おがたん!


 夏休み最後の日、男鹿の家ではいつもの夕食よりも豪華な料理がテーブルの上に所狭しと並べられていた。どれもが男鹿の好物ばかりで、それを見てようやく、あ、今日って俺の誕生日だっけ、と男鹿は気付いたのだった。
 コロッケを頬張りながらそういうと、当然のように一緒に食卓を囲んでいた古市が心底呆れ果てたように横目で見やる。
「お前なぁ……みんなが頑張って夕飯作ったってのに、それはねーだろ……気付くだろ、普通。よりにもよって夏休み最後の日だぜ? つか去年もこんな会話してなかった?」
 もしゃもしゃとコロッケを頬張る男鹿は、ほーかー、と首を捻るが、向かいで同じようにコロッケを頬張っていた美咲はけらけらと笑い声を上げた。
「あーそうそう、去年も同じ会話してた! 確か去年は、ほら、たかちんが石矢魔に行くなんて思ってなかったからさー。辰巳の誕生日一緒に祝うのは今年が最後かもねーとか言ってたよねー」
「あ、言ってましたねー。結局俺も石矢魔になったから、今年も一緒に祝ってますけどねー」
 あははー、と笑う古市がテーブルの上のタラコスパゲティの皿を引き寄せ、男鹿の方へ押しやる。
「ほら、これ食えよ。俺が作ったんだ」
「おー」
「こっちのハンバーグは美咲さんで、そっちの筑前煮はヒルダさんな。なんかわけの解らん食材が入ってたけど、お前なら平気だろ」
 最後は囁くように言われたが、食べなければ女どもがうるさいのは目に見えている。目の前に集められた、通常の味であれば好物を前に、とにかく先に強敵からやっつけるに限る、と男鹿は一口頬張るだけで胃が複雑骨折しそうな筑前煮を取り皿一杯分食べた。顔を青紫色に変えながら筑前煮の口直しにハンバーグをかっ食らう。
 誰もが味見を避けた筑前煮は小鍋一杯分しか作られず、もれなく明日の男鹿の弁当に入る予定だ。愛妻弁当よっ、と笑う男鹿母が、そうそう、と膝の上に乗せたベル坊に離乳食を食べさせながら言った。
「あんたのバースデーケーキにって、たかちんがケーキ作ってきてくれたのよ」
「マジかっ?」
 魔の筑前煮の味がハンバーグで薄れても、まだ舌がぴりぴりしている気がする。そんな違和感を抱えたままタラコスパゲティを食べるのは嫌だったので、ポテトサラダを食べたりコロッケを食べたりと、どうにか舌を普通の状態に戻そうとしていた男鹿は、それを聞くなりぱぁっと顔を輝かせた。
「マジでお前、ケーキ作ったんか?」
「あー……まぁ一応な……。つかほのかが、辰巳君の誕生日ならほのかケーキ作るー、とか言い出しちゃってさ……。味はいいんだけど、ちょっと見栄えが悪いかな」
「おー、いいって、いいってそんなん。サンキューな! ほのかにも礼言っといてくれ!」
 古市の手作りケーキ、と浮き足だっていると、古市はなんだか妙に落ち込んだ顔をしてテーブルを眺めている。普段なら、もっと喜んで俺のケーキを褒めろとかなんとか言うくせに珍しい、と思い、古市の視線を追った男鹿は、古市がじっとタラコスパゲティを見ていることに気付いた。
 食いたいのか、と思って皿を少し押しやってみると、途端に古市はふにゃっと眉を下げる。傷付いたような表情に、あれ、違ったのか、と元の位置に戻すと、下がった眉は元の位置に戻ったが、表情は浮かない。しかも視線がタラコスパゲティから外れない。
 自分が作ったタラコスパゲティをなぜあんなに穴が開くほど見つめなければならないのか理解できず、どうかしたのか、と尋ねる。古市は、え、と、目を瞬き、男鹿が顔を覗き込んでいることに気付くと、あ、いや別に…、と言葉を濁らせた。
 その後もいろんな料理を口の中に放り込み、ようやく味覚が通常運転に戻った頃合いを見計らって、タラコスパゲティを頬張る。フォークなんてしゃれたものは出てこないので、箸で蕎麦のようにずるずると啜るが結構うまい。
 ヒルダの殺人料理を食べた後なら、なんだっておいしく感じるがそれとこれとは話が別だ。
