アイスとティラミスとパンナコッタ


 アイスクリームがなくなったら帰りに買ってこいと携帯にメールが入ったのは、古市が図書館にいる時だった。
 家にいると男鹿が遊びにきてゆっくりできないし、かと言ってどこかへ出かけてみてもなぜか居場所が男鹿にばれて連れ戻されるか男鹿がくっついてきてしまう。今日も今日とて勝手に部屋に上がりこんできた男鹿に、図書館に行く予定だと告げ、お前も行くかと尋ねてみれば、俺は行かないと嫌そうに顔を顰めて退散してくれた。
 思いがけず得た自由の時間を満喫すべく、古市は図書館で読書三昧の時間を送った。
 図書館とは言っても男鹿が知らないだけでカフェスペースもあるし、漫画もある。読書の邪魔にならない程度の音楽もかかっていて、冷房も効いている。男鹿やアランドロンに情け容赦なく乱入される自分の部屋よりよっぽど快適だ。
 昼過ぎに図書館にやってきて、窓の外はそろそろ夕焼けの頃合だ。
 そろそろ帰ろうかなと腰を上げたところで、まるで見ていたかのようなタイミングで届いたメールに、野生の勘か…、と頬を引きつらせた。メールを開いてみればアイスクリームの催促に、がくりと肩が落ちる。
 コンビニは帰り道にあるし、男鹿の家は自宅への通り道にある。図書館からの帰りに男鹿の家に寄るとは言っていないけれど、まぁ寄ってやってもいいか、と古市が携帯電話をポケットにしまおうとすると、再びメールを受信したと携帯電話が震えて教える。見れば、本文はなく、添付ファイルがあった。
 メールなど用件が伝わればいいと絵文字すらない男にしては珍しい、と添付ファイルを開いた古市は思わずブッと吹き出し、慌てて口元を押さえていた。図書館ではお静かに、と言葉にはしないものの、司書さんが横目で睨みを利かせる横を通り抜け、古市は再び携帯電話に目を落とした。
 男鹿が送ってきたのはベル坊の写真で、行き倒れのように倒れ伏したベル坊が、チョコミント求む、と書いた紙を掲げている。こんな写真撮ってる暇があれば自分で買いに行けばいいのに、と思っていると、またもやメールが届く。本文なしの添付ファイルだけのメールに、古市はちょっと覚悟をしながら添付ファイルを開き、再びブハッと吹き出していた。
 グラビアアイドルのごとく横座りをしたベル坊が、ウィンクをしつつ、ティラミスも食べたい、と書いた紙を持っている。二通目のメールは添付ファイルがふたつあってもうひとつの方は前屈みになったベル坊が投げキッスをしている写真だった。胸を隠すように、パンナコッタもな、と書いた紙を持っている。
 どちらもセクシーポーズはセクシーポーズだが、ベル坊がやったってセクシーでもなんでもなく、ただただお茶目で可愛いだけだ。
 あの男は未来の魔王様に一体何をやらせているのだ。
 古市はククッと笑い声を殺しながら、図書館のロビーを抜け、古市は携帯電話のボタンをいくつか操作し、耳元に当てた。
 呼び出し音はすぐに途絶え、おー、と間延びした声が聞こえてくる。
『写真見たかー?』
「見たから電話してんだよ。お前はベル坊に何やらせてんだ。ヒルダさんにばれたら殺されるぞ」
 笑い声を滲ませながらそう言うと、男鹿が楽しそうに声を弾ませる。
『ヒルダならここにいるぞ。パンナコッタはヒルダのリクエストだ!』
「ヒルダさんもかよ! んーと、そんじゃチョコミントとティラミスとパンナコッタだな? 他は買わないからな。つかティラミスって誰が食うんだよ…」
『ん? 古市、食うだろ? チョコミントと半分こしよーぜ』
 さも当たり前のようにそう言われ、確かにチョコミントもティラミスも好きだけどよ、と古市は溜息を吐く。
「今図書館出たとこだから、まだ時間かかるぞ。二十分くらい」
