にょたるふるいち。
プロポーズしましたの巻。


 三年生になり渡された進路調査票と男鹿を前に、古市は手にしていたペンをぷらぷらと振った。男鹿の視線がペンの先にくっついているガチャピンの顔に合わせて上下に揺れ、このままでは埒が明かないと思った古市はガチャピンで男鹿の額をがすっと突いた。
「イテェ、何すんだ古市」
 眉間に皺を寄せ、むぅと口を曲げる男鹿の表情だけを見れば不機嫌極まりない。近隣でも知らぬ者はいないアバレオーガのそんな様相を見れば、さしもの石矢魔の不良どもも裸足で逃げ出すだろう。
 しかし古市から見ればこれは本気で怒っている顔ではないし、例え怒っても男鹿が自分に手を上げることは決してないと解っているので、容赦なくガチャピンで男鹿のデコを突く。
「だーかーら、お前が来年どーするかってのをここに書けばいいんだっつの」
「イテ、イテ、イテェって」
「なんで白紙で出してんの。あたしが先生に怒られちゃったじゃん。しかもこれ、締切先週だろ? ちゃんとこういう書類は提出しなさいって何度言や解んの、この鳥頭」
 がすっと最後にひときわ強くガチャピンを男鹿の額に突っ込むと、男鹿の額に押されたガチャピンがボールペンの先をぴょこんと飛び出させた。もう一度男鹿の額にガチャピンを押し付け、ペン先を引っ込めると、けどよぉ、と男鹿は不貞腐れたような声を漏らす。
「古市、進路教えてくれなかったし」
「は? あたしの進路なんか男鹿の進路には関係ないだろ。あんたはあんたがやりたいようにやりゃいいんだから。ほら、書きな。いつまでも一緒ってわけにはいかないんだからね」
「えーなんでだよー」
 一年生よりも二年生、二年生よりも三年生と順調に成長した男鹿は、確かに石矢魔のいかつい不良どもの中にいれば華奢には見えるけれど、それでも男は男だ。でかい図体を丸めて古市の机の前で肘を突き、ぶーぶーと子どもっぽく口を尖らせる男鹿に古市はもう何度目になるか解らない溜息を吐いた。
 残念なことに体格に応じて頭の中身は成長してくれなかったようだ。
「高校卒業して始終一緒にいていいのは付き合ってる男女か結婚した男女だけなの」
 自分でも極論と解ってはいるけれど、そろそろけじめはきっちりとつけておいた方がいい。
 幼馴染の関係をずるずるとここまで引きずってきたが、それも卒業を機に切り上げるつもりで古市はいた。
 だって男鹿にはヒルダがいるし、ベル坊もいる。
 ベル坊が男鹿の本当の子どもではないと古市は知ってはいたけれど、周りはそうは思わない。今だってヒルダは男鹿の嫁と見るものがほとんどだし、ご近所でもそうだ。古市が男鹿家に立ち寄る度、外にご近所さんが立っていれば、奥さんがいるのに幼馴染だからってよく入り浸るわよねぇ、とこそこそと噂話をされているのを知っている。
 もう二人で手を繋い出歩いていても、仲良しさんねー、と笑って見てもらえるような年齢は過ぎ去ったのだ。それも随分と昔に。
「ふーん…そーゆーもんか」
 古市の極論をあっさりと信じ、男鹿はこりこりと額を指先で掻いている。ガチャピンがぶつけられ続けたそこはうっすら赤くなってはいるけれど、何しろ男鹿の石頭だ。大したダメージはない。
「そんで? お前はどーすんだよ。大学行くんか?」
 男鹿にガチャピンのペンを取り上げられ、壊さないでよ、と注意した後で古市は、うん、と頷いた。そこそこ学力があると評判の近場の大学の名前を上げる。
「教員免許取ろうかなと思って」
「きょーいんめんきょ、なんだそりゃ?」
「先生になる資格ってこと」
