男鹿は甘えたりない


 がしゃーんどかーん、と派手な音を立てるテレビに向かって、男鹿が一生懸命コントローラを握りしめている。どちらかと言えばRPGが好みで、好きなゲームをクリアしてもまた最初からやり直したりしている男鹿が珍しく格闘ゲームに熱中しているようだ。姫川か千秋にでも借りたのだろう。この三人はこのところ良くゲームの話で盛り上がっている。
 男鹿家の台所から勝手知ったるなんとやらでジュースを取ってきた古市は、それをテーブルに置くと、胡坐をかいた男鹿の足の間で、あーあー言いながらテレビを見ていたベル坊を抱き上げた。
「あい?」
 なんだ、と首を傾げるベル坊をそのままヒルダへ渡す。男鹿の勉強机を占領し(そもそも男鹿が勉強しているところを見たことはないが)、謎の文字で何やらつづっていたヒルダは、訝し気に眉を寄せた。
「どうしたのだ」
 ベル坊が抱いてくれとせがんだわけでも、男鹿がどけてくれと言ったわけでもない。それなのに古市は勝手にベル坊を男鹿の膝から取り上げ、ヒルダへと託した。
 悪魔二人の眼差しを浴びながら、古市はやけに無表情でふるりと首を横へ振るう。
「いや別に」
 そして男鹿の方へ歩み去っていく。
 おかしい、とヒルダは眉を寄せた。
 とにかく女子至上主義の古市はヒルダにウザいほどしゃべりかけ、普段ならこんな端的な話し方はしない。それにベル坊を可愛がっているので、理由を説明もせずに男鹿の膝から降ろしたりもしない。
 何事だ、とヒルダとベル坊が見守る中、古市はコントローラを握る男鹿の腕をひょいと持ち上げその中へ入る。要は環になった男鹿の腕の中にすっぽりと納まり、太腿をまたいでどかっと腰を下したのだ。
 男鹿と向かい合わせになるような恰好で、古市はべったりと男鹿に張り付いた。
「あ?」
 なんだ、と男鹿はゲームを一時停止にしてまじまじと古市の顔を見つめていたが、やがて急に何かを理解したらしく、あー…、と声を上げる。片手でぽんぽんと銀色の髪を叩き、わしゃわしゃと撫でる。普段ならセットが乱れるとぎゃあすか怒るくせに、古市はその手に甘んじ、男鹿の首筋に顔を突っ込んでぐりぐりと額を押し付けている。
「………キモイ」
 思わずぼそっと呟いたヒルダの声は聞こえなかったらしい。いや、聞こえていても聞こえないふりをしていたのかもしれない。
 古市はがっちりと男鹿に抱きついた体勢で首だけを捻ってテレビを振り返った。
「なんで今さらこんなんやってんの」
 ちょっと昔に流行った格闘ゲームだったので、古市の感想ももっともだ。
 男鹿はゲームを再開させ、襲い掛かるやたら派手なアクションの敵キャラをぶっ飛ばした。
「姫川に借りた」
「なんで。今度新しいの出るじゃん」
「おー…それ出たら対戦すっから、それまでに慣れとけって」
「ふーん……谷村さんはやんなくていいんかね…?」
「あきちーはやり込んでっから必要ねぇってよ。俺だけなんだよ、これやってねぇの」
「ふーん……。あきちーね……」
 それきり古市は黙り、男鹿の操るキャラクターが次々と対戦相手をぶちのめしていくのを眺めている。男鹿も腕の中にすっぽり収まっているとは言え、一人の人間を抱えているのだから邪魔で仕方ないだろうに、気にした様子もなくコントローラを握っている。
 RPGほどではないにしろ、ストーリー性のあるゲームなので、次のステージへ進むためには場所を移動しなければならない。どこへ行けばいいのか迷う男鹿に、古市がのんびりそっち行ってー、あっち行ってー…、と指示を飛ばしはしているが、いつもよりキレがない。
「……なんなのだ一体……」
 べったりと男鹿に抱きつく古市など、気持ち悪い以外のなにものでもない。
