダサくねーよ! いや、ダサく見えるかもしんねーけど、これ履いたらモテモテなんだぞ! すごくね? なぁこれすごくね? 俺、絶対これ買う! 明日買いに行く! 明日だけ特別イベント組んでてちょっと安くなるみたいだし、俺、明日これ買いに行くから、お前邪魔すんなよ!」
 イベントを組む販売店が割合近くにあると言うことで、古市は早速そのショップの情報を集めようと携帯をぽちぽちし始めている。
 男鹿はファッション雑誌をちらりと見て、顔を顰める。
 派手な黄色のスニーカーにはこちらも派手な青いラインが入っていて、お世辞にもかっこいいとは言い難い。男鹿も自分にファッションセンスが備わっているとは思っていないが、これを履いたからと言ってモテるわけもないだろうと言うくらいのことは解った。だって、ダサい。
 ま、こんなダサいの買おうとするやつなんていないから、すぐに行って帰ってくるだろ、と男鹿はまたテレビに目を向ける。ゲームの中のすごろくに精を出していると、え、マジで、と古市が声を上げた。
「今度はなんだよ」
 また目の前に携帯電話を突きつけられてはたまらないと振り返ると、ベッドにもたれていた古市が身を起こし、携帯の画面に見入ったままじりじりと這いよってきた。
「なんか、違うとこで同じイベントが先週あったらしいんだけどさー、それ超並んでたんだってさ。行った人が八時間並んだってブログに書いてる」
「あー八時間? んなダッセー靴買うのに八時間も並ぶのかよ。ばっかじゃねぇの?」
「何言ってんだよ男鹿! 馬鹿じゃないよ! だってこれ履いたらモテるんだぞ! 馬鹿じゃない! 女の子にモテモテ!」
 むうっと膨らんだ古市の頬を、男鹿は片手でむいっと掴んだ。頬に溜め込まれていた空気がぶふっと吐き出され、男鹿の手の下で頬がへこむ。
「他の奴にモテてもしゃーねーだろ、俺にモテてんだからそれでいーだろーが」
 ああん、と眉間に皺を寄せれば、むー…、と古市は頬を掴まれたまま唸り声を上げる。
「男鹿にモテても意味ねぇんだよ! 俺は女の子にモテたいんだよ!」
 むいむいと頬を圧迫していると、古市の顔は不細工になる。それがまた口を尖らせているのだから余計に変な顔になっていて、男鹿は、たかちんも黙ってたら綺麗でかっこいいのにねぇ、と残念そうな溜息を吐く美咲の言葉を思い出した。
 黙ってたらモテるのに、と続いた言葉に、男鹿はヘッと息を吐く。
 モテさせてたまるか、とむいむい頬を押し続けているが、古市は気にせずちらっと壁掛け時計を見上げた。
「八時間かー…ショップが十時から開くから、それの八時間前っつーと……うわ、夜中の二時かよ! あー…どうしよっかなー…二時かー…」
 うーんと唸り声を上げる古市を前に、男鹿はほとほと呆れ果てた。
「考えるまでもねーだろ。行く必要ねーだろ。なんでそんなダッセー靴買うのに八時間も並ぶつもりなんだよ。しかも夜中の二時って、テメー一人で並ぶつもりか、ああっ?」
「えー…だって男鹿ついてこねーだろ? そしたら一人で並ぶっきゃねーじゃん。他にも一杯並んでる人いるだろーし、しゃべりながら待つよ」
「アホかテメーは! 夜中の二時に出歩くなっつってんだ! 何かあったらどーするつもりだッ! しかも今冬だぞっ? 風邪引くだろーがっ! この極度の寒がりが何言ってんだ!」
「………厚着してくから平気だし」
 外の寒さを思い出したのか、一瞬考えるような素振りを見せたが所詮は古市だった。モテるためなら絶対買いに行く、と意地を張る古市を前に、あーもう、と男鹿はがりがりと髪をかきまわす。
 こうなった以上、古市は絶対に何が何でもあのスニーカーを買いに行くだろうし、それが夜中の二時だろうが三時だろうがお構いなしに出かけるだろう。閉じ込めておこうとしても無駄だ。そういうことにかけては天才的な頭脳を発揮する古市は、男鹿を口八丁手八丁で丸め込んでこっそり抜け出すに決まっている。黙って抜け出されて、夜中の二時に寒空の下、他のモテない男どもと一緒に並んで、何かしでかされるよりは最初から一緒にいた方がいい。
 自分の精神安定的にもそっちの方が断然いい。
 男鹿ははぁっと大きな溜息を吐くと、ドラクエを中断セーブした。
「あれ、もういいのか?」
 突然ゲームを止めた男鹿をきょとんと見上げる古市の腕を引き、男鹿はベッドへ寝転がる。