「え、古市は先生になりてーのか?」
 目を丸くする男鹿に、うん…、と古市は少し笑みを浮かべる。
「早乙女先生とかかっこいいじゃん。生徒に好かれててさー、好き勝手してるけど結構責任感あるし、相談とか乗ってくれるしさー。あーゆーのって憧れるよね。あたしもあーゆー感じの先生にならなりたいかなぁって。取っといて邪魔にはなんないでしょ、資格って」
「ふーん……」
 急にむすっと黙り込んだ男鹿が無表情になるのを見て、あれ、と古市は目を瞬く。ガチャピンで額を突かれても怒らなかった男鹿が、何か今の言葉で機嫌を損ねたらしい。しかも割と本格的に機嫌が悪いように感じる。
 先生になりたいって言ったのが駄目だったのかな、と古市は眉を寄せた。
 石矢魔みたいな学校だと危ないだとかそんなことだろうか。
 しかしどれだけ考えても男鹿が不機嫌な理由は解らず、古市はとりあえず黙っておくことにする。男鹿が機嫌の悪い時には下手に刺激をせず、男鹿が望む通りにしてやればいいのだ。男鹿は滅多に機嫌が悪くなることはないが、なったらなったで長引いたりするので厄介だ。
 黙って男鹿の進路調査票を見下ろしていると、男鹿がガチャピンの頭をべこっと押してペン先を出した。相変わらずの汚い字で、男鹿辰巳、と名前を書き、第一希望、第二希望、第三希望の欄を無視してでっかく、就職、と書く。
 しゅうしょく、とひらがなだったのはさておき、古市は目を瞬いた。
「え、就職すんの?」
 てっきりどこか大学にでも行くのかと思ってた、と口に出すと、男鹿は相変わらずご機嫌よろしくない感じで、おー、と頷く。
「とりあえず、金稼ぎてーし」
「え、金稼ぐ? 男鹿が? え、なんで? あ、バイク買うつもり?」
 男鹿の部屋にバイク雑誌が転がっていたのを思い出してそういうと、あー、いや…、と男鹿は少し言葉を濁した。
 男鹿が興味を持っているものなんてゲームと喧嘩と、少しだけバイク。
 それくらいしか知らない古市としては、男鹿が金を溜めるために大学へ行くのではなく就職したいと言った理由が解らず軽く混乱する。
 おばさんや美咲さんに説明するためにも男鹿の意図を聞いておかないと、と焦る古市は、男鹿家でもすっかり辰巳翻訳機扱いなので、男鹿のわけの解らない行動の理由は古市が尋ねられるのだ。
 なんでなんで、としつこく尋ねると、男鹿は少しばかり頬を赤らめ、いや…、と言い辛そうに打ち明ける。
「高校出たらすぐ、結婚してーと思ってよ…」
 よく解んねーけど結婚すんのって金かかんだろ、と続ける男鹿に、不覚にも古市は二の句が継げなかった。ショックで、動揺し、不安になる。足元にぽっかりと巨大な穴が空いて底なしのそれに無抵抗で落ちているような、そんな気持ちだ。
 ベル坊とヒルダが来たあの日から、いずれは、こんな日がくるとそこはかとなく感じとってはいた。
 あの日のことは忘れもしない。
 男鹿が赤ん坊を拾ったと連れてきて、ヒルダが現れ、男鹿家に居つくことになった。一緒に住むことになってよー、と男鹿から弱り切った顔で報告された時に、古市は男鹿への恋心を自覚したのだ。
 その恋心はヒルダが男鹿嫁だと言われ始めてから、打ち明けることもできなくなってしまった。もとより恋愛には疎い男鹿に自分の気持ちを正直に告げたとしても、結局は邦枝と同じ扱いになってしまう。
 自分だけは男鹿の特別でいたかったから、男鹿への気持ちは隠し続け、相棒のような存在であり続けた。
 いつかベル坊やヒルダがいなくなったときに打ち明けようと思ってひた隠しにしてきた恋愛感情は、とうとう行き場をなくして葬り去るしかなくなった。