 男鹿が古市にべったりと抱きついているのなら、いつものことと気にも留めなかったのだが、逆となると話は別だ。
 なんだこの光景は、とヒルダはぞっと頬を引きつらせるが、ベル坊はなんだか羨ましそうに目をキラキラと輝かせて、べったり抱き合う二人を見つめている。
「あー…」
「ダメです坊ちゃま。あんなものご覧になっては目が腐りますよ」
「あー…」
 ヒルダの言葉もベル坊の耳を右から左へ通り過ぎていくだけのようだ。それでもベル坊は本当に羨ましそうに見ながらも、間に割って入る気にはならないらしい。あーあー言いながらも動かないベル坊を膝に、ヒルダは再び勉強机へ向かう。
 どかーんがしゃーんと派手な音を響かせながら、ステージを二度か三度移動したころ、時間にすると三十分くらいだろうか。
 それまで男鹿の肩にぐりぐり額を押し付けたり、抱きついたまま男鹿の髪をもてあそんだりしていた古市が唐突にむくりと身を起こした。
「む?」
「だ?」
 今度はなんだ、と注目するヒルダとベル坊が見守る中、古市は己の背にゆるく回された男鹿の腕を持ち上げた。そしてどっかりと腰を下した時同様、何の前触れもなく男鹿の腕の輪から抜けると、はー、と大きな溜息を吐く。
 男鹿の側に立ち、首を回してコキッと骨を慣らし、うんっと背伸びをした。
 その顔はさっきまでの鬱々としていたのが嘘のように晴れ晴れとしている。腕をぐるぐると回す動きも、台所から戻ってきたときのようなのろのろとした緩慢なものとは雲泥の差だ。
 古市は明るい顔をぱしぱしっと軽く叩いた。
「おし、充電終了!」
 男鹿がゲームを一時中断して見上げているのに、そちらには一切の注意も払わずベル坊とヒルダの方へつかつかとやってくる。そしてヒルダの膝の上からひょいとベル坊を抱き上げると、はい、と男鹿の膝の上へと座らせた。
「……坊ちゃま…っ…!」
 あっさりとベル坊を奪われたヒルダは思わず手にしていたペンをぐっと握りしめる。古市貴様折角の坊ちゃまタイムを…っ、とヒルダが内心で歯ぎしりしていることを恐らく気付いているであろうに、やけにすっきりした顔の古市はまるで頓着せずにベル坊の頭を撫でる。
「邪魔してごめんな、ベル坊。もう平気だからなー。あ、ベル坊ジュース飲むか? オレンジジュース持ってきてやるよ。ヒルダさんはコーヒーでいいですか?」
「だ」
 うむ、と頷くベル坊が、どうするのだと言わんばかりに振り返ったので、ヒルダは慌てて頬に笑みを張り付ける。古市の好意はどうでもいいが、ベル坊の好意を無下にするわけにはいかない。頬に張り付けた笑みもベル坊のためだ。
「そうだな、それでいい」
 古市はにぱっと笑うと、そんじゃもっかい台所行ってきまーす、とやけに晴れ晴れとした顔で部屋を出て行く。
 さっさかと去るその背中を、あー…、と男鹿が間延びした声を漏らして見送るが、古市は振り返りもしない。妙にがっかりした顔で男鹿はコントローラーを握りしめていた手を見下ろし、その手を握ったり開いたりしているが、確かあの手で古市の髪を撫でていなかっただろうか。
 さっきまでの古市の無気力と薄暗い空気が乗り移ったかのように、今度は男鹿がどんよりしている。
「……良く解らんが、キモイ…」
 ヒルダは眉を寄せ、ああ嫌なものを見た、とぶるりと背筋を震わせる。
 男鹿の膝の上ではベル坊がきゃーっと歓声を上げてテレビに見入っている。その視線につられヒルダもテレビを見る。
 どかんがしゃーんと煩いテレビの中では、男鹿が操っているものの、今は男鹿同様に無気力無反応なキャラクターが敵キャラに思うさまボコられていた。



お誕生日プレゼントに原子さんからおがふる漫画をいたただいたのよきゃっほう!
原子さんからいただいたおがふる漫画はこちらから (pixivに飛びます)。
ありがとう、原子さん!!