「え、何、今から寝んの? まだ夕方だぜ?」
「仮眠取るんだよ。夜通し並ぶんだろーが」
 ぽんぽんと傍らを叩いて示すと、え、と古市がぱぁっと顔を輝かせた。
 銀色の髪が夕暮れの光をキラキラと反射してとても綺麗で、一般的な日本人とは違う色をした目も嬉しそうにキラキラと輝いている。
「一緒に行ってくれんの?」
 マジでっ、と勢い込む古市に背を向け、あー行ってやる行ってやる、と男鹿は欠伸をする。やった、と喜ぶ古市がベッドに上がり込み、男鹿の隣に寝そべる。そしてぼんぼんと男鹿の背中を叩き、枕がねーぞ、と枕を要求する。つまりは男鹿の腕だ。寝返りを打ち、古市の持ち上げた頭の下に腕を差し入れると、へへっと笑う男がすり寄ってくる。猫のようなしぐさに思わず髪を梳くと、付き合ってくれるお礼に朝マック奢ってやるからな、と非常に嬉しそうだ。
 あーそれで手ぇ打ってやる、と言いながら男鹿は目を閉じ、履いたってモテないだろうスニーカーを買うために目覚ましをかけようと古市がいじる携帯電話の電子音を聞いていた。
 そして夜の十時、終電で目的地へ移動しなければならないし、ちょっと何かお腹に入れて行こうぜと古市が言うので、予定よりも早く男鹿は家を出た。心配されるかもしれないので一応親には言って家を出たのだが、たかちんそんなの履いたってモテないわよー、と笑う母親はそれでも古市が可愛いらしく、肉まんでも食べなさいと千円をくれた。毎度思うが男鹿家の人間は古市には甘い。
 ショップのある駅につき、駅の近くのファミレスで夜食を食べてだらだらして、二時前にファミレスを出る。頬が切れそうなほど冷えた空気のを中を、ショップに向けて歩いていると、前方に人だかりが見えた。
「おい古市、あれか?」
 指をさすと、うげ、と古市が顔を顰める。
「もうあんな並んでのかよ」
 ショップのスタッフらしき人が『最後尾はこちら』と書いた看板を掲げていて、古市は迷わずその列に並ぶ。古市情報によるとショップはまだまだ先で、角を曲がり、更に角を曲がり、交差点を渡って更に曲がったところにあるらしい。おいおい今からこんなんじゃ八時間以上並ぶんじゃねーの、と思いながらも、古市一人を放り出して帰る気にはならないのが男鹿だ。
「これ、一人で来てたら絶対途中で心折れてたなー」
 長く続く行列の先を見ようとぴょこんぴょこんと背伸びをしながら、古市が笑う。
「あ、DS持ってきたし、対戦しよーぜ」
 ショルダーバッグからニンテンドーDSを取り出す古市に、それでそんなに荷物があるのかと男鹿は納得した。普段あまり荷物を持たないくせに、今日はあれこれ鞄に詰めているので何事かと思っていたのだ。
「他に何入ってんだよ、その鞄」
「え、携帯の充電器と、漫画と、お茶と、それから他のソフトも入ってるぞ。あ、お菓子もちょっとある。食う?」
「いや、今はいらねぇ」
 そう言いながら男鹿は古市の肩から鞄を取り上げる。案の定重くて肩にかけるとずっしりきたが、古市は気にせずに、今日は負けねー、とDSの画面に見入っている。
 一時間し、二時間するとさすがに飽きてくる。周りを見れば用意周到に寝袋なんかを持ってきている奴もいて、そんなにしてまであんなダッサイスニーカーが欲しいかねぇ、と男鹿は首を捻る。近くのショップのウィンドウの先に腰を下し、男鹿はくあぁあとでっかい欠伸をする。古市も欠伸をして目をこすった。
「あー…ようやく四時かー…まだまだ先は長いなー…」
「つかあんだけ寝たのにまた眠くなってきたっつの」
「しかもまたちょっと寒くなってね? 明け方って冷えるよなー」
 古市がぶるっと震え、コートの上から身体を摩っている。もこもこのダウンジャケットを着てマフラーも巻いて、それでも古市は寒いらしい。
「おい古市」
 ひょいと手招くと、うー寒い寒い、と言いながら古市は男鹿の元へやってくる。ウィンドウの先に腰を下す男鹿の膝をまたいで座り、男鹿が開いたコートの中へ身を摺り寄せる。
「うはーあったけー!」
 男鹿の耳元で古市が満足そうな声を上げる。人間湯たんぽだ、と喜ぶ古市をそのままにうつらうつらしながら数時間をすごし、ようやく朝日がさし始めた頃、男鹿の腹がぎゅるぎゅると鳴った。男鹿の肩に顎を乗せて目を閉じていた古市が、あー…、と声を漏らす。
