オレンジ色の恋のかけら



 夏の大掃除と称して開始された美咲の部屋の模様替えに、当然のように男鹿は参加させられていた。机を運んだりベッドを移動したりと、要は重いものを移動させる係だが、逆らうと容赦なく足や拳が飛んでくるので油断できない。
 折角古市の家に遊びに行こうと思ったのに、とぶつくさ文句を言っていると、毎日行ってんだから一日くらい行かなくたって死にゃしないわよ、と美咲に睨み付けられた。
 死にはしないかもしれないが、なんとなく落ち着かない気分になる。
 早く終わったら遊びに行ってもいいわよー、と許可を得たので、張り切って荷物運びをしていると、予想以上に早く、夕暮れ前に模様替えは終わった。
「いやー、片付いたねー!」
 家具の位置を変え、すっかり様変わりした部屋を前に、美咲は満足そうで、男鹿はぐったり疲労困憊だ。
「あ、辰巳、これあげる」
 美咲からお駄賃とばかりに差し出されたのは、小さなカメラの形をした玩具だ。掌にすっぽりと収まり、プラスチックでとても安っぽい。
「あ? なんだこれ」
「それ、トイデジって言うんだけどさ」
「といでじ? なんだそりゃ」
 新手の玩具かとひっくり返したり出っ張っている部分を押したりしていると、美咲が男鹿の手からひょいとトイデジとやらを取り上げた。
「デジカメよ」
「デジカメ? これがか? むちゃくちゃ小さいじゃねーか」
「ま、玩具だからカメラとしてはいまいちなんだけど、そこが面白いって言うか……こうやって使うのよ」
 横にスライドするとファインダーらしき部分がちょこっと飛び出してくる。電源のボタンを押すと、ピッと実にチープな音がして、シャッターを押すとやっぱりピピッとチープな音がする。
「これで撮れたってこと」
「どこで確認すんだよ」
 デジカメなら液晶ディスプレイがあるはずだとカメラをひっくり返すが、玩具のようなデジカメにはそんなものついていない。
「それはパソコンで見るまで何が撮れてるか解んないのよね。たかちんに渡しといてよ。新しいの買ったから、それたかちんにあげようと思って。あの子、そーゆーの好きでしょ? 普通のカメラとは違う感じに撮れるから面白いわよ」
「解った」
 さっきは辰巳にあげるとか言ってなかったか、と首を捻りながらも、反論は許されない。男鹿は手の中のトイデジとやらを見おろし、がりがりと頭を掻いていたが、結局は、古市んち行くか、とベル坊を連れ家を出た。
 手の中でトイデジを弄びながら古市の家までの道を辿る間、そー言や普通のカメラとは違う写真が撮れると言ってたっけ、と男鹿は思い出した。
 古市にどんな写真が撮れているか見せてやったら喜ぶだろう、と男鹿はトイデジの電源を入れ、チープなシャッターボタンを押す。ピピッと軽い音は、車が横を通れば紛れて聞こえなくなってしまうが、まぁ写真は撮れているのだろう。
 電柱や、塀の上を歩く猫や、余所の家の庭からはみ出ている名前も解らない花木だとかをピピッと撮りまくる。男鹿の頭の上のベル坊が興味津々で見ていたから、ベル坊も撮ってやった。ピピッと言う軽い音にやたらベル坊はご満悦だ。
 古市の家に着くとインターフォンを押すでもなく玄関のドアノブを握る。いつもならすんなり開くそれが今日はがちっと固まって動かず、あれ、と男鹿は首を捻る。珍しく玄関に鍵をかけているらしい。
「……出かけてんのか?」
 古市家は男鹿家とは違って頻繁に外食に行ったりするので、男鹿が遊びに来ても留守と言うことはある。
「んだよ、出かけてんのかよ……」
 折角トイデジ見せようと思ったのに、と舌打ちした男鹿は、一応勝手口へ回る。そこも鍵が閉まっているのなら完全に家族全員でおでかけだが、勝手口のドアはすんなりと空いた。
「おーい、ふるいちー」
 勝手口から入り、台所とリビングを通り抜けるが誰もいない。
 鍵の閉め忘れかよ不用心だな、と自分の不法侵入を棚に上げ、古市の部屋へ入ると夕暮れ時特有のオレンジが滲む薄暗い空気の中に古市はいた。
 ベッドに仰向けになり、すかーっと寝息を立てている。ゆるやかに上下する腹の上に置かれた手には、途中まで読んでいたと思われる小説がある。本を読んでいる間に寝入ってしまったから、電気をつけられなかったのか。