 それもそうか、と古市は半ば諦めにも似た気持ちで思う。
 ヒルダは美しく賢く強い。三年も一緒に暮らせば情も沸く。
 喧嘩が何よりも好きで、強いものが大好きな男鹿にとって恰好の相手だ。
 それにヒルダなら、暴走しがちな男鹿のたずなをとって制御することもできる。
 お似合いの夫婦だ。
 古市は強張った頬の筋肉をどうにか動かし、笑みとも取れぬものを浮かべる。
 ここで、目の前の男鹿を騙さなくてどうする。
 泣きたいからと言って泣いてどうする。
 だましてこその智将だ。
「へ、へー…男鹿がそんな風に考えてたなんて知らなかったな」
 よしよくやった、と古市は自分を褒める。
 少しどもりはしたけれど、なんとか普通通りの声は出せた。
「あー…まぁ、言ったことねぇしな」
「ふぅん。そうなんだ。でも、高校卒業してすぐ結婚するんなら、今から式場押えとかないと駄目だよ。準備って大変みたいだし、人気のあるところなら何年も先まで埋まってるとか聞くし」
「え、マジでか? そーゆーもんなんか?」
 知らんかった…、と男鹿は少しショックを受けたような顔で口元を抑える。無計画な男鹿のことだから、結婚するその日にどこかの教会に行けば結婚式ができると思っているに違いない。ヒルダは日本のことにはまだ疎い部分もあるので、ちゃんと説明しておかないと、と思っていると、男鹿はやけに真剣な顔をして身を乗り出した。
「そんじゃよ、お前、どこがいい?」
「………は?」
 思いがけない問いかけに、ぽかんと目と口を見開いた古市を、誰も責められないはずだ。
 男鹿は真剣な顔で指折り数える。
「あれだろ? 結婚式っつーのは、教会とか、なんか違うとことかですんだろ? 神社か? 寺か? どこがいいんだよ」
「…………いや…あの、お前……馬鹿なの?」
 失望やら悲しみやら、とにかく胸に抱いていた様々な感情がごっそりどこかへと霧散し、古市はとりあえず呆れ果てた。
 どこの世界に幼馴染に結婚式場がどこがいいか聞く馬鹿がいる。そんなものは未来の嫁と考えろ、と怒鳴りたくなるのをぐっと堪える古市に、何言ってんだ、と男鹿はものすごく真剣な顔だ。
「馬鹿じゃねーよ。場所押さえるんなら早い方がいいんだろーが。お前、何がいいんだよ。ドレスか? 着物か? 教会で着物とかはねーだろーし、そうなると神社とかあーゆーとこか?」
 古市はふーっと意識が遠退きそうになるのをぐっと堪え、早くもずきずきと痛み始めた額を押さえる。
 落ち着け、落ち着け、怒っては駄目だ、と念仏のように唱えながら、どうなり声を漏らしたが、なんとも弱々しい声になってしまった。
「あー……うん、ごめん……お前、馬鹿だったよな」
「ノー! 馬鹿言うのよくない!」
 むぅっと眉間に皺を寄せ、馬鹿を言っているのはお前の方だと言わんばかりの男鹿の顔に、怒っては駄目だと自分に言い聞かせていた古市は、早くもその個人的な念仏を投げ飛ばし、くわっと口を開いた。
「馬鹿は馬鹿だろこのくそ馬鹿アホ男鹿ッ! そんなもんはヒルダさんと考えろッ!」
 椅子を蹴って立ち上がり、思い切り男鹿の頬を殴りつける。男鹿は殴られた頬を押さえながら、イテーなっ、と眉を吊り上げた。
「なんで殴るんだよッ!」
「殴るに決まってるわ、このアホッ! ほんっとーにアホアホなんだからっ! ドレスだろうが着物だろうが着る本人に聞けっ! なんでもかんでもあたしに聞くなっ!」
 わなわなと震える拳を握りしめて叫ぶと、男鹿はきょとんと狐に抓まれたような顔をして古市を見上げていた。