『もっと早く買ってこい。そうだなー、三十秒くらいで』
「行けるか、アホ。物理的に無理だろ」
『今すぐ食いてぇんだよ』
「じゃあ自分で買いにいけよ。そっちのが近いだろ」
『馬鹿だなー古市。この古市馬鹿め』
「古市馬鹿はテメーだ。いい加減に俺離れしろ」
『めんどくせーだろ、外に出るの。暑いしよ』
 その暑い中を人に買い物を頼むのはいいのか、と突っ込みたいところだが、相手が男鹿だとそう言う突っ込みはもはや意味がない。昔から自分中心に世界が回っていると思っている男なので、言葉巧みに言い聞かせて買いにやらせる労力を使うのがもったいない。
「あー、はいはい。じゃあできるだけ早く買って…うわあっ」
 仕方ねぇなぁ、俺って男鹿には甘いなぁ、と考えしゃべりながら歩いていたせいで、微妙な段差に気付かなかった。おまけにサンダルだったせいで足の踏ん張りが利かず、ずるっと足の裏が滑る。手から抜けた携帯電話が二メートルほど飛び、アスファルトの上でガツンと跳ねて二つに割れた。
「あーっ!」
 アスファルトにひっくり返った体勢から、大慌てで飛び起き、脱げたサンダルにもお構いなしで携帯電話に這い寄った。太陽の熱で温まったアスファルトの上で、真っ二つに割れたと思っていた携帯電話は、どうやら電池の蓋が落ちた衝撃で外れただけのようだ。電池も外れて画面は真っ暗だが、画面に傷はない。本体にはちょっぴり擦り傷があるが許容範囲だ。
「うおー…セーフ…か?」
 電池を入れ、蓋をして、恐る恐る電源を入れてみると、しばらくして、welcomeの文字が浮かび上がる。
「よっしゃ、セーフ!」
 やたら高い本体の価格設定のせいで、なかなか買い替えができないのだ。こんなんで壊れんくて良かったーっ、と胸を撫で下ろし、そういえば男鹿と話し中だったんだっけ、と思い出した。
 電池が飛んでしまったので通話も強制終了だったはずだ。
 ヤベー、早く電話しないと機嫌悪くなってるよー、と慌ててリダイヤルを押すと、能天気な着信音が真横から聞こえてくる。ん?と顔を向ければ、鼻と鼻がつくかと思う距離に目を据わらせた男鹿の顔があった。
「のわぁあっ!」
 驚いて飛びのくと、だっ、と男鹿の背中でベル坊が片手を上げた。
「なんでっ? なんでここにいんのっ? つかお前部屋から出たくねぇとか言ってなかった? なんなんだ一体!」
 パニック寸前でそう叫ぶと、男鹿は片耳に小指を突っ込み、うるせーなー、と顔を顰めた。
「いきなり電話切れっし、叫んでっしで心配したんじゃねーかよ」
「え」
 座り込んでいた古市にあわせてしゃがんでいた男鹿が、よっこらしょ、と立ち上がり、少し離れた場所に落ちていた古市のサンダルを拾ってくる。
「し、心配しちゃったの?」
 なんだか男鹿の口から聞きなれない言葉が出たようで、思わず聞き返してしまった古市だったが、おー、と間延びした声で否定しない男鹿に、かぁと頬を染めた。
 男鹿は古市の頬の赤味は暑さのせいとでも思っているらしい。立てねぇのか、と古市の肘を掴み、力づくで引っ張り上げて無理矢理立たせる。片足にサンダルをはかせてくれ、落ちた鞄も拾い上げてくれた。
「また拉致られたのかと思ったぜ」
「あー…いや…うん、ごめん」
 なんとなく悪いことをした気分で謝った古市ははたと気付いた。
「そ言えばお前、どうやってここまできたんだよ」
「あ? アランドロンのおっさんに決まってんだろ。こじ開けて無理矢理入ってきた」
 ほれ、と男鹿が指で示したほうを見れば、無理矢理こじ開けて通ってきたのは嘘ではなかったらしい。なぜか傍らの生垣に串刺しになって息も絶え絶えになっているアランドロンが、古市殿、ご無事で何より、と頷いている。