 窓が開き、そよそよそと風が入り、カーテンと古市の髪を揺らしている。
「だ…っ…」
 ベル坊が大声で古市を起こそうとしたのを男鹿は止めた。
 足音と息をひそめ、静かにベッドに歩み寄る。
 滲むオレンジの夕焼けの中で、古市の銀色の髪はいつもより明るく金色じみて見えた。
 きれいな光景だ、と男鹿は思う。
 古市がいるとそれだけでその風景は特別になる。
 なんでもかんでも壊していた男鹿が、それだけは壊してはいけないと、恐々と見守るほど美しい光景になる。できるなら、後から何度でも見られるように切り取って、ノートにでも挟んでおきたいくらいに。
 そろりと手を伸ばし、寝息を立てる古市の髪を梳いた男鹿は、思わず、あ、と声を上げた。
 写真を撮っておけばいいのだ。
 携帯電話だと派手なシャッター音が鳴り響くので、古市はその音で目を覚ましてしまうし、最悪、今撮ったやつ消せっ、と携帯電話を取り上げられてしまう。過去に何度もやっているから解っている。
 トイデジなら、あの玩具のようなデジカメなら、シャッター音も響かないし、古市は男鹿がトイデジを持っているなんて知らないから、写真を撮ったのかと勘繰っても携帯電話をチェックするだけで終わるはずだ。
「………ベル坊、お前、黙ってろよ…」
 だ、と小さい声で頷くベル坊を床におろし、男鹿はポケットからトイデジを取り出した。ベル坊はベッドに縋って立ち、古市を眺めている。
 ものすごく悪いことをしている気分で、ピッと電源ボタンを押す。小さな音は思った以上に部屋には響かず、男鹿はカメラを古市へ向けた。
 オレンジ色に満ちた世界で、幸せそうな顔をして眠る古市を、写真に撮る。
 ピピッと小さな音が鳴った途端、んん、と古市がむずがるような声を上げる。男鹿は大慌てでトイデジをポケットに突っ込んだ。ベル坊もなんだかハラハラした顔で古市を見つめている。
「ん、んー……んー? あれ、ベル坊?」
 ふにゃふにゃした声を漏らし、うすらと目を開けた古市は、まず最初に自分を覗き込むベル坊の顔に気付いた。声と同じくらいふにゃっとだらしない顔をで笑みを浮かべ、ベッドに掴まり立ちをしているベル坊の頭を撫でる。
「いつ来たんだよー」
「だうー! あだっ、あい、あーっ!」
「そかー、俺が起きるまで待っててくれたのかー」
 ありがとな、と頭を撫でられベル坊はご満悦だが、多分ベル坊の言っていることと古市の言っていることはかみ合っていないはずだ。それでもお互い満足そうな顔で笑い、古市はベル坊をベッドの上へと抱き上げた。
「起きたのかよ」
 男鹿もベッドに腰を下し、おら、と古市の身体の下で折れかけてる小説を取り上げる。ベル坊を抱き上げるときに身を捩ったせいで、腹の上に乗っていたものが落ちたらしい。タイトルは男鹿の知らないもので、ファンシーなイラストが描いてある。古市はそれを受け取ると枕元に置いた。
「おー、男鹿。美咲さんの模様替え終わったんか?」
「まぁな、大変だったぜ」
「そいつぁお疲れさん」
 寝転び、腹の上にベル坊を乗せたまま、古市が男鹿の頭を撫でる。少し汗ばんだ手は優しく男鹿の頭を撫で、頬を撫でる。見つめる古市の眼差しも寝起きの険のなさも相まっていつもより柔らかい。
 男鹿は己の頬に触れる古市の手を掴み、ちゅっと音を立ててキスをする。少ししょっぱい、と笑うと、そりゃ汗かいたしな、と古市も笑った。
「クーラー入れてなかったんだよ。ちょっと涼しかったし、意外と風入るしさ。それになんかクーラー入れると喉痛くなるんだよな」
「風邪か? 知ってるのか古市、馬鹿は風邪引か」
「ねぇんだろ、知ってるよ。だからお前は風邪引かないんだよ。俺は智将だから引くの。賢いから」
 くぁああ、と欠伸をする古市の掌にもう一度キスをして、指を絡める。一本一本を丁寧に巻き付け、隙間などないようにと手を繋ぐと、古市はベル坊の背を支えながら、ほら、と顎をしゃくる。
「キスしろよ。口にまだしてない」
「テメ、起きろよ」
「だーって面倒だもーん。ほら、キスキス!」