「俺も腹減ったし、朝マック買って来ようかなー」
「体動かしてーから、俺行ってくるわ」
「ん。あ、これ財布。俺、ポテトも食いたい」
 差し出された古市の財布を受け取り、男鹿は列から離れる。駅に戻る道の途中に確か店があったと歩きはじめると、後ろに並んでいた数人が、妙にイライラした目で男鹿と古市を見比べていた。なんだ、と首を傾げつつ、古市に余計なちょっかい出さないうちに帰って来ようと足を早める。列はとんでもなく長く続いていて、マクドナルドを見つけてからも、もっと先まで続いている。
 あんなダサいスニーカー欲しがる奴がこんなにいるもんなのかと改めて感心しつつ、買い物を済ませて戻ると、古市はぽちぽちと携帯電話を弄りながら待っていた。
「あ、おかえりー」
 財布を返そうと差し出したが、手を出さないのでショルダーバッグに突っ込んだ。
「手、どうかしたのか?」
 携帯電話を持っていない方の手をコートのポケットに突っ込んだままなのを不思議に思って尋ねると、古市は眉を寄せる。
「だって寒ぃじゃん」
「それじゃどうやって食うんだよ。携帯しまうか、手出すかしろ」
 いい匂いのする袋を目の前で振ると、古市はむーっと唸り声を上げた後、いいことを思いついたとばかりにぱっと顔を明るくする。そして、あ、と口を開くと、ポテト、と言った。
「男鹿が食わせてくれりゃいいじゃん。携帯いじれるし、手出さなくて済むし」
「………お前、どんだけ寒がりなんだ」
 よくもまぁそんな寒がりでこの寒さの中八時間も並ぼうなどと思ったものだ。
 男鹿は半ば感心して、紙袋の名からポテトをつまみだす。一本一本食べさせるのが面倒なので、まとめて五本口に突っ込んでやったが、文句を言わなかったので再び口を開いた時には十本突っ込んでやった。さすがにこれには文句を言われ、五本単位でポテトを与えることにする。自分も食べながらだから結構忙しい。
 ポテトはまだ食べさせやすいから良かったが、ハンバーガーとなるとちょっとコツがいる。古市は大きく口を開いているが、それでも口の端にマスタードやらソースやらがついてしまうので、その度に拭ってやらなければならない。携帯電話を弄り終えたのに、両方の手をポケットに突っ込んでしまった古市に朝マックを食べさせ、自分もその合間を縫って食べ、はー満足、と笑う古市を置いてゴミを棄てに行く。やっぱり列を離れるときに回りからジト目で睨まれたが、多分男鹿たちがハンバーガーを食っていたから羨ましかったのだろう。そりゃそうだな、と男鹿は納得しながらゴミを捨てる。
 古市は男鹿を連れてきていたから食料を調達にも行けるし、トイレにも行ける。一人で来ていたら身動きもできず八時間ずっと待ちっぱなしだ。そりゃあ大変だ。やっぱ古市一人で行かせなくて良かった、と思いながら男鹿は列に戻り、古市とどうでもいい話をしながら開店までの時間を潰していた。
 その間中、周りから突き刺さるような視線を感じてはいたが、古市は気付いていないようだったし、男鹿は最初から気にもしていない。誰かに見られていても喧嘩を売られなければ男鹿はどうでもいいのだ。
 八時間並んだあの日のことを思い出しながら、男鹿は消し炭になったスニーカーを前に涙にくれる古市を見やる。
 それ履いたってモテなかったから別にいーじゃねぇか、と慰めるつもりで声をかけると、これからモテる予定だったんだよ男鹿のばかぁああ、と泣きつかれた。エロ本を燃やされたのもショックだったらしい。めそめそと泣きながらお宝が消えたショックを訴える古市の頭を撫でながら、また同じようなネタで八時間並ぶことになっても、自分は古市について行くんだろうな、と蒸し暑い部屋の中でぼんやり男鹿は思っていた。





周りはきっと、男鹿が黄色のスニーカーを買いに来たんだと思ってます。
そう、黄色のスニーカーを買ってもてたいと思ってるはずの男の横にはなぜか可愛らしい彼女が!
暗がりだしね。もこもこしてるしね。古市可愛いしね。彼女に見えても仕方ないよね!
なんでお前そんな可愛い彼女がいるのにモテるスニーカー買いに来てんだよ!って突っ込みたいのを堪えてるのに、目の前でいちゃこらいちゃこらいちゃこらと…。
何はなくともナチュラルにラブいおがふるが好きです。
でもってナチュラルにいい彼氏な男鹿が好きです。