「いやいやいやお前がご無事じゃねーだろ!」
 死にかけじゃねーかっ、と叫ぶと、気にすんな、と男鹿がなぜか胸を張る。
「傷は浅い」
「お前が言うなー!」
 思わず突っ込みを入れる古市の腕をぐいと掴み、男鹿がぺたぺたとサンダルの音を響かせ歩き始める。
「早く帰ろーぜ。暑ィよ」
「おー…って、アランドロンで帰りゃいいだろ」
「馬鹿、古市馬鹿。アイス買わなきゃなんねーだろ。それにあれじゃ使いものになんねーし」
 これ見よがしにゴホッと咳き込み血を吐くアランドロンを見て、あー、と古市も頷く。
「だな。あんまし遅いとヒルダさんに怒られるしな」
「だぁ!」
「おー、パンナコッタ買わないとなぁ」
 男鹿の背中で元気よく存在を主張するベル坊の頭を撫でる。あだー、と嬉しそうに声を上げるベル坊が古市の指を掴んで、キャッキャッと笑う。
「おーおー、元気だねぇ、ベル坊君は…」
 歩き出した男鹿が、返せとばかりにベル坊の小さな手の中から古市の指を奪う。
 ぶぃーっと叫ぶベル坊の抗議もなんのその、そのまま手を引かれ歩き始めた古市は、体重がかかるたびに小さく痛む足首に顔を顰めた。
「ちょっ、待てって、男鹿」
 立ち止まって痛む足首をぐるりと慎重に回していると、不思議そうにそれを見ていた男鹿が、どーかしたのか、と尋ねる。
「んー…なんか足ちょっと捻ったっぽい。捻挫みたいにひどくはないみたいだけど」
「じゃくなんものめ」
「はいはい、それを言うなら軟弱者だよ。俺はお前みたいに頑丈じゃないの、繊細なの。あーでもちょっと痛いな、これ。あんまし歩きたくないし、アランドロン……」
 と振り返ると、さっきまでそこで生垣に突き刺さっていたアランドロンの姿はない。また無理やりこじ開けられる前にさっさと行方をくらませたらしい。くそっと舌打ちすると、古市の手を掴んだままの男鹿が首をかしげる。
「おぶってやろーか?」
「いいよ、ガキじゃあるまいし。ゆっくり歩きゃ平気だ」
「ほーか」
 男鹿は何か納得したようにこくりと頷くと、古市の手を引いたままゆっくりと歩き始める。
 普段のスピードより相当遅いが、そぞろ歩きにはもってこいのゆっくりとした歩調に、男鹿の背中でベル坊もうつらうつらとし始める。
 ぎらぎらの太陽も成りを潜め、気温が若干下がる夕暮れに、男鹿と二人手を繋いで歩いている光景を想像するとしょっぱいが、男鹿の手を振りほどく気にはなれない。
 男鹿の手は人を殴り飛ばし物を壊しもするけれど、古市に触れるときには優しく慎重になる。その手を見下ろし、古市は穏やかな気持ちで口を開いた。
「なぁ、パンナコッタはイチゴが乗ったやつにしようぜ。ヒルダさん、あれが一番気に入ってるみたいなんだ」
「抹茶は? お前、抹茶のが好きだろ」
「ヒルダさん、抹茶味のはあんまり好きじゃないってさ。なんでかねぇ、あんなうまいのに」
「ふーん……古市」
「ん?」
「帰ったら傷テープ貼ってやる」
 それ、と言われ、古市は膝小僧をすりむいていたことにようやく気付く。
 ああ、うん、と頷くと、男鹿は満足そうに笑い、また前を向いて歩き出す。
 ゆっくりゆっくり歩く男鹿と並び、そして手を引かれ、チョコミントは一番高いやつにしよう、と古市はこっそりと笑みを浮かべた。


ナチュラルに夫婦なおがふるシリーズ第二段。別にシリーズじゃないんですが、好物繋がりです。
アランドロン、意外にも扱いに困る…。
コミックスもアニバブもアランドロンが古市大好きすぎてどうしようなんだけど、おっさん、あんた魔界に娘いるんじゃなかったっけ…ってたまに心配になるくらいはっちゃけてるよね。アンジェリカは貴之ラブな父をどう受け止めているのが微妙に気になる。