 キスは、キス、と笑う古市の額に、まず唇を落とす。きゅっと目を閉じる瞼や、目尻にもキスを落とし、目尻はついでにべろっと舐めておいた。欠伸をしていたので少し涙が浮いていたのだ。それから頬に唇を押し付け、あ、と開いた口にもキスをする。ちゅっちゅっと音を立てて触れるだけのバードキスを繰り返し、伸ばした舌で熱い舌を絡め取る。舌先で互いの舌を舐め、口蓋を辿り、歯列に触れる。溢れる唾液が重力に従い古市の口に溜まり、古市が苦しそうに眉を寄せて、んぐ、と喉を鳴らす。
 オレンジ色の光の中でも古市の頬が赤く染まっているのが解る。
 潤んだ眼差しの中には男鹿しか存在せず、息をするために離れた唇と唇の間に、おが、と古市の声が漏れる。
 エロティックで、けれどどこか純粋であどけない表情で見上げられ、男鹿は心臓を素手でぎゅっと鷲掴みにされたような心地になった。
 ふるいち、と呼ぶと、うん、と笑う。
 もっとキス、と催促するこの表情を、トイデジで撮っておけたら、と男鹿は思い、ポケットを探るが、それを引っ張り出す前にベル坊に邪魔をされた。
「だー!」
 放っておかれたベル坊が癇癪を起したのだ。ビリビリくる電気を伴うあれではないが、男鹿の顔をぐいと押しやり、古市の腹の上で自己主張をしている。古市の顔をぺちぺちと叩き、だーだーっ、だっ、と何かを訴えている。
「んだよベル坊、邪魔すんな!」
 男鹿が睨みを利かせるも未来の魔王様にそんなものは通用しない。ぶーっ、とふてくされた顔のベル坊を見上げ、古市は朗らかな笑い声を上げた。
「あははっ、なんだよベル坊もキスしてほしいのかー? そんじゃしちゃうぞ、ちゅーっ!」
 むぎゅっと抱きしめたベル坊の頬に古市の頬が摺り寄せられる。すりすりと頬ずりをされて、ベル坊は嫌がりもせずに、きゃーっと歓声を上げた。その後押し付けられた唇は、何度も何度もベル坊の柔らかな頬にちゅっちゅっと濡れた音を立てる。
「あいーっ、だーっ!」
 寝転がったままベル坊を抱きしめてごろごろとベッドの上を転がる古市を、馬鹿め、と男鹿は見下ろすが本当に馬鹿にしているわけではない。きゃーきゃーと歓声を上げながら気が済むまでごろごろとベッドを転がり続けていた二人は、やがて、はーっとでっかい溜息をついて大の字になる。
「疲れた」
「だー」
 なんだか同じような表情で同じような恰好をし、同じような調子でそんなことを言うものだから、男鹿はおかしくなって吹き出した。なんだよなに笑ってんだよ、と不貞腐れる古市のすぐ側に肘をつく。肘で上半身を支えるようにベッドに横たわれば、古市の顔を上から見下ろす形になった。
 オレンジの光の中できらきらと光る髪を撫で、指からするするとこぼれ落ちる銀糸を掬い取る。
「おが」
 見上げる大きな眼差しに、ん、と返すと、キス、と短く要求される。
「もっとキス、ほら、早く」
 首を伸ばし口を突き出す古市に雨のようにキスを降らせる。
 お前そんなキス好きだっけ、と尋ねると、甘えたい気分なんだ、と古市は笑った。
 それはやっぱり写真に撮って残しておきたいくらい綺麗で、男鹿はキスをしながらもこっそりとポケットから取り出したトイデジのシャッターを押す。ピピッと軽い音に、繰り返されるキスに酔いしれ、目を閉じていた古市が、ん、とうすらと目を押し開く。
「なんか音しなかった?」
「あー? 外からじゃねーの? 窓開いてっし」
「ああ、誰か携帯でも弄ってんのかな」
 どれどれ、と窓の外を見ようと身を起こす古市を、男鹿は力をかけてベッドに押し戻す。
「もっとキス」
 古市の口調をまねて要求すると、古市は大声を上げて笑ったあと、よっしゃこい、と両手を男鹿の首に巻き付ける。寝起きで温度の高い身体を片手で抱きしめ、男鹿は飽きることなくキスをする。片手ではトイデジのシャッターを押していたが、それもいつの間にか面倒になって放り出し、両腕で古市の身体を掻き抱いていた。



男鹿は多分パソコン持ってないので、美咲のパソコン内にフォルダ作って、画像をせっせと溜めてると思います。
結局トイデジがたかちんの手に渡らなかったことに美咲は「あれ?」と思いつつも、弟がせっせと、「これパソコンに入れてくれ」って持ってくるので、データを保存してやるのですが、ある日フォルダを見たらたかちんまみれで、「ああ…」って妙に納得する美咲姉さん。
たかちんは撮られてることに気付いてないので、ストーカーだね男鹿さん!
ま、何はともあれ私がトイデジ欲しくてネット見てたらわーって思いついた話でした。