 幼い頃からずっと一緒にいて、精悍に成長した男鹿の顔を見おろしながら、来年には誰か違う人のものになるのかと不意に思い、古市はぶわっと涙があふれるのを止められなかった。
 多分結婚式には呼ばれる。間違いないだろう。男鹿が呼びたくなくても、ヒルダが呼びたくなくても、美咲や男鹿母が参列者の名前に古市家を加えるはずだ。笑って祝福する練習を、今からしておかないと、と古市は無理矢理に浮かべた笑みを頬に張り付ける。
「ヒルダさんに聞きなよ」
「あ? なんでだ?」
「悪魔でもヒルダさんは女の子なんだから。一生に一度の時なんだから、女の子はそういうのに憧れとか夢とかあるんだから、ちゃんとヒルダさんの意見聞いてあげないと……」
「……いや、だからなんでヒルダの意見なんか聞くんだよ。アイツは関係ねーだろ。それか、あ、もしかしてお前がヒルダの意見聞きてーのか? けどあいつ悪魔だから黒いドレスの方がいいとか言うんじゃねぇの? お前は白い方が似合うと思うぞ」
 うん、と頷く男鹿を前に、うん、と古市は眉間に皺を寄せた。
 零れそうになった涙も引っ込んだ。
 なんか奇妙な台詞があった気がする、と男鹿の言葉を反芻し、古市はぐきりと首を傾げる。
「…あの、男鹿さん…ちょっとお聞きしたいんですけど……」
「おう、なんだ。聞きたまえ」
 なぜか偉そうにふんぞり返って腕組みをする男鹿に、古市は尋ねた。
「……あたしに、白いのが似合うって言った? それってドレスのこと?」
「おう、言ったぞ。あ、色のついた奴もかわいーと思うけどな。着物よりドレスの方がいいと思うけど、あ、でも古市が着物がいいって言うんなら俺は着物でもいいぞ」
 うん、とやっぱりしたり顔で頷く男鹿に古市は更に尋ねる。
「……念のために聞いておくけど、お前、誰と結婚するつもりなの?」
「は? 古市に決まってんだろ、馬鹿め。古市馬鹿め」
 お前以外誰がいるってんだ、とちょっと恥ずかしそうに笑う男鹿に、わなわなと古市の拳が震える。
 この馬鹿は、この馬鹿はこの馬鹿は!
 一体何を考えて生きているんだ、ともう何十回、いいや男鹿と出会ったころから数えだせば何千回思ったか解らないことを思い、一応、念のために、尋ねる。
「あたしたち、別に恋人として付き合ってたわけじゃないよな? そんな期間、一日たりとも、一時間たりとも、一分たりともないよな?」
「おー、ねぇなー」
「そんでなんでいきなり結婚なんて突っ走るわけ? 結婚ってのはね、付き合ってる相手とするもんなんだよ!」
「まぁそうだろうな」
 うんうん、としかつめらしく頷く男鹿に古市のこめかみの血管は切れそうだ。
 それがなぜ、古市と結婚する、に繋がるのだろう。男鹿の思考回路は本気で理解できない。
 とにかくこういう場合はまず落ち着いてからゆっくりと考えなければ、と古市は大きく息を吐き出す。蹴って倒してしまった椅子をもとに戻し、どすんと腰を下すと、深く深呼吸をしてから目の前で妙にだらしない笑みを浮かべている男鹿を見つめた。
「男鹿、お前、意味が解って言ってるか? 結婚ってのはな、男と女が一生をともにするわけで、一回結婚したら、その後はずーっと一生、死ぬまで一緒にいるんだぞ。まぁ今時そんなの珍しいかもしれないけど、でも結婚っつーのは本来そーゆーもんであって軽々しく口にするもんじゃ…」
「おー。だから古市と結婚してぇって言ってんだろ」
「…はぁ?」
 本当にもう理解不能だ。
 男鹿がさっきから何を言っているのかさっぱりわからない。