 それにたとえまずくても、古市の作ったものならなんでも食いたい。
 大皿一杯のタラコスパゲティをもりもり食べていると、男鹿父が、私も少しもらおうかな、と箸を伸ばしてくる。それをべちっとへし折って阻止する。えー、とショックを受けた顔をする父親には筑前煮を押しやっておいた。うっかり食べてヒーッと悲鳴を上げたっきりがくりと首を落とした父親は放っておき、男鹿は誰かに食われる前にとタラコスパゲティを完食した。
「はー、食った食ったー!」
 超満足とぽんぽんと腹を叩くと、横でもそもそとから揚げを頬張っている古市が、ちらちらと男鹿を横目で伺っている。
「あ? どうかしたのか?」
「え、あ、いや、あの……タラコスパゲティ…どうだったのかなーって思ってさ…。俺、あんまし料理しねーし、うまかったらいいんだけど、男鹿、なんも言わねぇでずっと食ってっから、もしかしたらまずかったのかなーとか…」
「あ? うまいに決まってんだろ。まずいもんなら食わねぇよ」
 筑前煮みたいに、と小鍋の中からどくろ型の湯気を吐きあげる筑前煮を指差すと、古市は明らかにほっとしたように顔をほころばせる。
「そ、そうか? 良かった…」
「そうそう、たかちん、タラコスパ、まじでうまくなったじゃない! 毎週練習したかいがあったわよねー!」
 美咲がにこにこと笑顔で言った言葉に、ん、と男鹿は眉を寄せる。傍らでは古市が焦ったように両手を振りました。
「み、美咲さんっ、それ秘密にしてって言ったのに!」
「あ、そうだっけ? でも別にいいじゃん。悪いことしてるわけじゃないんだしさー」
「おい古市」
 美咲の言葉に引っかかりを覚えた男鹿が、ぐっと眉間に皺を寄せると、まるで睨まれる格好となった古市が、う、と顎を引く。
「な、何かな男鹿くん……?」
「毎週練習したって、どーゆーことだよ」
 え、いやそれは…、と逃げ腰になる古市の腕をぐっと掴み、男鹿は噛みつく勢いで尋ねた。
「俺に黙ってお前、姉貴とこそこそ会ってたのかよ!」
「え、いやそこ?」
「姉貴と遊ぶ暇があんなら俺を構え!」
 構えったら構え、とベル坊並みに駄々をこねると、男鹿母の横に座り、もしゃもしゃと無表情で筑前煮を頬張っているヒルダが、キモイ…、とわずかに眉を寄せている。
 男鹿は、若干呆れたような顔をする古市に頭を撫でられ満足していたが、ふとさっきの美咲の言葉に引っかかりを覚えて脳内で繰り返し、あっ、と声を上げた。
「ふふふ古市っ、お前!」
「あ? どうした急に。もう頭撫でんでいいのか?」
「いや撫でろ頭は! そうじゃなくて、お前、姉貴がお前のタラコスパ食ってうまくなったてことは、お前! 姉貴に俺より先にタラコスパ食わせてたのか!」
 俺より先に、と喚く男鹿の頭をわさわさと撫で続け、古市が困ったように笑う。
「お前、怒るところがそこなのかよ」
「当たり前だろ! なんでお前のタラコスパを俺より先に姉貴が食ってんだ! お前の物は俺のものだから俺が一番に食わなきゃ駄目だろ!」
「……なに、そのジャイアニズム……って言うか亭主関白? やーねー、独占欲強い男は嫌われるわよー」
 冷ややかな眼差しながらもにやりと笑う美咲が、ねー、と古市に同意を求める。古市は頬を引きつらせながらも、はは…、と乾いた笑みを浮かべている。
 どうやら古市の口から美咲が先にタラコスパを食べた理由を話す気はないらしい。男鹿は古市に頭を撫でられながらも、ギッと美咲を睨む。教えろよっ、と目で催促するも、あれれー教えてほしいならもっと愁傷な態度取ればぁ、と馬鹿にした目線の美咲に、位置的には同じ高さなのに上から見下ろされる。
 睨みあいながらも早くも逃げ腰の男鹿を見るに見かねてか、古市が溜息を吐きながら教えてくれた。
「あのな、お前の誕生日にみんなで料理を作ることになって、俺、タラコスパ担当になったんだけど、作ったことねーから毎週美咲さんに教えてもらってたんだよ」
