にょたるふるいち。
子どもができましたの巻。


 妊娠したと解った時から、古市はある程度の騒動は想像していた。
 高校卒業と同時に男鹿家に嫁いで五年、大学卒業までは子どもは作らないからと一方的に宣言し、生での行為は一切男鹿に許さなかった。
 当たり前だ。何が起こってもおかしくない時代なのだから、それなりに生きる術を身に着けておかなくてはならない。高校卒業してすぐに就職したものの、男鹿はやっぱり男鹿なので、喧嘩しちゃった、の一言でいつ無職になるか解らないし、すでに家にはベル坊がいる。子ども一人を抱えて夫が無職、それでパートで生計を立てるなんて無謀もいいところだ。
 だから古市は教員免許を取った。
 ついでに行政書士の資格も取った。
 取れる資格はなんでも取っておくに越したことはない。思いつく限りの資格を取り始め、ほとんど資格取得が趣味みたいになってきたところでようやく卒業となり、地元の弁護士事務所で事務の仕事を始めた。
 その矢先だったので心苦しい気持ちながら職場に報告すると、いいことじゃないですか、と祝福された。小さい事務所ですから満足な産休育休はないけれど、席は空けておきますよ、とまで言ってもらった。このご時世なのに有難いことだ。
 その上でようやく、男鹿と男鹿の両親、つまりは古市の義理の両親と姉にまとめて、できたんです、と報告すると、皆一様に、何が、と目を丸くした。
「できたって、えーと……あ、こないだのセーター? もうできたんだ? たかちん仕事早いねー!」
 冬になる前にセーターが欲しいと美咲に言われていたので、編む約束をしていた。確かに仕事や家事の合間に編んではいるが、まだ出来上がってはいない。
「いや、できたっつーとあれだろ。ドラクエクリアしたのか?」
「いや、クリアできてねーのはお前だけだから。あたしはもうとっくにクリアしてるし」
 低レベルなことしか思いつかない夫に溜息を吐きつつ首を振ると、古市の横に座り、一緒に緑茶を啜っていたベル坊が覚めた目で、サイテーだな、と古市と同じように首を振る。ベル坊も小学校高学年ともなれば反抗期まっただ中で、最近は男鹿との喧嘩が日課なのだ。
「これだから男の責任ってのがとれねー奴は……」
「いや、ベル坊。男鹿は一応、その男の責任ってのは取ってるからね」
 むぅと口を曲げるベル坊の様子は、男鹿と血がつながっていないのが不思議なくらいそっくりだ。表情はそっくりなのに、頭の回転の速さは似なかったらしく、古市のできたんです報告が一体何なのはすでに理解しているらしい。
「それじゃできたって言うと……ああ、キムチ? こないだ漬けてたもんねぇ」
「おーいいじゃないか。それじゃ早速今晩出しておくれ」
 のほほんと笑う義理の両親に、いえ、と古市は溜息を吐く。
「まだキムチは食えないんで……」
 うーん、これは思った以上に強敵だ、と誰が見ても明らかに血がつながっていると断言できる四人を前に、古市は再び溜息を吐いた。
 できればオブラートに包んだ言い方で理解してほしかったのだが、男鹿家にそれは無理と言うものだ。小学校から馴染んできた家なのだから、押して図るべきだった。
 ケッと悪態をつくベル坊の頭を撫でてから、古市は男鹿家一同を見渡した。
 そして最後に男鹿に、己の夫にぴたりと視線を合わせる。古市の向かいの席が男鹿の定位置で、いつも通り今日もそこに座りテレビを見ている。ん、とせんべいをかじり首を傾げる男鹿に、古市は少し微笑んだ。
 きっと喜ぶだろうと思って。
「子どもができたって言ってんだよ」
 ばりん、と男鹿の口の中でせんべいが粉砕される。がしゃん、と美咲の手の中で湯呑が粉砕され、男鹿母と男鹿父はそろってかぱっと目と口を開いた。
 妙にしんと静まりかえり、誰もが古市に注目する最中、ベル坊だけは、マジで解んなかったんかよ、と呆れた顔で緑茶を啜っている。