 言葉足らずな男鹿の意図を正確にくみ取り、それを他人に、時には家族にも伝えることが古市の役割だと思っていたし、そうできていると思っていたのだけれど、今回ばかりは本当にお手上げだ。男鹿の思考回路がどこか不具合でも起こしているのかもしれない。美咲に蹴られすぎたせいか、男鹿母に殴られすぎたせいか、はたまたヒルダに刺されすぎたせいかは解らないけれど、とにかく男鹿がシステムエラーを起こしている。
 古市が不可解な顔をして額を押さえているのを見て、男鹿もとうとう状況を察したようだった。古市にも自分の気持ちが伝わっていないと解ったらしく、男鹿は居住まいを正し、妙に生真面目な顔になった。
「ガキの頃から、俺は古市と結婚するって決めてたから」
「………へ?」
「高校卒業したら、お前大学行くんだろ? 俺も一緒に行きたいけど俺の頭じゃ無理だし、行ったって留年するのがオチだし、そんなら結婚して、お前は俺のもんだって安心してぇんだ。他の男に取られねぇようにしときたい。だから、高校卒業したらすぐ結婚したいんだ。俺と、結婚してくれ古市」
 まっすぐ見据える男鹿の眼差しは真摯で、適当に思いついたことを言っているのでも、冗談で言っているわけでもない。それは男鹿の表情を誰よりも読むことに長けていると自負する古市が思うのだから、間違いない。
 間違いなく男鹿は、他でもない古市に向かってプロポーズしていた。
 その事実が脳みその多分真ん中ら辺にあるのだろう物事を考える中枢神経にまで到達したとき、古市は、かぁああっと頬が燃え上がるほどの熱を感じた。
 じわじわと妙な汗が身体中に浮いてきて、目の前が真っ赤になる。
 男鹿に、プロポーズされている。
 誰でもない、自分がプロポーズされているのだ。結婚してくれ、と言われている。
 浮足立ちそうになる気持ちをぐっと堪え、古市は顔を背ける。妙に恥ずかしくて、男鹿の顔を直視できない。
「け、結婚ってのは、付き合ってる男女がするもんなの! あたしとあんたは付き合ってないだろ」
「じゃあ付き合ってくれ」
「はぁ? なに言ってんのお前、本気で馬鹿なの? 付き合う男女ってのは好き合ってることが前提なの! あんたのそれは、どうせずっと一緒にいた幼馴染がいなくなるのが嫌だとか、そんなあれなんでしょ。さっきはああ言ったけど、別に卒業したって飯食ったりとか遊びに行ったりとかは、普通にできるから……」
 男鹿の妙な思い込みでプロポーズを受け入れて、やっぱり間違いだった、お前に対する気持ちは恋愛感情じゃなくてただの友情だったなんて言われたらたまらない。
 だって古市は男鹿が好きだ。
 恋愛感情を伴った好きと言う気持ちで男鹿を捉えている。隣にヒルダがいようとも、ベル坊を二人であやしているところを間近で見ていようとも、家族中がヒルダを嫁として受け入れている様を目の当たりにしようとも、ずっと側にいたくらいには好きなのだ。
 プロポーズに浮足立ち、結婚するよと了承をして、結果やっぱり違ったなんて言われたら。
 最悪の事態を想定し、項垂れる古市の頬を、ぐっと男鹿の手が掴む。片手で顎を包み込むように掴み、指先で頬をぐにぐにと押される。
「古市馬鹿」
「あにふんの!」
 むかっときて睨み付けると、男鹿は妙に優しい眼差しで古市を見つめていた。
「好きじゃなきゃ、付き合ってくれなんて言わねぇ。結婚してくれなんて言わねぇ。俺のことはお前が一番よく知ってんだろーが。俺が嘘ついてねーことくらい、もう解ってんだろーが。いいから、とっとと返事聞かせろ」