「なんだよそれ、俺聞いてねぇぞ」
「当たり前だろ言ってねーんだから。ほのかも教えてほしいって言いだしたから、俺んちに来てもらってたの。解ったら、ほれ、残りの料理を食え。その間にケーキの準備してくるから」
 そそくさと台所へ消える古市を見送り、男鹿母が、手伝ってあげて、とヒルダを促す。男鹿が同じことを言えば、あ、と濁点付きのドスの利いた声で睨みつけてくるだけなのに、男鹿母がそう言えばヒルダはにこやかに、はい、と頷いて立ち上がる。ヒルダも台所へ行ってしまうと、美咲が目の前の汚れた皿を積み重ねて片付けながら、にやにやとたちの悪い笑みを浮かべた。
「しっかし辰巳、あんたも罪作りよねー」
「あ? なにがだよ」
 とりあえず食っておけと言われたから揚げにぐさりと箸を突き刺すと、こらっ、ベル坊が真似するでしょっ、と母親にしかられる。母親に叱られる男鹿を見て、ベル坊がニヤァと嫌な笑みを浮かべていたが見て見ぬをふりをして、男鹿はから揚げを口の中に放り込んだ。
「たかちん、本当に一生懸命にタラコスパの作り方覚えようとしてたんだから。それにああ言ってたけど、ケーキだってたかちんがほとんど作ったようなもんよ。ほのかちゃんはちょっとお手伝いしただけだからね。あんた、後でちゃんとお礼言っときなさいよ! でないと今に見捨てられっからね!」
 ばしっと男鹿の頭を叩き、私も手伝ってこよーっと、と美咲は席を立つ。
 痛ぇな…、とぼやきつつも、男鹿の顔はにやにやと笑っている。
 タラコスパゲティに、ケーキ。
 古市がしてくれることならなんだって嬉しいけれど、誕生日のために何度も練習を重ねて当日を迎えたこれらはいつもより格段に嬉しい。
 タラコスパゲティですら何度も練習したのなら、ケーキは相当練習したはずだ。
 男鹿のバースデーケーキなのだから、きっと男鹿の好物のチョコレートケーキだ。スポンジもチョコで、チョコクリームとイチゴをサンドしたやつだ。
 わくわくしながら待っていると、ケーキが入っているだろう箱を持って慎重な足取りで古市がリビングに戻ってくる。その後をヒルダがろうそくを持ち、美咲がナイフや皿を持ってやってくる。
「おい男鹿、ぼさっとしてねーでケーキ置く場所空けてくれ」
 誕生日なのに働かせるなとぼやきながらも男鹿は空いた皿を重ねて流しへ持っていき、急いでリビングに戻る。
 箱から出されたケーキは男鹿の想像した通り、チョコレートクリームでスポンジケーキがコーティングされ、その上にはイチゴがたくさんの乗っている。絞り出されたクリームの模様は不格好だったけれど、男鹿は予想通りのそれにぱっと目を輝かせた。
「あらぁ、上手じゃないの!」
「デコレーションはほのかがやったんですよ」
「ほのかちゃんも器用ねぇ」
 女どもがケーキに魅入っている間に、古市がこっそりと男鹿に身を寄せる。なんだ、と思っていると、小さな声で、おめでとうな、と囁かれた。ちらりと見上げる目は悪戯が成功した時のようにきらきらと輝いていて、男鹿は胸に温かいものがいっぱい満ちるのを感じた。
 さんきゅ、と古市の髪を撫でると、今度は恥ずかしそうに、おめでとう、ともう一度言われる。なんだかつられて気恥ずかしくなった男鹿が、おう、と頷くと、男鹿の赤い頬に、古市がちゅっと音を立ててくちづけた。
 ぎょっと身を引く男鹿に、へへっと古市が笑う。
「プレゼントだよ、ばーかっ!」
 軽いキスの音に美咲が気付き、ニヤァ、と笑う。
 ヒルダは右と左の眉を互い違いの高さにして、キモイ、と呟く。
 男鹿はますます赤くなった顔を誤魔化すため、テメェっ、と叫んで古市の首根っこを掴み、銀色の髪をわしゃわしゃと掻き乱す。笑いながらも痛い痛いと叫ぶ古市の頭のてっぺんにキスをして、男鹿はぎゅうぎゅうと細い身体を心ゆくまで抱き込んでいた。





ハピバ男鹿さん。
古市はもはや家族の一員、つか嫁ですね。
とにかくハピバ!