「生理がこないし微熱が続くんで病院に行ったら妊娠してるって言われたんだ。予定日は来年の八月末か九月初めくらいだろうって。ひょっとしたらお前と同じ誕生日かもね、男鹿」
「ふふふふふふるいちっ」
 ふふ、と笑って己の夫を、いまだに男鹿、古市と苗字で呼び合う夫を見つめれば、口の端からぼろぼろとせんべいを零しながら、男鹿がわなわなと震えている。
 あーあ、汚ぇな、とテーブルの上に落ちたせんべいのかけらをささっとティッシュでかき集め、男鹿の口の端についている大きなかけらだけは取ってやったが、小さなものまでは対処できない。
 あ、左の端にも大きいのがついてる、と伸ばした指を、がしっと男鹿の手が掴む。熱く、少し汗ばんだ手は、切羽詰まった顔と同じように少しばかりに興奮しているようだった。
「子どもできたってマジか?」
「マジもマジ。超マジよ。しかも双子かもって」
 いえーい、と笑顔でピースサインをすると、双子っ、と美咲が緑茶まみれの手をぐっと握りしめた。
「マジでっ? たかちん、マジで妊娠したのっ? え、双子っ? 双子なのっ?」
「あらやだどうしましょう! それじゃ今日お赤飯炊かなくちゃ! あっ、あちらの御両親にはもう伝えてるのっ? うちだけ知っててお赤飯炊いてちゃマズイわ! ちょっとあんた、何ぼさっとしてんの! ベビー用品とか準備しなきゃっ! あちらと同じもの買わないように相談しなくちゃなんないでしょっ!」
「あ、え、あ、そ、そうだな、うん、そうだそうだ、そうだ!」
「それにしても双子かぁ! 結婚してから長かったわねー。ま、たかちんがしっかりしてるからなんだけどさ! いやーそれにしてもめでたいねー!」
「めでたい? あ、鯛、鯛も買わなきゃ!」
「ちょっと落ち着いてよお母さん、そんな一度にしなくていいんだからさ」
「でもベビー用品がっ。鯛とお赤飯がっ」
「おれはお好み焼きが食べたい」
「ベル坊は黙ってなさい! お祝いのときはお赤飯と鯛って決まってるの!」
「お好み焼きっ!」
「お赤飯よっ!」
 わぁわぁと両親と姉が大騒ぎをする中、男鹿は古市の手を掴んだまま茫然とした表情のままだ。おーい、大丈夫かー、と掴まれていない方の手を男鹿の目の前でひらひらしてやると、ハッと我に返った男鹿が、眉間に皺を寄せて、古市を見つめる。
「マジで、できたんか?」
 疑り深い様子に、古市は苦笑する。
「そうだって言ってんじゃん。何? 嬉しくないの? あたしはすごい嬉しかったけど」
 思わずそう拗ねたように口を尖らせて言うと、男鹿はくしゃりと顔を歪めて笑った。なんだか泣き笑いのような表情だと思いながら見上げる古市に、古市馬鹿っ、と男鹿がテーブルの上に飛び乗り、ぎゅうっと抱きついてくる。
「嬉しいに決まってんだろ! 古市馬鹿っ」
「馬鹿はテメーだ。テーブルの上に乗るなって何度言えば解んの」
「ふるいちぃいいい」
 首が締まるくらいぎゅうぎゅうと抱き込まれ、息が詰まりそうだ。高校生の頃もよい体格をしていたけれど、就職して毎日身体を使う仕事をしているので余計にしっかりとした筋肉がついた。背中に回れた手も大きくごつごつとしていて、その手がかすかに震えているのに古市は気付く。
「おが」
 男鹿の腕の中から、無理に顔だけを上げるが、男鹿は古市の首筋に顔を突っ込んでいるのでその表情は解らない。けれど湿った呼気と、背に触れる手の震えに古市は男鹿の気持ちを察する。
「泣いてんの?」
 ずずっと鼻を啜る音とともに、ないでねーよ、とくぐもった声がふてくされたように言う。
「泣いてんじゃん。そんな嬉しかったかよ」
 肩に伏せられた頭を無理矢理起こさせその顔を覗くと、やっぱり泣いている。あーあ、と古市は長袖の袖を引っ張って顔を拭ってやり、よしよし、と黒い髪を撫でた。ずずっと鼻を啜る男鹿を、ベル坊が冷めた目で見て、馬鹿親父…、と呟いているが、そんな憎まれ口も男鹿には聞こえていない。
「だって全然できねーがら、ふるいちはおれのこどもぼしぐねーのがど……」