 ぐにぐにと頬を押さえ続けられ、古市はむぅと唇を曲げた。
 確かに男鹿は嘘を言ってはいない。
 けれど、安易に受け入れていいものか。
 思いがけない展開に古市が二の足を踏んでしまっても責められやしないだろう。告白もお付き合いも何もかもすっ飛ばしてのプロポーズだ。
 男鹿を少し落ち着かせた方がいいかもしれない。頭を冷やさせた方がいいかもしれない、と古市は男鹿の手を払い落とす。
「お?」
 目を丸くする男鹿をまっすぐ見据えて言った。
「考えさせて」
 すぐさまオッケーの返事が返ってくると思っていたに違いない男鹿は、その言葉にぎょっとしたように顔を強張らせる。
「か、考えさせてって……お前、それって……あれか? 遠回しに俺と結婚すんのは嫌だって言ってんのか?」
「いや、考えさせてほしいだけ。だって付き合ってるならまだしもいきなりプロポーズされたんじゃ、考える時間だって必要でしょ。しばらく考えさせて」
「し、しばらくって……一時間くらいか?」
「………何日か」
「なっ、何日も考えなきゃなんねーのかよっ!」
 おろおろと焦る男鹿を宥めようとついついいつもの癖で手を伸ばし、黒い髪を撫でようとした。けれど古市ははっとその手を止める。
「ちゃんと返事は言う。はぐらかしたり、聞かなかったことにはしないから。だから考えさせて」
 解った?と尋ねると、やや弱々しいながら、おう、と声が返ってくる。頭を撫でられなかったことが、不安でたまらないらしい。けれどしばらくそういう接触はやめておいた方がいい。男鹿を落ち着かせるためにも、自分の気持ちを整理するためにもだ。
 古市は机の上に出しっぱなしだったガチャピンのボールペンをペンケースにしまうと、男鹿の書いた進路調査票を手に立ち上がる。
「どこ行くんだよ」
「これ、職員室に出してから帰る」
「じゃあ俺も……」
「私、今日は一人で帰るから」
 考えたいし、と付け加えた古市に、お、おう…、と男鹿は妙に気弱な様子だ。
 男鹿にはああ言ったけれど、古市の気持ちはほとんど決まっている。好きな相手にプロポーズされて嬉しくないはずがないのだ。けれど即答を躊躇ったのは学生結婚と言うところと、相手が男鹿であることだ。ヒルダやベル坊の存在を受け入れている男鹿家にとって、古市との結婚を受け入れてくれるかどうかだ。多分大丈夫だとは思うけど、確証はない。だから怖い。もし男鹿家から拒否されたらと思うとすごく怖い。
 鞄を持ち、進路調査票を手に教室を出ながらも携帯電話を取り出す。
 美咲さんに相談しよう…、と困ったときには一番に相談相手になってもらう姉替わりの美咲が、来年には本当に姉になってるのかなぁと思い、こっそりと頬を緩め、放課後の校舎を歩いていた。



全開のにょたふるで、
にょたるふるいちの流れは小学校からの幼馴染→中学三年生辺りで古市、男鹿に恋をする→高校二年生辺りでお付き合いを始める→高校三年生で進路相談云々で来年は別々だねって話になってこれはヤバいと焦った男鹿がプロポーズする→三月末入籍→男鹿社会人、古市大学生一年生の夏あたりに結婚式→男鹿家で新婚生活しつつ古市大学に通う、な流れです。
なんて書いてましたが。
プロポーズするまで二人が付き合ってないなら面白いなと思ったので、軌道修正しました。
付き合う前にプロポーズしました! うん、男鹿らしい。
これから一週間、返事をもらえぬまま男鹿は悶々と苦しみ過ごすのでした。
そんなわけでさとてつさんへハピバ献上品。
リク内容はかわいい感じのおがふるでした。