「あのなぁ、ちゃんと最初に説明しといたろ。大学卒業するまでは子どもの世話は満足にできないから作らないって。あたしだって男鹿の子ども欲しかったけど、ちゃんと育ててやるには環境作りも大事なの」
「でもベル坊のどぎはじゃんとそだででだー…」
「ベル坊は特殊だったの! あ、ベル坊、ヒルダさんにも報告したいんだけど、今度いつ来る?」
 ベル坊が自立してきたからと最近は魔界へ帰ったままでなかなか姿を見せないヒルダのことを問うと、ベル坊は携帯電話を取り出してカチカチとやり始める。ヒルダにメールを送っているのだと察し、古市は慌ててその手を抑える。
「妊娠したことはあたしの口から言うからね」
「解ってるよ。次いつ来るか聞いてるだけ」
「そか、ありがとな」
 くしゃりと緑色の髪を撫でると、いーよ別に、とベル坊は照れ臭そうな顔をする。うーん立派に育ったもんだ、と感慨深く思う古市は、情けなくもえぐえぐと泣く男鹿を見上げて、こっちは育たないなぁ、と笑う。
 そう言えば高校三年の春、卒業したらすぐに結婚したいとプロポーズされ、一週間丸々悩んだ末にいいよと返事を出した時も泣いていたっけか、と古市は笑う。
 鬼のように強い男は、古市には弱く、古市の前ではもっと弱かった。
 ああそう言えば、結婚式の日にも泣いていたっけ、あの時は男鹿の両親もうちの両親も全員がわんわん泣いていたからあんまり目立ったなかったけど、と大騒ぎだった結婚式を思い出して古市は男鹿の頬を撫でる。
「しっかりしろよ。お前、もう父ちゃんなんだからな」
「うん」
「しかも双子だからな」
「うん」
「昼飯食ったらうちの両親に報告に行くから」
「おれもいぐ」
「そんなら泣き止め、馬鹿親父」
 魔界通信もオッケーの携帯電話を弄りながら呟くベル坊に、ないでねぇえっ、と男鹿はうるさい。はいはい、と軽くかわすベル坊と、これではどちらが親か解らない。
 これから迷惑かけると思うけどよろしくな、と古市がベル坊に言えば、そんなの今更だろ、とベル坊も笑う。俺は兄貴だからな、といつぞやかどこかで聞いたようなセリフを言うベル坊に、うん、と頷く古市を男鹿がぎゅうっと抱きしめた。
 リビングでは義理の両親と姉が夕飯について激しく討議しながらも、買い出すベビー用品のリストを作っている。まだ早いですよー、と声をかけながら、抱きつく男鹿の背を撫でる。
 超幸せ、と耳元で囁く声は熱く、古市は目を細める。あたしもだよ、と小さく返すと抱きしめる腕に力が籠められた。抱き潰すなよ、と冷静なベル坊の突っ込みに、慌てたように腕を解き、身体を離す男鹿が面白くて、古市は笑い声をあげながら男鹿にぎゅうっとしがみついた。



アニバブ、過去に傷ありました回のおがふるがあまりにも夫婦かつ幸せ三人家族だったのでつい出来心で…。
にょたるふるいちの流れは小学校からの幼馴染→中学三年生辺りで古市、男鹿に恋をする→高校二年生辺りでお付き合いを始める→高校三年生で進路相談云々で来年は別々だねって話になってこれはヤバいと焦った男鹿がプロポーズする→三月末入籍→男鹿社会人、古市大学生一年生の夏あたりに結婚式→男鹿家で新婚生活しつつ古市大学に通う、な流れです。
男鹿は最初から古市は自分の嫁になるものだと思い込んでプロポーズしたのになかなか返事来なくて眠れぬ夜を過ごしていたらいいよ。
古市は大学でめちゃくちゃモテそう。結婚してるとかあえて言いふらす子じゃないので、合コンとかめちゃくちゃ誘われるけど絶対に行かない。男鹿がうるさいから。
男鹿も職場でモテそう。でも見向きもしない。古市がいるから。告白されても臆面もなく、や、俺、美人の嫁さんいるんで、って言ってそう。
ちなみに結婚しても呼び名は男鹿と古市。子どもが生まれて物心つき始めたころに、おがーふるいちーって言い始めたのを見て、あれこれヤバくね、と呼び方をおとーさんおかーさんに変更。最初はちゃんと呼べないといいよ。でも二人きりの時は相変わらず男鹿と古市。ラブいな。